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レビュー

読み終えた後は、読み始める前の自分と同じ自分ではなくなってしまう「毒書」 『熱帯』

 取り返しがつかなくなってしまった感覚になる本が、ある。例えば、今秋(編注・2018年)翻訳刊行されたアリ・スミスの小説『両方になる』(新潮クレスト・ブックス)。扉ページに「目」のマークが置かれた第一部と「監視カメラ」のマークが置かれた第一部、二つの第一部(!)の物語は時空を超えて反響し合うのだが、どちらが先でどちらが後に登場するかは、手に取った本によって違う。実は、装幀そうていは一緒で違いも記されていないが、「目」が先で「監視カメラ」が後の本と、「監視カメラ」が先で「目」が後の本、二種類の本が存在しているのだ。「目」を先に読み「監視カメラ」へと進んだ読者は、もしも「監視カメラ」を先に読んでから「目」に至っていたら味わえたであろう発見や感動とまったく同じものはもう、絶対に体験できない。逆もまたしかり。本書が物語を飛び越えて読者に突き付けてくるのは、この世界には、人生には、「取り返しがつかないものがある」という感覚だった。
 森見登美彦の最新長編『熱帯』に充満しているのも、その感覚だ。第一章は「私」こと森見登美彦の、ゆるりとした身辺雑記から始まる。妻との語らいの中で蘇ったのは、一九八二年に出版された佐山さやま尚一しょういちの小説『熱帯』の記憶。大学四年の時に古本屋で購入したその本は、半分まで読んだところで忽然こつぜんと消えた。買い直そうとしても見つからず、手を尽くしても本の存在すら確認できなかったのだ。ある日、東京の友人に連れられて行った「沈黙読書会」で、当の『熱帯』を持った女性と出会う。彼女は言う、「この世界の中心には謎がある。『熱帯』はその謎にかかわっている」。
 第二章は、その女性――白石しらいしさんへと語り手が替わる。森見文学初となる「東京小説」の側面を持つ本章は、普段は有楽町の鉄道模型店で働く白石さんが、『熱帯』の謎を解こうとする結社の活動に招かれる。どうやらこの小説を、最後まで読んだ人はいない。彼らはそれぞれの読書の記憶を突き合わせ、『熱帯』の物語を少しでも「サルベージ」しようと試みていたのだ。新参者である白石さんがもたらした、記憶に基づく小さな単語は、結社に大きな波紋を広げていく……。
 第三章以降の展開は、口をつぐまざるを得ない。ネタバラシをしたくない気持ちと同時に、何をどう書いても間違ったことを伝えてしまいかねないからだ。確実に言えることは、小説とは何だろう、本を読むという行為の中で自分の内側に何が起きているんだろう、と一度でも考えたことがある人ならば、必ずこの物語を楽しめる。ただ、ひとつだけ注意しておきたいのは、この本を読み終えた後は、読み始める前の自分と、同じ自分ではなくなってしまうということだ。なぜなら読み始める前の自分は、この本の内容を知らない。読み終えた後の自分は、全てを知ってしまっている。その経験は、正真正銘、取り返しがつかない。
 この世界には、人生には、「取り返しがつかないものがある」。全ての本は、読書は、その真実を伝えるために存在するのかもしれない。森見文学史上最強の「毒書」であり、なぜこのような小説が存在できたのかという畏怖すら抱いてしまうタイプの、傑作だ。

乙一『Arknoah 2 ドラゴンファイア』(集英社文庫)
兄弟そろっていじめられっこのアールとグレイは、不思議な絵本『アークノア』の世界に迷いこんでしまった――。第2巻に当たる本書では、兄を残して元の世界に戻った弟が、絵本の「謎」を探求し始める。強烈な“引き”で、物語が一旦幕を下ろしてはや3年。早く続きが読みたい!



☆カドブンでは、森見登美彦『ペンギン・ハイウェイ』の試し読みを公開中!
https://kadobun.jp/readings/365/433b39cb


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