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試し読み

【新連載試し読み】高杉良『雨にも負けず』

11月13日発売の「小説 野性時代」12月号では、冲方丁、高杉良、東山彰良、本多孝好の4大新連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開いたします。
本日は高杉良『雨にも負けず』新連載第一回を公開いたします。

IT産業の巨人、米国グーグル社に勝利して世界にその名を売ったイーパーセル株式会社。熱血社長・北野譲治の原点は――。
経済小説の第一人者が描く日本ベンチャーの挑戦!

 

 はじめに

 山陽新聞digital(さんデジ=二〇一四年一二月四日)は、〝おかえりなさい北野譲治(きたのじようじ)さん(51)イーパーセル社長〟の見出しとカラー顔写真付きで報じた。以下に一部を引用する。

 国内外の六三〇〇社と電子宅配契約
――イーパーセルの業務内容は。

 一口でいうと『電子宅配便』というか、『ネット上の国際物流会社』といってもいい。顧客が持っている秘匿性の高い大容量データをネット上で安全、確実に配送する電子物流サービスを提供している。大容量のデータの伝達は、安全性や確実性を重視するため、DVDなどの物流媒体に書き込んで配送するケースが多かった。そうなると物理的に相手先に情報が届くまでに日数がかかり、書き込みや発送などの煩雑な作業が必要で、人件費をはじめコストも高くなる。当社のサービスを利用すれば、通信環境が劣悪な東南アジア諸国、南米であろうと確実にネットで伝送できる。特にアジア地域に工場などが進出している国内企業の出先との相互のデータのやり取りに適している。今は国内の大手をはじめ世界で約六三〇〇社と契約を結んでおり、当社の技術はグローバルスタンダードになりつつある。

――電子配送システムを支えるコアな技術とは。
 特許案件なので詳しくは言えないが、やはり劣悪なネット環境の地域にも情報を安全に確実に送る世界最高水準のセキュリティーを独自の技術で開発したことに尽きる。もう少し分かりやすく言えば、送るデータを暗号化して秘匿性を確保し、通信経路にデータのコピーを残さない、通信中の回路遮断時にも自動再送機能が働き、データ伝送を回復させる。この特許技術を開発したのが、当社米国法人を創業した日本人技術者で、彼はかつては防衛産業分野で戦闘機のレーダー開発にも関与していた。米国での最初の顧客は、あの大手投資銀行グループのリーマンブラザーズだった。リーマンブラザーズが名もないベンチャーの当社を選んでくれたことは驚きだった。日本ではありえなかったかもしれない。

 米国グーグル社を特許侵害で提訴
――北野さんが社長になって二〇一一年四月に米国での特許が侵害されたとして米国企業一三社を提訴した。訴訟に持ち込んだ最大の目的は。

 訴訟相手はグーグル、ベライゾンなど通信・情報関連大手のIT企業ばかり。訴訟の段取りや係争中の煩雑な作業で本当に大変だった。結果的には一三社中一二社とライセンス契約を結び、実質勝訴した。当時は『グーグルを訴えた日本人』として米国や国内のビジネス誌などに大きく取りあげられ、僕の性格をよく知っている昔の仲間は、何でおまえが……と、びっくりしていました。実は一二社からライセンス料をいただいても、勝訴までの段取りや苦労を考えれば、そんなに得をしたとは思っていない。本当のところ、訴訟の目的は当社のグローバルスタンダード技術を世界に、特に日本のマーケットに浸透させることにあった。日本の企業は欧米が認めた製品をグローバルスタンダードと思い、なかなか私たちのようなベンチャーを認めてくれない風土がある。それなら世界を代表するIT企業の製品やサービス技術に当社の特許が使われていることを証明すれば、われわれの技術がグローバルスタンダードになれると。効果は予想通りで、当社の名前は一躍世界に知られ、取引を希望する企業からの問い合わせが殺到した。ブランディングとマーケティングの戦略は一応成功したと思っている。

 第一章 契約社員

「寄らば大樹の陰というが、大企業を選択すれば、安定した暮らしが保障される。おまえほどの男なら将来、経営陣に入ることも夢ではなかろうが。県下一の朝日高校から早稲田大学の理工学部に合格した時はたまげた。それが、損害保険会社の契約社員になりたいなんて、信じられん」
 北野の生誕日は昭和三十七(一九六二)年十二月十九日である。父は三十歳、母は二十歳だった。
 北野譲治の父親、敏明(としあき)はもの悲しげな眼で息子を見据えた。
 北野は両親の容貌の良いところ取りをしたかのごとく、彫りが深く二重瞼の大きな眼が印象的だ。しかも笑顔が奇麗なので、自然に相手を惹き込む。身長は一メートル七十六センチでがっしりした体躯(たいく)だ。
 北野が久方ぶりに岡山県備前(びぜん)穂浪(ほなみ)の実家に帰省したのは、昭和六十(一九八五)年大晦日の午後六時頃だ。両親と二歳下の妹美佳(みか)への挨拶もそこそこに風呂に入った。
「ちょっと横になるので、食事の時には起こしてくれな」
 美佳に頼んで、二階の自室で横になった。
 熟睡したのだろう。目覚めたのは十一時四十五分。北野はあわててパジャマからジーパン、シャツ、セーターに着替えて、居間に顔を出した。
「なんで起こしてくれんかった」
「お兄ちゃん、二回も激しく揺り動かしたけど、ぐっすり寝ておって……」
「疲れておるんじゃろうな」
「お母さん、ごめんなぁ」
「除夜の鐘を聞きながらの夕食やね」
 食卓には北野の夕食だけが用意されていた。
 テレビが名刹の除夜の鐘を中継し始めた。
 昭和六十一年元旦を実家で迎えたのだ。
「明けましておめでとうございます」
 北野は張りのある声を放って、両親に深々と頭を下げた。
「おめでとうさん」
「明けましておめでとうございます」
 敏明も、母の奈穂子(なほこ)も、美佳も笑顔で応じ、御神酒(おみき)を酌みかわした。
 母と妹の心づくしの手料理をがつがつ食べている北野に、六つの優しい目が注がれていたが、食後、契約社員の話になった。もちろん、北野が切り出したのだ。奈穂子と美佳は後片づけで台所にいた。
「お父さん、僕はサラリーマンには向いとらん思っとるんよ。はみだし社員になるよりは、最初から契約社員で働く方が合っとると思って決めたんじゃ。いずれ起業しよるけんな。本音はドイツの超高級車に一日も(はよ)う乗りたいと思ったからなんじゃけど……」
「その外車はなんぼするの」
「五百万円ぐらい」
「そんなに高い車なんか。十年早いなんてもんじゃなかろうが」
「だからこそ契約社員なんじゃ。営業で稼げば稼ぐほど、実入りが増えるから、三年ぐらいで買えるかもしれん」
「おまえ、夢みたいなことを言うて……」
 台所から居間に戻った奈穂子が話に割り込んだ。
「五百万円とか聞こえましたけど、空耳じゃろうか」
「譲治が五百万円もする高級車を三年で買うなどと言うとるんじゃ」
「お父さんは十年早いどころじゃないとか言ったけど、契約社員は働けば働くほど稼げるから、三年限りの契約社員になることに決めたん。お母さん、僕は大東京火災海上保険(だいとうきょうかさいかいじょうほけん)っていう一流企業の営業で頑張るから、心配しなくていいからね」
 奈穂子はそっくり返らんばかりに驚愕した。
「お母さんは大反対。そんなの、とんでもないことでしょうが。だったら宮大工になりんさい。お祖父(じい)ちゃんがどんなに喜ぶかしれんし、おまえは小さいときからお祖父ちゃんによう似とったからねぇ」
 敏明が頬をふくらませた。
「冗談じゃない。なんのために大学行ったんじゃ。宮大工になるためじゃなかろうが……」
「でも、契約社員なんかよりはマシでしょうが。せっかく建築を勉強したんじゃろうが、譲治ならお祖父ちゃんの宮大工の工場(こうば)を大きな会社にできますよ。わたしが保証します」
 奈穂子が居ずまいを正したのがおかしくて、北野はくすくす笑った。
「譲治、笑ってる場合じゃないでしょうが」
「奈穂子、そうかりかりするな。ただし宮大工は反対じゃ」
 北野はゲラゲラ笑い出し、わざわざ丁寧語で話した。
「お父さんもお母さんも理解して下さい。仕事を決めるのは僕なのですよ。相談に帰ってきた訳ではなく、報告に来たんです。学費の仕送りをしてもらって、奨学金も受けましたが、生活費は僕がアルバイトで賄ったんです。契約社員はもう決めたことです。予備校に通わせてくれたことも感謝しています。大学に進学出来たのも、お父さんとお母さんのお陰です。しかし就職と仕事の第二の人生は僕が決めることなのです」
 北野は少し強い目で二人を捉えたが、見返してこなかった。
「この子は親の言うことはよく聞く子じゃったがのう。こんな強情になってしもうて」
 奈穂子は北野をひと(にら)みして退出した。
「おやすみなさい。繰り返しますが僕が今日あるのはお父さんとお母さんのお陰です」
「取って付けたようなことを言わんでええから」
 言葉とは裏腹に、敏明は笑顔だった。
「今後とも、あたたかく見守ってくれるだけで僕はありがたいです」
「おまえのような出来る息子を持ってわしらは幸福だが、大企業に入ってくれるものとばかり思っとった。でもなあ、契約社員なんて訳の分からん話を聞かされたらがっかりするじゃろうが……」
 敏明もきつい物言いになった。
 美佳は奇麗な笑顔で「おやすみなさい」と言って手を振った。
 北野はいったん寝床に就き、横たわって眼を(つむ)ったが、眠りにつける訳がない。
 ウィスキーの水割りを飲みながら、東京での生活を振り返っていた。

(このつづきは、「小説 野性時代」2017年12月号でお楽しみいただけます)
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