桶狭間合戦、関ヶ原合戦、大坂の陣など、戦国時代の合戦や主要事件を網羅した、著者の集大成的短編集『家康謀殺』(著・伊東潤)より、「上意に候」を特別公開!(第1回から読む)
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前回までのあらすじ:秀吉の甥・秀次は石田三成の謀略により、関白の職を辞して高野山に追いやられた。権力に翻弄された秀次は、秀吉への復讐のために失意のなか切腹を決意する。
致し方なく秀次は、いずれも十八歳の山本主殿、山田三十郎、不破万作の三人に切腹を許した。
山本には国吉を、山田には厚藤四郎を、不破には鎬藤四郎を、それぞれ下賜した。
山本らは「それではお先に」と言うや、凄まじい気合と共に腹をかっさばく。それを背後から秀次が介錯した。介錯の太刀は、兼光作の「波游」という名刀だった。
三人の首と胴が離れた時、すでに秀次の白装束は朱に染まっていた。
「では、尊師、お世話になりました」
顔に付いた返り血を拭うと、秀次が切腹の座に着こうとした。
「お待ちあれ」
隆西堂は冷めた笑みを浮かべていた。
「ここから先は地獄となります」
「もとより覚悟の上」
「いえいえ、現世の話です」
「というと──」
「豊臣政権は日ならずして瓦解し、天下に再び大乱が起こるでしょう」
「そうなるやもしれませぬな」
秀次にとって、もはやそれは他人事だった。
「拙僧は、それを見るのが嫌です。それゆえ、お供仕りたいのです」
「それはなりません。尊師には、わが菩提を弔ってほしいのです」
「いえいえ、そのようなことは坊主なら誰でもできます。それより、それがしは関白殿下の供をし、冥途とやらに行ってみたいのです」
「冥途など──」
そこまで言いかけて秀次は、口をつぐんだ。
──これまで、わしは「そんなもん、あってたまるか」と思ってきた。しかし、これだけ多くの者どもが冥途とやらを信じるのなら、あるのかもしれぬ。
死を前にして、秀次はそう思った。
「分かりました。共に参りましょう」
そう言うと秀次は、「むらくも」という名の脇差を選び、隆西堂の前に置いた。
「わが願いをお聞き届けいただき、恐悦至極。では──」
腹をくつろげて秀次に微笑みかけると、隆西堂は白刃を腹に突き立てた。
「尊師、介錯仕る」
「しばし待たれよ」
「何を待つ」
「関白殿下の先触れとして、冥途の様子をお伝えしておこうかと──」
さすがの隆西堂も、顔は青ざめ、脇差を持つ手は痙攣している。
「尊師、これ以上、苦しまれる必要はない。介錯仕る」
「いや、しばしご猶予を──」
隆西堂の周囲は、すでに血の海と化している。
「尊師、冥途は見えてきましたか」
背後に回った秀次が刀を振り上げた。
「まだまだ──」
「やはり、冥途はありませぬか」
「いや──、待たれよ。あっ、見えました。しかと見えましたぞ!」
隆西堂は、何かを見つけたように歓喜の色を顔に浮かべると、白刃を左から右に回した。
「それでは尊師、冥途でお待ちあれ!」
秀次が太刀を振り下ろすと、隆西堂の首が飛んだ。
「それでは淡路、わが介錯を頼む」
「はっ」
それまで瞑目し、下座に控えていた近習頭の雀部淡路守重政が立ち上がる。
「わが事が済んだ後、そなたは、わしの首を市松の許に持っていけ」
市松とは福島正則のことだ。
「それは外で待つ者に託し、関白殿下を追い掛けます」
「そなたも頑固よの」
秀次が苦笑を浮かべた。
「小姓や尊師までもが自害したにもかかわらず、近習頭のそれがしが、おめおめ生き残るわけにはまいりません」
「致し方ない」
秀次は、重政に国次の脇差を下賜した。
「これぞ武士の本望」
重政は涙声になっている。
「では、頼むぞ」
秀次はゆっくり座に着くと、腹をくつろげた。
──養父上、それがしの生涯は、それがしのものではありませんでした。しかし、もう養父上の思い通りにはなりません。
秀吉へ憎悪の念をぶつけるように、秀次は白刃を腹に突き立てた。
脇差は最も気に入っていた正宗だ。
次の瞬間、怒濤のような痛みが押し寄せてきた。
──養父上、それがしが冥途に行ってしまえば、もう上意など通じませぬぞ。
「よろしいか!」
重政が「波游」を振りかぶる。
「まだまだ!」
気力を振り絞り、左から右へと刃を引き回すと、放たれたかのように内臓が溢れ出た。
「よろしいか」
「いや、待て。まだ冥途が見えてこぬのだ」
目を閉じても開けても、冥途など見えてこない。
──何たることか。いや、待て。あれは何だ。
一つ瞬きをした次の瞬間、眼前に生まれ故郷の田畑が広がった。
──帰ってきたのか。
よく実った稲穂が風に吹かれて穂をぶつけ合い、豊穣の歌を奏でている。空は晴れ渡り、雲一つない。その時、彼方に黒い小さな点が見えてきた。それはぐんぐん近づいてくるや、太陽を覆うほどの大きさになった。
──あれは、あの時の大鷹か。
記憶が鮮明によみがえる。
──しかし今のわしは、もうあの時のわしではない。
大鷹の鋭い爪が秀次を摑もうとした時、秀次は逆にその爪に手を伸ばした。
一瞬、大鷹の瞳に恐怖の色が差す。
「御免!」
次の瞬間、首筋に衝撃が走った。
太刀を置いた雀部重政は、秀次の首を三方に載せて拝礼すると、遅れじとばかりに腹を切った。
それで、すべてが終わった。
秀次の死の二日前にあたる十三日、秀次与同の家臣たちに対する「御成敗」が行われていた。木村重茲は生害(斬首)とされ、その手足となって働いた白江成定と熊谷直之は切腹となった。さらに年寄の渡瀬繁詮、前野長康、粟野秀用、さらに茶頭の瀬田掃部までもが、それぞれ預けられた先で自害して果てた。
むろん、それで済む話ではない。
豊臣政権の拠って立つ基盤だった関白職を朝廷に返上せざるを得なくなった秀吉の怒りは収まらず、秀次の死から半月ほど経った八月二日、秀吉は秀次の妻子三十九人を三条河原に引き出し、次々と処刑した。その凄惨な様は言語に絶したという。
これにより秀吉の評判は地に落ち、誰もが「豊臣家の天下は長くない」と思うようになる。
秀次は、秀吉もろとも断崖から身を躍らせたのだ。
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