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試し読み

【新連載試し読み】三羽省吾「共犯者」

11/10(土)より配信の「文芸カドカワ」2018年12月号では、三羽省吾さんの新連載「共犯者」がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開いたします。

 岐阜県北西部の山中で、男性の死体が発見された。
 小さな違和感が週刊誌記者・宮治を惹きつけ――。

    一

 白くてなにも見えない。
 (かすみ)か霧か分からないが、とにかく視界のすべてが真っ白だ。
 (うっす)らと人影らしきものが、現われては消える。
 呼び掛けようとするが、何故か声が出ない。触れようと手を伸ばしても、(むな)しく宙をまさぐるだけだ。
 必死に伸ばした両手の先は、白いものの中に消えている。やがて全身が白いものに吞み込まれて、自分の存在そのものもなくなってしまうように感じる。
 悲しくて涙が流れ落ちる。
 泣きながら、しかし宮治和貴(みやじかずき)は頭の片隅で『あぁ、またこの夢か』と思う。
 昔から繰り返し見る夢だが、どういう意味があるのかよく分からない。一度、夢診断でも受けてみようか。冷静にそんなことを考えながらも、涙は後から後から溢れてくる。時には、実際に枕を濡らしていることもある。
 ふと、今回はその夢の中で何度か小さな音を聞いたような気がした。そういえば、指先になにかが触れたような気も……。

 夢から覚めて、その音と指先の感触がアラームのスヌーズ機能を繰り返し止めていたせいだと気付いた。続いて、ベッドではなくソファの上だということ、仮眠のつもりで横になったことを思い出した。
 目を開けると、広げられた地図と数枚の写真、新聞や雑誌のコピー、ノートパソコン、ショットグラスが見えた。グラスの中では、溶けた氷とバーボンが二層になっている。
「うわ、やっべ」
 時刻は午前十一時になろうとしていた。
 出版社の雑誌記者である宮治は、基本的に出社は自由だ。取材で飛び回っている場合は、メールや電話を入れるだけで何日も出社しないこともある。そんな時は、週に一度の編集会議への出席も例外的に免除される。
 だが今週は欠席するわけにいかなかった。その為に一晩中、情報を整理していたのだ。一時間だけ横になってから編集長に提出出来るよう文書にまとめようと思っていたのに、三時間も眠ってしまった。頭の中で考えがまとまったことで、安心してしまったらしい。
「まったく、自分に甘いって言うか、詰めが甘いって言うか……」
 独りごち、重い身体をソファから引き剝がすようにして、宮治は洗面所へ向かった。
 今から文書化するのは不可能だ。口頭で伝えるしかない。
 洗濯物は取り込んだままリビングの隅で山になっている。宮治はその山の中からポロシャツと靴下を引っ張り出して着替え、寝癖のついた頭のまま自宅を出た。

 その遺体が発見されたのは、昨年十一月下旬のことだった。
 発見現場は岐阜県北西部、白川郷(しらかわごう)で有名な白川村のダム湖、御母衣(みぼろ)湖畔から南西へ約三キロの山中。通報者は、近くで農業を営む男性だった。
 遺体に着衣はあったが身元を示すような所持品はなく、顔面と手指が著しく損壊されていた。
 遺体は四十歳代から七十歳代のアジア人男性で、身長約百七十センチ、体重約六十五キロ。死亡後三日から一週間以内。顔面と手指の損壊は死後のもので、直接の死因は窒息。紐状のものによる絞殺だが、後頭部にも鈍器による激しい殴打痕があった。その殴打痕は頭蓋骨を陥没させており、何者かに背後から殴られて抵抗不能となった後に、絞殺されたものと推察された。
 岐阜県警は殺人死体遺棄事件と断定し、高山西部(たかやませいぶ)署に二十人態勢で捜査本部を設置した。遺体損壊の手口から反社会的勢力による犯行の可能性があった為、捜査員には県警刑事部組織犯罪対策課の者も複数動員された。
 歯を含む顔面と手指を著しく損壊され、失踪者の中に該当もなく、被害者の身元特定には時間が掛かると思われたが、発見から一週間後には公表される。
 被害者の氏名は佐合優馬(さごうゆうま)、年齢五十四歳。本籍は岐阜県郡上(ぐじょう)市だが、遺体発見当時の住民票は東京都杉並(すぎなみ)区にあった。しかし杉並区に生活実態はなく、住民票に記載されたアパートは何年も前に家賃滞納で退去させられていた。実質的には住所不定、職業も不詳だ。
 佐合の四十歳代の頃の顔写真、発見時に身に着けていた靴や衣服の写真が公開された。それは情報を求める旨の文言とともに全国紙に掲載され、テレビの全国ニュースでも取り上げられた。
 ワイドショーは、被害者の生前の暮らしぶりに謎が多いことと遺体の損壊が執拗であることを、現代社会に生活実態が分からない人間がいかに多いかという情報などを交え扇情的に報じた。
 それと同時に、インターネットの掲示板サイトで小さな「祭」が起き始める。佐合優馬がどこでどのように生活していたかに関する、真偽不明の書き込みだ。
 十年ほど前まで、伊東(いとう)の温泉付きヴィラで悠々自適だった……西成(にしなり)で生活保護を受けながら、車を所有していた時期もある……医者を脅して診断書を書かせ、障害年金も受け取っていたらしい……詐欺や傷害で逮捕歴がある……東海地方でヤクザを騙して大金をせしめたらしいので、それが原因で消されたのではないか……。
 だがワイドショーの扇情もネット上の「祭」も、他の政治家や芸能人のスキャンダルに吞み込まれるように、一ヵ月ほどで鎮火する。
 一般の新聞やニュース番組でも、年が明けた頃から取り上げられることがなくなった。
 そしてこの白川村殺人死体遺棄事件は、まるで事件そのものがなかったかのように語られることがなくなった。世間の人々からも、すっかり忘れ去られた。
 この一連の流れに関して、宮治は妙な違和感を覚えていた。
 ワイドショーやネットの掲示板から佐合優馬の名前が消えたのは、ただ飽きられたからだろう。
 だが一般の新聞やニュースまで、一瞬とはいえ世間の耳目を集めた事件の続報を出さないのはおかしい。
 考えられる理由は一つ。捜査本部広報担当から、新たな情報の発表が止まったということだ。
 捜査が行き詰まったという見方も出来るが、今回は違う。捜査本部には、故意に公表していない情報がある。宮治は、そう感じていた。
 被疑者に捜査の進捗状況が伝わらないよう、公表する情報を絞り込むこと自体は珍しいことではない。
 だが例えば、遺体損壊の手段、被害者の身元を公表し情報提供を呼び掛けるまでに掛かった一週間という微妙な時間の理由、或いは証明写真のような佐合の顔写真はどこで入手されたものなのか。
 これらが、宮治の想像力をかき立てる。
 公表されていることとされていないことの狭間に、ネット上の書き込みを当てはめると、腑に落ちる部分がある。無記名の書き込みをすべて鵜吞みにすることは出来ないが、丸きり噓ばかりだと断じることも出来ないような気がする。
 最初に勤めた新聞社で記者のイロハを叩き込まれた五年、転職先の大手出版社で我武者羅に働いた七年。その十二年の経験を経て、宮治が弱小出版社『帆風社(はんぷうしゃ)』に即戦力として入社して三年が経つ。転職には様々な事情があり、会社の規模は格段に小さくなったが、それは遊軍記者として好きなことを好きなように書ける立場を求めた結果でもある。
 十五年のキャリアは、記者として決して長いものではない。だがどの会社でも文芸、スポーツ、芸能担当などへの異動を断わり、事件記者として第一線で経験を積んで来た自負はある。
 その自負に基づく嗅覚が、このヤマをもっと掘ってみろと言っていた。

(このつづきは「文芸カドカワ」2018年12月号でお楽しみください)
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