第71回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した「偽りの春」を表題作とした単行本がいよいよ刊行。
珠玉のミステリ連作短編集の魅力と、気鋭のコンビ作家の実像に迫りました。
張り巡らされた「騙し」
――『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』が刊行となります。全編にわたって「騙し」が張り巡らされているため、詳しい内容を紹介しづらいんですが、まずは、書きはじめたきっかけを教えてください。
萩野: 最初はぜんぜん別の依頼をいただいていたんです。でも、それがうまくいかなくて。次に警察ものはどうかという話となって一作書いてみたんですけど、それもうまくいかなくてボツにして……。最後に、犯人側から描いてみるのはどうか、と考えて形式が決まりました。
――たしかに各話、犯人側の視点で展開しますね。題名から、交番のおまわりさんが語り手なのかな、と思っていました。
萩野:いずれは乗り越えなくてはならないんですけど、探偵側から書くのは苦手で、こういった形式になりました。それと、池波正太郎さんの「鬼平犯科帳」が好きなんですが、盗賊視点で話が進み、最終的には鬼平が捕まえるという話なんです。それもひとつの下敷きになったのかもしれません。
――「神倉駅前交番」が舞台となっていますが、この神倉にモデルはありますか?
萩野:鎌倉がモデルです。でも、しっかり鎌倉にしちゃうと、現実にあわせなきゃいけない。
鮎川:じっさいに鎌倉へ行ってみたら、交番が東口と西口の両方にあって。
萩野:派出所、駐在所とかもあって、どこまでが事件の担当範囲なのかなど、難しい部分が出てくるんです。
鮎川:最初は交番の話だから、もっとほのぼのとした感じになるんじゃないかと話していたんですけど、全然ほのぼのしなかった(笑)。
警察のことを知らずに書きはじめた
――第一話の「鎖された赤」では、青年による少女監禁の犯罪が語られていきます。その過程がじつにリアルです。
萩野:自分の母方の実家に土蔵があって、その仕組みを観察していたことがあるんです。それと、横溝正史原作の「八つ墓村」だったと思うのですが、映画を小さい頃に見て、座敷牢のようなところに閉じ込められているのがめちゃくちゃ怖かった。和風のものプラス、監禁事件で、しかもあるトラブルが加わると、もっと怖いことになるんじゃないかと考えて、プロットからつくりました。
――完成させる上でいちばん苦労したのはどういうところですか?
萩野:警察のことをぜんぜん知らずにつくりはじめてしまったので、警察の仕事を勉強するのがけっこうたいへんでした。
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鮎川:最終的に警察OBの方に見ていただいたんですけど、だいぶ気になる点がありますと指摘されて直しました。この時点で逮捕するのはありえないとか、容疑者に対してこんな態度はとりませんとか。
――それでも、警察小説としての面白さ、さりげない質問や会話で相手をじわじわ追い込んでいく過程がうまく活きています。
萩野:子どもの頃、テレビで「刑事コロンボ」はよく見ていたし、「古畑任三郎」の世代でもあります。ああいう感じで書きたいと思いました。警察の仕事は知らないけれど、交番のおまわりさんで口が達者な人っていうのだったら、なんとかできるんじゃないかな、と思ったんです。
鮎川:会話で「犯人を落とす」というけど、そう簡単にうまくぽろっとしゃべるかなというのが、執筆中はずっとつきまとっていて。そのための要素が何かないのかなと見つけるのが大変でした。担当の編集者から、ここにもうワンクッション、行動や決め手の要素が必要じゃないですか?と言われても、「もうないんだよ」と(笑)。
生活感がにじみ出るエピソード
――連作の第二話が、日本推理作家協会賞の短編部門を受賞した「偽りの春」ですね。光代という詐欺グループのリーダーが語り手で、しかも仲間の女が金を持って逃げたという、冒頭のつかみにまずやられました。
萩野:高齢者の人たちが詐欺の被害にあっていますけど、逆に高齢者の人たちが詐欺をやったらどうなるんだろうかと、なんとなく頭にあったんです。
鮎川:前に二人でバスに乗っていて、「ストップ、振り込め詐欺」のポスターを見ているときに、あなたがそう言い出したんだよ?
萩野:あ、そうか。
鮎川:突然言い出したんですよ。
――情景が浮かんでくる話ですね。郊外の安アパートに高齢の女詐欺師がいて、その隣の部屋で暮らしているのは若い母親と男の子。そこで入学祝いのランドセルを買ってあげたい、という人情話の展開も出てきます。
萩野:これは、鮎川さんが姪っ子さんのランドセルをじっさいに買うのに、わたしがつきあったことから着想しました。
鮎川:お金を出したのは、じいじとばあばです。もうネット予約分は売り切れだから、店に並んで買おうってことになったんですよ。
萩野:表参道にあるランドセル屋さんに、三時間くらい並んだんです。ああ、ランドセルの世界にこんなドラマがあるとは、と思って、どこかでランドセルのエピソードを使いたいなと思っていました。
鮎川:高いものだと二〇万円もして、ちょっとびっくりしましたね。
――そのほか女四人で集まるのが日帰り入浴施設のサウナだとか、ゴルフの話とか、作品のなかに妙な生活感がにじみ出ていますね。
萩野:あれは、鮎川さんのおじいさんがゴルフに行くときの話が興味深くて。
鮎川:ゴルフをしていると、みんなびっくりするくらいに自分の大事な話をしゃべるらしいんですよ。
萩野:それで、光代が表でやっている仕事の設定が決まりました。
薔薇に美大にサロメと変化に富む題材
――第三話「名前のない薔薇」は、泥棒が若い看護師と知り合い、のちに彼女が有名な園芸家になって再会するという話で、ロマンチックな感じもあります。
萩野:この泥棒、最初はもっとハードボイルドなキャラクターにするつもりだったんですけど(笑)。たぶんそういうのは向いてないんですね。
鮎川:これを書くために、京成バラ園に取材に行かせていただいて、薔薇を育てている方にお話を聞きました。その話だけで長編にしたほうがいいんじゃないかっていうくらい面白かった。
――もともと園芸は詳しかったんですか?
鮎川:まったく知らなかったです。でも、取材した後はガーデニングをはじめました(笑)。
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――美大生が登場する四話と、親子の犯罪をめぐる五話は内容がつながっています。
萩野:全五話にして、四話目、五話目は連続性のある話にしようと思いました。わたしは学生の時に美術部だったので、絵を描く人たちには憧れがあったんです。美大というのも、イメージをかき立てられました。
――第五話は、また雰囲気が変わります。「サロメ」を下敷きに、名探偵と犯人の対決のような構造になっています。ここでは売れっ子作家が登場しますね。
萩野:作家のキャラクターは、ちょっと非実在性が強いかもしれません。
――短編に挑戦したのは今回が初めてとのことですが、作品をつくるうえで、長編と違いはありましたか?
鮎川:短篇はトリックが比較的シンプルな分、物語に注力しやすいと思いました。
――「偽りの春」が日本推理作家協会賞を獲ったことで、連作集に仕上がった本書には期待が集まると思います。次のご予定はいかがでしょうか?
萩野:まだ先になりますが、狩野雷太シリーズのつづきを長編で、という話をいただいたので、やらせていただくつもりです。
作家ユニット降田天への10の質問
01 担当分野は?
萩野瑛(以下、萩):あらすじとキャラクター設定。
鮎川颯(以下、鮎):執筆。萩野から受け取ったプロットを文章にします。
02 創作で一番苦労することは?
萩:苦手な分野に挑戦しなくてはならないとき。チャレンジは楽しみたいが不器用なので。
鮎:登場人物がよく理解できないとき。萩野にその人物視点の掌編を書いてもらったことも。
03 相棒の創作について、一番誇れるところは?
萩:妥協せず、状況にいちばんふさわしい文章を見いだそうとする姿勢。
鮎:いったん完成した作品でも、よりよくしようと思考を続けるところ。
04 創作について、相棒に直してほしいことは?
萩:文章を決めきれない時に三択を突きつけてくること。「この三つの中で、どれがいちばんいいと思う?」
鮎:プロットに誤字脱字が多い。
05 一番気に入っている収録作と、その理由は?
萩:「鎖された赤」。蔵に三重の鍵というギミックと、狩野による落としのハラハラ感。
鮎:「偽りの春」。何と言っても推理作家協会賞をいただいた作品ですから。
06 一番気に入っている登場人物と、その理由は?
萩:「サロメの遺言」の高木カギ。他四作の視点人物とは行動理念が全く異なることとチャレンジ精神と名前。
鮎:「偽りの春」の和枝。憎めないおばちゃんで、たくましさがある。
07 特に気に入っている場面やセリフは?
萩:「笑ったままの片目が制帽の陰に入った。」という一文。狩野の一面が表れていると思うので。
鮎:「見知らぬ親友」の美穂と夏希のシーン全般。
08 続編の構想はありますか?
萩:ぼんやりとあります。狩野の話は長編でもやってみたいけどどうなんでしょうねえ?
鮎:萩野の頭の中にはぼんやりあるようです。私は楽しみに待つのみ。
09 いま、はまっている趣味は?
萩:サービス開始直後に登録したまま放置していた刀剣乱舞を今さら。特撮は通常営業。
鮎:ランニング、ベランダガーデニング、観劇。
10 相棒に最後に一言!
萩:毎度毎度苦労ばかりをおかけしますが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。
鮎:そちらの負担のほうが確実に大きいですが、コンビ解消だけはご勘弁を。
書誌情報はこちら≫降田 天『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』