2017年11月9日(木)、書泉グランデ(東京都千代田区)にて『杉山城の時代』の著者、西股総生氏のトーク&サイン会が行われました。
本には書ききれなかった裏話満載のトークショーの様子をレポートします。
「杉山城問題」とは?
トークショーの内容に入る前に、「杉山城問題」とは何かについてまず触れておきましょう。
「城」といえば、天守のような建物を持つ城をイメージする方が多いのではないでしょうか。埼玉県比企郡嵐山町にある「杉山城」は、2008年に国指定史跡となった城です。「続日本100名城」にも選ばれていますが、この杉山城は、建物どころか石垣すらない城です。
主に天守が築かれるようになったのは近世になってから。それ以前の時代は、杉山城のような土から成る戦国の城が、全国各地にそれこそ「山のように」築かれていました。
複雑巧緻な構造からも、全国の城郭ファンたちに一目置かれる存在の杉山城。2002年に始まった発掘調査を機に、杉山城は謎に包まれた、ミステリアスな城となったのです。
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主郭からの眺望。土の城の美しさがわかる
発掘調査が行われるまで、杉山城は天文末〜永禄初め頃(1550年頃〜1560年代前半)に北条氏によって築かれたものであると多くの城郭研究者たちは考えてきました。
しかし、出土した遺物の年代から、15世紀末〜16世紀前半(1500年前後)つまり北条氏が進出するよりも前の時代にこの地域で扇谷上杉氏と争っていた山内上杉氏による築城という説が提唱されたのです。
50年ものギャップが生じた2つの説にさまざまな考察が加わり大論争となっています。この論争は「杉山城問題」と呼ばれ、注目を集めています。
西股氏は、当事者として杉山城問題に長年かかわってきました。この問題のプロセスを分かりやすくまとめて一冊の本にしたのが、『杉山城の時代』です。
このタイミングで本を出した理由は?
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会場には、男性だけではなく女性の姿も
トークショーは、『杉山城の時代』誕生秘話から始まりました。
2004年頃に明らかになった、杉山城問題。
杉山城の築城者について議論されはじめてから10年以上がたち、研究者の間で杉山城問題の論点が出揃い、議論が手詰まりになってきていたといいます。
西股氏は、今後この問題をどのように議論していくのかを考える時期にきており、次の段階に進むために現状をまとめておかなければならないと感じていたそうです。
その一方で、杉山城問題を知らないお城好きが多いことにも気づいたという西股氏。
論争や意見の対立があることは理解しているけれど、いったい何が問題で、何が議論されているのかわからない。さらには、議論の内容を知らないどころか、杉山城問題について触れないようにしているお城好きたちがいることに危機感を覚えたことが、『杉山城の時代』を書くきっかけになったとか。
近年、城をテーマにした多くの書物が刊行され、いわゆる「土の城」までもが一般に受け入れられる時代になりました。
いずれ杉山城について書くならば、論文ではなく、多くの人が手に取りやすい選書のかたちにしたいと考えていたときに、運良くKADOKAWAの編集者との出会いがあったそうです。
「僕は、はみ出し者」!?
杉山城を国指定史跡に登録するにあたって、「北条氏が築いた城」であることを証明するために発掘調査が行われました。しかし、想定された16世紀後半の北条氏時代の生活遺物は出土しなかったのです。
この調査結果は2つのシンポジウムで取り上げられ、北条氏築城説と山内上杉氏築城説に加え、さらに織豊系城郭説も登場しました。
現在、杉山城は、発掘調査により山内上杉氏築城説が実証されたといわれることが多いのですが、実は結論はまだ出ていないのです。そのことを誰かが言わなければならないと思ったと西股氏。
『杉山城の時代』には、考古学や歴史学、縄張り研究など立場の違う研究者が登場します。研究に必要な客観性を持つためには、それぞれの分野の専門技能を備えた研究者たちが検証して、同じ結論に達する必要性があります。
「教育委員会や博物館などで研究している研究者ではない。行政にいる人でもない、フリーランスの『はみ出し者』だからこそ、言えることもある」
自らを「はみ出し者」と表現したその裏には、組織に縛られない探究心が窺えました。
縄張り図とは何か
「縄張り図」とは、城や館の平面構成プランのことで、民間学として確立した研究方法のひとつです。
縄張り図を描くときは、城と正面から向かい合い、根気のいる作業が続きます。自分の歩幅で遺構を測り、築城者と対話し、観察をしながら、最終的に1枚の図面に書きおこしていくのです。
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縄張図を片手に、杉山城を散策してみよう
『杉山城の時代』には、杉山城を含め28の城の縄張り図が登場します。
トークショー会場の神保町・書泉グランデでは、本書に登場する城や周辺の城計25城の縄張り図を収録した縄張り図集『杉山城と仲間たち』(本体600円)を数量限定で販売していますので、あわせて読むとわかりやすいですよ。
研究は知的冒険の旅
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本の内容について触れる西股氏
繰り返しになりますが、杉山城の築城者はまだ実証されていません。
「(自分とは見解が違うが)山内上杉氏築城説が立証されたら、それでよいと思っている」
データ=実証ではない。データを鵜呑みにすることは人文科学ではない。それは信心であって、自然科学とは違う実証の形がなければならない。
実証とは何か、縄張り研究とは何か。そして杉山城問題決着のために何ができるのかを考え、杉山城とともにあった13年間だったといいます。
はたして、杉山城は誰が築いた城なのか? そして、杉山城問題はどこで決着がつくのか。『杉山城の時代』の刊行が、手詰まりになっていた議論の解明に向けた大きな一歩になるのではないでしょうか。
歴史や城が好きな方に、「杉山城問題は触れたら火傷する」なんて思わないで欲しいという西股氏。
さまざまな分野の研究者が真剣に問題に取り組んできたからこそ、意見の対立も生じます。各分野の研究者たちが議論を積み重ねてはじめて、精度の高い結論を導き出すことができるのです。
城は、ひとつひとつが地域固有の個性的なアイデンティティを持っています。もしかしたら、みなさんの近所にある城にも、杉山城のようなドラマが隠されているかもしれません。
これから本書を読まれる方へ
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発売から約2週間。早くも重版が決定(祝)
トークイベント終了後、どんな人にこの本を手にして欲しいですかという質問に、
「読書を通じて知的冒険を楽しみたいすべての方に読んで欲しい。きっと、一つの城にいろいろな評価があるのだと実感できるはずです。現地の説明板に書いてあることは、必ずしも絶対ではなく、一つの解釈にすぎないということも意識するようになりますよ」
と答えてくれました。
歴史は好きだけれど、城は詳しくないから本書を理解できるか不安な方もいるかもしれません。また、ビギナーにはやや難しいと感じられるところもあるかもしれません。
ですが、城郭や考古学の専門用語には解説を加え、できるだけ噛み砕いて説明していますのでご安心ください。きっと、本が好きな方には読み応えのある一冊となっています。
今回のトークイベントはときおり笑い声が聞こえる、和やかなムードで終了しました。
論争の続く杉山城問題。『杉山城の時代』を、みなさん自身で杉山城問題を考えるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。
文と写真:いなもと かおり