インタビュー

誕生会が大ピンチ!? よんで、あそんで、ことばが身につく 風木一人・田中ひろみ『だじゃれものがたり タンチョウヅルのたんじょうび』刊行記念インタビュー
撮影:後藤 利江 取材・文:加治佐 志津
母とのしりとりで知った言葉の面白さ
――今回の絵本の帯にも書かれていますが、風木さんは子どもの頃、お母様とよく言葉遊びをされていたそうですね。
風木:そうなんです。何歳ぐらいの頃だったかな、母と電車やバスに乗って出かけたときに、よくしりとりをしました。幼い頃の僕は非常に活発な子で、電車の中で長い間おとなしくしていられるタイプではなかったんですよ。だから母としては、騒ぎ出さないように、というつもりもあったんでしょうね。電車やバスに乗るたびに毎回、「しりとりやろうか」と言ってくれて。しりとりに夢中になっているうちに目的地に着くので、退屈せずに過ごすことができました。
同音異義語も好きでしたね。飴と雨とか、橋と箸とか、それだけで面白くて。言葉には意味と音とがありますが、僕らはなんとなく、同じ音だったら同じもののことだと考えるんですよね。それなのに違うっていうのが、同音異義語の面白さなんだと思います。そういったものをどの程度面白いと感じるかは人によって違うと思いますが、僕にとっては非常に面白いものでした。そしてそういうところから、言葉の面白さを自然と感じとっていたんです。
――風木さんの、絵本の文章作家としての原点となるようなエピソードですね。
風木:言葉が好きだから、読書も好きになりましたし、本がなければチラシでも説明書でも、何でも読みました。
田中:活字中毒ですね。
風木:そうなんです。ストーリーの面白さ以前に、言葉そのものが面白いなっていう感覚がある。そういう感覚を持つようになったのは、母とのしりとりがきっかけだと思います。そのときの楽しさが僕の中にずっと残っていたから、今もこういう仕事をしてるんじゃないかなと。
「だじゃれものがたり」が生まれるまで
――『だじゃれものがたり タンチョウヅルのたんじょうび』は、だじゃれの絵本を田中さんと一緒に作りたい、というところから企画が始まったわけですね。
風木:そうですね。最初の段階からコンセプトとして考えていたのは、一場面一場面の面白さだけではなくて、だじゃれでストーリーが展開していくものにしよう、ということです。
ある場面を見て、「次どうなるんだろう?」とわくわくしながらページをめくる。そしてまた「次は?」「その次は?」。そんな風に場面がつながっていくことこそ、絵本の面白さだと思うんですね。だから、ひとつひとつのだじゃれも面白いけれど、それだけでなく、つながっていくものにしたい。そんな思いから、この「だじゃれものがたり」が生まれました。
―― だじゃれをつなげて物語にしていくのは大変でしたか。
風木:単発のだじゃれを考えるのとは違う大変さがありましたね。
最初に取り組んだのは、生き物のだじゃれをたくさん考えること。思いつく限り、とにかく書き出していきます。その段階では、物語になるということはあまり考えず、単発で面白いものをどんどん出していきました。最初から物語として使えそうなものをと意識してしまうと狭くなってしまうので、アイデア出しのときはむしろ、そういうのは度外視した方がいいんです。使えるかどうかなんて関係なく、とにかく出すだけ出す。選ぶのは後からってことで。
紙に鉛筆で書いたものもあれば、パソコンでメモしたものもあるので、最後はそれを全部パソコンにまとめて、ずらーっと一覧にしました。そしてそこから使えそうなだじゃれをピックアップして、形を整えながら物語を作っていきました。
「きれいなだじゃれ」と「強引なだじゃれ」
――物語を作る上で工夫した点はどんなところですか。
風木:だじゃれにも、きれいなだじゃれと、ちょっと強引な、無理のあるだじゃれというのがあるんですね。
きれいなだじゃれというのは、たとえば「カエルが帰る」。意味は全然違うけれど、完全に同じ音を使っているだじゃれです。それに対して、「ドジョウがどーじょ」みたいなのは、音が似てはいるけれども同じではないから、ちょっと強引なんですよね。
田中:この絵本には強引なだじゃれ、結構たくさんありますよね(笑)。
風木:それはね、わざとなんですよ。
田中:え、わざとだったんですか!?
風木:もちろんです(笑)。全部が全部きれいなだじゃれだけで揃えてしまうと、つまらなくなっちゃうんですよ。だからあえて、ちょっと無理した強引なだじゃれも入れてみました。
田中:ごめんなさい、わざとだとは気づいていませんでした(苦笑)。無理のあるだじゃれが結構あるけど、これでいいのかなぁって気になっていたくらい。私がだじゃれ帳につけてきただじゃれは、風木さんの言うところの、きれいなだじゃればかりなので、余計に気になったのかもしれません。
風木:きれいなだじゃれが作れなかったわけじゃないんです(笑)。この、無理してがんばっている感じがいいんですよ。ただ、そればかりになってもいけない。僕は一応、言葉の専門家ですから、きれいなだじゃれと強引なだじゃれのバランスをどうとっていくか、というところには気を配りました。
田中:強引なだじゃれって確かに、大人はすごく笑っちゃいますよね。「アザラシがあざらしい芸を見せる」だなんて、無理やりだなぁって(笑)。
風木:小さい子どもの場合だと、「あざらしい」という言葉が実際にあるのかも、と思うかもしれません。でも仮にそう思ったとしても、「新しい」と音が似てるな、というのはわかるはずなんですよ。それで、音が似てるから意味も似てるかもしれないと、自然と関連付けると思うんですよね。それがまた言葉の面白いところなんです。
完全に知っている言葉は、意味としてはよく伝わるけれど、それほど面白みはないんですね。でも、知らない言葉とか、知っている言葉と似ているけれど知らない言葉とか、知っているけれども馴染みのない言葉とか、そういうものと出会っていくのが言葉の楽しみでもあって。
――知らないからこその面白さもある、と。
田中:子どもにはわからないんじゃないかなって言葉も、ちらほら使っていますよね。「ご披露」とか「喝采」とか。
風木:確かにどちらも、この絵本を読むであろう年齢の子には難しいですよね。でも、わからなくてもいいと思っているんです。それほど数が多くなければ、わからない言葉が入るというのは悪いことじゃないと僕は思っています。知っている言葉だけが並んでいるよりもむしろ、ときどき知らない言葉がある方が自然だし、そこから「この言葉はどういう意味だろう」と考えるとっかかりにもなりますからね。
わからなければ、前後の文脈からなんとなく意味を感じとってもいいし、そばにいるお母さんに「どういうこと?」と聞いてみてもいい。絵本の場合は絵から読み取ることだってできます。知らない言葉の意味を推測するというのは、言葉の楽しみの一番基本的なところなので、そういったものを少し入れておきたい、という気持ちもありました。