インタビュー

できあがったのは「究極の愛」の物語でした――『インドラネット』刊行記念 桐野夏生インタビュー
取材・文:吉田大助 撮影:ホンゴユウジ
『インドラネット』刊行記念 桐野夏生インタビュー
日本人の青年がカンボジアでかつての親友を捜す、その道程を綴った桐野夏生の最新長編『インドラネット』。ノンフィクション作家・高野秀行との対談(https://kadobun.jp/feature/talks/9duned36124g.html)では「邪悪」について語り合っていたが、本作にはもう一つの重要なテーマがあった。主人公がかの地で捜し求める空知は、自身の「ベターハーフ」である。つまり、もう一つのテーマは、「愛」だ。
主人公はダメダメでグズグズ(笑)
言動は共感しづらくとも経験では共感
――主人公である20代半ばの青年・
弱い人が好きなんです。強く正しい人って、シンプル過ぎて書くのが難しい。弱いところがたくさんある人の方が、その人について私自身もいっぱい考えて、ひとりの人間が持っている多面性を描ける。だから、書いていて楽しいんです。ただ、主人公の八目は会社でもうまくいかず、家では引きこもりになってゲーム三昧、自分の身をできるだけ小さく縮こめて、その範囲内で暮らしていこうと思っている。世の中に対して呪詛を吐きながらも、何もできない。そんなダメダメな男子ですから、小説を書き出してみてもなかなかカンボジアに旅立たない、いや旅立てない(笑)。「早く行ってくれ!」と編集者の人にせっつかれました。
――そもそも彼がカンボジアを目指したきっかけは、高校時代の親友であり今は音信不通となった美貌の青年・
八目がグズグズしているところは、私も実は好きです(笑)。彼がなぜ旅立てなかったかというと、書く側もためらっているからなんですけどね。今まで書いたことのないカンボジアを書かなければならないのが、怖かったんです。でも、もう引っ張れないというところで、仕方なく彼を旅立たせたら、最初に着いたシェムリアップの宿でいきなりお金を盗まれて、人を疑うばかりで建設的な行動はぜんぜんしないし知恵も回らない。思いのほか困ったヤツだぞ、こいつが主人公で本当に大丈夫か……と頭を抱えました。
――作者をも不安がらせる存在だった、と(笑)。旅の道程は、事前に決めていたんですか?
まったく。地図や時刻表とにらめっこをしながら、八目と一緒に旅をしていった感じです。私自身はシェムリアップにしか行ったことがないので、新しい場所を書く時は、資料やネットの写真などを参考にしました。大事に書こうと意識していたのは、生理的な感覚です。長距離バスに乗ったら汗かきの人が横にいてイヤだったとか、ホテルのベッドが最初は硬かったけど、だんだん慣れてきて自分の体の形になる、とか。八目の言動には共感しづらいかもしれないけれど、彼の経験に対しては共感とリアリティを感じてもらわないと、読んでくださる方に最後まで旅に付いて来てはもらえないですから。
「より良い自分」になるための何かを
持っている相手を人は、好きになる
八目が消息を捜す空知と7歳上の姉の
取材旅行の際に立ち寄ったベトナムで、エステサロンを経営している元モデルの女性と知り合ったんです。ものすごく美しい方で、しかも強く生きておられた。弟さんもいらっしゃると聞いた時、弟さんもさぞかし美形なんだろうというところから、三きょうだいのイメージが固まりました。話の発想自体が、まず美しい三きょうだいの存在があって、ダメダメな日本人男子が彼らを捜しに行く……という順番だったと思います。
――八目の前にまず最初に現れる謎は、三きょうだいは「どこへ行ってしまったんだろう?」というものです。その謎は、彼の中でこんなふうに変奏されます。彼らの美貌は両親とは似ても似つかない、ならば「いったい彼ら三人きょうだいは、どこからきたのだろう」と。後者の謎が、物語の闇を深めていきますね。
大学を中退した空知はなぜカンボジアに行ったのか、そして行方不明になったのはなぜなのか。空知だけでなく、姉も妹も消息がわからないわけです。何か強烈な理由がなければ、きょうだい三人が失踪することは、なかなかあり得ないですね。
――単なる理由ではなく、「強烈な理由」というのがポイントですね。
「強烈」なものでなければストーリーとして成り立たない、と書き出してから気が付いたんです(苦笑)。そこを探るためには、ポル・ポトの歴史から現代のカンボジアの政治情勢まで全部を調べ出さなければいけない。そのあたりが、今回一番苦労したところだと思います。
――面倒臭がりの現代っ子にはしんど過ぎるにもかかわらず、八目は空知と再会したい、という一心でカンボジアの各地を旅し続ける。その動機となる感情は、実は彼に対する恋心なんじゃないか、と八目は自覚し始めますよね。この心情の変化は、当初からイメージされていたんですか?
そこも書きながら気が付いていったところです。同性愛者ではなくとも、同性に対して「愛してる」という思いを抱くことは普通にありますよね。相手の「顔に惚れる」って、性別を問わずに起こる現象だと思います。八目にとって空知は、ベターハーフなんですよ。ベターハーフというのは、文字通り「より良い半身」。空知を捜し出して再会することで、自分の中にあったかもしれない良い部分を取り戻したい、と八目は願っている。でなければ、自分は変われない。必要不可欠な存在なんです。恋って、そんなものかもしれないですね。自分が「より良い自分」になるための何かを持っている相手のことを、人は好きになるのではないでしょうか。
――カンボジアを旅することで、ダメダメだった八目は少しずつ変化します。己を客観的に見る視点を身につけたのかな、と思うんです。だからこそ……終盤の展開は衝撃でした。
振り返ってみると、「巨悪対個人」の話だったのかな、と思うんです。この世界に存在する巨悪に対して、たった一人で奮闘する個人の物語。言い換えるならば、八目晃の地獄巡り。彼が最後に辿り着いた場所にあったのは、愛だった。「究極の愛」の物語になったのかなと思っているところです。
作品紹介
インドラネット
著者 桐野 夏生
定価: 1,980円(本体1,800円+税)
この旅で、おまえのために死んでもいい
平凡な顔、運動神経は鈍く、勉強も得意ではない――何の取り柄もないことに強いコンプレックスを抱いて生きてきた八目晃は、非正規雇用で給与も安く、ゲームしか夢中になれない無為な生活を送っていた。唯一の誇りは、高校の同級生で、カリスマ性を持つ野々宮空知と、美貌の姉妹と親しく付き合ったこと。だがその空知が、カンボジアで消息を絶ったという。空知の行方を追い、東南アジアの混沌の中に飛び込んだ晃。そこで待っていたのは、美貌の三きょうだいの凄絶な過去だった……
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