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レビュー

凍った月の冷たい光 『月』

 本書『』の、ネットに投稿される感想レビューがどんなものになるか、私には今から容易に想像できる。

 そこでは「慄然、壮絶、驚愕、震撼、呆然」といった言葉が繰り返されることだろう。しちめんどうくさい表現を好まない読者なら、「すごい、すごすぎる」「なんだこれは! 信じられない」といった言い方で、競い合うかのように興奮を表現しようとするかもしれない。

 一方で、拒否反応をあらわにしてくる読者も少なからずいるに違いない。とはいえ、ありふれたモラルや正義、道徳的観点をふりかざしてくる、という人はいないだろう。この作品はその種の攻撃を受けることから遠く離れている。次元が異なりすぎている。

 読者が本書を拒絶するとしたら、おそらくそれは、本書があまりに「すごすぎる」からだろう。「見なかったこと、読まなかったこと」にしておきたくなるからなのだろう。

 生きていれば誰にでも、いっときの休みもなく人生の夾雑物(きょうざつぶつ)が無限に押し寄せてくる。この物語も同様で、見なかったふり、知らなかったふりをし、忘れてさえしまえば、なかったことと同じになる。少なくとも自分の実人生とは無関係なこととして、永遠に放り出してしまえる……。

 本書の主人公は「きーちゃん」。ベッドの上の「かたまり」。性別、年齢ともに不詳。歩行、発語能力なし。かろうじて機能しているのは聴覚と嗅覚のみであり、典型的な「無欲顔貌」(感情の表れない顔、〝反構造的かたち〟をした〝みにくい顔〟)を呈している。「鎖肛」状態にあり、肛門が生まれた時から閉じていて、人の手を借りないと排便できない。

 そんな「きーちゃん」の便を「さとくん」はやさしくほじくり出してくれる。何ひとつ苦痛を与えずに。

「さとくん」は園に勤める職員。二十八歳。まわりからバカだと言われてきたが、本人はいつも明るく、鼻唄を歌いながらやって来ては、「きーちゃん、こんばんは! だいじょうぶかい?」「さとくんがきましたよー」などと声をかけてくれる。

「きーちゃん」はそのつど「身びいき」だと前おきしながらも、そんな「さとくん」に好感を抱いている。「さとくん」が「ひとをしあわせにさせること」や「ひとによろこばれること」をするのが好きな人間であることを知り抜いているからだ。そして、本物のやさしさ、というのがどういうものなのか、世間が一括りにして考えるやさしさにはまやかしがある、ということも「きーちゃん」にはわかっているのである。

「かたまり」に過ぎない「きーちゃん」の内面が、あたかも読み手の内部で巻き起こっている想念の洪水であるかのように、丹念に緻密に再現されていく。他者に訴えることが絶対に不可能な、「きーちゃん」の肉体の痛みの詳細な描写も、まさしく「存在の痛み」として私たちを打ちのめしてくる。

 凄まじいまでのイメージの奔流を促す言葉の洪水に飲みこまれていくうちに、読み進めながら私たちは知らず、「きーちゃん」になり代わっている。「きーちゃん」の内側にあふれ出す思い、どうすることもできない絶望的な痛みや悲しみ、アイロニーの数々、怒りや諦め、絶望、そしてまた、そんな中にも絶えず射しこんでいる(ほの)かな光のようなものをはっきりと追体験している。光は「きーちゃん」の想念の奥底にこそある。

 一方で、「あかぎあかえ」という名の「きーちゃんの人格的割れ」も登場する。「あかえ」は園の近くにある「希望の森」に老犬と暮らす正体不明の男である。彼は「きーちゃん」の分身でもあって、動くことのできない、目で見ることのできない「きーちゃん」の代わりに、自在に動きまわっては「きーちゃん」の内面を、現実に流れている時間の中に置き換えていく役割を果たす。

 大団円にさしかかり、「さとくん」がこれからやろうとしていることを知った「あかえ」は、なんとか決行を思い止まらせようとする。「あかえ」は作中、考える。なぜ、目の前のこの男は、「明日にも死にそうな、弱っちい、死にかけのカゲロウのようなものの味方をしよう、してみようとおもわないのか」と。「なぜ、かれらのための戦士になろうとしないのか」と。

 だが、「あかえ」が不器用ながら必死で諭そうとしても、「さとくん」の考えは変わらない。変わりようがない。人を殺すなんて、ひどい、きみにそんな権利はない、といくら言っても無駄で、「あかえ」と「さとくん」が交わし続ける問答は、完全に「さとくん」の勝利で終わる。

 二〇一六年七月二十六日。実在する施設で引き起こされたあの事件そのままに、「さとくん」はあかるく鼻唄を歌いながら園に向かう。「あかえ」とのやりとりや、「さとくん」の動きは、「あかえ」の想念を通じて「きーちゃん」にも刻々と伝えられていく。

「きーちゃん」は待っている。少し怖いが、それでいいと思っている。「さとくん」のやさしさはよくわかっている。まるで恋人がくるのを待っているかのように、「きーちゃん」は待ち続ける。「さとくん」が笑みを浮かべ、鼻唄を歌いながらすぐ近くまでやって来て、最後、そっと、喉にキスしてくれるだろうか、とまで想像している。赤い緞帳(どんちょう)が下ろされる、その瞬間まで。

 タイトルの『月』は、幾重にもちりばめられた美しい螺鈿(らでん)の一片一片のように、複数の意味を伴っていると思われる。

 かつて「津波の水のひいた空き地」で、無人の乗用車のドアに背をあずけ、泥の中、「剛毅(ごうき)な笑顔で」男がひとり死んでいた。その時、空には「透き通った貧寒とした月」があった、という。また、「さとくん」が手にする鎌は「凍った月のかけら」と形容されていて、「きーちゃん」はその凍った月のかけらが喉に食い込むさまを想像する。

 月は凍っている。そこに虹がかかる。ひどく不吉な虹。どうしようもなく赤く、てらてらと輝いているのは「さとくん」だけ。そんな彼を終始、冷たく照らす月と虹が、全編、寂寞(せきばく)とした影をおとしている……。

 辺見庸氏は著書『しのびよる破局』の巻末にある「断想 破局のなかの〝光明〟について」と題された小文の中で、次のように書いている。

私はだれもが口をそろえて正しいとすることを、たぶん、であるからこそ、いぶかしみ、はなはだしくは憎むという長年の悪い癖がある。だれもがゆるやかに認めざるをえない、中間的で安全なゾーンに隠れ逃げこむ詩や思想を、であるからこそ、私はまったく信じない

まさにこの一節をまるごと体現し尽くした、と言うにふさわしい、本書は作家・辺見庸氏の集大成、大傑作である。

 二年ほど前、私は頼まれて医療関係者たちを前に拙い講演をした。終了後、質問を受ける時間を設けたのだが、その際、一人のもの静かな女性から真剣なまなざしで、相模原での事件について、どうお考えになりますか、と問われた。予想外の質問だったのと、どう答えるべきか、何の用意も準備もしていなかったので、私はみっともなくも狼狽したあげく、まだ考えがまとまっていないので、とぼそぼそ返すしかなかった。

 だが、今なら言える。辺見庸氏の『』をお読みください、と。


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