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特集

「我々が紋切り型報道を嫌いなワケ」安田峰俊×三浦英之 対談 前編

『「低度」外国人材』刊行――安田峰俊×三浦英之 対談

今春、3月に『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)、さらに5月には、大宅賞・城山賞をダブル受賞した『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』に2019年香港デモ取材の新章、約2万字を加筆した『八九六四 完全版 「天安門事件」から香港デモへ』(角川新書)など、立て続けに新作を上梓しているルポライターの安田峰俊氏。同じく、ジャーナリストやノンフィクション作家ではなく「ルポライター」を名乗り、昨冬から『白い土地 ルポ 福島「帰還困難区域」とその周辺』(集英社クリエイティブ)や『災害特派員』(朝日新聞出版)など話題作を送り出し続ける三浦英之氏が、『「低度」外国人材』の刊行を機にオンラインで対談を行った。実は初対面!という二人があっという間に意気投合し、ノンフィクションの醍醐味を語り合った模様を、前後編でお届けします!
(編集部)

歌舞伎町とコインロッカーと外国人


三浦:『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』は、スッと中に入りやすい内容なのにテーマがしっかりしている本で、すごく面白く読みました。僕は今46歳ですが、安田さんはまだ30代ですね。


安田:39歳ですから、ギリギリですが。


三浦:ギリギリですね(笑)。僕が言うのもおこがましいですが、安田さんは、僕が大好きなノンフィクションという分野の本をきちんと書き継いでくださる次世代のライターだと思っています。どんなに忙しくても安田さんと常井とこい健一けんいちさんの作品は、いつも読むようにしています。だから、コロナ禍でなければ、できれば安田さんとはオンラインでなく、例えば新宿歌舞伎町の「あやしい」中華料理屋さんでお話ししたかった、というのが本音です。


安田:そうですね、こういうご時世でなければオンラインでなく直にお会いしたかったです。


三浦:僕の新聞記者としての振り出しは仙台ですが、東京社会部に上がってすぐの頃は新宿歌舞伎町が担当だったんです。社会部には当時、新人が警視庁の方面担当――事故や事件の現場に一番で飛び出し取材をする、小間使いのような役回り――になるという慣例がありました。本田ほんだやすはるさんも新人の頃に「サツ回り」をしていますが、あれです。警視庁には第1方面から第10方面までの区分があり、第1である丸の内から時計回りに第2が羽田、第3が渋谷、第4が新宿、第5が池袋……と分かれています。僕は第4方面でした。

 新宿担当には記者の詰め所(記者クラブ)が2か所あり、1つは新宿西口の新宿警察署内の畳部屋です。夜討ち朝駆けが当たり前である記者が昼間寝られるよう、畳になっている。もう1か所が、歌舞伎町にある新宿区役所内でした。道路側にはキャバクラやストリップ劇場がたくさん並び、窓を開けると仕事場に向かうお姉さんや呼び込みの人たちが見える。僕は朝昼晩と毎日歌舞伎町で食事をしたから、安田さんが興味を持ちそうなバラック小屋風の店や地下とか半地下にある「あやしい」中華料理屋さんに結構詳しかったりします。

 よく通った中華料理屋さんには、中国から来た不法労働者たちの元締めのような「お母さん」がいて、彼女は多分、警察と裏でつながっている内通者でした。どの店にいつ警察が入るのかわかっていて、警察が入る時は自分たちが「使っている人たち」を逃がす。警察とつながることである意味権力を握り、憎き敵を潰していた。「すごい現実だな」と思いました。このような事情もあって、だから安田さんとはできれば新宿でお会いしたかった。

このテーマ、僕も書きたかった


安田:歌舞伎町担当だったんですね。時期は90年代後半ですか?


三浦:2004年です。歌舞伎町担当だったから僕も「外国人材」はいつか書きたいテーマでした。04年当時、新宿や近くの新大久保にはたくさんのコインロッカーがあった。新大久保のあるコインロッカーに張り込んでいると、いわゆる国家が定義しているような「高度」ではない外国人が大勢やって来る。フィリピンやタイなどから来た女性たちは、同じ部屋に6~7人が押し込められて暮らすから、私物を置く場所がない。それで、彼女たちは私物を他人にられないようにコインロッカーを使っていることがわかったんです。


安田:なるほど。


三浦:みんな母親や家族の写真なんかをコインロッカーに入れている。そこでずっと張り込んで取材していると、ある日、お金を回収しに来たコインロッカー業者の人に「何をしてるんですか」とかれました。「実は新聞記者でコインロッカーをテーマにしたルポを書きたいんです」と言うと、その人は「話したいことがある」と言って、僕をその業者の事務所に連れて行ってくれました。鍵を盗まれて開かないコインロッカーがあったので開けたところ、タイ人のパスポートが20冊ほどかたまりで入っていたと話し、「どうすればいいと思う?」と尋ねるんです。

 おそらく、タイから働きに来た女性を手引きする連中が彼女たちのパスポートを取り上げ、隠したんだと推測しました。帰国のためのパスポートを取られてしまうと、彼女たちは逃げることも隠れることもできない。ぜひ取材したいと思い、「タイに飛んで、パスポートの所持者20人のヒューマンストーリーを描きたい」とノリノリで上司に企画をあげたのですが、「犯罪に近づくテーマをダイレクトに扱うのはやめて」と言われてしまいました。「パスポートを保管したら、君も犯罪者になるから。パスポートはとりあえず業者に預け、写真だけ撮らせてもらったら」という話になり、写真部員を呼んで撮影させてもらうことにしました。僕も自分のために2枚ほど撮りました。

 僕はすぐにもタイに行くつもりでいたのですが、翌週、写真部員が僕の所に来て「カメラを水中に落としてデータが壊れちゃいました」と泣いて謝るんです。コピーをしていなかった僕も悪いといえるものの、正直、泣きたくなりました。結局、自分で撮った写真2枚だけを持ってタイに行きました。ところがパスポートにある住所を辿っても、あまりに田舎で辿り着けない(笑)。


安田:近くまでは来ているはずなのに!


三浦:途中の村までは行けたんですが……。


安田:めちゃくちゃ面白いですね。20冊のパスポートが見つかるまでにも、すごいストーリーがあったはずです。おそらく、不法滞在の女性たちを大量に働かせる「ヤクザ」か元締めが取り上げて隠したパスポートだったんでしょうね。タイ人とは限りませんが、基本的に技能実習生の送り出し機関でダメな所は、逃げられなくするためにパスポートを取り上げるんです。隠した本人が死んだかパクられた、というストーリーをどうしても想像してしまいます。


三浦:そうなんです。僕も「低度外国人材」のテーマを追いたかっただけに、「悔しいな」という思いもあるので、本書を読んでいて半分イラッと来ました。ごめんね(笑)。


安田:「楽しそうだ」と。


三浦:そうです、そうです(笑)。こういう取材はやっていて本当にゾクゾクするからね。それが読者に伝わるし、それこそがノンフィクションの推進力です。安田さんの本も読んでいてゾクゾクする。安田さんの本は内容が面白いのはもちろんですが、言葉の使い方がいいです。第一章のタイトルなんて最高! 「コロナ、タリバン、群馬県」。言葉のセンスが素晴らしいなと思った(笑)。

テーマの掛け算と遊び


安田:ありがとうございます。実は、私は福島に行ってみたいんです。ここ数年、特にコロナ以降は国内に目を向ける機会が増えたことも理由の一つです。特に、技能実習生をテーマに書いていると、福島を知りたいと強烈に思うようになりました。

 掛け算にして書くと面白い、と私は考えています。メインテーマ1個だけで書くと面白くないというか、少し卑怯な言い方ですが「自分がやらなくてもいいじゃん」と感じるので。それも理由で、福島にはこれまで遠慮のような気持ちを抱いていました。技能実習生というテーマも、すごいことを書いている方はたくさんいらっしゃいます。でも、別のテーマと掛け算して合わせると、自分好みのテーマになる。今回見つけたのはベトナム人の「ボドイ(兵士)」※という存在です。彼らはめちゃくちゃ面白いんです。【※不法滞在者やドロップアウトした偽装留学生など、「やんちゃ」な出稼ぎベトナム人労働者たちが自称する言い方】


三浦:そうなんですよね。僕は福島に着任してまだ3年ほどですが、今回、『白い土地 ルポ 福島 「帰還困難区域」とその周辺』を出版したときに、いろいろな方から「新しいね」とか「知らなかったよ」という感想をたくさんいただきました。それは安田さんの話と同じで、「こういうものだ」といった既成概念のようなものが福島にはすでにあるからだと思います。でも、実際に深部に分け入って取材してみると、現実は全然違う。知られていることよりも、知られていないことのほうがずっと多いんです。

 技能実習生もそうなんだと思います。本書でも書かれていますが、技能実習生の問題は「かわいそう型」「データ集積型」「叩き出せ型」の3つに集約されてしまっていて、大抵の報道がそこに当てはまってしまう。ただ、それは僕らにとっては逆にチャンスなんです。固定されたイメージがある中で、実際に現場に飛び込んで、僕の場合は新聞配達をしたりすると「全然違うじゃん」「こんな現実があるんだ」となる。あるいは「こういう生き方があるんだよ」という事実が出てくると、そこに新しい「書くべきテーマ」が生まれる。だから、ある程度既成概念ができあがってからが、僕らルポライターの出番なのかもしれない。


安田:まったく同感です。


三浦:ウェブで盛んに論じている人たちの多くは、教科書的に「こういうものだ」というベースの上で、取材はせずに、ただ自分の考えを述べるだけです。ところが、実際にアパートを一軒一軒回るなりして現場に行くと、それらとはまったく違う現実が見えてくる。表に出ている話は50%もなく、残りの50%以上はまだ地中に隠れている。


安田:いかに「遊び」のあるアプローチをするか、ということも大事だと思います。三浦さんの『白い土地』でもそうですが、新聞配達を半年したり、現地にある民宿兼酒場「いふ」に泊まり込んだりと、取材に楽しさを感じます。今時の記者の人たちほど、目的までのプロセスを直線でしか進まないことが多いような気がします。でも、そういう取材では、大事な情報は拾えないじゃないですか。「時間の無駄だ」とか「経費の無駄だ」とか、嫌な世間の常識がいろいろありますが、人の本当の息づかいや、ちょっと情けない感じ、「人間ってこんなものだよね」みたいな感覚をしっかり書くには、そういう変なことを多少しないといけない。かつ、それをすることは自分にとって楽しかったりするものです。テンションがあがり、さらに踏み込んで行けるからです。


三浦:僕は安田さんの著作の第七章で、安田さんが不法滞在者のアジトのアパートに突撃する場面が大好きです。飲み会までやってますからね。本当に楽しそうです。


安田:とても楽しいですよ。

匂いと気温、生理的なしんどさ


三浦:書き手の中にデータの蓄積がある物事については、やはり表現に深みが出ますよね。安田さんの本でも、データの蓄積や自分の経験値が、そのときの現場での体験(狭義のノンフィクション)とうまくミックスされた箇所ほど、表現に厚みを感じる。

 新聞社の場合、経験が長い人がデスクになり、現場にはどうしても若い人が出るようになります。新人記者は何を見ても驚くことができるものの、データの蓄積がないので表現の厚みにどうしても欠けてしまう。僕は今も現場で取材する記者ですが、現場に突っ込める環境にいられることを、心底ありがたいと思っています。

そもそも「ルポライター」という言葉自体が今はあまり使われません。よく使われたのは沢木さわき耕太郎こうたろうさんや鎌田かまたさとしさん、児玉隆也こだまたかやさん、近藤こんどう紘一こういちさんたちが活躍した1970~80年代ではないかと思います。その点、安田さんの本は、いい意味で70年代のジャーナリズムの匂いがする。とりあえず取材に行ってみよう、という空気感。当時はインターネットもなく、今より情報がずっと少ないから、何かを書こうと思ったら、まずは現場に飛び込まなければいけない。そういうやり方が安田さんの本でも醍醐味になっている。ネットや電話、今ならZoomでも相手に話を聞けるから、それでいいということになるけれども、現場に行くとまったく違うことが起こっていることが実際によくあります。一番見えづらいのは暑さや寒さ、つまり温度と匂いだと思うんです。


安田:ああ、それはよくわかります。匂いは大事ですよね。


三浦:深夜の福島県浪江町でもそうですが、とにかく寒いんです(笑)。寒いんだ、ということから入らないと、福島は多分理解できないと思います。


安田:「生理的にしんどい」みたいな感覚は大切です。


三浦:逆にルポライターは生理的にしんどいみたいな感覚で燃える(笑)。「これ、きっついなー」みたいなところから、スイッチが入っていきます。


安田:「生理的にしんどい」感覚、「生理的に危ない」雰囲気、視界の陰で感じる殺気のようなものが、実際にありますね。例えばケニアのナイロビで取材中に、ホテルから300メートル先にある隣の中華料理店に行きたいと言ったら、「危ないからやめとけ」と言われたことがあります。こういうときの雰囲気、五感に訴える身体感覚はやはり、現地でないとわからないものです。


三浦:それこそが旨みというか(笑)。報じられているものをトレースして書いても何も面白くないしアドレナリンも出ない。報じられているものの先にズボッと手が入ったときに、「うわっ、こんな現実があるんだ」という感覚がある。

媒体によって読まれる文章は変わる


三浦:安田さんは、どうやってテーマと出会うのでしょうか。


安田:ここ2~3年の流れで言うと、ウェブでの寄稿が増えていますが、もともと私はブロガー出身です。書籍や署名記事の書き手としては2010年4月にデビューしていますが、それ以前はただのブロガーなんです。それゆえか、実はウェブの文章を書くほうが得意です。「実は」どころか、周りから見ても明らかだと思いますが(笑)。そういう下地があり、私の場合はウェブ媒体にまず単発記事を1本出してみることが多いです。そうすることで、より深めるべき題材に関しては、次に調べるべき事柄も見えてきます。なんでもいいから形にすると、わりと面白そうなテーマが見つかってくるのです。その後で、例えば雑誌などに企画を出して取材費をつけてもらい、より調べ、さらに書いていく。

 他にはやはり、出版社の担当編集の人との打ち合わせ、というか雑談でしょう。「これ、めっちゃ面白いんですけど」という話をすると、「おお、面白い! では、それを掘っていきましょうか」と形ができていくのが一つのパターンです。今回の『「低度」外国人材』は、複数の雑誌やウェブで書いたものを素材にして大幅に書き換えた章があります。つまり、アウトプットを変えた形になります。


三浦:少しずれるかもしれませんが、僕は小さい頃からノンフィクションが好きで、いつかは自分の手で書いていきたいとずっと思っていました。ノンフィクションはどうしても雑誌ジャーナリズムとの親和性が高い。そして、雑誌ジャーナリズムは一回一回を分けて書き、それを束ねるスタイルが今までのスタンダードだと思います。そうなると、一回の読み切りで面白くても、10~12個溜まったときに大きな流れになるかどうか、をいつも考えます。

 例えば、安田さんの『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』も、僕の『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』や『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』も、それ自体がとても大きなテーマであり、物語です。僕はそれらを大きな物語として描きたいのだけれど、雑誌に出していくとどうしても小編が12個並ぶ形になってしまう。そうなると物語が抱えている大きなうねりみたいなものが打ち消されてしまい、どうしても小品が並ぶパッチワークのようになってしまうのではないかと思うときがあります。


安田:何か偉そうな話になってしまいますが、おそらく書籍の文章と雑誌の文章は違っていて、ウェブニュース記事の文章もそれらとは少し違うと感じています。それぞれの媒体で、読者の頭にスムーズに情報を運べる筆遣いは微妙に異なっている。まだしも、書籍と雑誌は近くて、また雑誌とウェブニュース記事にも共通点があるのですが、これが書籍とウェブニュース記事となれば、感覚はかなり違ってきます。

 最近、新刊本のプロモーション用に、書籍の一部を抜粋してウェブ媒体に載せる方法があります。もちろん自著を宣伝してもらえるので著者としてはありがたいことなのですが、私は心のどこかで抵抗もあるんです。なぜなら、ウェブでバズる(=よく読まれる)記事を書く方法については、元ブロガーとして自分なりに一定の方法論がある。どういう記事、どういう書き方をしたら読まれるかも、ある程度は感覚的にわかるのですが、この「ツボ」の押さえかたはウェブと書籍ではかなり異なるんです。そういう感覚からすると、紙の文章をそのままウェブに出すのも、ウェブに書いてあることをそのまま紙に出すのも良くない。同じ音楽をウクレレで演奏するかバイオリンで演奏するか、くらいの違いが出るのです。例えばブログやnoteに書いてあることは、あの行間の空け方をして電子の文字で書かれているから面白いのであり、同じ体裁で紙に印刷されても、オリジナルの記事ほど面白くありません。書籍の文章をそのままウェブに掲載することも同様です。少なくとも、そのまま出したらダメだ、という意識がある。

 何が言いたいかと言うと、そういうこともあるので、私は雑誌で書いた文章を本にするとき、原形がなくなるほど修正します。結果的に書き下ろしになり、待っている編集者に怒られます(笑)。


三浦: 新聞社でも新聞に出した記事をウェブに貼り直しているのが今も多くみられますが、それらがあまり読まれないのは、そういうことが理由なんでしょうか?


安田: ストレートなニュース記事の場合は、もはや新聞記事の文体にみなさん慣れているところもあるので、ウェブでも問題ない気がしますが、論説やルポ記事は多少は関係があるのかもしれません。また、ウェブ論のようになりますが、たとえストレートニュースでも、読まれるウェブニュース記事と読まれる紙の報道は、絶対に違います。ウェブニュース記事は、例えば性犯罪の犯人がとても変なひと言を発したとか、見出しにポロッと変な表現があったりすると、一気に読者が増えます。ジャーナリズムとは違う側面で評価されることがあるのです。

ウェブと書籍、あるいはノンフィクション


三浦: 安田さんの本ではいつもどこかにキーフレーズがあるのが魅力です。僕が一番、すげぇなと思ったのは、『「低度」外国人材』の第五章末尾にある記述。アニメ映画『君の名は。』で見た美しい日本が「日本」だと思っていた中国人の女性技能実習生が、現実との乖離(かいり)に言葉を失う場面です。安田さん自身がそのアニメのヒロインが住む場所を彼女に告げるシーンこそ、日本の現実を読者にも納得させる鍵になっているなと。

 おそらく、ウェブで書くとこのシーンは出てこないのではないでしょうか。書籍の文章で章末まで読ませてきたことで可能になる、最後の落としだからです。こういうところに書籍の持つ力がある。「もっと簡単に、わかりやすく、食べやすく」がウェブですが、ノンフィクションの場合は文章で引っ張って引っ張って、最後にここで落とすことができます。「ラストうまいなあ」と思いながら読みました。


安田: そうですね。一定の間隔ごとにページをめくることで話を盛り上げていくような書きかたは紙の書籍だからこそできると思います。ただ、ウェブにも紙にも一長一短があり、例えば、紙では紙幅の都合や誌面上の都合で写真が数枚しか載せられないことがあります。新聞だと顕著です。さらに言えば、動画を使うことは、紙ではまず無理です。一方、ウェブだと好きなだけ画像を盛り込めます。それはそれで、有機的につなげると強い効果を生む。紙もウェブも、どちらにもいいところがある。それこそ「豚解体」をした風呂はこんな感じなのかと、写真があるとやはり迫力は出せます(笑)。


三浦:「群馬の兄貴」のヤバさとヘボさは、文章だけではなかなか伝わらない(笑)。

「紋切り型」ではない方法で料理する


三浦: 例えば、誰もが関わる大テーマ――「日本を何とかしないといけない」といったテーマ――の報じ方や伝え方は人それぞれ違いますが、今それが、安田さんがおっしゃるように「紋切り型」になってしまっています。そのことにも疑問を投げかけているのが、今回の本です。

 楽しく可笑おかしく面白い入り口を持ちつつ、読み終わったときには「ああ、これはどうにかしなきゃいけないよな」と気づかせてくれる。「外国人問題」などと言うと、「それって意識高い系の人が扱う問題でしょ」と思われがちですが、コンビニに行けば外国人のみなさんが働いていて、小学校や中学校に行けば、今はさまざまなルーツの子がいるのは当たり前です。その中で考えていかないといけないのに、考えないようにしている、あるいは本書で書かれているように「かわいそう」「データ集積」「叩き出せ」の3類型の思考だけで理解した気になってしまう。それはおかしいよ、それでは解決につながらないよ、ということを示すために僕らがいるのだと思います。


安田: 本当にそうだと思います。三浦さんの『白い土地』の中にもありましたが、図書館に行くと福島関連の膨大な書籍や情報がある。そういうものを読めば何となくわかった気になってしまいます。NHKでは常に復興支援ソングの「花は咲く」が流れ、それを聴いて何となく理解した気になってしまう。でも、だからこそつまらなくなっているところもあって、そこをいかに興味あるものに料理し直すか。新たな知的好奇心を刺激する内容に料理するか。それがノンフィクションの仕事なのかな、と。


三浦: フリーライターの武田たけだ砂鉄さてつさんと対談した時に、彼が、世の中が「池上いけがみあきら化」している、と言いました。「問題はこれとこれとこれです」と入り口から提示し、「はい皆さん、これが問題の答えです」という感じでまとめてしまう。池上さんを批判しているのではなく、社会が池上さん的なものを求めている、ということです。

 これは、ある意味でメディアが悪い。ある程度整理して「これとこれが問題です」「でもこれも問題です」といった伝え方をするから、受け手もわかったような気になってしまう。外国人材の問題も同じで、安田さんが書いておられるように「生身の人間の話」が、実際にそんなに簡単に整理できるわけがありません。それなのに現象や問題や人間がものすごくコンパクトな形で「記号化されて」しまっている。


安田: コロナ禍で、それは改めて感じましたね。「ソーシャルディスタンスを」と呼びかけ、「本日の感染者数は……大変です」「夜の街では……」と取材した映像を流しながら、スタジオの映像に切り替わると、出演者たちはマスクをせずに喋り、時に専門家をもバラエティの材料としてしまう。この「茶番」感は何なのかな、と確かに思います。しかも多くの人は、「茶番」であることにも、もはや慣れてきてしまっているのかもしれません。


三浦: でも、そこはチャンスかもしれませんよね。メディアで伝えられたものがいかに作り物かということに、みんなようやく気づいてきた。安田さんや僕の本を読むと、「全然違う」と気づく。しかも現実のほうがより人間的で奥が深く、示唆に富んでいます。本物は、メディアが作ったかどのないツルンとして味気ない食事ではなく、強烈な塩味がしてみづらいのかもしれないけれど、そこにこそ食べたときの満足感がある。

 少子化と急激な高齢化がどんどん進む日本は今、労働力を必要としています。けれども、日本人の1人当たりの賃金は、韓国にも抜かれましたが、どんどん低くなっている。日本がというよりは日本人が貧しくなっているのは間違いありません。これから外国人の方に来てもらえるのか真剣に考えなければならないのに、至る所で現実を無視したゼノフォビア(外国人嫌悪)的な運動が起きている。現実を知らない人たちが「外国人は出て行け」と表でも裏でも言っている。そのことが自分たちの首を絞めていることに、気づけていない。


安田:そうですね。今作でもむき出しの現実を届けたかったという思いはあります。

後編へ続く


左:安田峰俊(写真撮影/郡山総一郎)右:三浦英之


安田 峰俊

1982年滋賀県生まれ。ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員研究員。立命館大学文学部(東洋史学専攻)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。当時の専攻は中国近現代史。『八九六四』(KADOKAWA)で第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞。現代社会に鋭く切り込む論を、中国やアジア圏を題材に展開している。他書に『和僑』『移民 棄民 遺民』(角川文庫)、『さいはての中国』(小学館新書)、『性と欲望の中国』(文春新書)、編訳書に『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)など。

三浦 英之

朝日新聞記者、ルポライター。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に福島沿岸部に住み込み新聞配達をしながら帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』と、震災直後に宮城県南三陸町で過ごした1年間を綴った『災害特派員』。

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