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特集

冲方丁、「シュピーゲル」シリーズを振り返る! 電子合本特典「電子版あとがき」ダイジェスト版公開!

本屋大賞作家・冲方丁さんの人気ライトノベル「シュピーゲル」シリーズの最終巻『テスタメントシュピーゲル3 下』が7月1日に刊行されました。
国際都市〈ミリオポリス〉を舞台に機械化された少女たちの闘いを描いた<冲方丁、最後のライトノベル>。角川スニーカー文庫『オイレンシュピーゲル』シリーズ(全4冊)、富士見ファンタジア文庫『スプライトシュピーゲル』シリーズ(全4冊)、そして両シリーズが合流する角川スニーカー文庫『テスタメントシュピーゲル』シリーズ(全5冊)と続いた大河小説がついに完結となります。
最終巻の刊行に合わせ、電子書籍ではシリーズ全13冊の合本版を配信。『【合本版】「シュピーゲル」シリーズ 全13冊』には、特典としてシリーズの各作品を著者が振り返る大ボリュームの「電子版あとがき」を収録。張り巡らされた伏線や精密に組み上げられた設定の解説、各作品刊行時の冲方氏の心境などが赤裸々に綴られた、ファン垂涎の内容です。
原稿用紙換算30枚(!)という大ボリュームの「電子版あとがき」。カドブンではその「ダイジェスト版」を特別公開いたします!

 電子版あとがき シリーズを振り返って 冲方丁

 最初期の短編とイラストについて

 二〇〇三年頃のことだったはずだが、『オイレンシュピーゲル』というタイトルで三人の少女達を主人公とした短編を書くことになった。
 デビューが角川スニーカー文庫主催のスニーカー大賞であったため、賞の記念号となる『ザ・スニーカー』誌に載せる原稿を依頼されたのである。
 短編を執筆する一方、たまたまネットで島田フミカネさんの絵を拝見し、編集者を通してイラストを依頼させて頂いたことで、のちのイメージの原形が出来上がった。
 その後、短編をもとにシリーズ化を、という話になった。ちょうど富士見書房からも執筆の話があり、だったら同時にやればいいと無鉄砲なことを考えついてしまった。
 そこで「同じ事件、異なる物語による、同時多発ストーリー」を提案した。とにかく一度やってみたかったのである。ではやってみよう、ということになり、それぞれ『オイレンシュピーゲル』『スプライトシュピーゲル』と題し、執筆が始まった。
 その際、時期的な問題で島田フミカネさんへの依頼が難しく、キャラクターと特甲基本デザインだけを頂くことになった。そのイメージをもとに、オイレンでは白亜右月さん、スプライトでは、はいむらきよたかさんに依頼する流れとなった。お二人とも、雑誌と文庫の両方で錯綜し続けるシリーズという厄介な依頼にもかかわらず、とにかく素晴らしいイラストで、作品世界と人物達を目に見える形にして下さった。
 各四巻ずつ出たところで、『テスタメントシュピーゲル』と題して両シリーズを合流させることとなった。そこで大元のイメージを提供して下さった島田フミカネさんに、再びカバーイラストを担当して頂くことになったのである。

 オイレンシュピーゲル壱

 シリーズの始まりであるとともに、その後の方向性を決定づけたのが、第壱話『Black in the streets』である。
 ちなみにこのサブタイトルはボン・ジョヴィの『Wild in the Streets』にちなんでおり、他の話数のサブタイトルもそれぞれ有名な歌を、三人の特甲少女達のイメージ色である黒・紅・白でもじっている。
 第弐話『Red it be』はザ・ビートルズの『Let It Be』、第参話『Blowin' in the White』はボブ・ディランの『Blowin' In The Wind』がもとである。物語のニュアンスに歌のイメージを拝借しようという意図があったが、どこがどうであるかは読んで何となく感じて欲しい。
 第壱話の主眼は、ミリオポリスという都市のお披露目と、二人の屈折してしまった『Wild in the Streets(街の荒くれ者)』の対決だ。
 涼月VS.拳銃男ことオットー・千代田・ワイニンガーである。
 二人の対決の構図は、アメリカ映画『ロッキー』と『タクシードライバー』が第49回アカデミー賞の作品賞等にノミネートされ、『ロッキー』が栄冠を得たことがヒントになった。
 ちまたでよく言われるように、この二作品は「結論はまったく違うが完全に同じ物語」である。どちらも「挫けた白人のクズが、金持ちの黒人と対決して自信を取り戻す」のだが、一方は自己の再生を果たし、他方は堕ち続けることになる。
 そんなわけで、涼月VS.オットーというのは、頑張るマイノリティVS.挫けるマジョリティ、移民ハーフVS.極右の白人という、互いに相容れない対立構図に見えて、その実、『ロッキー』VS.『タクシードライバー』という「結論は違うが同じ物語のぶつかり合い」でもある。
 複数の物語・文化・文脈を作中で対立させていきながら、共通した物語をあちこちに用意する。そんな、無邪気でわくわくするものの、おそろしくカロリーを消費する試みは、オイレンとスプライトという同時多発ストーリーの根幹をなすとともに、作者の首を着実に絞めてゆくこととなった。
 同様に、陽炎と『中』のシンボル、夕霧と暗闇という構図も、この時点で形にしている。
 とはいえ、それらが複雑で巨大な物語になり、十年以上経ってやっと完結するなどとは、むろん、この時点ではまったく考えていなかった。

 スプライトシュピーゲルⅠ

 こちらも同時多発ストーリーの始まりである。
 オイレンを掲載していた『ザ・スニーカー』が隔月刊であるのに対し、スプライトを掲載していた『ドラゴンマガジン』が当時は月刊であったため、倍の話数を書くことになった。
 そのため少年・少女・大人の数、そしてまた設定を増やし、エピソードを豊富に用意出来るようにしている。当初は二つのシリーズでページ数にそれほど差はなかったが、やがてスプライト側のエピソードが膨れ上がり、「スプライト側を描くには、オイレン側の倍のページ数を要する」原因となった。
 オイレンに比べて遊びを入れるよりも物語の進行を優先しているのもそのせいだろう。各話のサブタイトルも、何かをもじったわけではなく、人物と世界の紹介に終始している。
 その代わり、「鳳のクイズ」を通して神話を導入し、各話の事件に重ねているのだが、これも複数の物語を対立させながら共通する物語を用意するということの変形である。
 なんでギリシャ神話なのかといえば、そもそもそのクイズを用意した人物の(そしてまた黒幕となる人物の)出身が──というわけである。そうやって登場人物が増えるのだから、ページ数がかさむに決まっている。
 クイズ形式という文脈を選んだのは、「なんでもかんでも答えがあると思うと安心する」心理を描くためで、結局のところ答えなんてそうそう見つからないという苦しさを経て、それでも答えを見出す──というシリーズ全体のトーン作りのためでもある。
 一つか二つにすればいいのに、全ての物語に神話を当てはめていくというのは、これまた話数を重ねるごとに作者の首を絞めるようになっていった。

 オイレンシュピーゲル弐/スプライトシュピーゲルⅡ

 いよいよ同時多発ストーリーの本編開幕であり、書き手として大いに盛り上がる展開だ。
 同じ敵・同じ事件、異なる戦い・異なる仲間──幾つも存在する現実のもと、あらゆる人物がすれ違い、交錯する。
 メイン以外の敵味方のゲストキャラが多数登場するというお約束がここで出来上がってしまったが、当初は二巻構成でひとまずシリーズ終了もあり得た。いわば「シリーズ第一期の最終回」のおもむきで書かれている。
 今巻ではオイレンもスプライトも聖書の一節を引用しており、物語をなぞらえつつ、それぞれ異なるモチーフを用いている。ヨハネの黙示録と、ソドムとゴモラという、ポピュラーなモチーフであるが、オイレンでは諧謔的に、スプライトでは悲劇的に描くというニュアンスの違いがこの巻では特に顕著になっている気がする。
 異なる武装集団による原子炉のリレーというアイディアの裏側には「国がない人々」を背景として描きたい思いがあった。国が崩壊したり奪われたり、建国を許されなかったり、あるいは勝手な建国の夢を見る人々である。
 そんな人々が聖火リレーのように核の弾頭を運搬するという展開を思いついたときは単純に娯楽として面白いと思っていたし、非現実的であるため自由に書ける気分でいたが、今の世界ではあり得なくもないことが恐ろしい限りである。
 読者に敵側にも共感を抱いて欲しくて日本人を両サイドに置いたが、のちにサムライ少女が誕生することになろうとは、実のところここではまったく予期していなかった。
 なんであれ、単純な対決の構図から離れ、より複雑な物語へステップアップする上で重要なのは、逆に単純化したものを中心に置いて話をわかりやすくするということである。
 そんなわけでヴィエナ・タワーが、物言わぬキャラクターとして登場し、物語の中心を担ってくれた。これまたポピュラーなモチーフであるバベルの塔に、その他のモチーフを吸収合体させた形であるが、この塔の存在が、のちの物語で大人達の動機を支えることにもなった。
 さらに盛り込みたかったのが「謎のメッセージもの」であり、カール・クラウスの堂々たる登場であるが、顔も見せず声も出さずという彼の描写は書いていて大興奮の面白さであった。
 いったんの最終回らしい意味深な調子で幕を閉じているが、ロートヴィルトと陽炎といった数々の対立が最後まで描かれるまでに、このあと何年もかかることになろうとは、これまた思いもよらぬことであった。

 オイレンシュピーゲル参/スプライトシュピーゲルⅢ

 シリーズの再出発、いわば第二期開始のおもむきである。
 オイレン側は壱を踏襲した感じであり、サブタイトルも相変わらずロック・バンドや名曲にちなんだりしている。第壱話『Like Blue Murder』は、『Blue Murder』というバンドの同名のデビュー曲がもととなった。言葉の意味は「猛烈な叫び声」であり、特甲レベル3の初登場にかけている。なんとなく色縛りで、青、真紅、虹色と並べたかったこともあってのチョイスだ。


 一方、スプライト側では、第参話『Holy Week Rainbow』のうちの聖木曜日から聖金曜日にかけての二十四時間が描かれている。
 もちろん、当時大流行したテレビドラマ『24』にちなんでいる。
 オイレンの倍の話数を書かなければいけないし、ちょうど全六話で二十四時間を割って四時間ずつ進行すればいい。何よりやってみたかったので、やったまでである。
 プロットを組むだけで大いに苦労したが、大変やり甲斐のある執筆となった。
 エドワルト州知事、4JO、サードアイがセットで初登場し、この後の物語の幕開けともなっている。特に4JOはヴィエナ・タワーなみに物言わぬキャラクターとして大活躍することになるとは、この時点ではまったく予想していなかった。
 オイレン側からは「何が起こっているのかわからない」事件が、こちら側では内幕とともに描かれており、MPBとMSSの組織的役割の違いなども書けてずいぶん有意義であった。


 新たな物語のスタートを切りつつ、今後の展開やオチを、かなり意識して書いているのは、その後、激しく己の首を絞めることになると予感していたからだろうか。

 オイレンシュピーゲル肆/スプライトシュピーゲルⅣ

 当時、自分の持てる限りの技術を注ぎ込んだ二冊であり、同時多発ストーリーの真骨頂を見せねばならないという意欲のまま力を振り絞って書いている。その後、テスタメントというさらなる物語が待っているのだが、このときはもちろん、目前の物語に没頭するばかりだった。
 モチーフとしてはまたもや聖書の一節、ノアの方舟と大洪水を引用している。空港と国連ビルという二つの孤立した大型施設。それぞれ大雨のため敷地に閉じ込められ逃げることも出来ず戦うしかない人々。そして、二つの離れた場所をつなぐ、携帯電話。
 このシチュエーションを思いついたときは大興奮した。
 加えて、過去に日本で起こった「ロシア機ミグ25亡命事件」を中国機に置き換えるというアイディアを盛り込み、パイロットを女性とし、大まかなプロットを作った時点で大満足であった。
 そこからさらに二人の男をそれぞれの施設に配置し、涼月と鳳の将来を示唆させるという、「戦う男と少女もの」の構造を取り入れた。CIAのパトリックとFBIのハロルドを通して、超大国の正義と善とは何であるかということを物語に組み込むことが出来たのも嬉しい。
 スプライト側では六人の証人を通して、MSSの面々の将来を示唆することも出来たし、テスタメントに至る物語が早くも生まれることとなった。
 また、スプライト側の作中で行われるTRPG『世界統一ゲーム』は、六人の証人のキャラ紹介と国際社会の端的な説明、くらいに思って登場させたのだが、意外に枚数が費やされてしまった。ほとんどゲームのくだりが独立した物語になっており、さすがに長いという問題はあるが、これまた書けて大満足なのである。
 ちなみに各国の代表を演じ、その国について説明したりするロールプレイングは、作者がインターナショナル・スクールに通っていたときに学びの場として経験したことでもある。今どきの子供達にもやって欲しい遊びだ。


 この二冊を書いたあと、今はこれが限界だと思わされたものだ。
 脱稿後のテンションのまま、あとがきで調子の良いことを書いているが、まさかその後、もっと途方もない共闘を描くことになるとは、実のところ想像もしていなかったのである。

 テスタメントシュピーゲル1・2

 両シリーズを合流させるとともに、テーマを「卒業」と定めて書く、と決めたのだが、その完結までに何年も費やすことになるとは思いもしなかった。
 テスタメント1ではオイレン側を、テスタメント2ではスプライト側を描き、テスタメント3で合流して完結編となる、というのが当初の予定であった。
 全三巻で完結。少なくともプロット上は、そうなっていた。
 そのため、三分割可能な、特甲少女達が全員集合する横長のカバーイラストと、口絵として、六人の特甲少女達のレベル3姿を、各巻に二人ずつ載せる予定で、島田フミカネさんに依頼することとなった。
 もちろん、本文よりはるかに早く、絵の方が完成してしまった。
 そして、テスタメント1が刊行されてのち、とても長い期間を経てテスタメント2上が、さらにテスタメント2下という変則構造の続きが出されたことで、カバーイラストそのものがなくなってしまった。
 口絵も足らないため、各巻にそのつど新たに発注され、さらに新たにカバーイラストが発注され……と、予定通りに進めることはまったく不可能な状態となっていたわけである。
 原因は何だと我ながらいろいろ考えたもので、東日本大震災で家を放棄しなければいけないなど外的要因には事欠かなかったが、どれも執筆が遅れるほどのことではない。震災で避難中も書いていたので、書けなかったわけではない。
 単に終わらなかったのである。
 作品のポテンシャルを最大まで発揮しようとすると、「まあ大抵そうなるんです」としか言いようがない。出版されないリスクを取ってでも、プロットを超えるもの、予想を超えるものを書くことしか考えていないのだから、読者には申し訳ない限りだし、編集者は困惑しきりだし、作者自身も疲労困憊などというものではないのだが、物語をまっとうさせる上では幸福な結果となった、と思う。
 そのシリーズ合流作であり、第三期にして最終章の開幕から、全力で終わらせる気まんまんであることを示すため、テスタメント1の冒頭はあのようになっている。
 ちょうど、現実の日本社会で、十代の死亡原因の上位に「自殺」が躍り出るようになったことも影響しているだろう。負けるな、生きろ、こんちくしょう、というオイレン三巻辺りの涼月の気持ちに共感し、込み上げる思いをぶつけるようにして書いたことを覚えている。
 結果、かえって読むのがためらわれる出だしだ、どんな最終巻にする気なんだ、この物語には夢も希望もないのか、といった感想をしばしば頂いた。
 書いている方は希望を握りしめて絶望に向かって左右のワンツーを繰り出している最中なので、この人達は何を言っているんだろうという気分だった。読み返すと、確かにそう言いたくなる気持ちもわかる。そしてだからこそ、終盤の巻き返しが、書いていて痛快なのだ。


(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)

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