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特集

「今の時代に必要な人物像だ」大乱を経済の力で終息させた日野富子の実像とは? 『天下を買った女』 著者 伊東 潤インタビュー

北条政子と並び立つ、「強き御台所」日野富子の実像を描く歴史巨編『天下を買った女』刊行記念インタビュー!

2022年4月28日、伊東潤さんの最新歴史小説『天下を買った女』が刊行されました。
応仁の乱の真っただ中、将軍の妻として、また幕府の経営者として手腕を振るった日野富子。悪女と呼ばれた彼女の実像を描く、『天下を買った女』の刊行を記念して、著者・伊東潤さんにロングインタビューしました。
武力ではなく経済の力で乱世と闘った富子。世界が戦争の脅威にさらされている今だからこそ読みたい本作の魅力を著者自ら力説します!



『天下を買った女』著者 伊東 潤インタビュー


――一気に読みました。実に面白かったです。日野富子の生涯というのは、山あり谷ありだったんですね。

「日野富子のイメージはネガティヴなものが多く、昭和の頃は守銭奴のように扱われてきましたが、実際は全く違うものだとお分かりいただけたと思います。歴史上の人物の評価は時代の価値観を反映し、偏見に満ちたものもあるので、固定観念を持ってはいけないと思います。富子の場合、金銭を運用し、利殖することが悪いこと、ずるいことと思われてきた昭和の価値観を反映しています」


――本作を書こうと思ったきっかけは何だったんですか。

「まず室町時代の経済に注目しました。旧来の宗教勢力である延暦寺や興福寺といった権門寺院を凌駕するほど力を持つようになった禅門、いわゆる禅宗寺院の勃興に興味を持ったのが最初ですね。禅門は鎌倉時代から交易によって銅銭の流入に拍車を掛け、貨幣経済を進展させました。室町時代に入ると権門寺院を凌駕し、極論すれば国内経済の大動脈を握るほどの成長を遂げました。この頃は農業生産性も飛躍的に上がったので、貨幣の需要が日増しに高まっていました。そうした中、禅門は土倉や酒屋を使って市中金融を行い、大儲けします。しかし明からの銅銭の流入が滞ると、銭貨不足から景気は停滞し、日本はデフレ基調になります。それを遠因として応仁・文明の乱が勃発するわけですが、この大乱を終息させたのは、誰あろう日野富子だったのです。そうしたことから、経済という切り口で日野富子を描いていこうと思いました」


――「日本三大悪女」の一人と言われてきたので、どれほどの悪女かと思っていたのですが、全く違った人物像に驚きました。

「三大悪女の中でも、経済というものを理解し、資産運用に長けていたのが富子です。北条政子は尼将軍と呼ばれるほどの辣腕家で、武士の府を守るという点と北条氏を繁栄させるという点が、生涯を通しての彼女のテーマでした。しかし弟の義時と結託し、敵対勢力を排除していったのも事実です。また淀殿は豊臣家の天下を守るという一点に固執するあまり、頑なになりすぎて自滅するという末路を歩みました。三人の中では、最も感情的だったと思います。一方、日野富子は銭貨という武器を使い、衰退し始めた室町幕府の屋台骨を支えていたと言えるでしょう。彼女がいかに優秀だったかは本書を読めば分かりますが、単に優秀なだけでなく、後土御門天皇との交情や息子義尚への愛情などからも分かる通り、血の通った一人の女性でした。こうしたことも含め、政子や淀殿以上に共感できる存在だと思います」


――今年の年末には、『家康と淀殿』という作品も刊行されると聞きました。これで『修羅の都』と『夜叉の都』で北条政子を、『天下を買った女』で日野富子を、そして『家康と淀殿』で淀殿を描くことになりますね。

「当初は、三人を描く意図はありませんでした。ただ江戸時代以前の日本というのは、時代の大きな節目に女性の存在が大きくなります。視点人物ではありませんが、拙著『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』で描いた推古天皇は日本という国の形ができる時に、政子は朝廷から武家へと政権が移る時に、富子は日本が物々交換から貨幣経済へと移行する時に、そして淀殿は中世が終焉する時に登場しました。こうしたことから日本史を作ってきたのは男性だけではないのです。推古天皇がいなければ日本は仏教国家になっていなかったかもしれませんし、政子がいなければ鎌倉幕府は初代だけで崩壊していたかもしれません。また富子がいなければ京都の文化財は焼き尽くされ、今のような観光地とはなっていなかったかもしれません。戦火から京都を守ったのは富子なのです」


――日本史を見る視点を少し変えれば、様々なことが分かってくるのですね。

「その通りです。そうした新たな視点を提供するのが歴史小説の役目です。本書の前半では富子の蓄財方法について仮説を掲げ、いかに富子が理財(運用ないしは利殖)によって富を増やしていったかを描いています。史実だけだと、富子が巨万の富を蓄財できた理由が説明しきれないので、本書では蓋然性の高い推論によって、その理由を補っています」


――後半の人間ドラマにも、味わい深いものがあります。

「富子が後土御門天皇と長く同居していたのは史実で、その間、義政とは別居しているので、当時から二人の関係は取りざたされていました。『応仁記』で『かくれなき美婦人』と謳われた富子ですから、天皇も魅せられたのかもしれません。また息子の九代将軍義尚の病死は、富子の人生でも最大の悲劇でした。その時の悲嘆にくれる富子の姿を描いた記録はありますが、小説だとその悲しみが、いっそう実感を伴って迫ってくると思います」


――富子を取り巻く人々もたくさん出てきますが、北条早雲の登場には驚きました。

「伊勢新九郎こと後の早雲は義尚の申次(取次役)を務めていたので、富子と顔見知りだった可能性は高いと思います。もちろんそのかかわり方は、小説ならではの想像力を駆使したものですが、後に伊豆や相模を制した時の早雲の善政は、理財の才に基づくものでした。早雲が大徳寺などの禅院に出入りしていたのは記録に残っており、禅門の『東班衆』という理財専門の僧たちとかかわっていた可能性も高いと思います。こうした状況証拠から導き出されたものが本作の早雲です。歴史小説というのは何の根拠もなく人物造形を行うのではなく、こうした状況証拠を集め、いかに蓋然性の高い物語や人物像を作り上げていくかが大切なのです」


――脇役と言えば、義政もいい味を出していますね。

「義政は将軍としての適性は皆無でした。誰かに何かを言われれば「そうせい」と言い、別の誰かから逆のことを言われても「それで構わぬ」と返します。自分で自分の命令の矛盾に気づかない、あるいはめんどうなことを考えたくない性格だったんです。こうした義政の性格によって幕府は混乱します。応仁・文明の乱があれだけ拡大したのも、義政が優柔不断だったことが原因の一つです。しかし一概に義政という人間を無能とは言えません。ただ将軍という仕事に向いていなかったのです。彼は築庭や御殿建築に異様なまでの意欲を見せていたことから、建築家のような仕事に就かせれば一流になれたかもしれません。組織の頂点に立つことよりも、何かを自己完結で行うことに力を発揮する人物だったんでしょうね。かくいう私も自己完結で行う仕事に向いていると気づいた時から、キャリアパスをコンサルタントそして作家へと、より自己完結性の高い仕事へと変えてきました。最後には富子も義政の適性に気づき、義政を許した気がします。そういう意味で、晩年になってから、二人は真の夫婦になれたんだと思います」


――最後に何かありましたらお願いします。

「ウクライナ戦争の惨禍を知るたびに、自らの無力を痛感する毎日です。私には24歳の長男と21歳の長女がいるのですが、次の世代に、こんな悲惨な世の中を渡さざるを得ないことが残念でなりません。それでも次の世代には、よりよい未来を築いていってほしいという願いがあります。堺屋太一さんの言葉に「若者は海を渡れ、老人は川をさかのぼり、収穫を若者に渡す」といったニュアンスのものがあります。つまり海外へと雄飛していく若者たちに、歴史から学んだものを渡していくことが、われわれシニア層の使命でもあるのです。幸いにして日本史には、多くの学びがあります。それを分かりやすい形で、次の世代に伝えていきたいと思っています。
 本作『天下を買った女』は、戦乱の時代を生きた女性の一代記です。主人公の富子も平和を希求し、女性の自分に何ができるかを考えた末に出した結論が、「天下を買う」ことだったわけです。将軍の御台所という地位を生かし、応仁・文明の乱という未曽有の大乱を銭の力で終息させた日野富子のような人材こそ、今の時代に必要ではないでしょうか」


伊東 潤さん近影

伊東 潤さん近影


プロフィール

伊東 潤
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。『黒南風の海――加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』(PHP研究所)で第1回本屋が選ぶ時代小説大賞を、『国を蹴った男』(講談社)で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』(光文社)で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』(講談社)で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』(新潮社)で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を受賞。近刊に『威風堂々(上) 幕末佐賀風雲録』『威風堂々(下) 明治佐賀風雲録』(中央公論新社)がある。

伊東潤公式サイト https://itojun.corkagency.com/
ツイッターアカウント @jun_ito_info

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