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プロフィール

山田風太郎(やまだ ふうたろう)
1922年兵庫県生まれ。伝奇小説、推理小説、時代小説など幅広いジャンルの作品を手がけた、戦後日本を代表する作家。古典伝奇文学に造詣が深く、独自の視点を加えた大衆小説で人気を得る。戦時中から書き記していた日記は記録文学の傑作との呼び声も高く、著者の再評価にもつながった。 47年東京医学専門学校在学中に『達磨峠の事件』で作家デビュー。49年に『眼中の悪魔』『虚像淫楽』で探偵作家クラブ賞、97年に第45回菊池寛賞、2001年に第4回日本ミステリー文学大賞をそれぞれ受賞。主な著書に『甲賀忍法帖』に始まる忍法帖シリーズをはじめ、『警視庁草紙』『戦中派不戦日記』『人間臨終図巻』など多数。2001年没。
山田風太郎ヒストリー
◆ 0歳 (1922年・大正11年) |
兵庫県養父市関宮(当時の養父郡関宮村)に生まれた。本名は山田誠也。父母共に代々続いた医者の家系で、父は関宮村で山田医院を開いていた。 |
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◆ 5歳 (1927年・昭和2年) |
父・太郎が脳溢血で急逝。母(寿子)、誠也、妹(昭子)の3人が残される。 |
◆ 11歳 (1933年・昭和8年) |
母が叔父(父の弟で医師)と再婚し、山田医院を再開。 |
◆ 13歳 (1935年・昭和10年) |
県立豊岡中学(5年制)に入学。寮生活が始まった。 |
◆ 14歳 (1936年・昭和11年) |
母・寿子が肺炎で急逝。「魂の酸欠状態」に陥る。 叔父は再婚し、養父母になじめなかった誠也少年は「不良学生」となる。この頃に仲間で使った暗号名“風”が後に「風太郎」というペンネームになった。 |
◆ 17歳 (1939年・昭和14年) |
学校の文芸誌「達徳」に、小説、詩を発表。雑誌「映画朝日」に初めて山田風太郎の筆名で投稿。 |
◆ 18歳 (1940年・昭和15年) |
高校受験に失敗。 雑誌「受験旬報」に小説「石の下」が入選。 |
◆ 20歳 (1942年・昭和17年) |
東京医学専門学校(現在の東京医科大学)に合格。 |
◆ 23歳 (1945年・昭和20年) |
5月・空襲に会い、学校も焼かれ信州に疎開する。 10月・帰京するが、食料・物資欠乏で辛酸をなめる。 |
◆ 24歳 (1946年・昭和21年) |
雑誌「宝石」の懸賞小説で「達磨峠の事件」が入選。江戸川乱歩に認められ、あちこちの雑誌に推理小説などを発表し始める。 |
◆ 27歳 (1949年・昭和24年) |
「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で、第2回・日本探偵作家クラブ賞を受賞 |
◆ 28歳 (1950年・昭和25年) |
東京医科大学を卒業するが医者にはならず、作家としてデビューする。 |
◆ 36歳 (1958年・昭和33年) |
雑誌に「甲賀忍法帖」を連載。後に空前の大ヒットとなる忍法帖シリーズの始まりである。 |
◆ 41歳 (1963年・昭和38年) |
新書版の「山田風太郎忍法全集」が爆発的にヒットし、人気作家の地位を不動のものとした。作品が次々と映画化され、一大忍法ブームが巻き起こった。 |
◆ 49歳 (1971年・昭和46年) |
昭和20年の日記が「戦中派不戦日記」として出版されるや、純真な一青年の手になる戦中・戦後の希有な記録として、また作家の知性と教養の深さを示すものとして、全国に大きな反響を呼び起こした。 |
◆ 51歳 (1973年・昭和48年) |
雑誌に「警視庁草紙」を連載。いわゆる「明治もの」シリーズが本格的に始まる。忍法帖とはまるで異なる新境地を拓いた作品群で、風太郎の評価は一段と高まった。 |
◆ 64歳 (1986年・昭和61年) |
異色のノンフィクション「人間臨終図巻」を刊行。話題となる。 |
◆ 67歳 (1989年・平成元年) |
「室町少年倶楽部」「室町の大予言」を発表。またもや「室町もの」と言われる新境地を拓いた。 |
◆ 69歳 (1991年・平成3年) |
新聞に「柳生十兵衛死す」を連載。これが最後の小説となった。 |
◆ 75歳 (1997年・平成9年) |
第45回菊池寛賞を受賞。エッセイ集「あと千回の晩飯」を刊行。 |
◆ 78歳 (2000年・平成12年) |
第4回日本ミステリー文学大賞を受賞 |
◆ 79歳 (2001年・平成13年) |
7月28日死去。 自らつけた戒名は「風々院風々風々居士」。「風の墓」とのみ刻まれた墓碑が八王子市の川上霊園墓地に建つ。 |
◆ 没後2年 (2003年・平成15年) |
郷里の旧関宮小学校跡に「山田風太郎記念館」がオープン |
提供:山田風太郎記念館
おもな作品
※上下巻に分かれているものやシリーズ作品など、同一タイトルで複数冊にわたる作品は、「上巻のみ」「1巻目のみ」を掲載しています。