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連載

河﨑秋子の羊飼い日記 vol.15

【連載第15回】河﨑秋子の羊飼い日記「羊飼いの沈黙と絶叫」

河﨑秋子の羊飼い日記

北海道の東、海辺の町で羊を飼いながら小説を書く河﨑秋子さん。そのワイルドでラブリーな日々をご自身で撮られた写真と共にお届けします!
>>【連載第14回】河﨑秋子の羊飼い日記「年末は詐欺にご注意を」

 日本ではあまりなじみがない食材として、羊の脳がある。中東やヨーロッパの一部では昔から一般的な食材だが、獣肉食に抵抗を持つ時代を経験してきた日本人にとって、脳を食べるという行為はかなりハードルが高い。
 ちなみに私が修行していたニュージーランドでも羊脳は食べない。一度、師匠に「羊の脳みそは食べますか?」と聞いてみたら、腐ったキュウリを見るような目をされた。好奇心から質問しただけなのに、はなはだ心外である。
 結論から言うと、日本でも羊の脳を食べることは可能だ。永久歯が生える前の子羊の脳で、検査を通過したものは食べても法的・健康的に問題ない。実際、私の所にも時折プロの料理人さんから問い合わせが来ることもある。
 そして私も、羊飼いを始めた頃、好奇心に駆られて自分で育てた羊の脳を食べたことがある。食肉加工場にお願いして脳が入った頭骨(羊の頭から皮をむいた状態)を取っておいてもらったのだ。
 苦労して頭骨から取り出した脳みその見た目は真っ白(死んで血流がないのだから当たり前だ)、形は『ザ・脳みそ』。人間の脳みそとほぼ同じ形で、ミニチュアサイズである。分かってはいたが若干そのビジュアルに引きつつ、
「新鮮な脳はタイムの枝を入れた湯で茹でるんだよ…クラリス。そして脳のソテーはいいバターを使わねばならない…エシレがお勧めだ、クラリス」
とかなんとか、レクター博士ごっこをしながら下茹でし、シンプルにソテーする。
 そして実食。食いしん坊の姉が道連れだ。
「…」
「…」
「…味がない」
「食感はふわふわなんだけどね…強いて言うなら…白子?」
「うん…白子だ。タラの白子」
「じゃあ白子食べた方が安いし手に入りやすいしいいような…」
『結論・日本国内において超レアな食材は北海道民御用達のタラの白子と同じでした』
 タラの白子みたいにふわふわの食感とバターでカリカリの焦げ目を堪能して実食は終了。まずくはない。決してまずくはないが、よっぽど『食材は隅から隅まで使い切る』という信念がない限り、好んで食べたくなるような味でもない、というのが個人的な結論だ。
 少し残念な結果ではあるが、これも経験。しかし事件は食後に起こった。
 残されたのは脳みそを取り出された羊の頭骨。保冷のために大きなボウルに水を張って沈めておいた。煮てダシでも取ろうかなあ、と頭骨を水から持ちあげた瞬間のことだ。
ネトォ…と、頭骨が謎の粘液に覆われている。
「シ、シシ神様がー!!」
「シシ神様がお怒りじゃぁー!!」
 思わずもののけ姫ごっこをしながら慄く我々姉妹。そう、頭骨のコラーゲンが周囲に溶け出し、まるで危険を感じたヌタウナギのようにネッチョリとした粘液を発生していたのだ。羊の呪いか、と思わんばかりのビジュアルに、しばし悲鳴を上げた我々だった。

 当時お願いしていた食肉加工場は頭の処理を引き受けてくれたが、残念ながらその施設は老朽化から閉鎖されてしまい、現在お願いしている施設ではその処理は扱っていない。なので現在、羊の脳みそは私にとっても縁遠い食材となってしまった。
 特別美味しいものではないとはいえ、食べられないとなると、なんとなく寂しいものである。

生きた羊の脳は、概ねごはん(草)のことしか考えていない 。


河﨑秋子(かわさき・あきこ)
羊飼い。1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。大学卒業後、ニュージーランドにて緬羊飼育技術を1年間学んだ後、自宅で酪農従業員をしつつ緬羊(めんよう)を飼育・出荷。
2012年『北夷風人』北海道新聞文学賞(創作・評論部門)受賞。『颶風(ぐふう)の王』では三浦綾子文学賞、2015年度JRA賞馬事文化賞を受賞。


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