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今まで読んだことがない武蔵。著者の最高傑作——稲葉稔『武蔵 残日の剣』レビュー【評者:菊池仁】

最強の剣豪、宮本武蔵はなぜ「五輪書」を書いたのか?
稲葉 稔『武蔵 残日の剣』

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稲葉 稔『武蔵 残日の剣



今まで読んだことがない武蔵。著者の最高傑作

評者:菊池 仁(文芸評論家)

 多くの著名な作家が手掛けている宮本武蔵だけに、「またか」という思いがあった。ところが、出だしの「島原の乱」を読んで、この思いは一瞬のうちに消し飛んだ。老境に差し掛かった武蔵の心理が、島原の乱のクライマックスとなった原城の攻防戦を背景に、密度の濃い筆致で丁寧に描かれており、それが強い吸引力となって、物語に引き込まれていった。今まで読んだことのない武蔵がそこにいた。
 作者は、一九九四年に作家デビューし、二十年以上の長きにわたって、文庫書き下ろし時代小説シリーズものの第一線で活躍してきた。シリーズの定番である職業を物語の中核に据え、設定に新機軸を打ち出すことで、多くの人気シリーズを世に送り出している。作者の非凡さは文庫書き下ろし時代小説が、出版マーケッティング上、選択せざるを得ないシリーズ化という足枷を、自らの小説作法の肥やしとして、成熟化の道を歩んできたことである。
 シリーズものは緩みのない展開と、読者を惹きつけ、飽きさせない工夫が求められる。作者はこの厳しい要求に応えながら、トップランナーの一員として技量を磨き続けてきた。「島原の乱」は過酷な試練の中で書き続けてきたことの成果を迫真の筆致で伝えたものとなっている。
 特筆すべきことは、武蔵の人物像に独自性を持たせるために仕掛けた緻密な計算が巧く機能していることである。第一に、老境に入った武蔵の行動の指針として剣術の上位に兵法を置き、求道者としてその証を記すことを己に課していることだ。これが物語全体を引き締め、重厚な印象を与える。
 第二は、どこの流派にも属さず、自己流の剣技を磨き続けてきた孤高の剣士としての武蔵を刻み付けるために、立ち合いの場面を多用していることである。熊本に入ってからの立ち合いをはじめ、吉岡一門との闘いや、巌流小次郎との巌流島の対決といった過去の立ち合いを挟み込むことで、緩みのない展開が可能となった。剣豪ものの華は立ち合い場面に迫真性を持たせる筆力である。作者の力量が問われる場面でもある。実に巧い。その理由は一つ一つの立ち合いに武蔵の人間性が滲み出る描写となっているからである。これらが相乗効果となって、剣術家から兵法家へと成熟していく武蔵の人物像が語られていく。
 見過ごしてはならないのは、人物像を完成させる重要な仕掛けを、あと二つ用意している。極め付けは、身の回りの世話をする清と武蔵のエピソードである。出会いの場面では清の武蔵に対する畏れが強調された描き方となっている。これが二人の心の交流の起点となる。
 「親兄弟は」と尋ねた武蔵に、清は「みんな死んでしまい、誰もいません」と答える。小さな吐息を漏らしながら、「苦労したのであろうな」と、ぽつりとつぶやく。清は武蔵の目が慈しみに満ちていることに気づく。「辛いことも多かったであろう」と武蔵。このひと言が二人の距離を一挙に縮める。二人は父と娘として生きていく。このエピソードが秀逸なのは、清の視点で語られることにより、武蔵の人物像に豊かな膨らみを与えるとともに、深みを増すことに大きな役割を果たしているからである。要するに作者は、平板的な伝記的手法にとらわれず、謎の多い生涯に着眼し、逆手を取って独創的な清との交流を織り交ぜることで、人物像に新たな光を与えたのである。史実と虚構を巧みにブレンドした薫り高き味わいを満喫できる。
 最後の仕掛けは、武蔵の人物像の総仕上げともいうべき死を迎える場面に登場する。動的な描写は影を潜め、淡々とした語り口で描かれている。響いてくるのは孤高の兵法家として生涯を全うすることで会得した人生の極意ともいうべき静謐さである。こういった緻密な構成による叙述は、謎の多い武蔵を全く新しい歴史の舞台に立たせることに成功したといえよう。ライフワークとし長年温めてきた畢生の大作であり、作者の最高傑作であることは間違いない。

作品紹介・あらすじ



武蔵 残日の剣
著者 稲葉 稔
定価: 2,200円(本体2,000円+税)
発売日:2022年08月26日

最強の剣豪、宮本武蔵はなぜ「五輪書」を書いたのか?
「今、時が求め導く真の境地。深き人間味溢れる剣豪武蔵の兵法の極意。己磨きの武の道を求めて止まない私の心は、この一冊に一気に引き込まれ時を忘れた・・・まさに渾身作」――俳優・武道家 藤岡弘、
時代小説の雄が、知られざる晩年の武蔵を活写した本格剣豪歴史小説!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001833/
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