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レビュー

戦争について知ることが、反戦に繫がる。 ユートピアを探究する作家が手掛けた歴史長編 ——小川 哲『地図と拳』【評者:吉田大助】

物語は。

これから“来る”のはこんな作品。
物語を愛するすべての読者へ
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『地図と拳』小川 哲(集英社)

評者:吉田大助



 物語の中盤、国家とは「地図」であると説く人物が現れる。「国家とは法であり、為政者であり、国民の総体であり、理想や理念であり、歴史や文化でもあります。ですがどれも抽象的なもので、本来形のないものです。その国家が、唯一形となって現れるのは、地図が記されたときです」。そして、「拳」とは「地図」を書き換えるために振るわれる暴力である。小川哲の長編第三作『地図と拳』は、先の大戦の推移を、関東軍による満洲事変に始まり一九三二年から一九四五年まで存在した傀儡国家・満洲国を主な舞台に据えて綴っていく。
 あらすじを記すのは難しい。章が変わるごとに(十)数年ジャンプし、「終章 一九五五年、春」まで半世紀以上に及ぶ全六三〇ページの物語は、章タイトルの年を象徴する場所と人物が選ばれた、オムニバス・ストーリーの様相を呈している。北満洲の地図作りに従事した元測量士で、義和団の乱に巻き込まれたロシア人神父クラスニコフ。李家鎮という集落の支配者を斃し、新たな王となって都市開発を始めた馬賊の「孫悟空」。日露戦争で満洲に陣を張った第二軍歩兵第六連隊中隊長の高木大尉……。章をまたいで現れる登場人物たちは、年齢や肩書きがどんどん変わり、時にあっけなく死ぬ。
「第五章 一九〇九年、冬」に至り、物語は大きく動き出す。東京帝国大学で気象学を研究していた須野は、奇縁が繫がり、満鉄(南満洲鉄道株式会社)で地図を作る仕事にスカウトされる。「満洲は未知の土地だ。君はそこに理想の国家を書きこむ」「なんの話をしているのだ」「これから満洲に、国家を作るのだ」。以降の章は須野(の一家)と、彼をスカウトした男の存在がキーとなる。
 振り返ってみれば著者は第三回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞のデビュー作『ユートロニカのこちら側』で、近未来のサンフランシスコに建設されたリゾート地に、ユートピア(=ユートロニカ)を出現させた。日本SF大賞と山本周五郎賞をW受賞した第二長編『ゲームの王国』では、カンボジアの戦後史に大きな傷を付けたクメール・ルージュの失敗を踏まえ、二〇二三年の同国で実現しつつあるユートピア(=ゲームの王国)を夢想した。直木賞候補となった初の短編集『噓と正典』を挟み、五年ぶりの長編となる本作でも同様だ。満洲国は史実で知られる通り、建国時に「五族協和」「王道楽土」という理念が掲げられていた。SF回路をほぼ封印して臨んだ本作は、ユートピアとしての満洲国の計画と失敗、その理想と現実にまつわる物語でもある。
 今年二月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻が明らかにしたように、かつて自分たちは戦争に勝ったんだという記憶は、戦争の悲惨さをいともたやすく忘れさせる。先の大戦下の日本軍もまったく同じ空気の中にあったであろうことが、この物語を読めば痛いほど理解できる。そして、満洲国や大東亜共栄圏、あるいは現代ロシアにおけるネオ・ユーラシア主義のように、想像上のユートピアを具現化しようとする行動は、すべからく拳(=暴力)を伴い凄絶なディストピア化を招くということも。
 戦時下の砲撃により死者は出なかったものの建築物が破壊された、というニュース映像を観て悲痛な思いを抱いたことがある人は、本書を手に取ってみてほしい。砲撃は何を傷付けたのか、自分は何に心を痛めていたのかが、最後まで読めば必ず分かる。戦争について知ることが、反戦に繫がる。ユートピアを探究する作家が手掛けた、今この時代に、生まれるべくして生まれた物語だ。

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