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レビュー

〝女意気〟を心に宿して日々に向き合い、理不尽と闘う女性たちへ――『髪結百花』著 泉ゆたか 文庫巻末解説【解説:吉田伸子】

W受賞作! 吉原を舞台に、女の人生模様を情感豊かに謳いあげる時代小説。
『髪結百花』

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

髪結百花』著 泉ゆたか



『髪結百花』文庫巻末解説

解説:
よし のぶ  

 朝の吉原仲の町、母親のアサに急かされ、梅はその背を追う。物語はここから始まる。二人が目指すのは仲の町大通りに面した大見世、「大文字屋」だ。アサに続いて暖簾のれんを潜った梅は、店内に立ち込める強い香の匂いをぎながら思う。「まるで線香を焚いた死体置き場のようだ」と。
 こんな不穏な匂いが漂っていることに男たちは気付いているのだろうか。ざわつく胸を落ち着かせるために深呼吸をしても、梅の気は晴れない。「息をするだけで、肺が他人のえきでべとつくような気がした」
 この、「肺が他人の唾液でべとつくような気がした」という一文に、はっとなる。なんて容赦ない、けれど的確な表現なのだろう。たったこれだけで、吉原が「悪場所」であるということが読者の胸に印象づけられる。同時に、この物語の書き手が、並々ならぬ力量であることも。
 入り組んだ廊下を進み、アサと梅母娘が辿たどり着いたのは、中庭に面した十畳ほどの部屋。そこにやってきたのは、「大文字屋」の看板を背負う花魁おいらん・紀ノ川だ。紀ノ川はそこで女衒ぜげんによって連れてこられた子どもたちの品定めを行う。その後、彼女が選んだ子の髪を結いあげるためにアサと梅母娘が呼ばれたのだ。梅はこの日が初めての吉原だった。
 てきぱきと梅に指示を出し、タネと名乗ったその子どもの身体を清めた後、梅と共に髪を洗い上げたアサは言う。「お梅、おタネの髪は、あんたが結いな」と。
 アサは腕利きの髪結いで、吉原の遊女の髪結いは、アサが持つ仕事の最も大きなもののうちの一つだった。けれど、梅が嫁ぎ先から出戻るまでは、どれほど頼んでも吉原に連れてきたことはなかった。
 二年前、梅は「武蔵屋」という金貸しの家の次男坊・龍之介と祝言をあげた。家格の違いを乗り越えて結ばれた二人だった。れ合った男と夫婦になれた喜びに、「女に生まれた身としてこれ以上ない〝大出世〟だと思った」梅。けれど、その〝大出世〟は、龍之介の心変わりで終わりを迎える。恋女房だった梅を捨てて、龍之介が走った相手は、吉原の遊女だった。
 冒頭、梅が殊更に吉原の空気に嫌悪を示す裏には、そんな背景も含まれていたのだ。そのことを踏まえていたからこそ、アサはそれまで梅を吉原に伴うことがなかったのだが、この日、梅を連れて来たのは、やがて自身が中風で倒れ、右手が使えなくなってしまうことを予感していたのかもしれない。
 アサが倒れた後、髪結いの仕事は梅が引き継いだ。もちろん、吉原での仕事も。けれど、腕利きだったアサのようにはなかなかいかず、梅は自分の技量の足りなさにみする日々だ。遊女たちからアサの容体を尋ねられれば、回復を心待ちにしてくれているその気持ちはうれしく思うものの、やっぱり自分では力が及ばないのだ、とへこむ気持ちは抑えられない。そんななか、わかな(タネのかむろ名)だけは梅が髪を結うことを心底喜んでいた。
 わかなは紀ノ川付きのかむろなので、梅は紀ノ川とも少しずつ近しくなっていく。ある日、〝にわか〟と呼ばれる、吉原で行われる年に一度の夏祭り用の「しゃぐま」を紀ノ川から頼まれた梅は、その素材として渡された髪の毛が、「病人の枯れ切った髪」であることを不思議に思う。わかなから、その髪は死んだ人の髪であり、「紀ノ川花魁の大切な人」のものだ、と教えてもらった梅は、数日後、紫乃という上級の遊女から、紀ノ川は一度も間夫を作ったことがないこと、そして紀ノ川のそばには、夕霧と呼ばれた遊女がいたことを知らされる。布団部屋で亡くなったその夕霧は、病に倒れるまでは大文字屋を背負う名だたる花魁だったことも。
 物語は、ここから梅と紀ノ川にフィックスしていく。夕霧の髪の毛を用いて作った「しゃぐま」と、それに相応ふさわしい髪型をこしらえあげ、〝俄〟に送り出すまでが一つめの山場だ。その髪型は「とうろうびん」と呼ばれるもので、そこからさらに梅が紀ノ川の美しさを引き立てるように、アレンジを加えたものだった。「灯籠鬢」に辿り着くことができたのは、アサの助けがあってこそ、のものだった。
 けれど、紀ノ川の花魁としての頂点は、その〝俄〟の一瞬限りだった。降り注ぐ賞賛のなか、紀ノ川は倒れてしまう。紀ノ川のお腹の中には、新たな命が宿っていた──。
 ここから、物語の終わりまで、さらに山場がいくつかあるのだが、それは実際に本書を読んでみてください。
 本書を読み始めた時は、あぁ、これは梅という女が、吉原という特殊な世界で髪結いとして成長していく物語なのか、と思ったのだが、読み進めていくとそうではないことが見えてくる。もちろん、梅の成長たんの側面もあるのだけど、それだけではないのだ。
 たとえば、腕利きだったことはもちろん、人としても遊女たちから好かれていたアサと我が身を比べては、いつまでたっても遊女たちとめない我が身にため息をついていた梅が、彼女たちとの距離をぐっと縮める場面。それは、夫の龍之介が浮気で終わらず、自分を捨てて、浮気相手と所帯を持ったことを明かした時のこと。紫乃という上級遊女が「あんたよくまあ、そんな仕打ちに耐えられたものでありんすなあ!」と、梅を責めるようなきつい口調で言う。ざわめく大部屋の遊女たち。梅は紫乃に言う。
「黙って引き下がってはおりませんよ」
「家を追い出されるときに、店の売り物は、すべて滅茶苦茶にたたき壊して参りました」
 直後、大部屋は遊女たちの笑い声に包まれる。梅と遊女たちの垣根がぐっと下がった瞬間だ。「旦那は、何の商いをしておりんした?」という紫乃の問いに、「旗師であります。私が壊した由緒あるお宝の値は、総じて千両は下りません」。
「千両!」と遊女たちは大盛り上がり。もう垣根などどこにもなくなっている。
 この時の梅は、きっと胸を張っていたことだろう。自分は、ひどい仕打ちをされっぱなしの女ではないのだ。やられたらやり返すのだ、と。それは、梅の〝女意気〟でもあると同時に、本書のテーマでもある。
 物語の終盤、梅が紀ノ川のために、恨んでも恨みきれない元亭主の龍之介に頭を下げるのも、紀ノ川がぼろぼろになった身体で、梅に文金高島田を結ってもらうのも、みんな〝女意気〟あってこそのものなのだ。
 婚礼の髪型である文金高島田に髪を結い上げ、アサが用意した白打掛を羽織った紀ノ川が、ふん、と鼻を鳴らし、「思ったとおり、ぜんぜん、似合わなかりんす」と、「憎たらしい表情で言い切って、得意げに梅を眺め」る場面。
「花嫁支度なんて、やっぱりわっちにはぜんぜん似合わなかりんす。嫁なぞ行かぬ人生でああよかったと、心から満足しんした。お梅さん、ほんとうにありがとう」
 この紀ノ川の言葉に込められたきようと梅への思いりに、熱いものが込み上げてくる。吉原という理不尽だらけの世界で、声をあげることを許されずに生きてきた紀ノ川花魁の、これは一世一代のたんなのだ。
 こういう言葉を紀ノ川に吐かせた作者を、私は信じる。本書が一人でも多くの読者、とりわけ、自分の周りの理不尽と闘っている女性たちに届いて欲しいと思う。梅のような、紀ノ川のような〝女意気〟を、心に宿して日々に向かい合えますように、と。

作品紹介・あらすじ
『髪結百花』著 泉ゆたか



髪結百花
著者 泉 ゆたか
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2022年03月23日

W受賞作! 吉原を舞台に、女の人生模様を情感豊かに謳いあげる時代小説。
ここまで優れた作品を上梓した作者を、ただただ絶賛したい――。――書評家・細谷正充
"理不尽"と闘う2人の女意気に、思わず胸が熱くなる! ――書評家・吉田伸子

吉原遊郭を舞台に、女の生き様を描いた人生賛歌。
遊女に夫を寝取られ離縁したばかりの梅は、生家に戻って髪結いの母の手伝いを始める。心の傷から、吉原で働く女たちと距離を置いていたが、当代一の美しさを誇る花魁の紀ノ川や、寒村から売られてきた禿のタネと出会い、少しずつ生気を取り戻していった。そんな中、紀ノ川の妊娠が発覚し――。男と女の深い溝、母娘の複雑な関係、吉原で生きざるを得ない女たちのやるせなさ。絶望の中でも逞しく生きていこうとする女たちを濃密に描く。
第1回日本歴史時代作家協会賞新人賞、第2回細谷正充賞受賞作。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322001000227/
amazonページはこちら


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