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レビュー

江戸百万の命を背負い、勝海舟と西郷隆盛、二人の麒麟児が駆ける!――冲方 丁『麒麟児』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
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冲方 丁『麒麟児



冲方 丁『麒麟児』文庫巻末解説

解説
すえくに よし  

 戦国と幕末維新は共に歴史小説の題材に選ばれることが多いが、人気が高いのは戦国時代である。それは戦国武将が合戦で汚い手段を使ったり、謀略で敵をかくらんしたりしても、そこには領国を守るという明確な目的があったため暗い部分が目立たないのに対し、そんのうじようをスローガンに幕府を批判した勤王の志士たちは、攘夷を唱えながら海外から最新の武器を輸入し、政権奪取後は批判していた開国にかじを切っているので、どうしても節を曲げたように見えてしまうからである。しかも幕末の騒乱期に人りとして活躍したかわかみげんさいを、新政府の方針に従わず過激な攘夷論を主張し続けたため実質的に粛清し、若き日の理想を忘れたかのように政商と結び付いて私腹を肥やしたかつての勤王の志士もいたので、あまり美しさが感じられないのだ。
 こうした幕末ものの歴史小説の思い込みを覆してくれるのが、かつりんろうかいしゆう)と西さいごうきちすけたかもり)が行った江戸城無血開城に向けての交渉に焦点を絞った本書『麒麟児』である。西郷は「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなりの仕末に困る人ならでは、かんなんを共にして国家の大業は成し得られぬなり」(『西郷南洲遺訓』三〇条)との言葉を残したが、本書はまさに「命」も「名」も「官位」も「金」も求めず、幕府にも新政府にもいる反対派を抑えて新しい政治システムの構築という「国家の大業」を成し遂げた人物として、勝と西郷をとらえている。それだけに、読み進めていくと心が洗われるような気分になるだろう。
 物語は、やまおかてつろうてつしゆう)が、勝の屋敷を訪ねてくるところから始まる。
 一八六八年一月三日、ふしで幕府軍と朝廷から与えられたにしきはたを掲げる新政府軍(官軍)の戦闘が始まった。京のじよう城にいた第一五代将軍・とくがわよしのぶは、朝廷への恭順を示すためおおさか城へ入り、さらに幕府軍が有利だったにもかかわらず、側近だけを連れ大坂湾に停泊していた軍艦・かいようまるで江戸に帰った。慶喜から官軍総督府に行って恭順謹慎する意志を伝えるという命令を受けた山岡は、総督府の誰を訪ねるべきか聞く相手に勝を選んだのである。
 幕末史が分かりにくいのは、幕府と佐幕の雄藩・あい藩と共闘しちようしゆうを敵視していたさつが、いつの間にか長州と組んでいたり、大政奉還した慶喜は徳川家と雄藩が連合して天皇を支える構想を持っていたが、いつの間にか朝敵として攻撃されたりと、敵味方が短期間で入れ替わったことも大きい。著者は、勝と山岡のやり取りを通して、複雑に入り組む幕末史を解きほぐしていくので、歴史に詳しくなくてもすんなりと物語に入っていけるはずだ。勝は山岡に加え、屋敷で預かっていた薩摩藩士のますみつきゆうすけ駿すんにいる西郷のもとへ送るが、使者となる山岡と益満も「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」だけに、脇役ながら強く印象に残る。
 ここから江戸城無血開城に向けての交渉が加速していくが、二人が対面する前から自陣を有利にする駆け引きは始まっていた。その一つが、勝が準備を進める焦土戦術である。勝が、町火消できようかくしんもんたつろうらを動員して官軍に利用される恐れのある食料、武器、都市インフラを焼き払う計画を立てていたのは史実である。その理由は、戦端が開かれた時に幕府軍を有利にするためとも、西郷に圧力をかけ攻撃を断念させるためともいわれている。著者は、これらの他にも勝には焦土戦術の実行をほのめかす目的があったとしており、独自の解釈にはミステリー的な面白さと説得力がある。
 だが勝と西郷の息詰まる頭脳戦、心理戦が本格化するのは、直接交渉の幕が切って落とされてからである。時代の流れが変わったことが理解できない幕府の首脳は、官軍が出してきた七つの降伏条件すべてについて、異論を差し挟んできた。無理な条件を前提に交渉しなければならなくなった勝と、幕府の回答では主戦派を抑えられないと考える西郷が、江戸城への攻撃を回避したいという共通の想いを現実にするため会話を使った静かな戦いを繰り広げるところは、剣の達人二人による決闘や、名将に率いられた大軍がぶつかる合戦に勝るとも劣らないスリルが味わえる。
 幕府も、官軍も、背後に戦争で雌雄を決したい過激な一派を抱えていたが、勝と西郷は、時に相手の譲歩を引き出し、時に自分が妥協するなどして、戦争を回避し純粋な交渉だけで江戸城無血開城を成し遂げようとする。伝統的に日本は外交が苦手とされ、それを象徴するのが、関東軍が満鉄の線路を爆破したりゆうじよう事件(当時は、ちようがくりようら東北軍の犯行とされた)、まんしゆうこく建国といった日本の大陸進出を調査したリットン調査団への対応である。リットンの報告書は、柳条湖事件は日本の自衛とは認めず、満州国建国も自発的とはいえないとの結論を出したが、事変前に戻すことは現実的でないため、満州国での日本の権益を認めていた。だが満州国の存在を国際社会に認めてもらうことにこだわった日本は、報告書への反発を強める国民の声が大きかったこともあり、承認という名を捨て権益という実をとることができなかった。これにより日本は国際社会での孤立を深め、太平洋戦争突入の遠因になる。合理的な思考とタフなネゴシエーションで妥協点を見つけ平和に事態を収拾した勝と西郷は、日本に不利な発言をする国が出てくると、ネットに〝国交断絶〟、〝憲法を改正して軍備増強〟など感情論に走った過激な発言があふれ、それに責任ある政治家が同調するケースさえある現代の状況への、痛烈な批判になっているように思えてならない。
 ギリギリの交渉が進むにつれ、勝が江戸城無血開城にこだわった理由が浮かび上がってくる。かんりんまるでアメリカに渡り、国民が選挙で政治家を選び、憲法に基づいて国が運営され、能力があれば身分など関係なく出世ができる巨大な国家があることに衝撃を受けた勝は、封建的な幕藩体制や身分制度を破壊して、欧米先進国と互角に渡り合う新国家を建設する必要があり、この大改革をスムーズに行うためには、最大の都市・江戸を無傷で残さなければならないと考えていた。ただ勝は、旧体制を破壊するところまでは官軍と理念を共有していただけに、薩摩と長州を主軸にした官軍が、せきはらの合戦で徳川いえやすに敗れた恨みと、新政府で要職を得たいという私利私欲で動いていることに気付いていた。官軍のトップでありながら勝と同じを抱いていた西郷も、理想の新国家のあり方を模索しており、これが二人の交渉の行方をも左右することになる。
 だが実際に成立した新政府は、同志を殺したふくしゆうとばかりに佐幕の家臣を追い詰め、薩摩、長州など特定の藩の出身者だけを優遇し、武士としての特権を奪われ不満を口にすれば昔の同志であっても弾圧する強権的な政治を行った。それがの乱、しんぷうれんの乱、はぎの乱といった維新の立役者の藩での反乱を誘発し、西郷が反政府運動のしゆかいとして立った西せいなん戦争へとつながることになる。いわゆる有司専制と呼ばれた独善的な政治体制は過去のものと思われがちだが、勝が憂慮した私利私欲の果てに成立した明治政府は現代と地続きになっており、現在の有力代議士には有司専制を支えた藩閥政治家の子孫が少なくなく、また富裕層と貧困層では教育費に差があるため子供の進学、就職でも差があり、政府の財政難で弱者を支援することが難しくなっているなど、今も勝が夢見た理想の国家とはほど遠い状況になっている。一部の私利私欲で出来上がった現実のめい政府とは異なる、勝と西郷の江戸城無血開城の交渉を通して浮き彫りになるもう一つの国家像は、近代国家日本が成立した原点に立ち返ることで、このまま幕末に創出された制度で国を運営するのか、それとも旧制度を壊して別の理念で動く国を作るべきなのかを問い掛けているのである。
 中国の伝説上の霊獣・りんは、『春秋公羊伝』によると「麟は仁獣なり。王者有ればすなわち至り、王者無ければ則ち至らず」とされている。『もう』は、仁と徳によって国を運営するのが「王者」であり、これに武力と利益で国を支配する「覇者」を対置した。麒麟児とは将来の活躍が期待される若者の意味だが、既に四〇代だった勝と西郷の物語に『麒麟児』のタイトルが付けられたのは、二人を「王者」が出現するとやって来る麒麟になぞらえ、その理想を受け継ぐ若い世代が登場して欲しいとの願いが込められていたからではないだろうか。
 といっても著者は、勝を完全無欠の偉人とはしていない。勝は親族のコネで第一一代将軍・徳川いえなりの孫のよしまさの御相手に選ばれるも、慶昌が早世し出世の糸口になるという親族の期待が水泡に帰すなど、運がない男とされている。ただ勝は落ち込むことはなく、幸運は何ももたらさない、「はりや医術、利殖の才、剣の腕、学問、時勢を見抜く目、胆力」など傑出した能力を身に付けなければならないという実力主義に目覚め、懸命に学んだオランダ語が出世の足掛かりになる。経済の低成長が続き格差が広がる日本では、自分では選べない生まれた家の経済力や家庭環境によって将来が決まるというていねんが若い世代に広がっているが、運を否定し、努力を重ね歴史に名を残した勝は、将来は運で決まるという風潮がへいそくかんを生んでいる現状を打ち破ってくれるだけに、本書を読むと勇気と希望がもらえるのである。

作品紹介



麒麟児
著者 冲方 丁
定価: 836円(本体760円+税)
発売日:2021年11月20日

江戸百万の命を背負い、勝海舟と西郷隆盛、二人の麒麟児が駆ける!
慶応四年三月。鳥羽・伏見の戦いに勝利した官軍は、徳川慶喜追討令を受け、江戸に迫りつつあった。
軍事取扱の勝海舟は、五万の大軍を率いる西郷隆盛との和議交渉に挑むための決死の策を練っていた。
江戸の町を業火で包み、焼き尽くす「焦土戦術」を切り札として。
和議交渉を実現するため、勝は西郷への手紙を山岡鉄太郎と益満休之助に託す。
二人は敵中を突破し西郷に面会し、非戦の条件を持ち帰る。だが徳川方の結論は、降伏条件を「何一つ受け入れない」というものだった。
三月十四日、運命の日、死を覚悟して西郷と対峙する勝。命がけの「秘策」は発動するのか――。
幕末最大の転換点、「江戸無血開城」。命を賭して成し遂げた二人の“麒麟児”の覚悟と決断を描く、著者渾身の歴史長編。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000231/
amazonページはこちら


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