menu
menu

試し読み

愛する息子は殺人犯か、被害者か――。【ムビチケ特典付き】映画『望み』原作特別試し読み#1

私の息子は殺人犯か、被害者か――。
究極の問いを前に揺れ動く家族の物語、雫井脩介『望みがついに映画化!
10月9日の公開に先駆けて、特別に試し読みをお届けします。

カドブンで『望み』の試し読みを最後までお読みいただいた皆さまに、映画「望み」のムビチケ前売券(オンライン)をオトクに購入できる【ムビチケプロモーションコード(300円分)】をプレゼント!
コードは最終日にお知らせいたしますのでぜひ最後までお楽しみください。
プロモーションコードについて:詳しくはこちらhttps://mvtk.jp/Guide/promotioncode

 ◆ ◆ ◆

 明るい色のレンガで覆われた、歳月を経るごとにしゃれた渋みが加わる外観。吹き抜けを伴う玄関は光に満ちていて、南欧風の明るいデザインにまとまっている。
 広々としたLDKにはニューヨークの高級ホテルを思わせる上品な豪華さがあり、使いやすい最新型のアイランドキッチンが備わっている。寝室に移れば、そこにはバリ島のリゾートホテルにも似た、アジアンテイストのいやしの空間が広がっている。
 また、ゆったりとしたには窓が付いていて、湯にかりながらその眺望を楽しむことができる。もちろん、外からはプライバシーが守られていることは言うまでもない……。
「それから、階段はせん階段がいいです。おしゃれな感じの」
 依頼人であるたねむら夫妻の妻が、先ほどアイランドキッチンにこだわりを見せたときと同じ語調でそう付け足した。
「なるほど」
 いしかわかずはペンを置いて、短く刈ったあごひげをでる。ずっとペンを手にしていたものの、メモはほとんど何も取っていなかった。
 九月の上旬をすぎ、日が高いうちはまだまだ暑さも厳しいが、夕方近くになってくると、事務所の中にいても外の空気が優しくなるのがそれとなく分かる。一登はエアコンのリモコンを手にして、冷房の加減を少し弱めた。
 日が陰った窓側の机では、アシスタントスタッフのうめもとかつひこが黙々とスタディ模型を作っている。
「あんまり夢みたいな条件を次から次に投げかけたって、全部は生かせやしないだろうし、先生も困るだろ」
 隣に座る夫が苦笑気味に妻をたしなめ、一登に同意を求めるような視線をした。
「でも、注文住宅ってそういうもんじゃないの?」
 妻はきょとんとした表情を見せたあと、そんなふうに言い返した。
「玄関が南欧風でリビングがニューヨーク風で寝室がバリ風とかさ、そんなバラバラなこと言われたら、逆にどういう家を作ったらいいか分かんなくなるだろってことだよ」
「何でよ? 駄目なの?」
 妻が不服そうに唇をとがらせる。夢のマイホームがいよいよ現実になるという段になって、妻の気持ちが夫のそれより前のめりになっているらしい。
「いや、先生、僕はね」夫が一登に目を向ける。「基本的には、細かいところは先生にお任せしたほうが結果的にいいものになると思ってるんですよ。各部屋バラバラより統一感があったほうがいいと思うし、まあ、強いて言うなら、外観とか古民家風のどっしりした感じが好みなんですけどね」
「古民家風で統一しちゃったら、リビングなんか辛気くさくて仕方ないわよ。私は実家が昔ながらの農家の造りしてるから、そういうのはもう、お腹いっぱいなの。各部屋それぞれ、いろんな雰囲気が楽しめる家のどこが駄目なの? そういうぜいたくな理想を格好よく形にしてもらうのが注文住宅なんだと私は思うんだけど」
「いやいや、こういうのは何でもかんでも詰めこんだら、結局失敗するんだよ……ねえ、先生?」
「そんなことないですよねえ、先生?」
 こうした依頼人夫婦の気持ちの温度差は、注文住宅を手がけてきた二十年近くのうちに何度も目にしてきたものでもある。一登としては、ある種の段取りをこなすように「いえいえ」と取り成せばいいことであった。
「お二人とも正しいとも言えるし、間違っているとも言える……そう言わせていただきましょうか」一登はそんなふうに話を引き取った。「もちろん、これこれの場所でこれこれの予算で古民家風の家を作ってくれと言われれば、あとは僕のセンスでもって、それなりのものを作ることはできます。あるいは奥さんが言われるような条件を盛りこんだ家を作ることも取り立てて難しくはない。けれど、それだけで作った家は、まず間違いなく失敗します。というのは、家づくりに必要な要素は、建築家のセンスだけでは足りませんし、施主さん側の夢や希望だけでも十分ではないんです」
「その二つが両方ともいると……?」
 夫の言葉に一登は首を振る。「いえ、二つが合わさっても、まだ足りません」
「というと……?」
「家づくりの上で、何よりも優先して盛りこまなければならないのは、そこに住む人たちの生き方であったり、家族の形であったりということなんです」
「家族の形……?」
 テーブルの向こうで肩を並べて座っている夫妻は、理解し切れていない思いを表情に浮かべながらお互いを見やったりしている。
「そうです」一登は話を続ける。「例えば、奥さんが先ほど言われた、お風呂に窓を作って眺望を楽しむというのも、よくそういうリクエストを受けますし、実際、そういう風呂を作ることも多いんですが、そこに住まわれる方々がどういうお風呂の入り方をするかというところから見ていかないと、うまくいかないんです。いくら眺めのいい場所に浴槽を置いて窓を作っても、ほとんどみんな夜にしかお風呂に入らないのでは、それをたんのうできるのは風呂掃除のときくらいという、笑い話にもならないことになったりするものなんです」
「いや、そうなんですよ」夫が言う。「うちは夜にしか入りませんし、僕自身はカラスの行水だから、そんな凝った風呂場じゃなくて全然いいんですよ」
「私は半身浴とか、ゆっくり楽しみたいのよ」妻が言い返す。
「だとしても、お前が風呂に入るのも夜だろ」
「夜とは限らないわよ」
「何だ、俺が仕事に出かけてから、優雅に朝風呂か」夫は皮肉を飛ばしてから、一登に笑いかける。「まったく、そんなどうでもいいぜいたくに限りある予算を使わなくてもねえ」
「いえまあ、お風呂は大事ですし、窓の外に小さな植樹のゾーンを作ってライトアップするとか、夜に楽しめるような作り方もできるんですが」丁々発止の夫婦のやり取りを一登は苦笑気味に受ける。「ただ、大きな窓があると、どうしても冬場は冷えこみがきつくなってしまいます。ご家族の入浴時間に空きが出ると、それだけでせっかく暖まった風呂場が冷えてしまったりすることになる。住んでみて、それが玉にきずだと言われる施主さんもいらっしゃいます」
「ああ、うちは好き勝手に入りますから、僕なんか時間も遅いんですよ。寝る前にさっと入る感じなんです。風呂の湯がぬるくなってるのも困りもんですが、風呂場自体冷えてたら、沸かす間に風邪引いちゃいますよ」
「そんなの早く入ればいいことじゃない」妻が面白くなさそうに口をはさんできた。「早く入ってっていつも言ってるのに、ビールだあつかんだって、だらだらやってるから」
「しょうがないだろ」夫が笑い飛ばす。「こっちはそれが楽しみで生きてるんだからさ」
「そうですね」そのあたりで一登が引き取った。「まさにその通りでして、自分が大事にしていることは、そのまま大事にしていただきたいんです。家に合わせてそれを変えるのは感心しません。家に生活を合わせるというのは、器が先にありきの建売住宅に住むのと同じことですからね」
「ほらほら」夫がどうだという顔をしてみせる。「そういうことだよ」
「ただ、ご主人にとって晩酌が至福の時間であるのと同様、奥さんにとってはお風呂の時間がリラックスタイムであって、大切にされたいということですよね?」
「そうですよ」妻は大きくうなずき、よき理解者になってほしそうな視線を一登に向けてきた。「私だって同じなんです」
「だとすると、普通のお風呂では物足りないわけですね。眺めのいい窓を作るのも一つの手であると……ただ、どうでしょう、その場所を癒しの空間として考えたいということであれば、例えばですけど、アロマキャンドルを置けるような場所を四隅にちょっと作るだけでも、それはかなうことになるかもしれませんよ」
「ああ、アロマ……」妻はふと口調に柔らかさを取り戻した。「それもいいわねえ」
「それでいいじゃんか。そのほうが安上がりだし。その分、ほかに金かけたほうが賢いよ」
「そうねえ」妻は素直にうなずいている。
「ですから、そういう問題も一例でしてね」一登は話を続ける。「家づくりに当たって何より重要なのは、ご夫婦なりご家族なりがどんな生活をしているか、そして、これからどんな人生を送ろうとしているのかということなんです。注文住宅というのは、言ってみれば、家が家族の形そのものになるんですね。その家を見れば、そこに暮らす家族それぞれのライフスタイルや趣味、性格までが分かる。建築家の作品であって、実はそうではないんです。そこに住む人たちを映している鏡のようなものです。たとえ同じ土地に同じ予算で同じ建築家が作るとしても、住む人が違えば、必然的に違う家ができる。建売住宅だと、まったく同じ形の家が何軒も並んだりしますが、我々の考え方からすると、それはありえないんですね」
「うーん」夫は話を聞いて考えを正されたというように苦笑いを浮かべた。「哲学的というか何というか……家を建てるのって簡単じゃないとは思ってましたけど、やはりなまじっかな気持ちじゃできない。大変な問題ですね」
「いい家を作ろうと思ったら、簡単ではないですよ」一登は笑い返して言う。「家づくりが、自分の家族やこれまでの人生を見つめ直すきっかけになったという施主さんも多い。まさに哲学的な問題です」
「何だか気が遠くなるような話ね」妻がため息混じりに言う。
「だからといって、腰が引けてしまうのも、もったいないと思います。その家族に相応ふさわしい家が出来上がれば、その生活は今以上のものになることが確実に約束されますからね。商売として言うわけではなく、その気があるなら、ぜひとも挑戦していただきたいと思います」
「いや、変に安請け合いせずに、先生みたいに面倒なこともちゃんと言っていただくと逆に信頼できますよね」夫はしみじみとした口調で言った。「どうせもう作ると決めたことですし、ホームページを見たインスピレーションでこうしてご相談にうかがっただけですけど、僕は先生にお願いしたいなって、今日の話を聞いて思いました」
「また勝手に決めて」
 そう言う妻も、冗談が混じったようなその口調からは、特に異存はないという思いがこもっているように感じ取れた。
「ありがとうございます」
 一登はさらりと礼を言い、ほんの小さな笑みを添えておいた。

「もしよかったら、うちを見学されていきませんか?」
 しばらくは雑談のようにして、種村夫妻の人生観やこれまでの住環境に対する思いなどを聞いた。そうした話からアイデアの大枠を描き出し、家づくりの土台となるテーマやコンセプトといったものをつかまえようとするのが、一登のやり方だった。それが定まれば、次第にディテールへと目を向けていき、最終的には、靴は何足持っているか、服は何着持っているかという話から収納をデザインするところまでいく。
 ただ、一日でそこまで具体的な話を聞けるはずはなく、一時間ほどして適当な区切りがついたあたりで、一登は自宅の見学を彼らに切り出した。
「よろしいんですか?」
「もちろんです。ほかの施主さんの家ならあらかじめ断りを入れておかなきゃいけませんが、うちだったらその必要もない。依頼に来られる方には、たいていお見せしてますよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「どうぞ、どうぞ」そう言って、一登は立ち上がる。「たかやま建築さんから電話があったら、うちに呼びに来て」アシスタントの梅本にそう告げ、事務所を出る。
 およそ八坪のこぢんまりとした事務所建物の隣に一登の自宅はある。七十五坪の敷地内に自宅と離れを建て、その離れを事務所として使っている形である。
 東京都下と隣接する埼玉県ざわ市の緩やかな丘陵地にこの住まいと仕事場はある。周りはハウスメーカーが建てた、和風にしろ洋風にしろ、よくも悪くも同質化した住宅が並んでいる。東京のきちじようしやくあたりに移せば、一登が設計したこの家もそれほど目立ちはしないのかもしれないが、このあたりではやはり、コンクリートと石張りを合わせたモダンな意匠が客観的に見ても異彩を放っている。コニファーやジューンベリーなど目に涼しげな緑も一登が配置をデザインして植えており、邸宅の見映えに貢献している。それらは、どの建築家に頼んだらいいか迷いながら訪れた依頼人たちへの、強いアピール材料になっているはずだった。
「いやあ、おしゃれな家ですよねえ」
「これは建坪で三十坪弱ですから、種村さんのところでも、大きさ的にはこれに近いものがイメージできるんじゃないかと思います。この家は十年前に建てたものですからね、今だったらもうちょっといいのができると思いますよ」
 外観を仰ぎ見て感心する夫妻に、一登は軽い口調でそう応じた。
「さあ、遠慮なく入ってください」

(つづく)



雫井脩介『望み』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321901000155/

▼映画公式サイト
https://nozomi-movie.jp/


紹介した書籍

関連書籍

おすすめ記事

MAGAZINES

カドブンノベル

最新号
2020年10月号

9月10日 配信

怪と幽

最新号
Vol.005

8月31日 発売

小説 野性時代

第203号
2020年10月号

9月12日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

四畳半タイムマシンブルース

著者 森見登美彦 原案 上田誠

2

小説 野性時代 第203号 2020年10月号

小説野性時代編集部

3

怪と幽 vol.005 2020年9月

著者 京極夏彦 著者 小野不由美 著者 有栖川有栖 著者 恒川光太郎 著者 近藤史恵 著者 山白朝子 著者 荒俣宏 著者 小松和彦 著者 諸星大二郎 著者 高橋葉介 著者 波津彬子 著者 押切蓮介 著者 東雅夫

4

昨日星を探した言い訳

著者 河野裕

5

銀閣の人

著者 門井慶喜

6

村上世彰、高校生に投資を教える。

著者 村上世彰

9/7~ 9/13 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP