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試し読み

ハリウッド映画化記念! 殺し屋たちの狂騒曲【 伊坂幸太郎『マリアビートル』試し読み#7】

殺し屋たちを乗せて、新幹線は疾走する――。
ブラッド・ピット主演でハリウッド映画化!

累計300万部突破、伊坂幸太郎屈指の人気を誇る<殺し屋シリーズ>。その中でもエンタメ度最高のマリアビートルハリウッド映画化が決定! 2022年、全国の映画館で公開されます。主演はブラッド・ピット、監督はデヴィッド・リーチ(『デッドプール2』)と超豪華。
物騒な殺し屋たちを乗せた新幹線。巻き起こる予想外の展開、意外な結末とは――。映画化を記念し、計200ページの大ボリュームの原作小説試し読みをお届け。
読んでから観るか? 観てから読むか? ぜひお楽しみください!

▼映画『ブレット・トレイン』公式サイトはこちら
https://www.bullettrain-movie.jp


マリアビートル
著者 伊坂 幸太郎


『マリアビートル』試し読み#7

 六号車の通路を後方に向かいながら、ざっと眺めていく。黒眼鏡の男の姿は見当たらなかった。天井近くの荷物棚も見る。荷物が載ったベルトコンベアのようなその場所には、大きめのリュックサックや紙袋、トランクが置かれていた。が、先ほど見た、キャリー付きのトランクとは形状も色も違う。あの黒眼鏡の男が、自分と木村のいる七号車より前方にいった気配はない。注意を払っていたから、見逃したとは思えなかった。となれば、ここより後方、一号車寄りの車両にいるのだろう。
 考えながら、六号車を出る。
 デッキは無人だった。個室トイレは二つあり、進行方向側の扉にはかぎがかかっている。向かいの洗面所にはカーテンが閉まっていた。誰かが使っているのだろう。あの黒眼鏡の男がトランクを持ったまま、トイレに隠れているかもしれない。大宮まで閉じこもっているつもりだろうか。悪いアイディアではない。トイレが使用中で困る人間はいるかもしれないが、混んでもいないのだから、騒ぎになる可能性も少ないだろう。そこに隠れている手はある。
 王子は、しばらく待ってみようか、と考えた。すぐに人が出てこないのであれば、車掌に無理やり開けてもらえばいい。いつものように、親切心とおせっかいに満ちた、優等生のふりをするのだ。「トイレが閉まったままです。何かあったんじゃないでしょうか」
 車掌はたぶん警戒もせず、トイレの鍵を開けてくれるだろう。
 するとちょうどその時、洗面所のカーテンがさっと開いた。驚き、飛びのくようにしてしまうが、出てきた女は特に怪しむでもなく、「あ、ごめんなさいね」と謝ってきた。王子は、謝罪の台詞せりふを頭に浮かべたが、口には出さない。謝罪の言葉は、人と人の間に上下関係を作り出すため、慎重に発しなくてはならない。
 立ち去るその若い女の背中に目をやる。ワンピースにジャケットを羽織った、中肉中背で、二十代後半だろうか。ふと、小学校六年生の時の担任教師を思い出した。名前はくらだったかとうだったか、思い出せない。もちろん当時は覚えていたが、学校を卒業してしまえば記憶している必要を感じず、だから忘れていた。担任教師はあくまでも、「担任教師」という駒でしかなく、たとえば、野球選手が、他チームの野手を名前ではなくポジションで呼ぶのと似たような、そういった程度の意識しか持っていなかった。
「担任教師の名前や個性とかはどうでもいい。個人的な信念や使命感だって、みんな似たり寄ったりだ。人の個性や考え方なんて、なんだかんだ言っても、結局はいくつかのパターンに分類できるんだよ。どうすれば、僕たちの味方になるか、そういうパターンもだいたい決まっている。教師も結局は、こうすればこう動く、こうやって接すればこう反応する、って、チャート式みたいなものだから、メカニカルに動く装置と同じだ。装置に固有名詞なんていらない」
 そのようなことを言うと、クラスメイトの大半は、意味が分からない、とぽかんとし、せいぜいが、「なるほどそうか先生の名前なんてどうでもいいよね」と追従するようにあいづちを打った。彼らはそこで、「王子にとっては、僕たち同級生もただの装置に過ぎないのか」と問いただすべきであるのに、もしくはそう気づくべきであるのに、そうはならない。
 あの女教師は最後の最後まで、王子のことを、教師と生徒の間の亀裂を埋める橋渡し役、物分かりが良く、優秀な少年だと思い込んでいた。「慧君がいてくれなかったら、クラスでいじめがあるだなんて気づけなかった」と感謝までした。
 あまりに無邪気に、自分のことを味方だと信じている教師が哀れに思え、一度、ヒントを与えたことがあった。読書感想文の提出の際、読んだばかりの、ルワンダの虐殺に関する本について書いた時だ。王子は小説よりも、世界情勢について書かれた本や歴史についての資料を読むほうが好きだった。
 小学生がそのような本を読むことが、教師には信じがたいらしく、尊敬の念すら浮かべて、早熟ねえ、と感心していた。おそらく、と王子は思う。自分に何か特別な才能があるとすれば、それは、本を読解する力に秀でていたことだろう。本を読み、内容をくだくことで、が増え、知識が増え、いっそう読解力が増した。本を読むことは、人の感情や抽象的な概念を言語化する力につながり、複雑な、客観的な思考を可能にした。
 たとえば、誰かの抱えている心のうつくつや不安、もどかしさを、言葉で表現するだけで、感心され、頼られることはあった。
 そして、ルワンダにおける虐殺の話はさまざまな示唆に富んでいた。
 ルワンダには、ツチ族とフツ族という二つの民族がいる。どちらも外見的な差異はほとんどなく、ツチ族とフツ族が結婚した家庭も少なくない。その民族の区分は人為的な分類に過ぎなかった。
 一九九四年、大統領の飛行機が撃墜されたことをきっかけに、フツ族による虐殺が起きた。百日間、三ヶ月強で、約八十万人もの人間が殺された。それも、今まで隣人として暮らしていた相手のなたによって、だ。単純に計算すれば、一日に八千人、一分間に五、六人だという。
 男も女も、年寄りも子供も片端から殺害されたこの出来事は、大昔に起きた非現実的なものではなく、つい十数年前の現代において起きた、という意味で、王子には非常に興味深く感じられた。
「こんなにひどいことがあるだなんて、信じられないけれど、目を背けてはいけないのだろう、と思いました。これは特別な、遠くの国の事件などではありません。僕たち自身が、自分たちの弱さやもろさを認めることからはじめないといけないと学びました」
 感想文にはそう書いた。あいまいながらも、どこかしら、「聞こえの良さそうな」感想を並べただけの無意味なものだったが、そういったもののほうが大人には受け入れやすいのだ、と分かっていた。表面的な言葉に過ぎない。が、その文の後半については、本心でもあった。
 人がいかに、扇動されやすいのか、そのことを学ぶことができた。おぞましい出来事がどうしてすぐに阻止できなかったのか、どうして虐殺は成功したのか、そのメカニズムはとても参考になった。
 たとえば、だ。アメリカはこの、ルワンダの大虐殺をなかなか認めなかった。と本にはあった。むしろ、「これは虐殺ではない」という理由を必死に見つけようとし、その事実を直視しなかった。ツチ族の大量の死体が報道されているにもかかわらず、「虐殺かどうか断定できない」と曖昧な態度を取った。
 なぜか。
 虐殺を認めてしまえば、条約により、国連から何らかの行動を求められてしまう可能性があったからだ。
 国連も同様だ。ほとんど機能しなかった。


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