menu
menu

試し読み

ハリウッド映画化記念! 殺し屋たちの狂騒曲【 伊坂幸太郎『マリアビートル』試し読み#5】

殺し屋たちを乗せて、新幹線は疾走する――。
ブラッド・ピット主演でハリウッド映画化!

累計300万部突破、伊坂幸太郎屈指の人気を誇る<殺し屋シリーズ>。その中でもエンタメ度最高のマリアビートルハリウッド映画化が決定! 2022年、全国の映画館で公開されます。主演はブラッド・ピット、監督はデヴィッド・リーチ(『デッドプール2』)と超豪華。
物騒な殺し屋たちを乗せた新幹線。巻き起こる予想外の展開、意外な結末とは――。映画化を記念し、計200ページの大ボリュームの原作小説試し読みをお届け。
読んでから観るか? 観てから読むか? ぜひお楽しみください!

▼映画『ブレット・トレイン』公式サイトはこちら
https://www.bullettrain-movie.jp


マリアビートル
著者 伊坂 幸太郎


『マリアビートル』試し読み#5



 マジックテープ付きのバンドで、手足を拘束された木村は、どうにかそれが外れないかと腕や足首をぎりぎりとひねってみるが、緩む気配はまったくなかった。
「こういうのにはコツがあるんだよ、雄一君」不意に、子供の頃の記憶がよみがえった。自分の名を呼ぶ声だ。今までほとんど思い出したことのないその場面は、木村の実家の居間で、二十代の男が手と足をひもで結ばれているところだった。「ほら、脱出できるかどうかやってみろよ、しげる」と木村の父が笑っている。隣で、木村の母も腹を抱えて笑い、まだ小学校に入学前であったはずの木村も、けたけたと笑った。その、繁という若者は、木村の父とは以前の職場の先輩後輩という関係に過ぎなかったのだが、時折、木村の家に遊びに来た。さつそうとしたスポーツ選手とでも言うような、誠実そうな外見の繁は、木村の父を恩師と仰ぐようなところもあり、その息子である木村のことも可愛がってくれた。
「雄一君のお父さんって仕事の時は本当に怖かったんだからさ。ハゲタカじゃなくて、シゲタカって言われてたんですよ。名前、木村しげるでしょ」繁は言った。木村の父と繁はお互いの名前が、「シゲル」であることから、親しくなったらしかった。彼は酒を飲むとたいがい、「仕事つらいですよ。職種変えようかと思うんです」と木村の父に愚痴をこぼし、なるほど大人も弱音を吐くのだな、人はいくつになってもつらいのだな、と学んだ。その繁ともいつの間にか、縁遠くなってしまった。思い出したのは、繁が、テレビで観た脱出ショーの真似をした時のことだ。ロープで縛られた状態から抜け出す奇術で、「あれ、俺もできますよ」と主張したのだ。
 そして、木村がぼんやりとテレビに目をやっていた隙に、繁は紐をほどいてみせた。
 あれはいったいどうやっていたのだろうか。
 今の俺のこの状態を打破するヒントがあるのではないか。
 記憶が眠る山をつるはしで必死に削り、中から重要な情報を掘り出そうと試みる。が、思い出すことはできない。
「おじさん、待っててね。トイレ行ってくるから」王子が席を立ち、通路に出て行く。ブレザーを着たその姿は、上品な家で大事に育てられた中学生にしか見えず、「どうしてこんなガキにいいようにされないとならないのだ」ともだえたくなる。「あ、お酒を買ってきてあげようか。カップ酒ってやつ?」と憎らしい嫌味を言い残し、王子は後方車両へと歩いていく。トイレは逆方向のほうが近いのではないか、と木村は気づいたが、それを伝えるつもりもなかった。
 この少年が、上品な家で大事に育てられた中学生であるのは間違いがない。上品な家で大事に育てられた、悪意に満ちた中学生だ。数ヶ月前、初めて、王子と会った時のことを思い出す。

 入道雲が空を侵食するように埋め尽くしていた正午前、木村はくら町の病院から帰るところだった。警備員の仕事を終えて朝に帰宅すると、渉が腹痛を訴えるので、そのまま掛かりつけの小児科医院まで連れてきた。いつもであれば、渉を保育園に預けた後ですぐに布団に入るのだが、それができなかったため、眠気で頭が重かった。しかも、医院は驚くほど混んでいた。待合所で堂々と酒を飲むわけにもいかない。気づけば指が震えている。
 病院内の子供たちは全員、渉よりも軽症であるように見え、マスクをして苦しそうにしている子供を眺めては、「おおな芝居をしやがって」「本当につらい子供が優先だろうが」と腹が立った。ほかの親を片端からにらんだ。それから、せわしなく行き来する看護師のしりを目でめ回した。結局、渉自身が軽症だった。診察がはじまる直前には、けろっとし、「お父さん、なんだか平気になっちゃった」とささやくように言ってきた。が、ここまで来て帰るのも悔しく、渉には腹痛のふりをさせ、薬を処方してもらい、医院を後にした。
「お父さん、お酒飲んだ?」建物の外に出た後で、渉が言いづらそうに言ってきた。
 渉から腹痛が治まったと聞き、ほっとしたこともあり、待合所で小瓶を舐めたのを、見られていたのだ。「もし、渉の腹痛が続いたら、俺はきっとショックのあまり、たくさんの酒を飲んだだろう。そう考えれば、少し舌を湿らす程度は大した問題にはならない」と内心で言い聞かせ、ポケットから取り出した小瓶のふたを開け、診察を待つほかの患者たちに見えぬように壁側に身体を捻ると、その口を舌でいた。小瓶の中には、安いブランデーを入れてある。警備員の仕事をしている最中にも口にできるように、と常に携帯していたのだ。木村の頭の中では、「アレルギー性鼻炎の人間が、仕事に支障をきたすから、とスプレー薬を使うのと同じだ。酒が切れて、集中力が乱れ、警備が雑になったら問題ではないか。指が震えて、懐中電灯を落としてしまっては困るではないか。つまり、これは、持病に対する、必要な予防処置だ。仕事を遂行するための酒だ」という理屈ができあがっていた。
「渉、ブランデーは蒸留酒って言ってな、蒸留酒ってのは、メソポタミア文明の時から造られてるんだぞ」
 渉はもちろん、そう言われたところで理解はできない。また父親の言い訳がはじまったぞ、と思っているようだったが、メソ、ポタポタ、とその音を楽しむようにした。
「蒸留酒をフランス語ではオードビーって言うんだ。どういう意味か分かるか。生命の水だ。命の水だよ、命の水」木村は言いながら、自らあんする。そうなのだ、小瓶のブランデーを口に含むことは、命を救うことにほかならない。
「でも、病院の先生、お父さんがお酒臭いから、驚いてたね」
「マスクしてただろ、あの医者」


紹介した書籍

関連書籍

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2022年7月号

6月25日 発売

ダ・ヴィンチ

最新号
2022年8月号

7月6日 発売

怪と幽

最新号
Vol.010

4月25日 発売

ランキング

書籍週間ランキング

1

六人の嘘つきな大学生

著者 浅倉秋成

2

メンタル強め美女白川さん3

著者 獅子

3

黒牢城

著者 米澤穂信

4

メンタル強め美女白川さん

著者 獅子

5

夜は猫といっしょ 3

著者 キュルZ

6

メンタル強め美女白川さん2

著者 獅子

2022年6月26日 - 7月3日 紀伊國屋書店調べ

もっとみる

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP