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試し読み

いたるところで嫌なものの気配がするんだ。「まさかの結末」が待ち受ける心霊探偵小説! 有栖川有栖『濱地健三郎の呪える事件簿』「呪わしい波」試し読み#3

残暑を吹き飛ばす「心霊の謎」、読んでいきませんか?
「怪と幽」で絶賛連載中の、有栖川有栖さんによる「濱地健三郎シリーズ」。その最新刊の『濱地健三郎の呪える事件簿』から期間限定で「リモート怪異」「呪わしい波」の2話を配信いたします!

呪わしい波(後編)

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 濱地健三郎が目の前にいる。
 仕立てのいいスーツに身を包み、髪はオールバック。紳士然としていて、背筋がまっすぐで美しい立ち姿だ。五十歳で通りそうだが、並はずれて貫禄と落ち着きがある四十歳前の人間に見えなくもなかった。
 年齢など、どうでもよい。実在していたことに驚いた。店先で静かに差し出された名刺は、心霊探偵という肩書を含めて亘輝の手元にあるものとまったく同じだ。違っているのは、紙の白色が黄ばんでおらず、右下の隅が折れていないこと。
 一緒にやってきた助手の女性からも名刺を受け取った。志摩ユリエとある。こちらは二十代の前半もしくは半ば。未妃よりいくらか若い。シックなスーツ姿は、オフィス街でよく見掛けるいでたちで、怪しげなところはない。髪はくすんだ茶色。瞳がいきいきしているので、マスクをはずした顔が見たくなる。
 だが、心霊探偵などというものが職業として成立するとは信じがたいし、人を騙そうとする人間はまっとうな態度と外見で接してくるだろう。心を許すのは早い。
「どうぞ、お掛けください」
 未妃が来客用の椅子を勧め、お茶を淹れるために引っ込んだ。向かい合って亘輝も腰を下ろし、ともかく足を運んでもらった礼を述べた。さすがに探偵本人を前にして、「娘が勝手に相談したんです。おれは頼んじゃいないからね」と仏頂面をするのは憚られる。
 濱地にさりげなく観察されているのを感じる。やつれ具合から何か診断を下そうとしているのか。いくら鏡を覗きこんでも、頰が削げるほどやつれている、という自覚が亘輝にはないのだが。
「未妃さんからお話は伺っています。苑田さんご自身とお目にかかって確信しました。ご相談いただいて、よかった」
 よく響く声で探偵は言った。どういうことか、と亘輝は説明を求める。
「霊的な力の干渉を受けています。おつらいのでは?」
 はったり臭くて、素直に聞けない。
「濱地さん。娘からお聞きになっていないかな。わたしは、霊だの呪いだのというのをこれっぽっちも信じていないんです。ああいうのは、信じていればこそ暗示が効くんだと思いますよ」
 未妃が冷えた緑茶を運んできて、少し離れたところで商品の籐椅子に座った。
「お疑いになるのは当然です。わたしは、このお店に入るなりよくない力を感知しました。その発生源を取り除いたら、苑田さんを悩ませている金縛りに似た現象は噓のようにさっぱりと消えるでしょう。いや、消えます。試させてください」
 言っている内容はまったく非科学的だが、口調にも態度にも自信が満ちているので、理屈抜きの説得力を感じてしまう。濱地という男、ペテン師だとしたら相当に腕が立つ。
「……どうしたものでしょうね」
 亘輝は腕組みをして唸った。心霊探偵が何をしようとしているのか興味が湧いたが、オカルト紛いのことをあっさり受け容れるのは気が進まない。
「先生、もう判ったんですか?」
 助手が探偵に小声で訊いた。打ち合わせどおりの下手な芝居をしているようには見えない。
「志摩君は感じないかな?」
「正直に言うと──はい。気になっているものはあるんですけれど」
「何だい?」
 志摩ユリエは上体を捻って斜め後ろを向き、ある品を指差した。
「あれって船簞笥ですよね。浮力があるので、船が難破しても捉まっていたら海に浮いていられる簞笥」
 思わず「ほお、よく知っていますね」と言った。
「佐渡島に旅行した時、博物館で観たんです。あれに抱きついて漂流したらどんな感じだろう、と想像したので覚えていました。未妃さんからお聞きしたところによると、苑田さんの金縛りがひどくなったのは海のイメージが現われてからでしたね。真っ暗な海を漂うような感覚も経験なさっています。このお店に入るなり船簞笥があったので、ぎくっとしました」
 その見立ては浅薄だ。亘輝は諭すように言う。
「わたしは船簞笥に取りすがって漂ったりしていませんよ。闇の中で冷たい水らしきものに浸っているだけで、まわりは全然見えていない。海かどうかも判らないんだ」
「あっ、そうなんですか? 波が寄せてくる、という表現をなさっていたとも聞いたんですけれど」
「そんな感じがしたこともありますが、今となってはよく判りません」
「波の音がしたそうですが」
「潮騒に似ていたけれど……どうだったかな」
 昨夜も闇の中に引きずりこまれ、身の毛がよだつ思いをした。その只中で音はしていなかったのだが──無音でありながら波の気配がした気もする。何かが揺蕩っていた。
 戦慄を伴う縛めが解けた後、布団の上で体を起こして自分に言い聞かせようとした。金縛りが激しくなったのは、やはりストレスのせいだ。コロナ禍に動じないでいるつもりだが、無意識のうちに恐れているのではないか。感染拡大の第二波、第三波といった言葉をニュースで見たり聞いたりしていることが影響して、波のイメージに苛まれているのかもしれない、と。
 残念ながら、こじつけとしても無理がありすぎて、自分でも納得しかねた。金縛りに意味を探っても仕方がないのだろう。
 助手は、また振り返って船簞笥を見やる。
「だけど、どうも気になるんです、あれが。──先生はどう思いますか?」
 彼女はさっきから上司を「先生」と呼んでいる。政治家や弁護士だけでなく、探偵のボスも先生なのか、と亘輝はどうでもいいことを思った。
 濱地は助手にも穏やかに答える。
「見立て違いだね。あれじゃない。きみは船簞笥というものをたまたま知っていたので、空想が自由に広がりすぎたらしい。──苑田さん、あの簞笥はいつからここにあるんですか?」
「かれこれ五年ほどですか。数寄者のコレクターから買い入れた品です。ご興味を示した方は何人かいますが、安いものではありませんから、まだ店先を飾っています」
 濱地は頷き、助手に顔を向けた。
「不正解だ。船簞笥は忘れよう。他に気になった品はないかな?」
「先生は……あるんですか?」
 亘輝は文句をつけたくなった。自分が何かに祟られているように決めつけられた上、商品にまでケチをつけられては面白くない。だが、濱地が先に口を開いた。
「ご主人。あなたはご自分がどんな目に遭っているのか理解していない。わたしがご説明しましょう。とことん常識はずれな与太話に聞こえるかもしれませんが、わたしが正しいことは結果で証明します」
 この二人を店の中に迎え入れてしまったのだ。とりあえず聞かせてもらうことにした。
「カンナギ開発がこちらの土地を執拗に欲しがっているそうですね。その理由が何なのか、わたしには見当がつきます。あの会社のオーナー社長は、ある種の占いを経営の拠り所としているんです。我流の風水を発展させた珍妙な占いで、特に方位にこだわる。彼にとって、こちらは霊的な見地からどうしても手に入れたい最上級の物件なのでしょう」
 いきなり突飛な話になった。
「まさかそんな理由だとは。わたしに思いつくわけがない。しかし、それは濱地さんの想像ですね?」
「根拠のある推測です。わたしは、過去にその社長が特異な経営方針から起こしたトラブルを解決したことがあるんですよ。だから知っている。あれはなかなかの奇人だ」
 濱地の話を鵜吞みにするのはためらわれるが、続きを聞くことにする。
「ひどくワンマンな社長だから、その命令とあれば部下は理不尽なものであっても従わざるを得ない。ご主人にとってはまことに迷惑千万な話です。彼らはそれなりの条件を提示したそうですが、いくら粘り強く交渉しても所有者に売却の意思がなければお手上げだ。正攻法では手詰まりとなって、非常手段に訴えたんですよ」
 それは何だ、と前のめりになったところで、探偵は人差し指を立てる。
「その手段についてお話しする前に、一つ確認していただきたいことがあります。──志摩君、絵を」
 助手は「はい」と応え、携えてきていたトートバッグから何やら取り出す。スケッチブックだった。
「この女性に見覚えはありませんか?」
 彼女が開いて見せたのは、鉛筆で描かれた女性の顔。四、五十代だろうか。マスクをした女としていない女。いや、同一人物らしい。ご丁寧にマスクをした顔としていない顔を並べて描いてあるのだ。
「目元に特徴がある女性です。いかがでしょう? 志摩君は似顔絵の達人なんです。この絵も本人の個性をよく捉えて、うまく描けていると思うのですが」
 濱地に促されて熟視した。知り合いではないが、最近どこかで会った気がする。出歩く機会がめっきり減っているから、対面した人間はいたって少ない。記憶のページをめくっていくと、すぐに答えが見つかった。
「お客さんの中に、この絵とよく似た人がいらっしゃいます。常連さんではなく、通りすがりに二度ばかり来店して、ちょっとした買い物をしてくださいましたよ」
「いつ頃ですか?」
「最初の来店は三週間ほど前。二回目は一週間前」
「半月の間隔を置いて二回か。なるほど。──そのお客さんに変わった様子はありませんでしたか?」
「いえ、別に。お声を掛けて少し話しました。あの船簞笥のことなどを。いたってありふれた店主とお客さんの会話で、おかしな点はありませんでしたよ」
「ふぅん。ご主人と話して、ちょっとした買い物をしただけですか」
「数千円のものをお買い上げでした」
「商品をいじり、さりげなく場所を変えたりは?」
「いいえ。そんな無作法なお客さんではありません。通りすがりにうちに入ってきたんですから、ただの古道具好きでしょう。店の空気を吸って楽しんでるようでした」
「空気を吸うというと、文字どおり深呼吸をした?」
「やっていましたね。古いものの匂いは嫌う人もいます」スケッチブックの似顔絵を指して「この人はその反対で、お好きなんでしょう」
 濱地の質問を遮り、亘輝から尋ねなくてはならないことがあった。
「そんなことよりも、どうしてあのお客さんの似顔絵を事前に用意できたんですか? 志摩さんのバッグから急に出てきたのでびっくりしました。手品を見せられているみたいだ」
「不思議ですか?」
「そりゃそうですよ。こういうお客さんがいらしたことを、わたしは娘にも話していない。どこといって変わった様子もないお客さんでしたからね。娘に話していないのだから濱地さんに伝わっているわけがない」
「種明かしをすれば何でもない。わたしはこの女性を知っているんです。一度見掛けただけで、話したことはないのですが」
 カンナギ開発の社長と親密そうに話していたという。
「その人は何者なんです? うちの立ち退き交渉にも関わっているんですか?」
「素性について、まだ確かなことは摑めていません。わざわざ調べてもいないんですが、カンナギ開発の社長と親しいこと以外に、彼女について判っていることが一つあります。某ホテルのティーラウンジで社長と別れた彼女が大通りに出て、歩き去るのを見送っていて気づきました」
 人の流れの中で彼女は立ち止まり、顔を上げた。視線の先にあるのは何の変哲もない歩道橋。わざわざ目をやる理由がないように思えたのだが──。
「わたしはホテルのラウンジの窓際の席から見ていたんです。どうして歩道橋が気になるのだろう、と目をやったら、手摺に寄りかかって立っている人がいた。生きていない人間でした。手っ取り早く幽霊と言っておきましょうか」
「……昼日中のことですか?」
「幽霊は夜中に出るわけではなく、いつどこにでも出没します。白昼の街中に現われ、歩道橋の上で佇んでいることもある。その時の状況からして、彼女がそれを目撃したことに疑いはありません。顔を向けた先には、他に注意を惹くようなものはまったくありませんでした」
 歩道橋の上にいたのは、ただの人間だったのではないか、などと突っ込んで話の腰を折るのは控えた。
「要するに、こういうことですか。濱地さんには特殊な能力があるから幽霊が視えた。同じものが視えるこの女性にも特殊な能力がある」
「おっしゃるとおりです。わたしは彼女の名前も知らないのですが、霊的な能力の持ち主であることは間違いない。カンナギ開発の社長がその女性と懇意にしているのは、アドバイザーとして協力を得るためでしょう。というのも憶測ですが、お宅にその証拠がある。いくつも、ある」
「女性のアドバイスに従って、わたしに幽霊を嗾けている、とでも?」
 薄笑いを浮かべてしまった。気分を害するようでもなく、濱地も目を細めて笑っている。子供じみた冗談に付き合わされていたのか、と馬鹿らしくなり、知らぬ間に声を上げて笑っていた。探偵は笑顔のまま言う。
「正解ですよ、ご主人。あなたのもとには、次々によからぬものが集まってきている。古物商というご商売に付け込んだ怪しからぬ行為で、実に悪辣かつ卑劣です」
 濱地はまっすぐ亘輝を見据えている。もう笑みはどこにもなかった。
「よからぬものが集まってきている……。商売に付け込んで……。つまり、わたしが買い入れた品に原因があるということですか?」
「はい。巷間に伝わっている安手の怪談のようでお認めになりにくいでしょうが、作り手やら持ち主やらの念がこもったモノというのは実在し、周囲に影響を及ぼすことがあります。稀にしか存在しないし、その力もたいていはごく小さいのですが、軽く見てはいけない場合もあります。そういったモノが集まると、個々の力が増幅される。漣がぶつかり、大きな波になっていくのと同じです。苑田さんの場合、意識レベルが低下する入眠時に波長が合ってしまうのでしょう」
 まさか、と言いかけて口を噤んだ。濱地はものの喩えとして挙げたのだろうが、波という一語にリアリティを感じたからだ。じわじわと押し寄せてきた恐怖にぴたりと合う。あれは、こちらの意識が引き始めた時に満ちてきた。
「目的はご主人の精神を追い込むこと。判断力を低下させて契約を結ばせようとしたんです。それでも首尾よく行かない時は霊能者の女性が舞台に出てきて、除霊の成功報酬に土地の売却を提案してきたかもしれませんよ」
「除霊って……自作自演か」
 人を虚仮にするにもほどがある。
「よからぬモノを取り除けば、ご主人はもう苦しむことはなくなる。さっそく取り掛かりましょう。まずは店内に陳列された品から」濱地は席を立つ。「最初は、これ」
 探偵が手にしたのは、仕入れて間もない鏡だった。未妃が、はっとした顔になる。
「次に、この置時計。真鍮製のフレームがよい加減に古びていて、味わい深い品ですけれどね。──あれもいけない。とてもよくない。そちらの和額に入った掛け軸」
 日向榧製の将棋盤、蓬萊山が描かれた墨絵を指差してから、濱地は助手に問う。
「他にもあるんだが、判るかな?」
 志摩は「あれですか?」と真っ赤なケトルを指した。
「おお、ちゃんと見抜けている。そう、あれもここに置いたままにはできない」探偵は亘輝に向き直る。「在庫も見せていただけますか? 放置できないものが奥にあるのを感じます」
 言われるまま倉庫にしている部屋に通すと、修理してから店に出すつもりだった熊のぬいぐるみやら卓上用の灯油ランプやら四点を濱地は選んだ。店頭にあったものと合わせると九点。
「驚きました」
 またもや手品を見せられた気分だった。濱地が選んだ九つの品には共通点がある。どれもカンナギ開発からの土地購入話が始まってから仕入れたものなのだ。店頭と倉庫を合わせると在庫は優に千点を超すのだから、偶然ではない。
「インターネットを通して仕入れたもの、店頭に持ち込まれたもの。ルートは違っても、これらは彼らがご主人に買い取らせた品々です。そのためのアカウントを作り、人を手配して、売りつけたのですよ。これだけのモノを揃えるのは簡単ではない。似顔絵の女性がコーディネイトしたと思われます。この店にやってきたのは、自分の工作がどの程度の効果を発揮しているかチェックするためでしょう。彼女は、古いものの匂いが好きで深呼吸していたわけではありません。自分が狙ったとおりの状態になっているかどうか、波長を調べていたのですよ」
 邪気がどれだけ溜まってきているのかを調べて、どんな品を追加で送りつければよいかを確かめにきていたのか。亘輝は啞然とするしかなかった。
「最近、ご商売は順調でいらしたそうですね。多分、それも彼らの仕業ですよ。売り上げが振るわないと資金が減り、ご主人が買い取りを渋りかねませんからね」
 敵の掌の上で転がされていたと思うと業腹で、「畜生!」と声に出していた。
「腹が立つのも当然です」濱地は言う。「お怒りになるのは、少し元気が戻ったからですよ。この品々を彼らのところへ送りつけてやるのも一興ですが、またよそで悪さに使われるのもよろしくない。わたしがひとまずお預かりしましょう。そのために車できました」
「これらを一度に運んで大丈夫なんですか?」
 亘輝の後ろから様子を見ていた未妃が訊く。濱地と志摩の車が事故にでも遭わないか案じているのだ。
「これしきの力なら滅失させられます。餅は餅屋ということで、お任せを。無害にしてからご返却することもできますが、あまりお勧めしません。ご主人の目に触れるだけでフラッシュバックが起きるかもしれませんから」
 濱地は段取りを考えてきていた。よからぬ力を有するとはいえ、それらは商品であり、亘輝の財産だから処分するにも彼の納得と了解が要る。そこで、該当する九つの品を排除したことで異様な金縛りが起きなくなったのを確かめてもらってから、しかるべき方法で始末するという。亘輝に異論はなかった。
 今後、カンナギ開発にどう対応するかについても探偵は助言を授けてくれる。
「彼らが送り込んだ品が店頭からなくなっていれば、ご主人を精神的にまいらせて土地の売却に持ち込む作戦が失敗したことを知るでしょう。それでも手を引かず、新たな非常手段に出てくるとは考えにくいんですが、その可能性を潰すために脅してやってください。しつこくすると、あんたらの贈り物が力の向きを変えて、社長が困ったことになるぞ、とでも言えばいい。あなたの後ろには、より強力な霊能力者がいると知って、諦めるはずです。『あんたら、同じ手口はよそでも使えなくなった。下手なことをしていると、自分が呪われるぞ』などと言ってやるのもいいかな。万が一、またおかしなことが起きたら、わたしが対処します」
 まだ何も確かめていない。今夜の様子によって判断するべきところだが、亘輝は目の前の霧が晴れたような気がしていた。信じがたい話なのに、ひどく混乱していた事態がきれいに片づいた感触がある。
「災難でしたね。でも、終わりましたよ。今夜、判るはずです」
 志摩が言うと、亘輝より先に未妃が頭を下げた。もう解決した、と直感しているようだ。
「ありがとうございます。本当に父にとって災難でした」
 濱地は硬い声になって言う。
「災難と言うと風呂場で滑って転んだみたいですが、そうではありません。これは明らかに犯罪です。極めて特異な犯罪。ですが、法律は呪いだの祟りだのを認めていませんから、刑事罰には問えないのがもどかしい。こんな邪なことを思いつく人間が、いつか痛い目に遭うのを望みます。火遊びをしていて火傷する子供のようにね」
 苑田父娘が手伝おうとするのを断わり、探偵と助手は二人だけで荷物を車へと運んだ。

 三日後。
 未妃が実家を訪ねると、〈雑宝堂〉は何事もなかったかのように営業中で、亘輝はレジカウンター内でせっせと絵皿を拭いていた。予告抜きの娘の訪問に、「おう」と軽く驚いた顔をする。
「もう大丈夫だって電話で言っただろう。何回もこなくていいよ。ガソリン代だって馬鹿にならない」
 声に張りが戻っていた。血色もいい。電話だけでは安心できなかった。
「すぐ帰る。ついでに寄っただけ」
「噓つけ。何のついでだ。──濱地さんも電話をくれたよ。昨日も一昨日も。何事もなく夜はぐっすり眠れている、と答えた。例のやばいモノは処分してもらうことにした。寺で供養してから焚き上げるのかな。説明が面倒なのか、くわしいことは教えてくれなかった」
「そう」
 作業の手を止めて言う。
「冷たいお茶がいいか? おれは熱いコーヒーを淹れようかと思っていたんだが」
「コーヒーを飲んだら帰る。わたしが……いや、たまにはお父さんに淹れてもらおうかな。ホットでいい」
 お客がやってくる気配もない店先でコーヒーを飲んだ。カップは質感が気に入って、亘輝が売り物にしなかった益子焼で、厚手なので重い。
「よくがんばったね」
 娘の言葉に、父は頷かない。
「濱地さんが最後に言っていたな。よからぬ力もあれば、それを打ち消す力もあるらしい」
「言ってたね。わたしもお父さんと同じことを考えてる。ぎりぎりのところでお母さんが悪い力を防いでくれたんだろうな、と思う」
 短い会話で充分だった。二人は黙ってコーヒーを味わっていたが、亘輝が思い出したように言う。
「濱地さんと電話で話して、請求書はこっちに送ってもらうことにしたからな。あの人、『謝礼は無用です』なんて言うから慌てたよ。それじゃこっちの気が済まないからな」
「どうして謝礼を断わろうとしたんだろう? 完璧に依頼に応えてくれたのに」
「『悪徳業者とグルで、この謝礼が目的だったと思われたくないので』と言っていた。『そんな回りくどい詐欺があるわけないでしょう』と笑ったら、『今回の一件でお判りになったでしょう。世の中には奇妙な犯罪もあるんです』だとさ。面白い人だな。最後には請求してもらうことになった。──ありがとうな。助かった」
 父は家族に対して感謝を口にするのを苦手にしていた。礼を言うのは珍しい。
「わたしは濱地さんに相談の電話をしただけ。あんなものが出てくるなんて、古道具屋をやっていたおかげよね」
「あんなものがな」
 注文に応じて発送しようとしていた状差しの隙間に、紙切れが一枚挟まっていた。何かと取ってみれば名刺だ。心霊探偵・濱地健三郎とあり、事務所の住所と電話番号──ふざけた語呂合わせになっている──も記されていた。ドラマや芝居の小道具か、さもなくば冗談グッズだろう、と思いつつも気になり、カウンターに置いたまま忘れていた。
 それを未妃が目に留め、藁にもすがる思いで電話をしたおかげで救われた。不運も幸運も、どこに潜んでいるか判ったものではない。
 カンナギ開発に対して濱地のアドバイスに沿った脅しをぶつけたところ、昨日になって「残念です」と言ってきた。計画を断念させることに成功したようだ。
「『事情を知ったうちの先生が怒ってた。あんたら気をつけろよ』と言ったのが効いたらしい。はは、『うちの先生』っていうのがなんか恐ろしげだろ。女霊能者と相談して、何だかよく判らないが面倒なことになりそうだ、と思ったかもしれない。呪いのアドバイザーか。世の中には奇妙な犯罪の手助けをする奇妙な仕事があるもんだ」
「もう悪さをやめてくれたらいいけど……よそで同じことをやるかも」
「相手が古道具屋でないとできないぞ」
「よくない力を利用した別の手口を考えたりしそう」
 娘の懸念を父は打ち消す。
「もしそんなことになったら、濱地さんが奇妙な方法で知って駆けつけるんじゃないのかな。あの人の名刺がどこかからひょっこり出てきたりして、困っている人間が助けを求めるとか。──そう思わないか?」
 未妃は頷き、「おいしかった」とカップを静かに置いた。

ここから読んでも楽しめるシリーズ最新刊! 過去最大のピンチで謎解きをする『濱地健三郎の呪える事件簿』、ぜひお手に取ってみてください!
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作品紹介

濱地健三郎の呪える事件簿
著者 :有栖川有栖
発売日:2022年09月30日

江神二郎、火村英生に続く、異才の探偵。大人気心霊探偵シリーズ最新刊!
探偵・濱地健三郎には鋭い推理力だけでなく、幽霊を視る能力がある。彼の事務所には、奇妙な現象に悩む依頼人のみならず、警視庁捜査一課の刑事も秘かに足を運ぶほどだ。リモート飲み会で現れた、他の人には視えない「小さな手」の正体。廃屋で手招きする「頭と手首のない霊」に隠された真実。歴史家志望の美男子を襲った心霊は、古い邸宅のどこに巣食っていたのか。濱地と助手のコンビが、6つの驚くべき謎を解き明かしていく――。


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