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試し読み

【キャンペーン実施中】「何かいる」と震える少年が見たものは。 ミステリーの名手、有栖川有栖が贈る「まさかの結末」! 大人気心霊探偵小説「濱地健三郎シリーズ」より「霧氷館の亡霊」特別試し読み!#2

ミステリーの名手、有栖川有栖さんが贈る大人気心霊探偵小説「濱地健三郎シリーズ」。
第3弾の『濱地健三郎の呪える事件簿』の発売を記念して、シリーズ既刊から特に反響の大きかった「あの日を境に」「霧氷館の亡霊」「浴槽の花婿」の3作を期間限定で配信します。
試し読み第2弾は『濱地健三郎の霊なる事件簿』 (角川文庫) より「霧氷館の亡霊」。ぜひ読んでみて下さい!

サイン本プレゼントキャンペーン実施中‼

これを記念して10月11日(火)より、Twitterで感想を投稿くださった方を対象に、シリーズ1作目のサイン本プレゼントキャンペーンを実施中です!
(応募要項は記事末尾をご覧ください)

「霧氷館の亡霊」#2

 石造りを模した三階建ての屋敷は、雪景色の中で異彩を放っていた。そぞろ歩いているうちに何も知らずに門の前にやってきたら驚いただろう。左右対称で、正面中央にとがった破風が一つ。切妻屋根のこうばいが急なのは、雪が積もりにくくするために違いない。どの窓からもえん色のカーテンがのぞき、どれも整然と同じ形で巻き上げられていた。庭木の枝には樹氷がつき、白い花で覆われているように見えなくもない。
 吹き抜けに王冠形のシャンデリアがぶら下がった玄関ホールに通されると、色白のほっそりとした女に迎えられる。ひと声聞いただけで妻の楚乃子だと知れた。昂輔より三つ年下と聞いたが、見た目はさらに若々しい。まゆは八の字の形のままで、わたしは困っています、とアピールしているかのようだ。
「あちらのお部屋を暖めてあります。さ、どうぞ」
 応接室に通される前に、濱地は玄関ホールの真ん中に立って神経を霊的なものに向けて集中させてみた。かすかに感じるものがあるが、確信を持つには至らない。館内をじっくり調べて回る必要がある。
 ふと二階に目をやった時、昂太らしき男児と目が合うや、小さな影はすっと奥に引っ込んだ。楚乃子が「失礼しました」とびる。
「あとできちんとごあいさつをさせます」
「わたしがくることは話してあるんですか?」
「はい。目に視えないものについて調査してくださる専門家の先生がいらっしゃる、とだけ」
 そのあたりが妥当な説明だろう。いつもならこれから下校時間で杜が車で迎えにいくのだが、インフルエンザが流行して昨日から学級閉鎖になっているという。
「家より学校にいる方が落ち着くみたいで、本人はお休みになったことを嫌がっています。以前でしたら喜んで大はしゃぎしたはずなのに」
 応接室のソファに着くと、楚乃子はしおれた声で嘆いた。建物はそれなりに古びてきていたが、誰のセンスによるのか内装や調度の趣味はとてもよく、この部屋はアール・ヌーヴォー調にくねったブラケットが洒落ている。
 本題に入ろうとしたところでドアが開き、髪の長い女がコーヒーを運んできた。昂輔が「妹です」とだけ紹介する。兄とはかなり年齢が離れているようだ。彼女は話に加わることはなく、トレイを胸に抱いて一礼すると、さっさと退室した。
 昂太のただならぬ様子について、濱地は質問を繰り出しながら詳細を聴き取っていく。三ヵ月ほど前のある日、夕食の最中に「ダイニングに何かいるよ」と言いだしたのが始まりだった。その後、ダイニングだけでなく廊下や階段でも「いる」と騒ぎ立てるようになり、半月ほど前からは不眠に陥っていた。授業中に安心しきって眠り込んでしまうものだから、担任の教師からも心配されている。
「具体的に何がいるのかについては話しません。『何なのか判らないけれど、うろうろしている』のだそうです。子供はそんなことを言いがちなんでしょうか?」
「お話を聞いただけではコメントできません。これまではそういうことは言わないお子さんだったんですね?」
 夫婦は同時にうなずき、夫が言う。
「小学生に使う表現ではないかもしれませんが、息子はわたしに似てリアリストだと思っていました。まさか幽霊の影みたいなものに怯えるとは」
 昂太に異変が生じた時期に義母の死以外にとりたてて変わった出来事がなかったことを確かめてから、濱地はこの霧氷館の同居人たちについて尋ねる。質問の意図を訊き返すこともなく、昂輔が応じた。
 杜日出夫と知り合ったのは、昂輔が大学を中退して元学友らと起業し、インターネットを利用した学生アルバイト仲介業を始めた時のこと。時代の先端を行くベンチャー起業家気取りだったがほどなく行き詰まり、仲間たちの背信によって貧乏くじを引かされかけたところを杜の正義感と才覚に救われたのだという。その後、逆玉の輿こしに乗ったかつこうの昂輔とは反対に杜は転職先で大きなミスを犯して、路頭に迷いかける。それを知った昂輔が救いの手を差し伸べたのだ。居心地がよほどいいのか、杜はすっかり霧氷館に根が生えてしまい、ここでの暮らしは四年の長きにわたっている。
 昂輔絡みのもう一人の居候である等々力紗衣は、不幸な結婚の末、兄に泣きついてきたために住人に加わった。ひどい経験をしたらしく、楚乃子も同情を禁じ得なかったそうだ。准看護師の心得があり、高齢者との接し方がうまかったため、晩年の義母にとってもありがたい存在だったとか。
 まだ顔を見ていない間宮友奈も、困窮の挙げ句に霧氷館の門をくぐっている。彼女は、楚乃子の父親が愛人に産ませた子なのだが、生前の義母は優しく接していた。子供時代が不遇で淋しい目に遭ったことへのれんびんもあったようだが、友奈の温和で控えめな性格が気に入ったのだ。得意の英語力を活かした仕事を東京でしていた彼女は、ハードワークで心の健康が損なわれたために退職を余儀なくされ、それを知った義母が四年半前に霧氷館に呼び寄せた。現在はパソコンを使って在宅でビジネス文書の翻訳を請け負うとともに、家庭教師として昂太に英語を教えている。
 昂輔も楚乃子も、くる者は拒まずで非常に寛大だ。父母がのこしてくれた資産で悠々と暮らせることからくる余裕というものか。懐に飛び込んできた窮鳥たちを、それぞれの能力に応じて使用人として利用してきた節もあるが。
 杜日出夫、等々力紗衣、間宮友奈。外界で傷ついた三羽の小鳥が、ここで翼を休めている。そんな者たちが舞い込んできたせいで、九歳の子供には息苦しい空気が醸成され、幼い心に強いストレスを掛けたのではないか? 濱地はそんな可能性を考えたが、そういう事実があったとしても、体裁を優先して取り繕われそうに思えたので、昂輔と楚乃子にはたださなかった。代わりに別の質問をする。
「不安を訴え、寝つきが悪くなった以外に何かありますか? 理由のはっきりしない発熱や頭痛、悪寒といったものは?」
「今のところ、ないみたいです。──本人を連れて参りましょうか?」
 楚乃子が中腰になりながら言うので、濱地は「お願いします」と答えた。
 窓の外では雪が降り続け、世界をなおも白く上塗りしていく。この勢いのままならば、数日で館が埋まってしまいそうな気さえする。
「よく降るな」
 濱地に釣られて窓を見やった昂輔が、ぽつりと無感動につぶやいた。
 母親に連れてこられた少年は顔をこわらせていたので、緊張をほぐすために濱地は子供向けの笑み──笑顔のレパートリーは二十種類ほどある──を浮かべて「こんにちは」と迎える。か細い「こんにちは」が返ってきた。
 九歳にしては発育がよい方だろう。背が高いのと癖毛は父親譲りか。強情そうな目つきも昂輔に似て、れると大人に対してずけずけと遠慮のないことを言うのかもしれない。薄くて形のいい唇だけは母親から受け継いでいる。
「初めまして。わたしは濱地健三郎と言って、目には視えないものの研究や調査をしているんだ。昂太君だね? 三ヵ月ぐらい前から、この家の中に視えないものがいる気配を感じるそうだけれど、くわしく話してもらえるかな? それがよくないものだったら、おじさんは消すこともできる」
「本当に?」
「本当さ。十年以上もそれを仕事にしている。──ほら」
 と言って〈心霊探偵〉の肩書がある名刺を差し出した。難しい漢字ばかりで読めないだろうが、少年は人生で初めて渡されたであろう名刺に珍しそうに見入る。
「この家の中を、何かがうろついているの?」
 問われて頷き、「うろうろしてる」と答える。
「それは人間? 動物みたいなもの?」
「判らないけど……人間ぐらいの大きさかな。多分」
「いつもいる?」
「ううん。たまに」
「どこで感じるのかな?」
「最初に気がついたのは、ご飯を食べている時。ダイニングによくいる。でも、廊下とか、階段とかにいたこともある」
「そいつは歩き回っているんだね。他に何かする?」
「歩いているのかどうかもはっきりしなくて……ただ動いてるみたい。じっとしているように感じることもある」
「こっそりときみを見ているような気配は?」
「あんまり……。でも、たまに……ちょっと見てるかも」
 昂輔は腕組みをしたままで、楚乃子はかたむような顔でやりとりを聞いている。
「学校やら家の外では現われないんだね。そいつが出る時間は決まっているの?」
「だから、晩ご飯を食べる時が多い。水曜日にもいた」
「昂太君たちがご飯を食べるのを、じーっと見ているのかな?」
「途中でいなくなる」
「途中って、どのへんで?」
「みんなが食べだして、少ししたぐらいで」
「ふうん」濱地は何事かを思案するポーズをとってから「気配がする時に、何か物音や声を聞いたり匂いがしたりすることはない?」
「ない」
「そいつが現われる前に、何か決まって起きることとかあるかな? 何かそいつと関係しているようなことがあれば話して」
「……特にない。ないと思う」
 僕の話を聞いて何か判った、と昂太の目が尋ねている。何も判明していないが、相手を安心させてやるために探偵はふむふむと頷いておいた。
「どこでそいつを感じたのか、場所を正確に教えてもらいたいな。まずダイニングに行こうか」
 遊びに誘う調子で促すと、昂太は素直に立った。そこで昂輔の携帯電話が鳴りだし、画面をいちべつした彼は「ちょっと失礼します」と部屋を出ていく。ビジネス上の大事な電話らしい。
 昂太に導かれて玄関ホール左手のダイニングに足を運んでみると、天井が高くて開放感たっぷりで、こちらも応接室に負けず趣味がよい。大きな窓からは樹氷をまとった庭の木立が鑑賞できる。冬場に限らず四季折々、目を楽しませてくれそうな窓だ。
 一脚だけ座面が高い椅子があったので、そこが昂太の定位置だということが判る。その背もたれに手を掛けて、濱地は問いかけた。
「さて、昂太君。ここに座って君が食事をしていたら、どうなったの?」
「変なのが、そのへんからこっちの方へ。ところどころで止まったりしながら」
 戸口のあたりから窓へと、視えないものの軌跡を手で示す。食事中の昂太の背後を通り過ぎたことになる。その時のことを思い出したのか、少年が苦い薬でも含んだように顔をしかめたので、母親が優しく頭をでた。
 このダイニングに原因があるのかと神経を研ぎ澄ましても、濱地は何も感知できない。まだ調査を開始したばかりなのだから焦ってはいけない、と自分に言い聞かす。
 ダイニングでの確認がすむと、昂太は玄関ホールに歩いていき、「あそこ」と階段の中ほどを指差した。ひと月ほど前、何もない空間に何かがいる気配が怖くて、半泣きで逃げ出したのだそうだ。
 その階段で二階に上がり、西へ延びる廊下でも彼は恐ろしいものに出くわしている。やはり目には視えない何かを感じて、足がすくんでしまったのだ。するとそれは、廊下の奥へとゆっくり去っていったという。
 昂太が疲れてきたようなので、「ありがとう」と礼を言って解放してやった。階下の自分の部屋へと戻っていく息子を見送ってから、楚乃子が「先生、いかがでしょうか?」と訊いてくる。
「出たり引っ込んだりする奴のようですね。調べるのに時間がかかるかもしれません」
 濱地のセンサーに触れるものはないのだが、逆にそれが引っ掛かる。そのものは外界からやってきた異物である探偵を警戒して、身を潜めているようにも思えるのだ。
「お電話でも申したとおり、滞在していただくつもりです。先生さえよろしければ、ぜひそうなさってください」
 館内をくまなく探査するだけで日が暮れるのは必定で、夕食をごそうになれば今日はここに泊まるしかなくなる。その用意もしてきていることだし、とりあえず一泊することになりそうだ。
 誰かが階段を上がってくる。縁なし眼鏡をかけた若い女で、これが間宮友奈なのだろう。暖かそうなウールの白いセーターにマキシ丈の茶色いスカート。濱地と目が合うと、二、三度せわしなくまばたきをして頭を下げた。生真面目で神経質な印象を受ける。濱地がくることは事前に聞いて知っていたようだ。
 昂太の日頃の様子や両親には見せない素顔について訊いてみたかったのだが、濱地の思ったようにはいかなかった。
「レッスンの時間ですけれど、どうしましょうか?」
「お願いします。気分転換にちょうどよさそう」
 というやりとりが交わされ、間宮は背筋を伸ばして昂太の部屋へと行ってしまった。紗衣や同居人たちからくわしい話を聞くのは後でもかまわない。
 楚乃子に館内を案内してもらうことにして、まずは廊下の奥の部屋を見せてもらう。南東の角にあたるそこは、楚乃子の亡き老親の寝室だった。遺品が整理されてがらんとし、きれいにメイクされた状態のベッドが二つ並んでいる以外には、壁の飾り棚にいくつかの品々が陳列されているだけである。
 ここが妖しいものの発生源ではないのか、と疑った濱地であったが、やはり感じるものがない。ないにもかかわらず、直感という名の針が小刻みに振れていた。
 飾り棚に仲よく並んだ二つの遺影を手に取ってみる。禿とくとうの夫は肉付きのいい巨漢で、しわの寄ったのどから野太い声を発していたのではないか。いかり肩で姿勢がよく、全身から活力を感じる。スーツ姿の夫に対して妻は深紫色のドレスをまとっていた。銀髪にも見えるきれいな白髪で笑顔はなく、眼光は突き刺さるほど鋭い。遺影にしては冷たい写りではあるが、娘時代のぼうとどめた故人のお気に入りの一枚だったのかもしれない。顔立ちはよく整い、心持ち斜めを向いているため頰のラインがきれいに出ている。
「父のしようへいと母のいそです」
 楚乃子によると二人は六歳違いで、享年はどちらも六十八だった。それぞれの人柄と家庭人としてどうであったかを、濱地は世間話めかして訊いてみる。
「仕事には厳しくて家族には優しい父でした。外ではどうもうひぐま、内では頼もしい森のクマさん。生まれたばかりの昂太を病床で抱き上げて、何度も頰ずりしていたのが忘れられません。ただ、女性についてはだらしなくて、母は苦労をしたはずです。外で子供を作っていたことについても、わたしが成人してから『一人ぐらいは仕方がない』とこぼしたことがあります」
「お母様は、しっかり者に見えます」
「父が亡くなった後は、財産の管理や運用をそつなくこなしていました。いや、それ以上でしょうか。家庭に押し込められた人生でしたけれど、男性に生まれていたら父に負けないやり手だったかもしれません」
「お母様よりお父様の方が幸せだった?」
「娘としてそんな比較はできませんし、するものでもないと思います」
「ごもっとも。失礼しました」
「いえ」と言ってから、楚乃子は母について語りだす。
「晩年、母は変わりました。父がいなくなってからは自分の楽しみに打ち込んだりのんびりしたりして欲しかったのに、重しが取れて活力が無駄に湧いてきたみたい。性格もきつくなったように感じました。人間って判らないものですね」
「家庭内の雰囲気も変化しましたか?」
 ここには濱地の耳しかないし、楚乃子は告白モードに入りかけている。案の定、磯江と昂輔の間に不協和音が生じていたことをらしてくれた。資産の運用について意見が対立したのが始まりで、次第に性格の食い違いが過剰に意識されるようになり、口論もたびたびあった。また、等々力紗衣のことはいいとして、杜日出夫のことを磯江は面白く思っていなかった。相談されてやむなく認めたものの、世話になったのだか何だか知らないが赤の他人を家に入れるな、と言いたかったのだろう。
「間宮友奈さんについては、どうだったんですか?」
「わたしは友奈さんが好きなので、彼女につらく当たるようなら困ってしまいましたが、幸いなことに関係は良好でした。友奈さんって生真面目で控えめな人で、言葉はよくないかもしれませんが従順なんです。母にすれば、よしよしでした。それだけではなく、生い立ちについても気に掛けていたようです。『あの子の母親には恨み言の一つもぶつけたいけれど、友奈ちゃん自身には責任がない』と。英語がたんのうなことにも感心していました」
「英語ができる人は評価が高かったんですか?」
「帰国子女でもないのに独学で習得したことへの評価です。『語学というのは時間をかけてこつこつと努力しないと身につかない。がんばり屋さんだ』というわけです」
「友奈さんが得意なのが英語でよかった。数学だったら『勘やひらめきがいいだけ』ですまされたかもしれません。──昂太君はたった一人のお孫さんですから、可愛がっていらしたのでしょうね」
「それはもう。目の中に入れても痛くない、というふうでした。でも、かまいすぎると『バアバは鬱陶しい』と嫌われかねないので、干渉しすぎないように注意していました」
「そんなお母様に対する皆さんの反応がどんなものだったのか、お聞かせ願えますか?」
 立ち入った質問も楚乃子は拒まない。
「母の機嫌を損ねないように、程度の差こそあれ気を遣っていらしたと思います。紗衣さんは細かいことにこだわらない大らかさがあるのでそれほどではなかったとして、杜さんと友奈さんは……」
「お母さまの顔色を窺っていた?」
「時には、そんな素振りが」
「であれば、お宅の中には常にある種の緊張感が漂っていたのではありませんか? それが昂太君の心理状態に無意識のうちに影響を及ぼしたとも考えられる」
 先ほど頭に浮かんだことをぶつけてみた。
「あの子が怖がっている目に視えないものの正体が、それということですか? 違うと思います。大人たちは息子の前ではごたごたを見せないようにしていますし、母親が決めつけるのもなんですが、昂太は周囲のことに鈍感な子です。まだ九つですし。家族以外の同居人が三人もいることについて、『世話を焼いてくれる大人がたくさんいて便利』ぐらいに受け止めているかと」
「昂太君のお母様がおっしゃるのなら、そうなのでしょう」
 ずっと両手に持っていた写真立てを、濱地はそっと元に戻した。
「ここは、もうよろしいですか? この隣が先生にお泊まりいただく部屋で、その向こうが順に杜さん、紗衣さん、友奈さんの寝室です」
 彼・彼女らの部屋を無断で覗かせてもらうわけにはいかないので、階下に下りてリビングや昂輔の仕事部屋を見せてもらうことにした。これだけの広さがある館なのに、人手が足りているせいかどこもよくせいとんされてきれいに保たれている。家具や調度については、もっぱら楚乃子の意向が反映されているのだそうだ。
「これだけは夫が選びました」
 彼女は、リビングの片隅の小テーブルに置かれたガラスシェードのアンティークなランプスタンドを指す。濱地は「ほお、これは」と歩み寄った。
「エミール・ガレ風ではなく、本物のガレですね?」
 錬鉄製の台の上に不透明なガラスの脚が伸び、きのこのように開いたかさの部分は、白い半透明のガラスに赤や緑が不規則に散らしてある。愛らしい中にどこか妖しさが漂うデザインだ。
「銀座のお店で見つけて、ひと目れしたんだそうです。美術品やこつとう品に興味がない人なのに、これだけは輝きが違う、と言って。こんな茸みたいなランプが部屋に合っているのかしら、と疑問なんですけれど」
「合っていますとも。ご主人の審美眼を見直すべきです。立派な霧氷館のリビングにふさわしい逸品をお買いになりました。アートには無縁の探偵が言っても説得力がないのは承知していますが」
「そんなことはありません。褒められたことを夫に言ったら喜ぶでしょう。──アートに無縁どころか、先生は何にでも精通なさっていそう」
「買いかぶられると戸惑います。そんなことよりも本業に集中しなくては」
 昂輔がパソコンを操作している仕事場に立ち寄ってから一階の西の端まで行くと、地下へと続く階段があった。かつての持ち主がワインの愛好家で、セラーにしていたのだ。若い頃からワイン好きだった昂輔は、地下にセラーがある館に住めるようになったことをいたく喜び、フランスの高級品に惜しみなく金を注いで、今ではすっかりワイン通を自負しているという。
 下りてみると、二千本は収蔵できるだけの棚は空いたスペースだらけだったが、それでも二百から三百ばかりのボトルが冷暗な空間で眠っている。ラベルを見たらどれもフランスワインだ。濱地が聞き耳を立てるポーズを取ると、楚乃子が不安げな顔になった。
「……先生には何かおかしな物音が聞こえているんですか?」
「ああ、いえ。ここでは美酒が寝息を立てているだけです。──奥様もワインはお好きですか?」
「残念ながら、わたしはアルコールをまるで受けつけない体質なもので、どうジュースばかりです」
「体質であれば仕方がありません」
「夫は、『ワインを味わえない人間は、人生で損をしている』と」
「異論を唱えたいですね。人生の楽しみは無数にあります。無数から一を引いても、依然として無数です」
「わたしもそう思います」
 ここで楚乃子は、初めて親しみのこもった笑みを浮かべた。
 地下のワインセラーも含めて霧氷館を隅から隅まで見て回り、一人で雪が降る庭に出て周辺も調べた濱地だが、日が暮れても得るものはなかった。

「霧氷館の亡霊」#3につづく

『濱地健三郎の呪える事件簿』発売記念!
「濱地健三郎シリーズ」1作目『濱地健三郎の霊なる事件簿』サイン本プレゼントキャンペーン



記事の感想をご投稿いただいた方の中から抽選で10名様に「濱地健三郎シリーズ」1作目『濱地健三郎の霊なる事件簿』サイン本をプレゼント!

【ご応募方法】
①KADOKAWA文芸編集部アカウント( @kadokawashoseki )をフォロー
②「#濱地健三郎の呪える事件簿発売記念」タグを付け、「濱地健三郎シリーズ」試し読みを読んだ感想&おすすめコメントをツイート
で応募完了!

【応募締め切り】
2022年11月7日(月)23:59ツイート分まで

キャンペーンの詳細はこちらをご覧ください。
https://kadobun.jp/news/campaign/entry-46840.html

ご応募お待ちしております!

作品紹介



濱地健三郎の呪える事件簿
著者 有栖川 有栖
定価: 1,925円(本体1,750円+税)
発売日:2022年09月30日

ここから読んでも楽しめる! 大人気心霊探偵小説第3弾!
探偵・濱地健三郎には鋭い推理力だけでなく、幽霊を視る能力がある。彼の事務所には、奇妙な現象に悩む依頼人のみならず、警視庁捜査一課の刑事も秘かに足を運ぶほどだ。リモート飲み会で現れた、他の人には視えない「小さな手」の正体。廃屋で手招きする「頭と手首のない霊」に隠された真実。歴史家志望の美男子を襲った心霊は、古い邸宅のどこに巣食っていたのか。濱地と助手のコンビが、6つの驚くべき謎を解き明かしていく――。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322104000334/
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