安楽死の闇と向き合う警察医療ミステリ、中山七里さんの『ドクター・デスの遺産 刑事犬養隼人』が、綾野剛さん、北川景子さんの共演で映画化。11月13日(金)の公開前に、原作小説の冒頭部分をお見せします。
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「その顔つきだと、何を命令されるか察しはついているようだな」
「女の相手も子供の相手も苦手なんですがね」
「心配するな、ちゃんと高千穂を補佐につけてやる」
補佐どころか足手纏いになる、という言葉が
「女房から黒い医者の連絡先を訊き出すことができれば、事件は一気に解決できるからな」
黒い医者は言い得て妙だと思った。〈白衣を着た死神〉よりは新聞のリードに採用されやすそうだ。
「それと憶測になるからあの場では言及しなかったが、小枝子が事件の二日前に引き出した二十万円の金額がどうにも気になる」
「殺人の報酬と考えてるんですか」
「生活費とも治療費とも金額が合わないのなら、その可能性は大だろう。ただ、それにしては少額過ぎるな。今どきたったの二十万円で殺人を請け負うヤツがいるとも思えない」
「同感ですね。依頼者に顔を見られている時点でリスクは高くなっている。二十万円では割の合わない仕事です」
「前金ということも考えられる」
つまり支給される死亡保険金の中から残額を支払うという方式だ。
「小枝子の資産調査継続を命じたのはそのためでしたか」
「死亡保険金の受取人には小枝子が指定されている。早晩保険会社から千五百万円が小枝子の口座に送金されるはずだ。そのカネの行方に注目していれば、何かしらの収穫はあるだろうさ」
邪魔者を排除したかったのか、それともカネ目的だったのか。
いずれにしても愉快な結末になるはずもなく、犬養は不機嫌になる。親族殺しやカネ目的の動機に
犬養にも病気療養中の娘がいる。離婚して別居した頃は疎遠だったが最近、ようやく
取調室の小枝子はひどく
「しかし馬籠さん。ご主人の遺体にはメスが入りましたが、傷口はきちんと修復されていたでしょう」
犬養の言葉は慰めにも何にもならなかった。
「そんなもの、他人の家に放火してから中に金目のものはなかったって言い訳するようなものじゃないですか」
小枝子は葬儀の時と同様に食ってかかる。
「せ、折角葬儀センターの方が
「そんなことはありません。我々は捜査する前段階で事件性があるものとないものとで区別していますから」
「主人は長患いの上に亡くなりました。それだけでもわたしや大地には
「その大地くんがあなたとは違う証言をしているからですよ。主治医の巻代医師が到着したのは十二時半頃。しかしその一時間ほど前に別の医師がご自宅を訪問している、と」
「それは大地の記憶違いです。父親が亡くなったショックで記憶が前後しているんです。第一、八歳の子供の言うことを警察は本気にするんですか」
「ほう、ではご近所も同じようにショックを受けて、記憶が前後しているのでしょうか。近隣の方も大地くんと同様の証言をしているんですよ」
「ご近所は所詮他人さまです。他人の家の出入りなんて正確に憶えてなんかいるもんですか。現にわたしはご近所で何が起きてもあまり関心が持てません。いえ、持っていない人が大半だと思いますよ」
夫ががんの闘病をしているので、預貯金を取り崩し続けなければならない。一方ひとり息子はまだ幼く、進学や養育費用を考えれば不安で仕方がない──小枝子の置かれた立場からすれば、近所の噂話や
「確かに人は他人に無関心なところがあります。しかし防犯カメラは対象物を区別しない。誰であろうと何が起きようと、一部始終を偏見なく記録する」
「防犯カメラ?」
「お宅には設置されていませんが、通りの並びにあるコンビニからお宅の方向を
話しながら、犬養は連続写真のコピーを小枝子の眼前に広げる。
「お宅とカメラとの距離は五十メートル以上あるのですが、最近のデジタル解析の能力はすごいでしょう。ワゴン車から白衣姿の男女が出て来る場面も克明に捉えている。二人がカメラの反対側を向いているので、人相が映っていないのは非常に残念ですがね」
実を言えば残念なことがもう一つある。設置されたカメラは斜め上から道路上を狙うアングルであったため、行き交うクルマの車種は確認できても、ナンバープレートまでは捉えきれなかったのだ。
「二十分後に彼らは家を出て、更に十二時半、今度は巻代医師が到着します。つまり防犯カメラの映像はご近所や大地くんの証言が正しいことを物語っているんです。そして司法解剖の結果ですが、ご主人の血液からは通常では有り得ない濃度のカリウムが検出されています」
犬養は反論の余地も与えないまま畳み掛けていく。対する小枝子は視線を机の上に固定して微動だにしない。
「高濃度の塩化カリウムは心筋にショックを与え、やがて心停止に至ります。これだと表面的には心不全の症状にしか見えない。あなたがあれほどまで解剖を拒んだ理由は、その事実が露見するのを怖れたからじゃありませんか。そう、あなたはご主人が最初の医師から何をされたか、全て知っていたんだ」
「違います」
ようやくこぼれた言葉がそれだった。しかし
「事件当日の二日前、あなたは取引銀行から二十万円を引き出している。その二十万円はどうしましたか。二十万円というのはご主人の殺害を依頼した際の前金ではなかったのですか」
「違います、あれは」
「大地くんは最初にやってきた医師と女性看護師のことを克明に憶えていました。子供だから記憶が
静かに上がった顔は恐怖と不安で彩られていた。
「理由はどうあれ、長年連れ添ってきたご主人を亡き者にした。あなたはその事実をずっと大地くんから隠し
大地の名前が出た途端、小枝子は細かく震え始めた。
犬養は禁じ手を使う。子供をダシにした説得。稚拙で古典的だが、母親には一番効果的だった。
「隠しておいた悲劇は災いの元になる。知ってしまった関係者の心など簡単にへし折るほどに。あなたは、将来大地くんの人生が捻じ曲がっても平気なのか」
単なる尋問手法としてではなく同じ子供を持つ親として、祈りにも似た問い掛けだった。たとえ世界の全てに背を向けても、己の子供にだけは正面から向き合う。それこそが親に課せられた最低限の義務だと信じているからだ。
感情が噴出したらしい小枝子は、一瞬笑ったかのように表情を崩すと、獣のような声を上げた。
「ぐわあああ、ぐわ、ぐわあああっ」
それが泣き声だと知るのに数秒を要した。いつまでも泣かれては取り調べが進まない。話を再開させようと身を乗り出したら、横にいた明日香から制止された。
まだしばらく放っておけ、と明日香の目が訴えていた。なるほどこれが女心を知れということか。
明日香のとりなしでしばらく見守っていると、徐々に小枝子の泣き声は小さくなり、やがて止んだ。
この短い時間で可能な限りの涙を搾ったのだろう。小枝子の目は真っ赤に
落ちた、と確信した。こういう目をした容疑者は、もう自分を縛るものがない。心情を吐露すればするほど楽になることを知る。
「あの日、巻代医師の前にもう一人の医師がやってきたんですね」
声をいくぶん落として
「そのお医者さまにお願いして、主人を楽にしてもらったんです」
「塩化カリウム製剤を注射したんですね」
「何というクスリだったのかは存じません。説明では、眠ったまま、苦痛を感じずに死ねるということでした」
「あなたはそれを間近で見ていたのですか」
「いいえ。看護師さんがカバンから注射器を取り出すと、大地を部屋から出してくれと言われたんです。わたしもその瞬間を見るのは忍びなかったので、大地と一緒に部屋を出たんです」
「その医師の名前を教えてください」
「ドクター・デス」
「何ですって」
思わず訊き返した。
「ドクター・デス……その呼び方しか、わたしは知らないんです」
(このつづきは本書でお楽しみください)
▼中山七里『ドクター・デスの遺産 刑事犬養隼人』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321809000206/
原作:刑事犬養隼人シリーズ
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▼映画『ドクター・デスの遺産-BLACK FILE-』公式サイト
https://wwws.warnerbros.co.jp/doctordeathmovie/