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試し読み

本格ミステリ大賞&推理作家協会賞Wノミネートの浅倉秋成最新作! 『六人の噓つきな大学生』試し読み④

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 僕らが案内されたのは前回の顔合わせのときに通されたガラス張りの会議室ではなく、白い壁に囲まれた比較的小規模な会議室だった。窓は一つもなく、しっかりと遮音もされている。おそらくガラス張りの会議室とは用途が違うのだろう。円形の大きな白いテーブルが一つと、その周囲を囲むように六つの白い椅子が置かれ、最も扉に近い席に緊張した様子の森久保くんが腰かけていた。簡単に挨拶をするとそれぞれ適当な席についていく。位置どりもひょっとしたら何かしら成否をわける重要なファクターになるのでは――そんな考えが一瞬だけ頭をよぎったが、さすがに考えすぎだろうと自分を落ち着かせた。
 席につくと深呼吸、ぐるりと周囲を見回してみる。
 病室のような味気のない空間に彩りを添えるように壁面にはいくつかの観葉植物が置かれ、そんな植物の茂みに隠れるようにして三脚に固定されたカメラが四つ設置されていた。ディスカッションの様子を録画するつもりなのだろう。ホワイトボードには数本のマーカーが用意されているが、それ以外にこれといった設備は何もない。
「今回のグループディスカッションのルールについては先日のメールでお伝えさせていただいたとおりですが、もう一度だけおさらいさせてもらいます」鴻上さんは一通りの挨拶を終えると、改めて選考方法についての説明を始めた。「時間は二時間三十分。私がこの部屋を出たらタイマーが動き出します。基本的に私をはじめとする人事部員は隣の会議室で皆さんの様子をモニターしていますが、強い余震や火災等の非常事態が発生しない限り、一切介入はいたしません。そして皆さん自身が、この会議室を出ることも禁じます。体調不良等でやむを得ず退出を希望される場合はそこの内線で041を押してください。人事部員の誰かが出ます。ただやはり――基本的に、制限時間内の途中退出は即不採用とお考えください。
 二時間三十分後――私がこの部屋に再び入室してきた際に皆さんに内定者の名前を尋ねますので、選出した内定者の名前を全員で、私に教えてください。二時間三十分が経過したのに皆さんの意見がまとまっていない場合――つまり、ばらばらの名前を皆さんが私に伝えた場合は、全員が不採用となります。ただし意見がまとまり内定者を選出できた場合には、当たり前ですが、内定者には内定を、選出されなかった人にはささやかですが、一律五万円の交通費を進呈いたします。今日までの選考におつき合いいただけたことに対する弊社からの感謝の気持ちだと思ってください。無論、一人を選びきれなかった場合は交通費もお渡しいたしません。
 選考方法は自由です。自分たちの考える最良の形で議論を進めて決めてください。この会議室さえ出なければ、お手持ちの携帯電話、スマートフォンで外部と連絡をとっていただいても構いませんし、必要とあればネットで調べものをしていただいても構いません。ルールはすべて皆さんで合議の上、自由に決定してください。ただ――ただし、です。あみだくじやジャンケンなど、運に任せるような選出方法をとることだけはご遠慮いただきたい。我々はしっかりとした議論の末に選ばれたお一人と仕事をしたいと考えています。
 カメラは合計で四台設置してあり、そのうちの三つは録画用ですでに回っています。少し高い位置に置いてあるあの一台だけは隣室でモニターするための監視用カメラになっています。一応、録画はさせていただきますが、あくまで資料として、あるいは万が一不法行為等が発生した場合の証拠映像としての撮影ですので、後日人事部で映像を精査した結果、皆さんが選んだ内定者はやはりスピラに相応しくないことが判明しました――というようなことは一切申し上げません。どうかご安心を」
 たぶん癖なのだろう。いつかも見たように鴻上さんは左手薬指の指輪を気にするように小さく手を動かすと、伝え忘れていることがないことを確信したように大きく頷いた。
「では五分後、私がこの部屋を退出したと同時にグループディスカッションを始めさせてもらいます。お手洗いに行かれる方は今のうちに」
 二時間半の拘束を考えると用は済ませておきたかった。全員が立ち上がりぞろぞろとトイレへと向かい始める。しかし僕の前に立っていた矢代さんが、なぜか扉の付近で立ち止まる。そして何かを探すように床に視線を這わせた。
「何か落とした?」
「いや……何でもない」
 矢代さんは僕とは目を合わさずに、トイレのほうへと消えていった。相当ナーバスになっているのだろう。これまで見てきた彼女とは明らかに別人だった。
 彼女の変化が気にならないわけではなかったが、今は何よりも自分のことが最優先だ。矢代さんもまた、今となってはライバルの一人なのだ。手に入れた内定をすべて辞退して今日の選考に臨んでいる身として、一切の油断は許されない。当たり前だが僕も緊張はしていた。しかし幸いにして見るものすべてがぼやけるような過度の動揺や混乱はなかった。
 全員がトイレから戻ると鴻上さんは改めて質問がないか尋ねる。誰の手も挙がらないことを確認するとやはり指輪を触り、
「では二時間三十分後にまた――幸運を」
 入室したときから開けっぱなしになっていた扉がガチャリと閉まると、想定していた以上に会議室内は静まりかえった。完全に外界と隔離され、僕ら六人だけが世界にとり残されたような感覚になる。
 すぐに忙しなく語り始めるには、二時間三十分という時間が与える印象は長大で、何より僕らは時間を惜しんで語り合わなければならないほど互いに対して無知でもなかった。そして自分がいかに内定を欲しているか、自分がいかに内定に相応しいかを開始早々饒舌に語りだすことが、最も周囲の評価を下げる悪手であることも容易に想像できていた。僕らは本当に扉が閉ざされたことを確かめ合うように意味もなく苦笑いを浮かべ、深呼吸をし、ゆっくりと、日曜日の朝食の準備でも始めるような速度で、グループディスカッションを開始した。
「さあ、どうしようか」
 最初に口を開いたのはもちろん九賀くんだった。
「最後に多数決をとって決めるのが一番オーソドックスなやり方だとは思うんだけど、何か他にアイデアがあれば」
「なら一つ提案があるんだけど、いいかな?」
 僕は用意していたアイデアを披露する。
「せっかく時間がたっぷり用意されているんだから、三十分ごとに投票するっていうのはどうだろう。今すぐに一回投票をして、そこからは三十分ごとにまた投票タイムを設ける――すると計六回の投票が行われることになる。それで得票数の合計が最も多かった人に内定を出すっていうのはどうだろう」
「どうしてそんなやり方を?」という袴田くんの質問を受け、
「自己アピールをするにしても、六人が同時には喋れない。するとどうしても最後に熱弁を振るった人が有利になってしまうような気がするんだ。最初の二時間までは絶対にこの人に投票しようって心に決めてたのに、最後の三十分に泣き落としをされて一時の感情で投票先を変えてしまう――っていう事態は、たぶん起こすべきじゃない。投票回数を多くして、より精度の高い多数決のシステムを構築するべきだと思う。それがたぶん最も――」
「『フェア』だ」と袴田くんが少しおどけた口調で割り込む。
 僕が笑って頷くと、笑顔は九賀くんにも伝播する。
「確かに『フェア』だ」と九賀くんはお墨つきを与えた上で、波多野の提案を採用しようと思うがどうだろうと皆に尋ねてくれる。
 嶌さんはすぐにとてもいいアイデアだと思うと笑顔で背中を押してくれた。森久保くんも矢代さんも積極的に――というほどではなかったが、悪くないんじゃないかと承認してくれた。
 僕はひとつ頷いた。
 複数回投票を提案したのは必ずしもこのやり方が最もフェアだと思うから――というだけの話ではなかった。ディスカッションに際して小さなアピールを少しでも積み上げておきたかったというのが、実のところとても大きい。たぶん会議を回すのは九賀くんの役割になるだろう。それでも袴田くんの言うところの『参謀』的なポジションを確固たるものとし、少しでも会議のイニシアチブを握って得点を稼がなければ、内定は摑めない。
 九賀くんはスマートフォンでおおよそ三十分ごとにアラームが鳴るように設定(最後の投票が会議の終了時間のぎりぎりになってしまうといけないので調整を施してくれた)をすると、ひとまず最初の投票に移ろうと号令をかける。
 それぞれが現時点で最も内定に相応しいと思う自分以外の誰かに手を挙げ投票、その結果を最もホワイトボードに近いところに座っていた嶌さんが代表して記していく。
 誰が選ばれても正解だと思います。
 鴻上さんに伝えた言葉はお世辞でも何でもない本心であった。そして投票結果は、そんな僕の評価に概ね沿うようにして、適度にばらけた。

 ■第一回の投票結果
 ・九賀2票 ・袴田2票 ・波多野1票 ・嶌1票 ・森久保0票 ・矢代0票

 手帳に投票結果を書きうつす。
 最多の二票を集めたのは九賀くんと袴田くんだった。九賀くんに投票をしたのは袴田くんと嶌さんで、袴田くんは九賀くんの抜群のリーダーシップを評価した。
「やっぱり人を束ねるカリスマがあるよ。九賀には素直に敵わないなって思う。自然と九賀の言うことには従おうかな――っていう気持ちにもなるし、やっぱり人間性のなせる業なんだろうが、ほんとすごいよ」嶌さんも概ね袴田くんの意見をなぞるようなコメントを残した。
 袴田くんに投票をしたのは森久保くんと、矢代さん。森久保くんは緊張した様子でしきりにハンカチで汗を拭いながら、「六人とも素晴らしい人材であることに疑いはない。でも正直なところ、九賀が欠けてもその役割はきっと波多野が担えていたと思うし、矢代さんの役割は俺でもカバーすることができた。嶌さんや波多野の仕事も、誰かが引き継ぐことで補塡することはできた。でも袴田だけは替えが利かない。ついつい自分が自分がとみんなが前に出てしまう中で、いつも静かに全体を見回してバランサーに徹していた。俺は圧倒的に袴田を推す」
「さすがに照れるな」と袴田くんが頭を搔くと、会議室が柔らかい笑い声に包まれる。
 渋谷駅から終始険しい表情をしていた矢代さんだったが、袴田くんへの投票理由を述べる口調は先ほどまでよりもいくらか穏やかになっていた。「一番頼りがいがあったのは間違いなく袴田くんだったかな、って思う」
 嬉しいことに僕に票を入れてくれたのは九賀くんであった。「さっきの森久保の意見に近いのかもしれないが、僕の中では波多野がまさしく必要不可欠なピースだったように思う。誰もがいい部分と悪い部分を持っているが、波多野は総合力が最も高い上に弱点が少ない」
 録音して後生大事に保存しておきたいほどに嬉しい言葉であったが、ありがとうと一言だけ返して淡く微笑むにとどめた。大事な局面だからこそ冷静に、冷静に。自分に言い聞かせ、内定者に選ばれるための最善手を考え続ける。
 嶌さんに投票した僕は、彼女の勤勉さと実務能力の高さを称えた。嶌さんは嬉しそうにはしてくれたが、それでも過度に舞い上がる様子はなく、ありがとうとだけ言って頷いた。
 自分を推してもらわなくてはならない。しかし自分の素晴らしさを声高に主張したところで評価は上がらず、かといって他の誰かの評価を落とすような発言も憚られる。とんでもなく難しいグループディスカッションだ。ジャケットの下、ワイシャツに汗が滲んでいくのがわかる。
 誰もが次の一手を決めあぐねる。そんなときだった。
「……ところで、あれって誰かの忘れ物なのかな?」
「あ、俺も気になってた、あれ誰の?」
 嶌さんの問いかけに袴田くんが答えると、みんなの視線は吸い寄せられるように扉のほうへと集まった。
 僕の正面には森久保くんが座っていた。そのためちょうど死角になって見えていなかったのだが、確かに腰を上げてみると扉付近に何かが置いてあるのが確認できた。目を凝らさずともすぐにわかった。白い封筒だ。A4サイズの紙を折らずに入れられる――いわば履歴書やエントリーシートを送付するのに最も適したサイズの、比較的大きめの封筒だった。『落とし物』ではなく『忘れ物』なのだろうなと思わせるのは、それが無造作に床に倒れているのではなく、まるで梯子のように、そっと壁面に立てかけられていたからだ。
 誰の封筒だ。しかし九賀くんの問いかけに対して、全員が自分の持ち物ではないと主張した。
 九賀くんはグループディスカッション中とはいえスピラの社内資料だったら報告をするべきだと言って席を立ち、静かに封筒を摑みあげた。封はされていなかった。手に持っただけで口が開いたので、九賀くんが中を覗き込む。それから一瞬、怪訝そうに眉間にしわを寄せると、おもむろに封筒の中に手を伸ばした。
 僕ら六人のものでないなら勝手に中を漁るべきではないだろう。そんな注意の言葉を飲み込んだのは、九賀くんが封筒の中からとり出した少し小さな封筒の表面に『波多野祥吾さん用』という文字が印刷されていたからだ。
 僕は目を瞬いた。見間違えかと思ったが、そうではない。それは紛れもなく僕のために用意された封筒であった。何が何だかわからないまま固まっていると、九賀くんはさらにもう一つ封筒をとり出した。『袴田亮さん用』と書いてある。
「……全員分ある。とりあえず配ろうか」
 誰一人状況を把握できていなかったが、それぞれの名前が記載されているということはグループディスカッションに使用するものという認識でいいのだろう。スピラリンクスが用意した小道具の一つなのかもしれない。テーブルに置くのを忘れたか、あるいは説明を忘れたか。
『波多野祥吾さん用』と書かれた封筒は、色は白、A4用紙を三つ折りにして入れられるサイズの比較的小さな封筒であった。触ってみたところ、ささやかだが異物感がある。蛍光灯に透かしてみても中身は見えなかったが、折りたたまれた紙が封入されているのではないかと予想できた。微妙に影ができる。
 それぞれ配付された封筒を戸惑いの表情で見つめる。
「ディスカッションを有利に進める魔法の道具かもしれないな」
 袴田くんがそんな軽口を叩いたとき、微笑みながら九賀くんが紙の隙間に指を滑らせ封を開いた。軽率といえば軽率だったのかもしれない。いくら自分の名前が記載されていようとも、内容がわからないなら封を切るべきではなかった。それでもこの特殊な状況下、なおかつ議論の進め方に迷いが生まれていたこの空気の中でのこと。九賀くんが謎の封筒を開けてしまったことを、心から責める気にはなれなかった。その証拠に、九賀くんに続いてすでに袴田くんも封に指をかけていた。九賀くんが声を上げるのがもう少しでも遅れていたら、僕も封を切ってしまっていたに違いない。
「えっ」
 九賀くんは封筒の中から出てきた紙に目を通すと、そのまま凍りついた。目に見えて顔が青ざめていく。どうしたのと何人かに尋ねられ、ようやく目を小さく泳がせると、戸惑いながらも、そっと紙をテーブルの上に置いた。手が震えていた。
 折り目を広げられた、A4サイズのコピー用紙。
 そこには二つの画像が印刷され、その下部にはいかにもワードで作りましたというような、何の工夫も施されていない、華やかさの欠片もない、簡素で、無骨なメッセージが、明朝体で記されていた。
 言葉が、出てこなかった。
 地球の自転から強制的に切り離されたように、会議室の中の空気だけが、完全に、静止する。

(つづく)


書影

浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』
定価: 1,760円(本体1,600円+税)
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浅倉秋成『六人の噓つきな大学生』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
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