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試し読み

ドラマ原作を一章丸ごと試し読み! 5月12日放送開始『悪党』#5

薬丸岳さんの衝撃と感動の社会派ミステリ、『悪党』がWOWOWでドラマ化!
5月12日の放送開始を記念して、『悪党』の冒頭部分を特別に公開します。
ドラマの前に、まずはこちらでお楽しみください!(全5回)
(第1回から読む)


<<第4回へ

(承前)

 四月二十五日──今日で私は坂上の前から消えるつもりだ。
 健太の命日に、坂上のことを見届けて仕事を終わらせる。
 ここに長居をしてるとまたひとつ前科が増えてしまうかもしれないし、それ以上に、もう坂上のそばにはいたくなかった。
 これ以上この男のそばにいると、坂上を赦すべき材料を見つけるどころか、自分のことを赦せなくなりそうだ。
 夕方の五時、もう少しで今日の仕事が終わる。細谷夫妻に何と説明しようかと考えながら、私は事務所の隅でたたずんでいた。
「佐伯」
 坂上に呼ばれて、向かった。
「ちょっと実戦をやってみようか」
 坂上が笑顔で言った。
「実戦って」
 坂上の言葉を聞いて、心がこわばる。
「心配しなくていい。百人に電話してひとりひっかかれば御の字の仕事だ。少しずつ慣れていけばいい。佐伯はそうだな……警官の役でもやってもらおうかな」
 坂上の周りにふたりの若者が集まってきた。テーブルの上にシナリオと名簿を広げる。
「もしもし、おれだけど……」
 坂上がかたっぱしから電話をかけて、端緒がつかめないと切っていった。名簿の電話番号を次々とペンで塗りつぶしていく。
 椅子に座りながら坂上を見つめた。腕時計を見つめながら、少し苛立った表情を浮かべている。
 私はこのまま誰も引っかからないで終わることを願っていた。
「もしもし、おれだけど……」
 何十件目かの電話で、坂上の口角が上がった。
「そう、おばあちゃん……りゅうすけ。実は友達とドライブしてたんだけど、事故を起こしちゃって、人をはねちゃったんだ……」
 坂上の目が潤む。嗚咽を嚙み締める不鮮明な声音でシナリオを読んでいる。
 シナリオでは坂上が事故を起こした当事者を演じ、事故の被害者、弁護士、警官が交互に電話に出て事情を説明する。
 被害者役、弁護士役の若者が話をして、私に電話が回ってきた。
 坂上を見る。シナリオに指をさして、頷きかけた。
「もしもし……」
 狼狽しきった女性の声が聞こえてくる。
 弱々しい声音で、電話の向こうでひたすら恐縮する老女の姿が浮かんだ。
 私の話し振りで怪しんでほしいと願いながら、坂上が指さした活字を読んだ。
 なんとか最後まで読み終えると、坂上に携帯電話を渡した。
「もしもし、おばあちゃん、これから友達がお金を取りに行くから……」
 坂上が金の受け渡しの段取りを進める。老女が住んでいる近くのスーパーのATMで受け渡しをするようだ。住所をメモに書く。
「友達の名前?」腕時計を見つめていた坂上が言った。「細谷……細谷健太っていうんだ」
 その名前を聞いた瞬間、心の中で何かが弾けた。
 私はその正体を知っている。憎しみだ。あのときに似た憎しみが、焰となって体中を駆け巡っていた。
 坂上が電話を切って立ち上がる。回収係の若者を呼んでメモを渡した。
「完全に信じきってるから大丈夫だ。名前は細谷健太だ」
 坂上が私の肩を叩く。
「最初にしては上出来だ」
 顔を上げることができなかった。そのまま立ち上がって事務所のドアに向かう。
「おい、佐伯、どうした」
 坂上に呼び止められても振り返らず、そのまま外に出た。
 雑居ビルから出て公衆電話を探す。先ほどの老女に電話をして、これは詐欺であると告げてから、池袋駅に向かった。

 川口市内にある細谷の自宅に赴いたのは二日後のことだ。
 事務所に来てもらってもよかったのだが、健太の仏前に線香を上げたかった。
 居間に通されて焼香をすると、細谷夫妻と向き合った。
「私なら赦せません」
 詳しいことは話さず、それだけ告げた。
「そうですか」
 細谷夫妻はしばらくの沈黙の後、そう言って、深く頭を下げる。
 私は鞄から封筒を取り出してテーブルの上に置いた。
「今回の調査は一週間ほどのものでした。調査費用として四十万円いただき、残りはお返しします」
 今回の調査で三百二十万円は取りすぎだと木暮に詰め寄った。木暮は渋い顔をしていたが何とか納得してもらった。
「ありがとうございます」
 細谷夫妻が恐縮して、また深く頭を下げる。
 私は遺影に目を向けた。遺影の中の健太が微笑みかけてくる。
 今までにいろんな調査をしてきた。浮気調査や素行調査など。依頼人は知りたいことがあるからそれを頼む。だが、仕事をすることで、結果的に私はどれだけの人を不幸にしてきたのだろう。これからどれだけの人を不幸にするのだろう。
 そんなことを考えながら細谷の家を出て事務所に向かった。

 コンビニから出たところで、ポケットの中で携帯電話が震えた。
 この振動を感じるたびに、あのときの調査を思い出す。
 坂上のもとから姿を消して一週間。私は新しい仕事をやっていた。
 取り出して着信を見る。おそらく坂上だろう。同じ番号の電話が何度もかかってきていた。
 震える携帯電話を見つめながら、ごみ箱に近づいた。
 坂上に知らせた携帯電話はとばしなので別に捨ててもかまわない。だが、心の中で断ち切れない思いもあった。
「もしもし……」
 しばらく逡巡して、私は電話に出た。

『ドール』のドアを開けると、奥のテーブル席で坂上が酒を飲んでいる。
 それなりの覚悟はしていたが、坂上はひとりだった。
 私は坂上の向かいの席に座った。坂上が空のストレートグラスに酒を注いで差し出す。
 グラスを坂上の手もとに戻して、バーテンダーにハーパーを頼んだ。
「ひさしぶりだな」
 坂上が鼻で笑う。
 私は何も答えず、運ばれてきたハーパーをあおった。
「おまえが消えた日、回収係がひとり警察にパクられたよ。まあ、使い捨てだから仕事に支障はなかったけどな」
「それは残念だった。あんたもパクられたほうが幸せだろうと思ってたけど」
 坂上の眼光が鋭くなる。
「佐伯修一君──おまえはいったい何者なんだ」
 坂上が上着のポケットから紙を取り出してテーブルの上に置いた。新聞の縮刷版をコピーしたものだ。
「興味本位でお前の名前をネットで検索したらおもしろい記事が出てきた。四年前、どっかの巡査が検挙した暴行犯の口に拳銃を突っ込んで懲戒免職になったって話だ。単なる同姓同名か、それともおれに話したことはすべて噓だったのか」
「その馬鹿な巡査は懲戒免職になっただけじゃなく逮捕されたよ」
 私は答えた。
 交番勤務の巡査だったとき、パトロール中に今は閉鎖されているスーパーの駐車場に停まった不審なワンボックスカーを発見した。車に近づくと、女性の呻き声が漏れ聞こえてきた。警察だと叫んでドアを開けさせると、車の中でふたりの男が若い女性をレイプしていた。女性を車から降ろして保護すると、抜け殻のようにアスファルトの上に崩れ落ちた。生気のない目で私を見上げた女性にゆかりの姿が重なった──
 男たちは酒か薬物でもやっていたのか車内でけらけらと笑っていた。男たちの悪びれた様子もない態度に湧き上がってくる怒りを抑えることができなかった。気がついたら、ひとりの男の口に拳銃を突っ込んでいた。
「おまえみたいな馬鹿は一度死んでみろよ」
 私はそう言って、引き金に指をかけた。
 けっきょく引き金を引くことはなかったが、後々この出来事が大きな問題となった。私は特別公務員暴行陵虐罪の容疑で逮捕され、警察を懲戒免職になったのだ。
「世間話ついでに、その馬鹿な巡査はどうしてそんなことをしちまったんだろうな」
「細谷健太の両親や、遠藤りさと同じだ。人を傷つけて平気な顔をしている愚かな人間を赦せなかったんだろうな」
「細谷健太……」
 坂上がすべてを悟った目をした。
「そうか……あの日……そういうことか」
 坂上の目が泳いでいる。その瞳をじっと見つめた。
「おれの第六感もあてにならないな。ダチになれそうな予感がしてたんだが」
 私は立ち上がった。ポケットから数枚の札と小銭を取り出してテーブルに置く。
「この前のタクシーの釣りだ。これを返しにきた」
 バーテンダーにチェックをしてもらい、ドアに向かう。
「佐伯」
 後ろから呼び止められて振り返った。
「おれにも拳銃を突きつけるか」
 しばらく視線が交錯する。
「あったらな」
 私は答えて、店を出た。
 しばらく繁華街をさまよって、次の酒場を探した。

 事務所に出勤すると、机に向かって染谷が慌ただしく作業をしている。
「まったく所長は人使いが荒いんだから」
 染谷が文句を言いながら、机の上に置いた束のチラシを一枚ずつ三つ折りにして、次々と封筒に入れている。
「おはよう。何やってるの」
 染谷に訊くと、「手が空いてるならあんたも手伝ってよ」と食ってかかられた。
 新しいチラシを刷ってダイレクトメールを送るつもりらしい。
 チラシを一枚手に取って見た。浮気調査や盗聴器発見などいつもの案内の他に、新しいコースが加えられている。『犯罪の被害に遭われた方に。加害者の追跡調査を承ります』という文字が目に入って、愕然とした。
「ここ二十年ぐらいに犯罪の被害に遭った人や家族を調べ上げてダイレクトメールを送れって。いったいどうやって調べろっていうのよ。ねえ」
 木暮はこんなことを考えていたのだ。どうりで、細谷夫妻に金を返そうと言ったとき、想像していたほどに拒絶しなかったわけだ。今ごろ新しい金脈を掘り当てたと小躍りしているにちがいない。まったく呆れ果てるほどの商魂だ。
 急にやる気が失せて、新聞を手に取ってソファに向かった。
「ちょっと、手伝ってよ」
 染谷の怒鳴り声を無視して、ソファに寝そべり、新聞に目をやる。
 社会面のひとつの記事に目がとまった。


 3日未明、文京区本郷四丁目にあるマンション前の路上で男性が血を流して倒れているのを通りがかった住人が発見。110番通報をした。男性・坂上洋一さん(29)は刃物のようなもので背中を刺されており、意識不明の重体。一時間後、近くの交番に男が出頭。坂上さんをナイフで刺したことを認めていることから、川口市内在住の細谷博文(59)を殺人未遂の疑いで逮捕。現在、本富士もとふじ警察署で動機などを厳しく追及している。

 鈍い痛みが、私の胸を貫いた。


(このつづきは本編でお楽しみください)

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薬丸 岳『悪党』

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