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連載

新井素子「絶対猫から動かない」 vol.12

繰り返す夢から脱出できるか? 大人のための冒険ホラー! 新井素子「絶対猫から動かない」#35-4

新井素子「絶対猫から動かない」

※この記事は、2020年1月10日(金)までの期間限定公開です。

>>前話を読む

 この子は……中学生なのだ。ただ、単に、中学生なんだ。それだけ、なんだ。(それに、多分。今、死にかけている女子中学生の、とても親しい友達なんだろうと思う。今死にかけている子は、この子の親友……っていうか、とても大切な友達なんだろうと思う。)
 言い換えれば。
 この子は、子供なのだ。

 中学生だから。子供だから。だから、三春に、〝ぺち〟をすることができたのだ。

 子供である、ということは、ある意味でとても強い。
 何せ、子供は、未熟だ。社会経験がまるでない。おもんぱかるべき社会が、多分彼女には存在しない。だから、子供は、自分が本当にやりたいことを、そのまま、やることができる。
 俺には、できない。
 俺が何かやろうとする時には、嫌でも俺、考えてしまう。これから俺がやろうとすることは、現状、プラスになるか、マイナスになってしまうかを。
 けれど。
 いや、もう、俺、自分が子供だった時は、記憶にないけれど。そのくらい、はるか昔の話になっちゃうんだが……確かに、昔の自分は、何かやる時、そんなこと考えていなかったような気がする。とにかくやりたいことそのまま素直にやっちまった、それが、子供の頃の俺だったと思う。
 そして。
 今、三春に〝ぺち〟ってやってしまった子供は……多分、それ、なんだよ。
 何も考えていない。
 とにかく、やりたいことを、やってしまった。

 三春に、〝ぺち〟。

 ……やりたかったんだろうなあ。
 実の処、俺も、やりたい。けど、俺にはできない。

 〝ペち〟。

 そうしたら。
 三春が、言ったのだ。
「あの……ねえ……」
 ぺちってやった、その中学生の手を押さえて。
 ただ……三春、まだ、目を瞑っている。
 絶対に、その中学生を見ないようにしている。
「あんた。名前も知らない、中学生のあんた」
 こう言われた瞬間、中学生が息を吞むのが判った。〝ひっ〟って……それこそ、ひきつったような声を出す。
 そして、その中学生の手を押さえたまま、三春は。
「なんか……あんたの気持ち、判らないこともないような気がしないでもないような……って、そりゃ、判るんだか判らないんだか、言っててよく判らなくなったんだけれど」
 おや。何だか三春も混乱している感じだ。
「昔、三春ちゃんがまだ三春ちゃんになる前、あんたみたいな人間がいたような気が、しないこともなくて……えー、よく判らないんだけれど、そんな時、三春ちゃんになる前の三春ちゃんは、なんだかとってもあったかい、そして、神聖なものに触れたような気持ちになって、うん、人間の〝気概〟みたいなものに触れると、妙に感動を覚えることがあって……だから、その時、三春ちゃんになる前の三春ちゃんは」
 もう、三春が何を言いたいんだか、よく判らない。いや、三春自身が、自分が何言ってんだか、よく判っていない気配だ。
「で、その……何が言いたいんだか、三春ちゃんも、よく、判らなくなったんだけどね、けど、その……中学生」
 こう言うと、目を瞑ったままの三春、軽く、中学生の額を、人指し指でぴんっとはじいた。ごく、軽く。これがもうちょっと強ければ、〝デコピン〟ってものになるのかな、でも、ここまで軽くだと、〝デコピン〟とも言えないな、そんな感じで。そして。
「あんた、中学生、そりゃ、無謀ってものだからね。あんたの分際で、三春ちゃんを平手打ちしようだなんて、もう、無謀としか言いようがない」
 あ。三春自身は、自分にされた〝ぺち〟を、平手打ちだって認識している訳か。
 で、この三春の言葉を聞いた中学生は……〝ぺち〟をした中学生は、息を吞み……そして、それから。
「ひっ」
 また、息を、吞んで。
「ひっ」
 もう一回、息を吞んで。そして、それから。
「ひっ……ひっ、ひっ、ひっ、ひくっ」
 大きく息を吸い。そして次の瞬間、この中学生、いきなり泣きだしたのだ。
「ひくっ! ……ひっ! うえ……え、ええええんっ」
 え。この局面で、泣く、か?
 俺はそんなこと思っていたんだけれど、中学生の方は、そんな俺の思いも知らずに。
「え……えええんっ!」
 本気で、身も世もなく、泣きだしちまいやがんの。
「こ……こ……怖いいー」
 だから、そんなこと、今更言うな!
「怖いー、けど……けど……許せない、いー」
 でも。泣きながらも、中学生、まだ必死になって、何かを言っていて。それから、もう、鼻水まみれで、泣きながらも、もう一回、右手を、後ろに引いたのだ。
 うしろに引かれた右手。この右手は、ほっとくと……多分、次の瞬間しなって……三春の頰に、また、〝ぺち〟をやることになったんじゃないかと思う。
 けれど。
「ちょい待ち」
 こんな中学生の右手を押さえてくれたのは、市川さんだった。いつの間にか(いや、多分、あの〝ぺち〟を聞いた瞬間から、市川さん、動き出していたんじゃないかと思う)、中学生の手を、市川さんが押さえていて。
「だから、そーゆーのは、あたしの仕事だって……」
 この局面で、この市川さんの言動。
 ああ、もう、ほんとに。
 今となっては。
 誰も。
 誰一人として、眠る前に打ち合わせたこと、守ってねーなっ! 目を開けてしまっただけではなく、ほんっと、みんな、勝手なこと、やりまくっていやがるよなっ。
 俺がそう思った瞬間。
 三春の言葉が、割り込んできた。

「……あんた達、ねえ」
 この言葉を言う前に。三春は一回、ふうって息を吸って、それから、ふううううって長いこと、その息を吐いたのだ。ほんとに、何かもう、たまりませんわっていう感じで。
「ほんっと、何やってんだ」
 それから。一回、三春、首を振る。中学生の位置と、中学生の手を押さえた市川さんの位置を、目を瞑ったまま推測しているような風情で。
 そして。そういう連中の位置が判った処で、三春、くわっと目を開ける。
 いや、目を開ける時に音がする訳、ないんだけれど。まさに、〝くわっと〟って感じで目を開けると、あたりをへいげいし、順繰りに、みんなに視線を寄越して。でも、ただいま三春に視線を向けているであろう、中学生と市川さんを見る時には、なんだか横からすがめているような感じになって。絶対、目と目が合わないようにして。
 そして。
「呪術師!」
 びいん……って感じで、張りつめた言葉で。三春は、まず、大原さんに、呼びかける。「これ、なんとかして」
 ……って、これはその……言っていることがあまりに抽象的っていうか……何、要求しているんだ三春? 多分、大原さんもそう思ったようで。
「これ、なんとかしてって、なに、それ。その場合の〝これ〟って、何? どうしろっていうのあたしに」
 ここで、三春、髪の毛をきむしって、そしてそれから。
「じゃあ、いいや。とにかく……中学生組! 動くな!」
 これまた、びいん……って感じで、張りつめる世界。
「あと、先生も、動くんじゃないっ!」
 この三春の言葉が届いた瞬間、中学生のみんなが、そのまま固まってしまうのが判った。
 そしてその後。
「なんか変な看護師! あんたも、動くんじゃないっ! あと、誰だっけか、〝妙に鋭い男〟! あんたも動くんじゃないっ!」
 この言葉が俺に聞こえた瞬間……市川さんが、硬直するのが、判った。多分、この瞬間、市川さん、動けなくなってしまったのではないのかと思う。そして……そして、この言葉を聞いた瞬間、俺も、動けなくなってしまった。〝あと、誰だっけか〟って、爆発的に失礼な台詞だよな、俺は付け足しかよって思ったんだけれど……この台詞を聞いた瞬間から、俺の体は、ぴきんと硬直してしまって、はや俺、自分が動けるとは思えん。
「三春ちゃんはねえ、今、あんた達なんかにかかずらってる場合じゃないんだから」
 ……なんだこれ。やたらと失礼な台詞だな。
「三春ちゃんはね、思い出したんだから。昔は三春ちゃん、三春ちゃんじゃ、なかった。何かが、三春ちゃんじゃなかった三春ちゃんを、三春ちゃんに、した」
 この台詞……最早、意味不明。
「今、三春ちゃんがやりたいのは、その〝何か〟をなんとかすること! ……いや……そんなこと、できるような気はしないんだけれど……やらない訳には、いかない」
 揺れている、三春の言葉。
 こんなことを言っている三春自身が、自分で自分の台詞に納得できていないんだろうなってことが、読み取れる。
 けれど、多分、三春は、今、こう言うしかないのだ。たとえそれが虚勢であろうとも、自分を鼓舞する為にも、自分にこう言い聞かせるしか、ないのだ。そんなことが……最早動けなくなって、ただ、三春の言葉を聞いているだけの、俺にも、判った。
「だから。三春ちゃんは、これから色々何だかんだする予定だから、あんた達は、動くんじゃないっ!」

▶#36-1へつづく ※11/11(月)公開
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 第 35 回全文はこちらに収録→「カドブンノベル」2019年11月号


「カドブンノベル」2019年11月号

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