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連載

新井素子「絶対猫から動かない」 vol.17

繰り返す夢から脱出できるか? 大人のための冒険ホラー! 新井素子「絶対猫から動かない」#36-5

新井素子「絶対猫から動かない」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

>>前話を読む

 そして。
 ある日。
 以前三春だった、いまだに本当の名前を知らない〝何か〟は。
 街で、雑踏を歩いていた時……ふいに、車椅子に乗った老人に、声を掛けられたのだ。「みはる……さん……?」
 車椅子に乗った老人。すでに、自分で歩くことは無理に違いない。いや、その前に、彼は、三春に声を掛けたこと、それ自体がまるで不思議なことのように、何だか戸惑っている。自分で声を掛けておきながら、自分のその衝動に、訳が判らないでいる。三春のことを見ていても、焦点が三春にあっていない。
 と、車椅子を押している女の子が、ちょっと、慌てて。
「あの、気にしないでください」
 こんなことを言う。
「おじいちゃん……随分前から、現実との接触がよくなくて……」
 ああ、認知症か。
「普通だったら、自分からひとに声を掛けるだなんて、絶対にしないのに」
 なのに、この老人が、自分から三春ちゃんに声を掛けたのが、車椅子を押している女の子、不思議なんだろう。
 けれど。
 三春には、その理由が判る。何故って。
「村雨たい
 言ってみる。
 と、車椅子を押している女の子、驚いて。
「え、おじいちゃんのこと、知っているんですか?」
 知っている。他の誰よりよく、知っている。

 昔。ずいぶん前。あの結界が、ほどける前。

 村雨大河は、こう言ったのだ。
『三春さん。あなたがどんなもんだか判らなかったんですけれど』
 あの頃の村雨大河には判らなかっただろう。今の、認識があやうくなった彼には、もっと判らないだろう。
『でも。どんな姿をしていても、僕には、きっと、あなたが判る』
 判るのかも知れない。その時、三春は、ふいにそう思ったのだ。
『その時には。いろんなものを……取り戻せていると、いいですね』
 そして、実際に、今。
 判ったんだ、村雨大河は。
 ここにいるのが、三春だってことが。
 ここにいる、以前、〝三春〟だったものが、今、どんな姿をしていたとしても。
 それでも、三春が誰なんだか、このじーさんにだけは、判ったのだ。
 そして、三春に、声を掛けた。

「みはる……さん……?」

「……あの……あなたは、おじいちゃんと一体どんな……」
「いや、知人でも何でもないですから。昔、ほんのちょっと、会ったことがあるだけだから」
 他に何とも言いようがない。けれど、車椅子を押している女の子、あくまでも。
「でも、おじいちゃんがこんな状態になってから、おじいちゃんの方から声掛けるだなんて、初めてで」
「んー、偶然。適当」
 それこそ、適当なことを、三春、言ってみる。でも、女の子がまったく納得していない感じだったので……。
 しょうがない。三春、ちょっと、笑って。
「遠い、とおい、昔」
 こう言ってみる。
「本当に昔。あたしと、このじーさんは、袖振り合った」
「そでふりあった……?」
 ああ。この言葉が、この子には判らないか。〝袖振り合うも他生の縁〟って言葉、今の人間社会では、あんまり遣われていないのかな?
「そんだけの話」
 女の子、まったく理解できていない風情。
 三春は、首を大きく振って、その視線を千切る。三春の方から視線を切ってしまえば、女の子は、もう、三春を認識できなくなる。三春っていうのは、そういう存在だ。
 そのまま、女の子から──というか、車椅子に乗っている村雨大河から、遠ざかる。
 遠ざかりながら、思う。

 んー、じーさん、ごめん。
 結局、三春ちゃんはまだ、自分の名前を取り戻してはいないんだ。

 それ、結構難しい話らしくて。
 今の処、まだ、三春ちゃん、自分の名前のヒントさえ判っていない。
 でも。待ってて。
 いつかは。
 いつかは、三春ちゃん、自分の本当の名前を、取り戻すから。

 そして。

 車椅子に乗ったじーさんに思いを飛ばし……同時に、三春は、思うのだ。

 三春ちゃんは年をとらないけれど。
 けど、他のひとは、年をとったり……するん、だ、ね。

 呪術師もきっと年をとる。

 したら、えへへ。

 あいつったら、六十や七十になっちゃうんだよね。

 あの、〝呪術師〟が、年をとる。七十になっちゃう。
 けっこ、これ、笑える?
 笑える、かも。
 うん、笑い飛ばしてしまおう。

 だって、三春ちゃんは、年をとること、それ自体が、絶対にできないんだから。
 それは、三春ちゃんには、無理なことなんだから。
 年をとれないこと、それこそが三春ちゃんにとって呪いでしかないんだから。

 けど。年とっちゃう、呪術師やじーさんにしてみれば、逆に、年をとっちゃうことが、呪いだよね? うん、今やもうじーさん、三春ちゃんに声は掛けたものの、三春ちゃんのことをまったく忘れている感じ。今、まだ、この世の中のどこかで、生きているだろう呪術師だって、きっと、あの時からそれなりに年をとってる。そして、この先、どんどん、年をとってゆく。そして……そして、いつか、三春のことを忘れる。
 でも。

 三春は。三春だけは。
 歩いてゆく。
 この先も。

 そーいやあの子、どーなったんかなあ、三春が生気を半ば吸った処で放置した子供。ぺちやってた子供に、名前を呼べって言いはしたけれど、その後のことを知らない子供。
 助かったら、いいんだけれど。
 でも、助からないのも、また、普通なんだよね。
 そりゃ、もう、三春ちゃんの知ったことではない訳で。

 ふうう。

 思いっきり、息を吐く。

 そしてそれから。

 ふうう。

 一回、息を吐いた後で。
 三春は、くんって、頭をあげる。
 まるで、反らすように、体を伸ばして、そして、頭を、あげる。

 その後。

 まっすぐに、三春は、歩み続ける……。


〈FIN〉 

※本作は単行本として小社より刊行予定です。
◎第 36 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!


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