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連載

新井素子「絶対猫から動かない」 vol.16

繰り返す夢から脱出できるか? 大人のための冒険ホラー! 新井素子「絶対猫から動かない」#36-4

新井素子「絶対猫から動かない」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

>>前話を読む

「瑞枝! 瑞枝! 瑞枝!」
 病院にて。
 朝、起きた瞬間、何故か佐川先生から連絡があり、「病院のひとから駄目って言われないのなら、そして、御家族から文句がでないのなら、ゆきちゃんは、できるだけ昏睡している瑞枝のそばに行って欲しいの。そして、瑞枝の名前を呼んであげて」って言われた山形ゆき、まったく意味が判らないまま──そして、あの〝夢の世界〟はどうなったのか判らないまま──それでも、面会時間が始まった時間から病院に詰め、昏睡している瑞枝にひたすら言葉を掛けていた。でも、どんなに言葉を掛けても、その言葉が瑞枝に達している感じがまったくしなくて……やがて、ただ、名前を呼ぶだけじゃいけないんじゃないかなって、思うようになったのだ。
 とはいえ。だからといって。昏睡している瑞枝に、どんな言葉を掛けるのがいいんだか、雪野にはまったく判らない。で、しょうがない、雪野は、思い出話を始めたのだ。
「昔さあ、瑞枝は図書委員やってたじゃん。小六の頃、かな。来年は中学生だって時。覚えてる? その時、一緒に図書委員やったん」
 勿論瑞枝は何も言わない。
「あの時、迷路を鉛筆でたどっちゃったの、覚えてる? 図書委員はね、図書に鉛筆で何か書いたりしちゃいけなかったんだよ、でも、やっちゃったよね。迷路の本があってさあ、夏休みの図書館には誰も来なくてさあ、暇でねえ。あんまり暇だったんで、あたし達、図書館の本の迷路に、鉛筆でゆるい線を書いちゃってさあ、あとから瑞枝は、『あれ、まずい、絶対にまずい』って騒いでいたけど、実際、誰もそれに気がつかなかったじゃん」
 それでも瑞枝は、何も言わない。
「勿論、あの時は、迷路の線をたどった後で、あれ、全部、消しゴムで消したよね。でも、瑞枝はずっと嫌がってた。〝あんなことしちゃいけなかった〟ってずっと言ってた。たとえ消しゴムで消したって、あたし達が迷路をたどったあと、それは、判るって」
 それでも瑞枝は、何も言わない。
「いくら消してもねえ、薄く線が残ってたよねえ」
「だからやっちゃいけなかったんだよね」
 で。
 いきなり。
 いきなり瑞枝がこう言ったことが……むしろ、雪野には理解できない。一瞬、「……へ?」って顔になり、そして、次の瞬間。
「あんた、瑞枝っ! あんた今、何言った! つーか、今、なんか、言ったの、瑞枝っ!」
「……って」
 のほほん、と、今まで昏睡していた筈の瑞枝が。
「いくら消しゴムで消したって、跡は残っちゃうんだから。それは絶対やっちゃいけないことだったんだよ……」
 ……って!
「瑞枝っ! 瑞枝っ! 瑞枝っ!」
 次の瞬間、山形雪野は、泣きだしていた。
「瑞枝っ! 瑞枝っ! 瑞枝っ!」
「……あのー……何、泣いてんの、ゆきちゃん。だから、図書館の本には鉛筆で何か書いちゃいけないって……」
 この。瑞枝の台詞を、山形雪野は、まったく聞いてはいなかった。
 この言葉が聞こえた瞬間。まるで殴るようにして、雪野は、ナースコールを押す。押し続ける。何回も何回も押す。ぶったたくようにして、押す。
 そして、押しながら。
 山形雪野は、ひたすら、泣き続けたのだ。
「先生! お医者さま! 先生! 先生!」
 もう、看護師さんが、ナースコール聞いてナースセンターから駆けつけてきたっていうのに。そういうの、まったく無視して、山形雪野はひたすら言い続ける。
「お医者さま! 先生っ! お医者さまっ!」
 ナースが来て、「何ですか」って言っているのに、それ、無視して、ひたすらナースコールのボタンだけを押し続ける。そして言う。
「先生っ! お医者さまっ! 先生っ!」
 そしてそれから。
「瑞枝っ! しゃべってますっ!」



 これは、誰も知らないこと。
 あの世界が消える直前。
 三春ちゃんと村雨さんは、話していた。
 けれど、これは氷川さんには聞こえなかったし、夢路にだって、聞こえなかった。
 そういう位置関係で、三春ちゃんと村雨さんだけが、話していたのだ。
 その詳細は、誰にも判らない。
 村雨さんが三春に何を言ったのか。
 それを聞いた三春が、どんなことを思い、そして村雨さんにどんな言葉を返したのか。
 それは、誰にも、判らない。
 二人だけの、秘密。
 けれど、最後に。
 村雨さんが言った言葉だけが、三春の心に残る。
「僕は……結局、三春さん、あなたがどんなものだか、何であなたみたいな存在があるのか、それはいいことなのか悪いことなのか、判らなかったんですけれど、今でも判らないんですけれど、でも」
 でも?
「次にあなたに、どこかで会ったら、きっと、僕は、あなたが三春さんだって判る。女子中学生の姿をしていても、他のどんな姿をしていても、僕は、きっと、あなたが、判る」
 そんなことある訳ないじゃん。
 と、三春は、思う。
 けれど同時に、こいつなら判るのかもなっていう気も……しないでも、ない。
 まあ、希望的観測……っていうか、〝夢〟、なんだけど、ね。

 そして、三春は、思う。
 あの〝夢〟から出たあとで。
 三春ちゃんがやらなければいけないことは、たったの一つだ。

 挑戦する。

 あの、誰なんだか、何が何だか判らない、〝主催者〟に。
 あんたの言うことなんか知らない、あんたの言うことなんか聞きたくない、そんなことを、それだけを、言うために。
 また……これが可能かどうか、まったく判らないんだけれど……自分の、本当の名前を、知る為に。

 間違いなく、昔は、三春ちゃん、〝三春ちゃん〟ではなかった。あの時、あの〝集まり〟で、〝主催者〟によって、三春ちゃんの本当の名前は、奪われてしまった。そして、三春ちゃんは、〝三春ちゃん〟になってしまった。
 あの時の、〝本当の名前〟を取り返すことができたのなら……そうしたら、三春ちゃんは、三春ちゃんじゃなくなることができる。それで、あの、主催者に抵抗できるのかって言えば……それだけじゃ、そもそも、〝抵抗〟すらできないような気も、しないでもないんだが……けれど、何も判らない、何も武器がない状態でいるのより、まし。それはもう、絶対に、まし。
 この先。
 三春ちゃんは、歩いてゆくつもりだ。
 呪術師だの何だの、関係してしまった人間のことは、もう、頭から消えせている。
 ただ、自分の、本当の名前を、それだけを取り戻す為に。
 そして。
 本当の名前さえ、取り戻すことができたのなら。
 そうしたら、次のステップが、見えてくるかも知れない。
 それを。それだけを期待して。

 歩いてゆくんだ、いつまでも。

#36-5へつづく
◎第 36 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!


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