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連載

こざわたまこ「夢のいる場所」 vol.8

【連載小説】『演劇が大切なのはわかるけど、もっと将来のことも考えてほしいっていうか』 こざわたまこ「夢のいる場所」#3-3

こざわたまこ「夢のいる場所」

※本記事は連載小説です。

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『夢は行くんだっけ、来週の。演劇祭の参加劇団が集まるってやつ』
 昨日の電話で、今日子からそんなことを聞かれた。今日子が言っているのは、来週末に行われる顔合わせ兼決起会のことだ。劇場関係者や、実行委員のメンバーも参加するらしい。それを聞いて、参加の意思が固まった。確か今日子も、翔太から誘われているはずだ。今日子は、と聞いてみると、実はね、と切り出された。
『あたし、ちょっと迷ってるんだ』
 その言葉に、え、と首をかしげる。
『実はさっき、翔太とけんしちゃって』
 それを聞いて、電話の向こうがやけに静かなのに納得がいった。翔太が家を出たか何かしたのだろう。
『……実はそれもあって、明日の稽古に行きづらいんだよね』
 今日子はそう言って、ふう、とため息をいた。喧嘩の原因は、と聞くと、まあ色々、とはぐらかされてしまった。しばらくの沈黙の後、意を決したように今日子が口を開いた。
『あたし達、別れるかも』
『えっ』
 私の声が大きかったせいか、今日子は、「まだわかんないけどね」と言葉を濁した。とはいえ、今日子のこういう発言は初めてではない。学生時代から、くっついたり離れたりを繰り返してきた二人だ。一度別れたとしても、また付き合い出す可能性は十分ある。
 なのに、どうしてだろう。電話越しという状況もあってか、落ち着かない気持ちにさせられる。二人が一緒に暮らし始めた、と聞いた時は、当たり前のように二人は結婚するものだと思っていた。
『最近、一緒にいてもすれ違いばっかりでさ。話してても仕事の愚痴か、演劇の話ばっかりだし。一緒に暮らしてるのに、喧嘩しかしてないし……。こんなんで大丈夫なのかなって、色々考えちゃって』
 そう言って、はなを啜るような音が電話越しに聞こえた。
『演劇が大切なのはわかるけど、もっと将来のことも考えてほしいっていうか』
 気まずい沈黙の後、今日子が、なんかさ、と口を開いた。
『……翔太、仕事辞めたいんだって』
『え』
『劇団一本でやってこうかな、ってたまに言うんだ。昔からの夢だったって。ふざけた感じで言ってたけど、多分本音だと思う』
 何も言えず黙っていると、今日子が、あたしに背中を押してほしいんだろうね、と呟いた。今日子自身はどう思ってるの。思いきってそう聞いてみる。すると、しばらくの間無音の時間が続いた。
『なんだかんだ、翔太の人生だし。あたしに止める権利なんてないじゃん。好きなことしたら、とは思うけど』
 思うけど、の続きを今日子はその日、口にしようとはしなかった。結局電話は一時間半に及んだ。途中で翔太が帰って来てしまったらしく、話し足りないから明日の稽古終わりに会おうということになり、今に至る。

「夢! ごめんごめん、遅くなっちゃって」
 それから少しって、今日子が店に姿を現した。今日子は席に着くや否や薄手のトレンチコートを脱ぎ捨て、自分の顔をパタパタと手であおいだ。どうやら、ここに来るまでに随分走ったらしい。
「ゆっくりでよかったのに」
「だって、待たせちゃ悪いじゃん。今日、稽古早めに終わったんでしょ?」
 うん、とうなずきながら、そういえば翔太はいつも、今日子に稽古のことをどんな風に話しているのだろう、と思った。今日稽古場で起きた出来事を、そこに至るまでの経緯を、自身が萌々ちゃんに放った言葉を。すると今日子が、すみません、と手をあげ、店員を呼んだ。
「ていうか、びっくりした。ほら、なんだかんだであたし、稽古場に来れてなかったじゃん? この辺りって、結構賑わってるんだね。路上ミュージシャンとかいるし。あれ、来ない。すみませーん。アイスカフェオレを一つ。夢は何頼んだの? コーヒーだけ? あたし、ちょっとおなかいちゃった。なんか食べてもいい? じゃあこの、ミックスサンドも。はい、セットで。お願いします」
 こういうところの食べ物って絶対しいよね、早く来ないかな。そこまでをほとんど一息に言うと、来たばかりの水を飲み干し、コップの底がテーブルにつくかつかないかの内に、すみません、とおかわりを頼んでいた。相変わらずせわしない。しばらくして、注文が運ばれてきた。今日子が、美味しそう、と声を上げる。
「見て見て、すごい量。夢も食べる?」
「……今日は休日出勤?」
「え?」
 ヒール履いてるから、とテーブルの下に目をると、ほんっとよく見てるよね、と言って今日子が目を丸くした。今日子がかかとのある靴を履くのは、仕事の時か、彼女にとって大事な勝負事がある時だけだ。
「あたし今ね、市のボランティアサークルみたいなところに入ってるんだ」
「ボランティア?」
 運ばれてきたサンドイッチにかじりつきながら、そうそう、と頷く。
「なんかね、こども食堂のお手伝いとか、みんなで介護施設を訪問したりとか。そこで、一緒に食事のメニュー考えたりとか催し物の企画会議に参加したりとかするの。今日はそのミーティング。自分の考えた企画をプレゼンする日でさ。だから、ヒール。無事通ったから、験担ぎしといてよかった」
 それを聞いて素直に、すごいね、という言葉が口からこぼれた。すると今日子は、そんなんじゃないよ、と言って笑いながら首を振った。
「ほらあたし、これといってやりたいこととかないじゃない?」
「え」
 さらりと言われたので、一瞬聞き流しそうになった。私は今日子ほどアクティブな人間を見たことがない。今日子の交友関係は広く、休日はいつも予定が詰まっている。私とは真逆の人間だ。むしろ、やりたいことだらけのように見える。なのにそんなことを言うなんて、意外だ。
「正直、なりたいものとか、欲しいものとか、そういうの昔からあんまりないんだよね」
 超受け身でしょ、と言って今日子が肩を竦める。
「誰かの気持ちを踏みにじってまでしたいことなんてないし、自分の言葉をぶつけて嫌われるくらいなら、相手が欲しい言葉をあげたいし。自分が何したいか考えるより、むしろその方が楽っていうか。なんだかんだ、奉仕するって気持ちいいじゃん」
 ボランティアって、あたしみたいな人間のためにあるんだと思う。そう言って、アイスカフェオレのストローをくわえる。
 そういえば今日子は学生の頃から、きゆうきよ合コンの人数が足りなくなったとか、申請書類に名前だけ使わせてほしいとかで声がかかることが多かった。いくつかのサークルを掛け持ちしていたのも、そういう理由からだったのかもしれない。
「……それで、ボランティア?」
「まあ、そんな感じかな」
 全然理解できないって顔してる、と今日子が笑う。
「ま、そりゃそうか。夢は、あたしみたいなのとは真逆の世界にいるんだもんね。むしろ自分がなかったらやってけないような、才能ありきの世界っていうか。そんなところで勝負しようだなんて、ほんとすごいよ夢は」
 今日子はそう言って、屈託のない笑みを見せた。その笑顔には、既視感がある。
『続けなよ。夢には、才能があるんだから』
 ふと、いつかの今日子の台詞を思い出した。今こうして振り返ってみて、気づく。なんて残酷な言葉なんだろう。
「……ごめんね」
「え」
「前に今日子は私のこと、才能あるって言ってくれたけど」
 今日子がそれを聞いて、首を傾げる。
「ほら、いつだったか二人の時に。このまま演劇やめるのは、もったいないって」
「……ああ」
 ようやく思い出したのか、今日子が、あれかあ、と呟いた。
「今日子はああ言ってくれたけど、やっぱり私──」
 私は、今日子の言う「才能ありきの世界」で、その勝負に負けたのだ。でなかったら、私は今こんなところにはいない。毎月の公共料金に一喜一憂したり、派遣会社からの仕事の紹介を待ちわびたりもしない。何年も同じ汚れたスニーカーを履き続けたりなんかもしないだろうし、友達の服や靴を見て劣等感を抱いたりなんかしないし、入った喫茶店でいちいち、いちばん安いコーヒーの値段を確認したりなんかもしないだろう。
 今年に入って、派遣会社への登録を二つ増やした。今やっているコールセンターでの仕事は、あれだけ嫌で辞めたスーパーの仕事とたいして変わらない。毎日毎日、ここじゃない、と思っている。私は多分、今の仕事を一年と持たずに辞めるだろう。でも、次はどこへ? あの時、バックヤードのスイングドア越しに見えていたはずの「自分の居場所」が、今はどこにあるのかわからない。
 それ以上言葉が見つからないまま、すっかりぬるくなったコーヒーに手を伸ばした。冷めたコーヒーは、香ばしさや苦味よりも先に、酸味が際立って舌に残る。黙りこくった私を、今日子はじっと見つめていた。
「才能、あるよ」
「え」
「〝本当に才能がある人は、自分に才能があるなんて思ってない〟」
 その言葉に顔を上げると、昔聞いたことがあるんだ、と今日子が笑った。
「それって、まんま夢のことじゃん。そう思わない?」
 今日子はそう言って、私の手に自分の手をそっと添えた。今日子の言葉には迷いがなくて、本当に私の才能を信じてくれているのだとわかった。
 その日の帰り道、店を出て駅の改札へ向かおうとすると、今日子が突然道の途中で立ち止まり、こんなことを言い出した。
「夢から見て、翔太って才能あると思う?」
「え」
 とつのことに、言葉に詰まってしまった。
「……なんで、私にそんなこと聞くの?」
 今日子は目をしばたかせ、ほんとだね、なんでだろうね、と言ってくすりと笑った。
「あたし、よくわかんないんだ」
 今日子がすっかり暗くなった春の空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「夢って、そんなに大事なものかな。あたしからしたら、脚本書いてる人も役者やってる人も、みんなすごいよ。でもそれって、人生を懸けなくちゃいけないほどのこと? 毎日仕事して、家帰ってお風呂入って美味しいもの食べて。なんでそれだけじゃ満足できないんだろう」
 今日子のその言葉を聞いた瞬間、まるでせんこうはじけるように、頭の中によみがえる風景があった。満開の桜と、空に向かってくゆる煙草たばこの煙。もやがかかったような暗い夜空と、私達を照らすヘッドライトの光。
『なんで俺は、──じゃ満足できないんだろう』
『本当に才能がある人は、自分に才能があるなんて思ってないんだ』
『……だから、夢さんだけは本物でいてくれよな』
 そのまぶしさに目を細めながら、私は必死に思い出そうとしていた。あの日、たくが言っていたこと。夜の向こうに消えて行った拓真のひとりぼっちの背中を。それが結果的に、私達ビューティフル・ドリーマーの最後の夜となってしまった。私達の永遠の文化祭は、あの日唐突に終わりを告げた。

#3-4へつづく
◎第 3 回全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


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