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連載

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」 vol.21

【連載コラム】鉄道ファン必読。内田百閒と宮脇俊三の著作から、酒井順子が鉄道紀行の歴史を振り返る。「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」#16-1

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」

※本記事は連載コラムです。



前回までのあらすじ

鉄道紀行というジャンルを示した内田百聞が「なんにも用事がない」のに汽車で大阪に行っていた時代、普通の人にとっての鉄道は、用事を果たすために乗るものにすぎなかった。その四半世紀後、宮脇俊三は異なるアプローチでそのジャンルを背負う。二人は特急からローカル線までを偏愛し、それぞれのスタンスで、不要不急の旅を謳歌していた。女子鉄・酒井順子が二人を比較しながら時代とともに発展する鉄道と鉄道紀行を読み解いてゆく。

 葬式鉄がいれば、誕生鉄もいる、鉄道ファンの世界。鉄道の楽しさには様々な側面があるが、うちひやつけんの鉄道好き具合に無理矢理名前をつけるとしたら、「そうゆう鉄」ということになろうか。
 私は「ほう列車」においてこの言葉を知ったのだが、「曾遊」とは、かつて行ったことがある、の意。百閒は、乗ったことのない路線を乗りつぶしたいという欲求より、曾遊の地を再訪したいという欲求の方を強く持っていた。曾て行ったことのある地を再訪することは、年をとってからの旅の大きな楽しみの一つであると、最近の私も理解するようになったところ。
 阿房列車の旅の六回目「雪解よこ阿房列車」は、四回目の「東北本線/おう本線阿房列車」で訪れた横手を再訪するための旅である。
「横手にはこの前、一昨年おととし秋出掛けた時の奥羽阿房列車で泊まった。だから曾遊の地である。阿房列車を同じ行き先へ二度も仕立てるとう事は、大体考えていないが、ただこの横手と、もう一つ、熊本のやつしろとへは、重ねてもう一遍行って見たいと思う」
 ということでの旅だった。
 百閒が最初に横手を訪れたのは、秋。横手とくろさわじり(現・きたかみ)を結ぶおうこく線(現・北上線)は、車窓から眺める紅葉が見事だということで、百閒には珍しくローカル線に乗車している。そんな横手の雪景色も見てみたいということでの再訪となったのだ。
 もう一ヶ所、百閒が再訪を希望していた八代は、百閒のお気に入りとして最も有名な地であろう。「阿房列車を同じ行き先へ二度も仕立てると云う事は、大体考えていない」どころではなく、「阿房列車」だけでも八代には五回、訪れている。
 百閒が初めて八代を訪れたのは、阿房列車の旅の三回目、「鹿児島阿房列車」において。
この旅で百閒とヒマラヤ山系は、まず東京発はか行きの「つく」に乗車している。しかし博多までは行かずに、おのみちで途中下車。戦前に乗ったくれ線から見た白砂青松の景色が忘れられず、もう一度見たかったのである。
〝曾乗〟の列車・呉線から、瀬戸内海の景色を楽しんだ百閒は、広島で一泊し、翌日再び「筑紫」に乗車。初めてかんもんずいどうを通り、九州に初上陸したのだ。
 博多で一泊し、三日目に「きりしま」で鹿児島へ。二晩を過ごした後に、さつ線でループ線やスイッチバックを体験して、八代へ到着する。
 この時に投宿したのが、現在は国の名勝として一般公開されている「しようひんけん」だった。熊本藩八代城主であったまつ家が、浜茶屋として建てたやしきと庭園である松浜軒は、鹿児島阿房列車の旅が行われた昭和二十六年(一九五一)から旅館として営業していた。その後、長くひいにすることとなる女中さんの「御当地さん」とのやりとりなど、松浜軒での様子が「鹿児島阿房列車」では詳しく記されている。松浜軒に対する賞賛が連ねられるわけではないが、百閒はこの旅館が気に入ったのであり、阿房列車七回目「春光山陽特別阿房列車」において、八代を再訪するのだった。
 前回も触れたように、この旅は京都と博多を結んで新しく走ることになった特急「かもめ」の一番列車に乗ることが主目的。「博多にいたらすぐに引き返そうかとも思ったが、はるばる筑紫の果てまで来たのだから、事のついでにと思って、一昨年の初夏、一度立ち寄った八代へ、もう一度行って見た」のだ。
「かもめ」車中では、一番列車とあってインタビューなど受けねばならず、落ち着いて列車を楽しむことができなかったが、翌日は博多から八代・松浜軒へ。ただ庭を眺めているだけで、他にするべきことはない。
「何でも出来るけれど、なんにもする事がない。昨日一日の車中にくらべて極楽である。八代に来てよかったと思う」
 という心境になる。
 百閒は、宿に愛着を覚えるタイプだった。紀行作家のつかあや、作曲家で鉄道ファンのほりうちけいぞうとのていだんにおいて、
「ぼくは旅行は好きじゃないんですよ。汽車は好きだけれども旅行という観念はキライですよ。だからどこへ行っても宿屋へ行ったきりでどこへも出たことはありませんよ」
 と語っているように、百閒は旅先でも基本的には、宿にこもっている。松浜軒は百閒にとって籠り心地の良い宿だったのであり、その後も「雷九州阿房列車」「長崎阿房列車」「不知火しらぬい阿房列車」と、九州へ行ったら必ず松浜軒を訪れるのだった。阿房列車シリーズで九州を度々訪れているのは、松浜軒に泊まりたいからという部分も大きかったのだろう。
 宿に限らず、百閒は〝反復癖〟のようなものを持っている。『そうちよう』には、昼食として、毎日正午ぴったりにを届けさせて食べ続ける様が記されている。今もこうじまちにある「あきもと」のうなぎを、日々延々と食べ続ける時期があったことも、有名な話。
 松浜軒に通ったのもまた、そういった〝癖〟の一つの表れかもしれない。ヒマラヤ山系ことひらやまさぶろうが書いた『阿房列車物語 百鬼園回想』には、松浜軒について、
「庭の眺めが、半日ぼんやり眺めていても先生を飽かせないのである。わざわざ汽車に乗って、お庭を眺めて、のんびり欠伸あくびをするだけの目的で、前後十回以上も八代へ行った」
 とある。正確には松浜軒へ行ったのは計九回のようだが、とにもかくにも百閒は松浜軒を愛していた。
 阿房列車の旅は、昭和三十年(一九五五)の「列車寝台の猿 不知火阿房列車」で終わるが、その翌年も春と秋の二度、百閒は松浜軒を訪れている。春は、
「八代へ行って来ようと思い立ったから出掛けて来ただけの事で、八代に何の用事もない。どこかへ廻ると云う先もなく、どこかから八代へ立ち寄るのでもない。ただ八代へ行き、しかし行けば帰って来なければならないから、行ったら帰ると云うただそれだけの予定である」(「八代紀行」)
 という、八代不足を補うためのような旅。そして秋は、新しくデビューした特急「あさかぜ」に乗って博多へ行ったついでに、八代へ。
 さらにその翌年も八代を訪れているが、この旅は、傷心の百閒を元気づけるために行われた旅だった。日本におけるペットロス文学のこう『ノラや』に詳しいが、この年の三月に、わいがっていた飼い猫・ノラが失踪し、百閒は失意のどん底にいた。その前年には、親友のみやみちけんぎようが列車から転落して亡くなっており、百閒にとっては受難の時期であった。
 ノラのことで「悲嘆の最も深刻だった時」に百閒を旅に誘ったのは、「君」こと、新潮社のばやしひろし氏。
「余りに取り乱している私にその話(注・「小説新潮」の取材旅行)を伝えて私の気を変えさせ、私の好きな所へ行く旅行に誘い出して私の気分が落ちつく様に仕向けてくれたのだろうと思う」(「千丁の柳」)
 ということで、当然ながら行き先は八代。いつものようにヒマラヤ山系も一緒に旅をするのだが、大好きな松浜軒でお酒を飲んでいても、ノラのことを思い出すと落涙する百閒。旅に出ている間にノラが戻ってくることもなく、家に帰ると、
くつ脱ぎに腰を掛けたまま、上にも上がらず泣き崩れた」
 のだった。さしもの松浜軒も、百閒のノラロスを癒すことはできなかったのだが、しかし「松浜軒に行けば、先生の気持ちも少しは晴れるのではないか」という椰子君達の気持ちが温かい。
 翌年には、百閒の誕生日を祝う「会」にて、古希のお祝いとして、九州旅行が贈られている。早速旅立った行き先はやはり、八代である。
 しかしこの時、松浜軒は経営の危機にあった。戦後、旅館として営業を始めたものの「営業と云っても士族の商売どころか殿様の商売なのでらちはあかなかったに違いない」と、百閒は『臨時停車』に書く。松浜軒に九度来た中で「外の座敷に相客のあった事は一二度しかない」ということで、百閒も「旅館としての松浜軒がいつまで続くのか知らとこころもとなく」思っていたのである。
 百閒が訪れた時も、松浜軒は既に臨時休業に入っていた。しかし「格別の御贔屓」ということで、宿泊することができたのだ。
 百閒はこの時、松浜軒に今後、宿泊する機会はないと思っていただろう。しかし松浜軒での最後の夜の子細は、『臨時停車』には記されていない。帰る時に御当地さんが駅まで送ってくれた事、そして最初に八代を訪れた時からいつも頼んでいた「老赤帽」も「ホームにって見送ってくれた」ことが記されるのみ。
「もう大分としを取っている。そうは云ってもまた来る折があるか知れないが、何しろ達者でいろと彼のために念じた」
 との老赤帽に対する思いに、八代への惜別の念がこもる。
 親友が他界し、愛猫は行方不明となり、そしてお気に入りの旅館が営業を停止する。親しんできた存在との別れが相次いだこの頃の百閒だが、自身の年齢についても、思うところはあっただろう。「摩阿陀会」は、還暦を迎えたのに「まだ」生きているのか、というネーミングだが、百閒が還暦を迎えた昭和二十四年(一九四九)当時は、戦争直後ということもあり、日本人男性の平均寿命は六十歳に届いていなかった。六十歳で「まだ生きているのか」は、間違った感覚ではなかったのだ。
 一回目の「特別阿房列車」の旅が行われたのは、百閒が還暦を迎えた年。自身の年齢を意識して「好きな鉄道に乗っておきたい」という気持ちも、あったのではないか。
 四回目の旅「東北本線/奥羽本線阿房列車」では、百閒はせんざん線に乗っている。列車がやまでら駅に停車した時、しようが「しずかさや岩にみ入るせみの声」を読んだりつしやくの案内板があるのを見て百閒は、
「汽車から降りて行って見たい気もするが、それは又今度の事、その今度と云うのはいつの事かわからない」
 と思っている。
 若者の「今度」と、平均寿命を過ぎた人の「今度」は違う。百閒の場合は、「今度」が来るかどうかわからない、との意を含めての「いつの事か解らない」であろう。
 百閒は、自身が決して若くはなかったからこそ、八代を頻繁に訪れたのではないかと私は思う。確実にやってくる「今度」として、百閒は八代を愛した。故郷であれ、宮城道雄であれ、ノラであれ、松浜軒であれ。「常」を愛しすぎたからこそ、百閒は「常」を失うことに深く傷ついたのだ。



#16-2へつづく
◎第 16 回の全文は「カドブンノベル」2020年8月号でお楽しみいただけます!


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