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連載

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」 vol.15

鉄道ファン必読。内田百閒と宮脇俊三の著作から、酒井順子が鉄道紀行の歴史を振り返る。「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」#12-2

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」

※この記事は、期間限定公開です。

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 ではうちひやつけんはどうであったかというと、西洋のクラシック音楽に対する特別な愛をつづる文章は見当たらないが、「サラサーテの盤」といった作品を書くということは、聞かないわけでもなかったのではないか。そして百閒と音楽の関係で言うならば、西洋のクラシックではなく、日本のクラシックであるそうきよくを無視することはできない。
 百閒がいく流の琴を習い始めたのは、十四歳の頃だった。東京に出てからは、三十一歳の時に、箏曲の名奏者であり作曲家である大けんぎようみやみちの知遇を得る。百閒は宮城のことが大好きであり、二人は宮城が列車からの転落事故で死去するまで、親しく交際を続けた。
 盲目の宮城が、誤って列車から転落して亡くなる前後のことを、百閒は「東海道かり駅」に詳しく記している。猫のノラがいなくなっても涙の止まらぬ百閒。親友にして琴の師である宮城の死が、列車からの転落という形でもたらされたことに、どれほどの喪失感を覚えたかがにじみ出る。
 琴をこよなく愛した百閒は、音楽全般に対して親しみを抱いていたように思われる。鉄道唱歌が愛唱歌であったことは以前も記した通りだが、のみならず旅先の酒席ではしばしば、いい調子で歌を歌っているのだ。
 カラオケの無い時代、宴会で歌い出す人は多かったのだろうが、百閒が歌うのは流行歌ではなく、鉄道唱歌のように、昔からみの深い歌。たとえば「おう本線阿房列車」では、秋田の宿においてヒマラヤ山系と三人の国鉄職員と一緒に飲みながら、日清戦争の軍歌を歌っている。
 百閒は歌を歌う時、「から血の出る程にどならないと気が済まない」のだった。他の客の迷惑になると女中が歌を止めに来るほどに、声を張り上げている。
 阿房列車シリーズ最後の旅となった「列車寝台の猿 不知火しらぬい阿房列車」では、宮崎から鹿児島へと向かうにつぽう本線車中において、子供の頃に紀元節の式で歌った歌を口ずさんでいる。それというのも日豊本線車中からは、天孫降臨の舞台とされるたかのみねが見えるはずだったから。紀元節の歌は、
「雲にそびゆる高千穂の」
 と、始まるのだ。
 百閒はその歌を、「車輪が線路の継ぎ目で刻む拍子」で、歌っていた。歌えないことはなかったようだが、鉄道唱歌や日清戦争の軍歌の方が、車輪と線路が刻むリズムにはくマッチしたようである。
 そして、この「車輪と線路とが刻む拍子」こそが、クラシックのみならず幅広い意味での音楽と鉄道とを親和性の高いものとしている大きな理由の一つではないかと、私は思う。
「雪中新潟阿房列車」においては、うえから新潟へと向かう急行「こし」の出足の速さに驚き、「走れば揺れる揺れ方が律動的リズミカルで、線路の切れ目を刻む音も韻律に従って響いて来る様に思われた」と、快適なリズムに満足する百閒。
「飛んでもない大きなソナタを、この急行列車が走りながら演奏している。線路が東京から新潟にまたがる巨大な楽器の弦である。みずずいどうのある清水峠はその弦を支えた駒である」
 と、鉄道を楽器になぞらえている。さらには、
ゆうこん無比な旋律を奏しながら走って行く。レールの切れ目を刻む音にアクセントがある。乗客はその迫力にかれて、座席に揺られながらみんなで呼吸を合わせている様に思う」
 ということで、百閒にとって列車が刻むリズムは、この上なく快適なものだったのだ。
「鹿児島阿房列車」では、はか行きの急行「つく」の車中で、ヒマラヤ山系が会話の途中で口にした「ちっとや、そっとの」という言葉と列車のリズムをつい重ね合わせてしまい、今度は百閒が何かにつけて「ちッとやそッとの」と言い続ける、という事態が発生する。かつては、線路のリズムに合わせて「青葉繁れる」で知られる「桜井のけつべつ」を延々と歌い続けずにいられなくなった、ということもあったらしい。
 自動車や飛行機とは異なり、列車はリズムを刻みつつ走る乗り物であり、そして百閒は、リズムに敏感な人であった。鉄道と音楽が共にもたらしてくれるのは、リズムに身を任せる陶酔なのである。
 クラシック以外の音楽ジャンルにおいても、鉄道は作り手の創造性を刺激する乗り物である気がしてならない。たとえば演歌に登場する乗り物といえば、圧倒的に自動車ではなく、鉄道。特に日本海側を走る列車には演歌的情緒を託しやすいし、線路を人生にたとえてみることもできるのだ。
 若者に人気のミュージシャン達も、鉄道をモチーフとした曲を意外なほどたくさん作っている。おそらく自動車をモチーフとした歌よりずっと多いように思われるのは、やはり線路のせいなのだろう。線路があるからこそ、そこから外れるとか外れないとか、始まりとか終わりとか、どこかにつながるとか繫がらないといった詩的イメージが喚起されやすいのではないか。
 同様の意味では紀行文のジャンルでも、自動車での旅行記よりも、鉄道旅行記の方が、名作ぞろい。音楽的かつ文学的な乗り物が、鉄道なのだ。
 百閒はおそらく、耳がよい人であったのだと思う。琴の腕前は相当なものであったようであるし、阿房列車シリーズの中でも、音に関する記述が非常に多い。
 特に百閒がいつも気にしているのは、列車の汽笛の音である。当時は、蒸気機関車と電気機関車が両方、走っている時代。守旧派の百閒としては当然、蒸気機関車を好むのであり、汽笛についても電気機関車のそれは認めたくないようである。
 電気機関車の汽笛について初めて触れた「鹿児島阿房列車」では、
「電気機関車の鳴き声は曖昧である」
 と記している。そして、
「蒸気機関車の汽笛なら、高い調子はピイであり、太ければポウで、そうう風に書き現わす事ができるけれども、電気機関車の汽笛はホニャアと云っている様でもあり、ケレヤアとも聞こえて、仮名で書く事も音標文字で表す事もずかしい。巨人の目くらがあんになって、流して行く按摩笛の様な気がする」
 と、続くのだ(こちらも、今日の観点からみると差別的表現があるわけだが……、以下略)。以降、電気機関車の汽笛を耳にする度に、「例の曖昧な汽笛」と、不満げに書いているのだった。
 今となっては我々が蒸気機関車に接する機会は滅多に無いが、私はイベント等の折、何度か蒸気機関車に乗ったことがある。その時に聞いた汽笛は確かに腹の底から響くようで、心にみた。蒸気がもたらす音は有機的であり、列車と自分を一体化させたいという願望を持つ男性達にとっては特に、たまらない響きなのではないか。
 汽笛を聞いて、「この機関車はC57か58」などと聞き分けもする、百閒。『立腹帖』に収められる「乗り遅れ」には、大正時代によこの海軍機関学校へ教師として通勤していた時の思い出が記されるが、その時に乗っていた八八五○型の汽車の汽笛が、「細く高くれいな音」であったとある。その美しい高い音を「調子笛で合わして見ればよかった」と思っていた百閒は、その後もどこかで同じ音色を聞く度に、「八八五○型がいる」と思ったのだそう。
 まるでれた女性の声の記憶のようであるが、蒸気機関車が奏でる音は、電気機関車のそれよりもずっと、人の声に近いものだったのだと思う。
 百閒と同じ音を、宮脇もまた聞いていた。百閒は、故郷・岡山近辺を列車が走る時、「こうこう、こうこう」と線路が鳴り出すと「鹿児島阿房列車」や「春光山陽特別阿房列車」で書いている。それは「遠方で鶴がいている様な声」であり、「快いかいおんであるけれども、聞き入っていると何となく哀心をそそる様な」音でもあった。
 この「こうこう」という音は、宮脇も子供の頃、山陽本線において聞いていた。昭和十年(一九三五)、八歳の宮脇は母と姉と一緒に、両親の故郷である香川へと旅をしている。旅程は、山陽本線を岡山で下車して線に乗り換え、こう連絡船で四国へと渡るというもの。前年のあた滞在の折、たんトンネルを通ってぬままでは行ったことがあったが、その先の東海道本線は初めてであった宮脇少年は、うきうきと列車に乗っている。
 ひめを過ぎると、線路は上り勾配となる。勾配を抑えるためにかいしている線路を走りつつ、やがて兵庫と岡山の県境のふなさかトンネルへ。このトンネルを抜けると「蒸気機関車の音が変り、全速力で走りはじめた」のであり、さらに、「線路がコウコウと鳴る。制限速度いっぱいの時速九五キロで走っているのであろう」(『時刻表昭和史』)と続くのだった。スピードが速いので、通過する駅の名もわからず、かろうじて「わけ」(和気)と「せと」(瀬戸)だけが読めた、とも。
「鹿児島阿房列車」の百閒も、「みついしの隧道」(船坂トンネルのこと)を出てぜん平野の田圃たんぼばくしんすると、「瀬戸駅を過ぎる頃から、座席の下の線路が、こうこう、こうこうと鳴り出した」と書いている。「春光山陽特別阿房列車」では、やはりこの音を聞いて、「速い時に鳴り出す様で、大体七八十キロ前後にならなければ、鶴は啼かないのではないか」とのこと。
 線路の音を鶴の声に例える百閒は、鶴の鳴き声には格別の思いを持っていた。百閒の実家は後楽園のほど近くにあるが、後楽園では江戸時代から鶴を飼育しており、百閒は子供の頃から、鶴の鳴き声で目を覚ましていた。鶴の声と姿は、「綺麗な事ばかりではなかった私の過去に、れいろうな響きと、てきれきの光りをのこしてくれた」(『たらちおの記』)のだ。山陽本線の線路から聞こえる「こうこう」という音は、空襲で岡山城が焼け、鶴の飼育も途絶えた故郷に対する寂しさと共に、百閒の胸には響いたのであろう(その後、岡山城は再建され、鶴の飼育も再開された)。
 百閒は、鶴ばかりでなく、鳥そのものが大好きである。
「私は小さいじぶんから小鳥が好きで、色色な鳥を飼ったり、殺したりしました」
 と始まる『阿房の鳥飼』との書を記すほど、子供の頃から小鳥達を飼い続け、戦争中に空襲で家が焼けるという時も、飼っていた小鳥達をできる限り連れて逃げようとしていた。
 当然、鳥の鳴き声にも詳しく、阿房列車の旅をしている時も、ひよどりを聞き分けたり、やつしろからすの声柄を判定したりしているのだった。阿房列車に乗って阿房の鳥飼の本領を発揮するのは、百閒にとって至福のひとときだったのではないか。
 鉄道は、ただ移動するために乗るものではない。景色を見て、様々な音を聞き、ばいえんの匂いを嗅ぎ……という、それは五感の全てを刺激される乗り物。二人の鉄道紀行を読んでいると、読者の五感もまた刺激され、身体からだで記憶している列車のリズムがよみがえってくるようなのだった。

#13-1へつづく
◎第 12 回全文は「カドブンノベル」2020年4月号でお楽しみいただけます!


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