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連載

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」 vol.12

鉄道ファン必読。内田百閒と宮脇俊三の著作から、酒井順子が鉄道紀行の歴史を振り返る。「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」#10-2

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」

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 鉄道好き達はこのように、時代の移り変わりと共に鉄道事情が変化していくことに対する、繊細な感受性を持っている。鉄道と一体化したいという欲求が彼らの内奥には見え隠れするわけだが、だからこそ列車や駅のことを血や肉を持つ存在として捉えずにはいられないのだろう。
 内田百閒が「区間阿房列車」において御殿場線に乗ったのも、御殿場線に対する同情のような気持ちを持っていたせいではないか。ヒマラヤ山系と共に東海道本線に乗った百閒は、国府津で下車し、
「どことなく何かの裏を見る様な気持で、国府津の駅には光沢がない」(「区間阿房列車」)
 との印象を持つのだった。それは、「丹那ずいどうができる前の、昔の国府津駅は東海道線の大駅であって、その時分のことを覚えているから」であろう、と。
 御殿場線に乗り換えようとして乗り遅れ、ヒマラヤ山系とベンチに座って二時間、漫然と過ごしたのは前回も書いた通りだが、この二時間という時間も、百閒にとっては意味のあるものだった。かつては各駅停車から超特急まで走っていた路線が、二時間に一本しか列車が走らないローカル線になったという事実を、ベンチに座って百閒は体感していたのではないか。
 この時、百閒が東京駅から国府津駅まで乗った東海道本線は電気機関車だったが、国府津からの御殿場線を走っていたのは、蒸気機関車である。御殿場線が電化されたのは昭和四十三年(一九六八)のこと。百閒が乗車した昭和二十六年(一九五一)は、「昔ながらのばいえんを吐き出す蒸気機関車」が走っていた。
 百閒がショックを受けたのは、御殿場線が単線になっていたことである。宮脇の『御殿場線ものがたり』でも解説されているように、東海道本線時代は複線であったのが、戦争中に不要不急の路線としてレールを他線に回されていたのである。「いつからこんなみじめな事になったのか」という感慨を抱く、百閒。
「線路を取り去った後の道に、青草が筋になって萌え出している」
 との感慨に、哀しみがにじむ。
 百閒が好きな「鉄道唱歌」の第一集「東海道」は明治三十三年(一九〇〇)の刊行であるから、その歌詞は御殿場ルートを歌っている。百閒はその歌詞と、この路線を行き来していた頃の若い自分を思いつつ、車窓を眺めるのだった。
 御殿場線が単線になったのは、昭和十八年(一九四三)。百閒が「区間阿房列車」で御殿場線に乗車したのは、昭和二十六年(一九五一)。この八年という期間は、線路が剝がされるという傷が完全に乾くには、まだ足りなかった。その生乾きの様子が、百閒の目には「みじめ」と映ったのだろう。



 宮脇は昭和五十三年(一九七八)、二作目の著書となった『最長片道切符の旅』の中で御殿場線に乗車しているが、この時点における御殿場線の〝傷〟は、既に乾き切っていたようだ。使われなくなったトンネル、雑草の茂った廃線跡。そして、勾配を上るために「補機」と言われた機関車を増結させる場所であった山北駅は、「構内は広いが草ばかり茂っている」という状態。「不要となった長い下り線のホームは崩れ落ち、巨大な肥めのように見えるのは蒸気機関車の転車台の跡である」と。
 しかし宮脇は、丹那トンネル開通から四十四年、そして御殿場線の単線化から三十五年が経ったこの時点において、沿線の光景に対して百閒のようにみじめさは感じていない。
「人間でもそうだが、落ちぶれて間もないうちは未練がましく哀れっぽくていけないが、歳月を経ると風格がでてくる。私は、鉄道の古都のような風趣をこの山北に感じた」
 と記すのだ。
 この時、宮脇は沼津から御殿場線に乗車するのだが、沼津の様子もまた変化している。八歳の時、丹那トンネルの開通によって「燕」をはじめとして全列車が停車するようになり、
「沼津は偉くなったなあ」
 と思った宮脇であったが、昭和二十四年(一九四九)に電化区間が静岡まで延び、「沼津のちようらくが始まった」。そして、「昭和三十九年に開通した新幹線は地盤の軟弱な沼津を避けた」のだ。
 単線化した御殿場線や、さびれた山北駅に風趣を覚える宮脇は、やがて『失われた鉄道を求めて』『鉄道廃線跡を歩く』という本を出す。廃線跡を徒歩で探索する旅は、「史跡めぐりと考古学を合わせたような世界」であって、「現存の鉄道に乗るのと廃線跡をたどるのと、どっちがおもしろいかという境地に達する」というのだ。宮脇が編著を務めた「鉄道廃線跡を歩く」シリーズは宮脇の死後も刊行が続いて全十巻のシリーズとなり、世に「廃線跡歩き」というジャンルを知らしめた。
 変化を好まない百閒と、変化を受け入れ、味わう宮脇。それは、生まれた時代の違いと言うこともできよう。百閒が生きたのは、戦争を挟んではいたものの、鉄道が勢いを持ち、その路線を延伸していった時代だった。鉄道の世界に変化はあっても、その多くは拡大やスピードアップに伴う変化であったはず。
 対して宮脇は、鉄道斜陽の時代を見ている。自動車の普及等によって、地方の中小私鉄の多くは姿を消し、また昭和五十五年(一九八〇)の国鉄再建法によって、赤字ローカル線が次々に廃線となっていった。
 百閒が他界したのは、昭和四十六年(一九七一)。廃線ラッシュの時代を見ることなく世を去ったことは、百閒にとってはむしろ幸いだったような気もするのだった。

#11-1へつづく
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