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連載

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」 vol.2

鉄女・酒井順子が敬愛する内田百閒と宮脇俊三。二人を比較しながら鉄道と文学について綴る。酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」#5-2

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」

 博多行きの列車の中で、宮脇は居眠りもせず、夢中で車窓を眺める。岡山から先は、宮脇にとっても未知の世界。「時刻表でなじんできた駅が現実に窓の外にあるのがうれしく、ますます眠れなかった」(『時刻表昭和史』)。
 宮脇は、そのまま関門トンネルを通過せず、ごおりで途中下車する。ここまで来たら、もう急がなくてもいい。楽しみを少し、先に延ばしておこう。小郡からバスで行くことができるあきよしだいも、見ておきたい。……と行ってみると、つい秋吉台で眠り込んでしまい、目覚めれば午後三時。関門トンネルは昼間に通りたいと思っていたので、そこで泊まろうかと思ったものの旅館に宿泊を断られたため、まで出て、十八時四十五分発の博多行に乗車する。
 結局、夜に関門トンネルを通ることとなってしまった、宮脇。それでも、やっと来た関門トンネルなのだからさぞかし深い感銘を受けたに違いない、と思いきや「なぜかはっきりした記憶がない」。気の張る長旅であったせいなのか、夜にトンネルを通過したせいなのか……。
 この旅行の途中で、宮脇は盲腸炎になってしまう。帰京後に手術をするが、腹膜炎を併発して大変なことに。「時節をかえりみない関門トンネル旅行の罰が当たったようなもち」になった。
 この旅の後は、「私の時刻表に対する興味は薄らいだ」と、宮脇は書く。列車の削減は続き、時刻表の紙面はすかすかになり、時刻表を入手することも、困難に。鉄道は国のほしいままとなり、もう鉄道好きをよろこばせてはくれなくなった。
 青春時代の最後、もしくは人生の最後かもしれないという覚悟をもって行った関門トンネルへの旅であったが、宮脇は東京に戻って来てからも、さらに旅を続けた。軍需工場への動員が始まる前には、友人とみようこうへ。秋には、たにがわだけの麓にある学校の寮へ。「春」はまだ、終わらなかったのだ。



 その頃、百閒がどうしていたかは、『東京焼盡』に詳しい。戦争中の日記であるこの本の「序ニ代ヘル心覚」の一行目は、
「本モノノ空襲警報ガ初メテ鳴ツタノハ昭和十九年十一月一日デアル」
 というもの。そしてこの日記が始まるのも、昭和十九年十一月一日。この日は水曜日だったので、百閒は日本郵船には出社していない。そんな日の午後一時頃に、「警戒警報の警笛が鳴り出した」のだ。
 この日のことについては、宮脇も『時刻表昭和史』に、
「サイパン島に基地ができると、東京上空にB29が姿を現わすようになった。
 それまでの空襲は中国奥地のせいからであり、北九州までが航続距離の限度だったが、いよいよ日本列島の大半が射程内に入ったのである。サイパンを失ってから四ヶ月たった昭和一九年一一月一日であった」
 と、記している。この時、宮脇は十七歳。家族とともに、がやきたざわに住んでいた。
 一方の百閒は、五十五歳。日記に「家内」と書いてある女性は、法律上の妻ではない。五人の子を産んだ法律上の妻・きよとは、四十歳の頃から別居しており、それ以降はとうこひという女性と一緒に住んでいた。
 空襲といっても、はじめのうちは、サイパンを飛び立ったB29が一機で来るだけだった。「一機による偵察飛行が一〇くらいあり、私たちがそれに慣れてきた一一月二四日、いよいよ本当の空襲が開始された」と宮脇は書く。
『東京焼盡』においても、十一月二十四日からが「第二章 空襲の皮切り」。同二十九日の深夜には、初めて夜間に空襲があり、下町にしようだんが落とされる。宮脇は、
「私の家から眺めると、東の空が夜が明けるまで赤かった。
 翌日、かんがやられたらしいと聞いたので、私は工場の帰りに回り道をして一人で見に行った」
 ということで、その好奇心と行動力はさすが若者。
 百閒は、夜中に警戒警報で目が覚め、それが空襲警報に変わると、「たちまち神田の方の空に大きな火の手上がる。爆弾落下の地響き連続して聞こえ、生きたる心地なし」。おびえたまま夜を明かしたため、朝になっても「身体からだがかたくなったまま、一日ぢゅうほごれない。会社へも出られなかつた」のだ。
 百閒が怖がるのは、年齢のせいだけではない。彼は自他共に認める「怖がり」なのだ。「鹿児島阿房列車」には、「私はいろんな物がこわい。風も雷も地震も、その他何でもない物音がこわかったりする」とあり、それは「祖母が物おそれをするだったので、そのだろう」とのこと。
 空襲に身を固くして疲れ果てる百閒、そして空襲の跡を見に行く宮脇。果たして二人のこの先の運命や、いかに……。

>>#6-1へつづく ※9/12(木)公開

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「カドブンノベル」2019年9月号収録「鉄道無常」第 5 回より


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最新号 2019年10月号

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