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連載

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」 vol.16

鉄道ファン必読。内田百閒と宮脇俊三の著作から、酒井順子が鉄道紀行の歴史を振り返る。「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」#13-1

酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」


前回までのあらすじ

女子鉄・酒井順子が二人の「鉄人」の足跡をたどる。鉄道紀行というジャンルを示した内田百閒が「なんにも用事がない」のに汽車で大阪に行っていた時代、普通の人にとっての鉄道は、用事を果たすために乗るものにすぎなかった。その四半世紀後、宮脇俊三は異なるアプローチでそのジャンルを背負う。戦後、線路はどんどん延びてゆき、時代とともに発展してゆく鉄道の旅を、百閒と宮脇はそれぞれのスタンスで謳歌する。

 造り酒屋の息子であるうちひやつけんは、酒好きである。くろさわあきら最後の作品『まあだだよ』では、百閒門下生達が百閒の還暦を祝って以来毎年続いた「かい」(まだ生きているのか、といったところから来る)を描いているが、会の始まりで、百閒はいつも大ジョッキのビールを一気飲みしている。それは事実だったようで、ヒマラヤ山系ことひらやまさぶろうの著書『ほう列車物語』によれば、それは「口をつけたら息をきらずに飲みす」のが「乾杯の礼儀」だから、と行っていたことなのだそう。
「阿房列車」シリーズでは、百閒の飲みっぷりもまた、読みどころの一つである。旅先の宿では、地元の駅長など国鉄職員を招待して飲むことも、しばしば。普段は人見知りだったというが、駅長となると例外らしく、鉄道人との酒席が「うれしくなかった試しはない」と書いている。
 深酒をすると、朝がつらい。
「もしお酒とうものを飲まなかったら、宿から宿への出立がどんなにすがすがしいだろう」
「旅先でお酒は一切飲まない事にしたら、道中がどんなにさわやかだろう」
 と百閒はあちこちで思うのだが、「しかし今晩からもうお酒を飲むのはよそうと考えるのはずかしい」のだ。
 みやわきしゆんぞうは、
「自分が酔っぱらった状態を活写するのは至難のわざで、それができたのは内田百閒だけ」
 と、書いている。「阿房列車」シリーズにおいて、百閒が飲んだり酔ったりしている様を読むのは楽しいのだが、下戸の私はそれが「至難のわざ」だということを、宮脇の指摘によって知った。
 百閒は旅先の宿でも飲むが、列車内でも相当に飲んでいる。たとえば「特別阿房列車」で百閒は特急「はと」に乗って大阪へ行ったのだが、飲酒は乗車前から始まっている。東京駅においてヒマラヤ山系が首尾よく一等の乗車券を入手した後は、安心して駅のせいようけんで「ウィスキイ」を飲む。列車の発車はお昼すぎであるから、真昼間もいいところだが「これは旅行中の例外であって、旅の恥はき捨てだと云う事にした」のだそう。
 発車後は、しばし鉄道の感慨に浸った後に、食堂車へ。夕食で混雑する時間まで、酒を飲みながら暮れゆく景色を眺める。夕食の時間が近づいてくるとコンパートメントへと戻るのだが、その足元がおぼつかないのは、列車の揺れのせいだけではない。
 コンパートメントに戻ってしばらくすると、またの渇きを覚えた百閒。ボイに持ってこさせた麦酒ビールを二、三本飲んだところで、「あいまいに大阪にいた」のだった。
 大阪駅のホームに降りると、
「大阪駅はいくらか柔らかい様で、ふにゃ、ふにゃしていて、あしもと混凝土コンクリートがふくれている」
 とのこと。百閒の小説ではしばしば、現実に幻想が浸潤してくるかのような記述が見られるが、しかし大阪駅が本当に柔らかくはなかったはずで、酔っていたからこその感覚であったと思われる。
「雷九州阿房列車」では、熊本・やつしろのお気に入りの宿であるしようひんけんにおいて痛飲した百閒。庭の池に、「人の目を見返す様に」光るものを見て、「すいはく」(=水神)の目ではなかったか、と思ったりもしている。
 水神だけではない。阿房列車の旅には、てんやら狐やら猿やらが、ひょっこりと顔を出す。現実と非現実のはざに落ちたようなめいてい感が読む側にも伝わってくるのであり、「自分が酔っぱらった状態を活写」とは、そのような部分を指すのかも。
 阿房列車シリーズの一回目である「特別阿房列車」の出発前、百閒はヒマラヤ山系に、「酒でしくじる事のない様に」との訓示を垂れている。「しくじると云うのは人に迷惑を掛けると云う事でなく、自分で不愉快になり、その次に飲む酒の味がまずくなると云う様な、そう云う事を避けようと云う意味」だそうで、つまりは最初から飲む気が満々の旅だった。
 百閒のような酒飲みがじっくりと飲むことができる場であった鉄道は、その後、変化を続けていく。「特別阿房列車」の時代は東京から大阪までは八時間かかったわけで、乗客は腰を据えてゆっくりと飲むことができた。しかしスピード化が進んでやがて新幹線が登場すれば、大阪までは三時間一〇分で到着するように。
 宮脇が紀行作家としてデビューしたのは、既にそんな時代であった。寝台車は存在していたものの、次第に飛行機や新幹線といった乗り物に押されて、人気は薄れていく。
 新幹線でも飲酒は可能であるけれど、せいぜい三時間程度の乗車時間では、百閒のように鯨飲ということにもなるまい。日帰り出張の後に新幹線で東京に帰る会社員達を見ていると、二、三本缶ビールを飲んで眠りに落ちる人がほとんど。昨今は日本人のアルコール離れが進んでいるせいか、新幹線で日本酒やウィスキーを飲む人の姿も、あまり見なくなってきた。
 スピード化で「日本が小さくなった」と言われるようになり、列車内で消費される酒の量は減ったことだろう。鉄道のスピード化は、乗客の酒の飲み方を変えたのだ。
 百閒と宮脇の酒の飲み方の違いには、同行者の有無という問題も関わってくる。百閒の場合、ヒマラヤ山系という若くて酒も好きな旅のお供が全ての旅に同行したので、常に共に飲むことができた。対して宮脇は、編集者と一緒に旅をすることもあるが、基本的には一人旅派。一人の時は、旅先の酒場で飲んだり、ビジネスホテルで時刻表をめくりながら飲む時間が至福だったようである。
 そんな中、宮脇が列車内で楽しそうに飲んでいる場面が目立つ書が、『時刻表おくのほそ道』である。この本は、日本各地の私鉄、それも日本の片隅で赤字に耐えつつ頑張っている私鉄に乗りに行く旅のシリーズ。「オール讀物」に連載されていたため、最初は企画立案者である文藝春秋社の若手編集者が同行し、彼が異動した後は、別の若手編集者が同行している。
 連載が始まったのは、昭和五十六年(一九八一)、宮脇五十四歳の頃である。二人の編集者とはかなりの年の差があったが、二人は共に酒好きだった。宮脇との相性も良かったようであり、楽しそうに飲みながら旅をしている。
 この書で宮脇達は、しばしばブルートレインに乗車している。一九七〇年代、ブルートレインは飛行機や新幹線に押されるなどして利用客が減ってきていたのだが、一方で一九七〇年代後半には、主に子供達の間にブルートレインブームが到来。被写体としてのブルートレインは、人気になっていた。『時刻表おくのほそ道』の旅は、そのブームもそろそろしゆうえんという頃に行われたのだが、もちろん宮脇と編集者は、普通の人なら飛行機に乗る距離でも、ブルートレインで移動するのだった。
 たとえば、じゆういんまくらざきを結ぶ鹿児島交通枕崎線(昭和五十九年/一九八四年に廃線)に乗りに行った時は、特急「はやぶさ」の個室寝台車に乗車している。東京駅を16時45分に発車し、翌日の14時00分に鹿児島のせんだい駅で下車。二十時間以上乗車するわけで、当然ながら、飲む。「個室寝台に乗る以上は、すこしマシな酒を飲みたい」ということで、宮脇は七年ものの紹興酒をデパートで買ってきていた。
 宮脇は紹興酒が好きだったようだが、かつては「汽車の中で飲む酒は何が好き?」との読者の質問に対して、
「しいていえばワイン。日本酒で好きなのは『八海山』です。缶ビールはあまり好きじゃないですね」
 と答えている。列車内であっても好きな酒を飲みたい、という意思が感じられる。
 宮脇は、酒で身体からだを壊した経験を持っていた。五十代になった頃に肝臓の数値が悪化し、医師から禁酒を命じられたのだ。それがきっかけで『時刻表2万キロ』の執筆に身が入り、会社を辞すことにもつながった模様。
 その後、体調は回復して飲酒も再開されたのだが、「どうせ飲むならい酒を」という感覚は、あったことだろう。
 そんなわけで「はやぶさ」の個室の寝台に並んで座り、紹興酒を傾けた二人。宮脇は百閒のように、男二人が横並びで飲食することを絶対的に忌避するわけではない。列車に乗っているだけでも上機嫌な上に、酒も入ってますます気分が良くなるのだった。
 島根のいちばた電気鉄道に乗りに行った時は、東京駅から「いず1号」で松江へ向かっている。この頃、普通の寝台はガラガラであることが多かったのに対して、個室は人気だった。東京駅では、ブルートレインの写真を撮るべく集まっていた少年達から「羨望の視線」を浴びている。
 宮脇はこの時、駅の売店でウィスキーを仕入れていた。編集者も、日本酒や缶ビールをどっさり買ってくる。車中、二人でたっぷり飲んでも余るほどの量であり、下車後も手分けして、持ち歩いた。
 このあたりの感覚は下戸にはわからないところで、重い液体を持って旅をするだなんて、と思う。しかし彼等は一畑電鉄に乗り終えた後、岡山のやままで、酒を携行。津山の宿で、宮脇が一人、それらの酒を片付けている。
 百閒もまた、似たようなことをしている。「鹿児島阿房列車」では、家から二本の魔法瓶に入れたかんざけを携行して筑紫一号に乗ったものの、おおふなのあたりでは酒が足りなくなることが予見され、ボイに新しく二合瓶を買ってきてもらうも、それを半分ほど飲み残す。旅の道中で飲もうと思って残りの酒をかばんに入れたはいいが、ずっと忘れて、とうとう家に戻ってくるまでの八日間、持ち歩いていたのだ。
 どうやら酒は、酒飲みの旅人にとっては大事な相棒の役割を果たすらしい。残ったからといって捨てることなど、考えられないのだろう。



#13-2へつづく
◎第 13 回全文は「カドブンノベル」2020年5月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年5月号

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