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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.27

美少年が三十代女性を魅了した手口とは? 怒濤のどんでん返しが待ち受ける、衝撃のミステリー! 櫛木理宇「虜囚の犬」#6-5

櫛木理宇「虜囚の犬」

※この記事は、期間限定公開です。

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      2

 チャイムが鳴った。
 来訪者はであった。いつもの「用が済んだら帰れ」の台詞せりふを白石に言わせず、
「十分だけ寝かせろ」
 と彼を押しのけて上がりこんできた。顎にも鼻下にも無精ひげが伸びている。すれ違いざまに汗がぷんと臭った。
 ソファへ横になろうとする和井田を、白石は慌てて止めた。
「駄目だ! 先にシャワーを浴びてこい。ソファは丸洗いできないんだぞ。汗染みと臭いが付くじゃないか」
「堅いことを言うな。おれは三十八時間も起きてるんだぞ」
「なら、あと十分くらい起きてたって一緒だ。シャワーを浴びろ」
「ソファが駄目なら床でいい」
 よっこいしょ、とフローリングへ片膝を突こうとする和井田に、
「床も駄目だ!」
 白石は悲鳴のような声を上げた。和井田の腕をつかんで、無理に引きずり起こす。
「部屋のクリーニング代を請求されたいか。おとなしく風呂場に行け」
 尻を蹴とばすようにして、友人を浴室へ追い立てた。
 和井田がガラス戸の向こうへ消えたのを確認し、白石はソファの上にベッドカバーを二枚重ねて敷いた。さすがに着替えは用意できない。白石と和井田では体格が違いすぎるし、そんな義理もない。ここはカバーで防御するしかなかった。
 どうせ飯も食べていないんだろうと、汁の鍋をあたため、炊飯器を開けた。朝に二合炊いた白飯は、果子が一膳食べたきりだ。残りをすべて握り飯にした。
 十数分後、浴室の戸が開いた。
 出てきた和井田はこざっぱりし、ボディソープの香りを漂わせていた。
いななつの義父の足取りを追っていたんだ。野郎、ちょこまかとよく逃げやがる」
 と言いながら味噌汁をすすり、握り飯をたいらげると、
「十分だけ寝る」
 ごろりとソファへ横になった。
 和井田が寝ている間、白石は夕飯の下ごしらえをした。豆腐を水切りし、からすがれいを解凍し、ほうれん草をでながら、園村家で得たばかりの情報を頭の中で整理した。
 和井田は十二分二十六秒で起きた。
 さすがに十分きっかりとはいかなかったが、なかなかいいスコアだと白石は感心した。和井田はシャツの裾に手を突っこんで腹を搔きながら、
「……稲葉ひろしは、千夏にそうとう執着していたようだ」と言った。
「あの子が家出してからというもの、所轄署に足しげく通っては、『早く娘を見つけろ』、『この税金泥棒』と警官相手に騒いでいたようだ。失踪して半年を過ぎても、まったく諦める様子はなかったらしい」
「粘着タイプか、厄介だな」
「ああ。ちなみにやつは薩摩志津に『誠意を見せろ』としつこくするだけじゃなく、あちこちの関係者に金をせびる電話をかけていた。妻の待つ家には立ち寄る気配がなく、失踪してからは連絡ひとつよこさない。携帯電話の電源も、切りっぱなしのようだ」
「志津さんは安全なのか」
 濃いコーヒーを差しだしながら、白石は尋ねた。
「稲葉弘が急襲できない場所にいるんだろうな?」
「むろんだ。だが居場所は言えん。警察は所在を把握していて、安全だとだけ答えておく」
 和井田はマグカップを呷った。飲みこんで、嘆息する。
「ひさしぶりにまともなコーヒーを飲んだぜ。署内の自販機で売ってる、ありゃあなんなんだ。墨汁を熱湯で溶いてんじゃねえのか」
「墨汁は知らないが、それを飲み終わるまで、ぼくの話を聞いてくれるか」
 白石は言った。そして園村牧子たちから仕入れた情報を、包み隠さず打ち明けた。
 和井田が顎を撫でて唸る。
「おまえ、いい情報網を持ってるな」
「情報網じゃない。ご近所付き合いをしていただけだ。だが経歴と人柄からいって、証言能力は確かだと思う」
「よし、伊田瞬矢の従弟についてはこっちで洗っておこう。伊田本人には強固なアリバイがあるが、べつだん遺族はやつだけじゃないからな」
「大須賀光男の行方は?」
「別班が追っている。だが目立った進展はないようだ。押収したマル害のパソコンからも、たいした情報は得られていない。Amazonやネットオークションで購入した履歴と、閲覧したエロ動画くらいだな。動画は暴力的なポルノばかりだった。それから、監禁被害者たちを撮った画像や動画データも見つかった」
「残酷な動画か」
「まあな。しかしマル害の肉声が聞けたことが収穫っちゃ収穫だ。カメラを据え置きで撮ったらしい映像にも、短時間ながらマル害自身が映っていた。きたはたあやの証言どおり、やつは女たちを『アズサ』と呼んでいた。おまけに、ときおり目を宙に向けては『これでいい?』、『もっと? アズサ、もっとやらなきゃ駄目?』と、見えない女に許可をとろうとしていた」
「見えない女、か」
 白石はうなずいて、
「その口ぶりじゃ、まだ〝アズサ〟がどこの誰かはわかっていないようだな」
 と言った。あからさまに和井田がいやな顔をする。
「警察がサボってるような言いかたをするな。……だがまあ、マル害のまわりからピックアップできていないのは事実だ。現在は伊知郎の知人関係を洗っている。おまえの話じゃ、元家政婦は〝アズサ〟の名を聞かされて動揺したんだろう?」
「ああ。顔いろを変えていた。でもさちさんは義理堅い人だからな。すんなりしゃべってくれるとは思えない」
「おばちゃんは、意外に厄介な生きものだからな」
 和井田はコーヒーを飲みほした。
「かのなかかくえいいわく『女は金で転ばん。一度決めたらでも動かない』だそうだ。おれは金で転ぶ女も、けっしてすくなくないと思うがな。とはいえ男女を問わず、外柔内剛の人間がもっとも手ごわいのは確かだ。だからおまえ、近日中にまた元家政婦に会いに行け」
「なんだその『だから』というのは」
 白石は呆れた。
「話が繫がってないぞ。強引すぎる」
「そう言うな。おまえと元家政婦の間には、すでにある程度の信頼関係ができあがっている。すくなくともおまえのことは〝治郎坊ちゃんの味方〟と見なしているはずだ。おれたち警察は逆に、薩摩治郎の敵だからな。口を割る相手としては、おまえのほうが見込みがある」
「それで証言がとれたとしても、非公式だぞ」
「心配するな、現状打破のとっかかりにするだけだ。は、正規の手つづきで作成する」
 と和井田は手を振ってから、
「ところで稲葉千夏と一緒に掘りだされた、古いほうの白骨死体──。あれが〝アズサ〟じゃないかとおれはにらんでいるんだがな。どう思う?」と言った。
「白骨の身元も、いまだ不明なのか」
「面目ないが、そうだ。上下の歯をかなづち状のもので砕かれていて、歯型の照会ができんのが痛いな。骨髄を採取してDNA型は割りだせたものの、比較できる肝心の対象が浮かんでこない。ひとまず人海戦術で、伊知郎の交友関係を当たっていくしかないか」
「……ぼくは伊知郎さんを、見栄っ張りで虚勢を張ってばかりいるが、芯は弱い人だと思っていた」
 白石は低く言った。
「でも、この事件にかかわるうち、わからなくなってきた。知れば知るほど、彼の人物像が複雑になっていく」
「ガキみたいなことを言うな。人間は誰しも複雑だ」
「確かにそれはそうだが」
 と白石はうなずいて、
「まあ、飯の礼だと思って聞いてくれ。……以前にここで、治郎くんの犯行は『伊知郎さんの物真似じゃないか』と話し合ったことがあったよな。ぼくはその疑いを、強めつつある。治郎くんは孤独で、そして空虚だった。犯行は彼のオリジナルではないはずだ。おそらく、治郎くん自身のトラウマをトレースしている。そのトラウマを与えたのが伊知郎さんならば、きっと例の白骨以外にもそくせきが残っているだろう。伊知郎さんの性格は、緻密でも周到でもなかった。彼の傲慢さは詐欺のはったりには向いても、証拠の隠蔽には向かない」
「なるほど。参考にしよう」
 和井田は立ちあがった。
 シャツ以上によれよれのネクタイを締めなおし、ジャケットを羽織って玄関に向かう。靴を履きながら、彼は白石を肩越しに振りかえった。
「しかし、おれよりおまえのほうが睡眠の質が悪そうだな」
「え?」
「鏡を見ろ。目の下にくまがくっきりだ」
「ああ……」白石はまぶたを指でこすった。
「そうかもしれない。毎晩、やたら夢ばかり見るんだ。やけにはっきりした、過去の夢を……」
「だからプチトマトに話しとけと言っただろう。人の助言を聞け」
 和井田はいらたしげに吐き捨てて、
「しょうがねえな。しばらくは酒どころじゃないが、そのうち気が向いたらおれが聞いてやろう。だが忘れるな、あくまで気が向いたらだぞ。──まったく世話の焼ける野郎だ」
 と、ぶつくさ言いながら出ていった。
 扉が音をたてて閉まった。

#6-6へつづく
◎第 6 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


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