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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.11

少女が監禁犯に捕まった原因とは? 怒濤のどんでん返しが待ち受ける、衝撃のミステリー! 櫛木理宇「虜囚の犬」#3-1

櫛木理宇「虜囚の犬」


前回までのあらすじ

ビジネスホテルで男の死体が発見された。警官が被害者・薩摩治郎の自宅に向かうと、そこには監禁された二十代の女性がいた――。庭から二体の人骨も見つかり、茨城県警刑事部捜査一課の和井田瑛一郎は、七年前に十七歳の薩摩が罪を犯した時の担当だった元家裁調査官・白石洛に事情を聴きに行く。白石は過去を思い出すことに苦痛を覚えるが、当時の薩摩の「ぼくは、犬だ」という言葉が引っかかり、彼をよく知る精神科医と元庭師に会いに行ったのだった。

      2

 死体で発見された家出少女こと、いななつぐんはせくらおおあざかどづかに生まれた。両親は同じく群馬県出身。二歳上の兄がいる。
 長子である兄は、出産時の事故により足に障害があった。母親は夜も昼もなく息子の世話に追われた。父親は第二子を欲しがったが、
「まだ二人目の子供なんて考えられない。それより目の前の息子のことを考えて」
 と彼女は拒むばかりだった。
 しかしある夜、酒に酔った父は避妊せずに母を犯した。その結果できた子が千夏だ。父は堕胎を許さなかった。母は産むべきか悩みながら、息子の世話に忙殺された。堕胎時期を逃してしまった結果、千夏はこの世に産み落とされた。
 両親は、千夏が一歳半のとき離婚した。
「絶対に子供は二人欲しい」と執着していたはずの父は、離婚となるとあっさり親権を放棄した。養育費は三箇月だけ振り込まれたものの、その後はぱったり途絶えた。
 母は兄のみを溺愛し、千夏を養育放棄ネグレクトした。
「あんたなんて産みたくなかった」
「お兄ちゃんだけで手いっぱいだったのに、あんたまでできちゃうなんて」
「何度も、母子もろとも死のうと思った」
 母から絶えず恨み言を聞かされながら、千夏は育った。
「欲しくない子だったから、どうしても可愛かわいいと思えない」とも言われた。
 近所から、幾度も児童相談所への通報がなされた。見かねた民生委員の手引きにより、千夏は四歳から六歳、八歳から十三歳の九年間を児童養護施設で過ごしている。
 だが十四歳のとき母が再婚したことで、生活は一変した。
 新しい義父が「家族四人での生活」を望んだからである。母と義父は千夏を施設から引き取り、支倉市の借家へと引っ越した。
 義父からの性的虐待がはじまったのは、同居して半年つか経たないかの頃だ。
 最初は風呂や着替えをのぞかれる程度だったが、
「きつく抗議すると、また施設へやられるかも」
 と千夏が考えあぐねているうち、すこしずつ義父は行為をエスカレートさせていった。
 肩や腰に直接触る。顔を近づけて髪の匂いを嗅ぐ。いやらしいからかい言葉をかける。千夏が不快感を示すと、義父は「冗談冗談」と逃げ、「千夏ちゃんと仲良くなりたいのに、誤解されているようだ。悲しい」と母親に泣きついた。
 実母は千夏をひっぱたき、
「養ってもらってるんだから、あいくらい振りまいたらどう」
「あんた、自分の立場わかってないんじゃないの」
 と怒鳴りちらした。
 母のお墨付きを得た義父は、大っぴらに千夏の部屋を出入りするようになった。
 そして母が法事で実家へ帰った夜、ついに千夏は義父にごうかんされる。当時、彼女は十五歳になったばかりだった。
 その夜から、千夏は可能な限り義父を避けた。しかし母は「仲良くして」、「なにが気に入らないの」と娘を責めたてるばかりだった。
 中学の途中で転校した千夏には、相談できる親しい友人がいなかった。頼れる大人や親類もまわりにいなかった。
 保健室の養護教諭に遠まわしに打ちあけたが、
「親御さんとよく話し合いましょう。心をひらいて話し合えば、家族なんだからきっとわかり合えますよ」
 と諭されて終わった。
 高校一年生の夏休み、千夏ははじめて家出をした。
 すぐに見つかって連れ戻されたが、その後も義父の隙を突いては逃げ出した。
 千夏は小遣いを厳重に管理されていた。しかし彼女には秘密のスポンサーがいた。実兄だ。
 兄は千夏が虐待されているのを知っており、
「この足じゃ、あいつに反抗しても無駄だから」
 とこっそり千円札や五千円札を握らせてくれた。兄自身も、陰で義父に疎まれていたのだ。千夏は彼からのカンパを逃走資金にし、三年間のうちに五回家出した。
 そうして彼女は六回目の家出で、さつろうに捕まることになる──。

「これらは、きたはたあやの証言から得た情報だ。その後に捜本で裏を取った。結果、彼女の証言と稲葉千夏の経歴はほぼ一致した」
 が資料を指して言う。
「北畠彩香はツイッターで治郎に拾われた。稲葉千夏は『プチ家出掲示板』というサイトで治郎と出会った。彩香が作ったアカウントと、千夏の書き込みがまだネット上に残っていたため、確認は容易だった。ただし治郎のツイッターアカウントはとうに削除済みだ。掲示板の書き込みも同様だった。まあプロバイダにログが残っていたから、消したところで無駄だったがな」
「治郎くんのIPだったのか」
「むろんだ。離れのデスクトップパソコンからのアクセスだった。串も刺してやしない、素のままのIPだ」
「無用心だな」
「ああ。ちなみにミネラルウォーターとドッグフードをネット通販していたのも、当該のパソコンだった。電動ひきにく機と冷凍庫も同様だ。手錠やあしかせなどの拘束具は、SMグッズの通販サイトから購入されていた」
「IPを偽装しなかったのは、捕まってもいいと捨て鉢だったからかな。それとも精神の荒廃が進んで、判断力が低下していたのか……」
「どっちだと思う」
「わからない。ぼくはこの七年間、彼に会っていないから情報が乏しい。せめて一度でも顔を見るなり、声を聞くなりしていたら判断できたかもしれないが」
「音声データならあるぞ。ただし薩摩治郎のじゃあないがな」
 和井田はバッグからICレコーダを取り出した。
 しらいしは片目をすがめた。
「誰の音声だ」
「北畠彩香さ。病室で聴取した際の、録音データだ。ゆっくりとだが彼女は回復傾向にある。医師の許可をとって、十分きっかり話してもらった」
 再生スイッチを入れる。
 白石は一瞬ためらった。だが止める間はなかった。
 かぼそい女性の声が流れ出した。疲れきった声だ。精神的にも肉体的にもこんぱいしていると、声音だけでわかる。保護されてから十日近く経つはずだが、心が癒えた様子はなかった。
「すまん和井田、音量を絞ってくれ」
 白石は言った。
「……まだぼくは、傷ついた女性の声を聞くのに、抵抗がある」
 和井田が無言で音量を下げた。
 北畠彩香の声は細いが、滑舌がよく聞きとりやすかった。
「わたしは千夏ちゃんを守って、世話しなきゃならなかった」彼女は言った。
 その役目があったから、つらくても生きていられた。でもあの子がいなくなってからは、いつ死んでもいいと思っていた──と。

 北畠彩香は、千夏を妹として扱うことで心の均衡を保っていたらしい。また千夏のほうも、彩香にべったり甘えきっていたようだ。
 千夏は離れの地下室で、
「いままでは五回とも東京に逃げて、すぐ連れ戻された。でもこっちならおさんも追ってこないかと思って、電車をたくさん乗り継いで来たの」
 と彩香にしがみついてすすり泣いたという。
駅前のコンビニでパンを買って食べたら、お金が残り十二円しかなくなった。誰でもいいから助けてほしかった。だからコンビニの駐車場から、ネットにアクセスしたの。拾ってもらえるなら、鬼でもいいって心境だった」
 ──そんなふうに考えたから、ばちが当たったのかな。
 ──まさかほんとうに、鬼に捕まるなんて思わなかった。
 千夏は激しくしゃくりあげた。
「大丈夫。きっといつか出られるよ」
 彩香は彼女を抱きかえし、そらぞらしい慰めを言うしかなかった。
 二人をさらった男は、二日に一度の割合で地下室に下りてきた。
 彼女たちを代わるがわる強姦し、水とドッグフードの皿を交換し、おまるを取り替えた。塩分不足を防ぐためか、ドッグフードにはたまにしようがかけてあった。
 半裸で、己のはいせつぶつの臭いを嗅ぎながら、ドッグフードを手づかみで食わねばならない生活は惨めすぎた。
 いつかきっとおかしくなる。彩香は思った。こんな暮らしがいつまでもつづいたら、頭がきっとどうにかなる。わたしたち二人とも、きっと正気ではいられない──。
 だが自分の舌をみ切る勇気はなかった。フォークやナイフなど、とがった道具もいっさい与えられなかった。
 鎖を首に巻いてくびれ死のうにも、長さからしてお互いの協力が不可欠だった。そして二人とも、お互いを殺すのだけは絶対にいやだった。
「一人にしないで」
 千夏は泣いた。
「どのくらいかわからないけど、さらわれてきてからずっと一人だった。あんな寂しいのは、二度といや。置いていかないで」
 しかし結果的に、彩香を置いて死んだのは千夏のほうだった。
 男はほとんど口をきかなかった。寡黙な暴君だった。機械のように規則正しくあらわれ、彼女たちを交互に犯し、食料と水を替えていった。他人の排泄物にまるで嫌悪を示さないのも、異様な感じがした。
 彩香と千夏は、監禁されているうち薄汚れた。髪は脂でべとつき、肌にはあかまった。顔や手すら洗えない生活だった。
 臭覚が鈍麻して、己の臭いはわからない。しかしひどい臭いを放っていたはずだ。なのに治郎は女たちがどんなに汚れようが、垢じみようが意に介さなかった。
 こんな汚らしい女たちに、あの男はよく〝その気〟になれるものだ──。彩香は不思議だった。衛生や美への、男の無関心さが気味悪かった。
 性的興奮より、男は支配にかれているように見えた。支配したいという欲望でなく、支配という強迫観念に。
 男は彼女たちを犯し、殴った。
 とりわけ女たちが「せめて体を拭きたい」、「髪を洗わせて」と自己主張したときに、ひどく殴った。「今日は何日なの。外はどうなっているの」などという問いは、ただ黙殺した。
 彼女たちを殴ったあと、男は急に弱気になることがあった。
 床に膝を突き、頭を両手で抱え、「ごめんよ」と謝るのだ。
「ごめん、ごめんよ……ほんとうは、殴りたくない。乱暴なことは、したくない。でもぼくは、こういう人間でいなきゃいけないんだ。ごめんよ、アズサ……」
 涙声だった。
 なぜか男は、彩香と千夏をひとしく「アズサ」と呼んだ。
「殴ってごめんよ、アズサ」
「どこにも行かないで、離れないで、アズサ」
 といったふうに。
 また機嫌のいい日には、ドッグフードを与えたあと「ぼくたちは家族だ」と言うこともあった。
「ぼくたちは、みんな犬だ。犬の家族だ。アズサ、ぼくの子供を産んでくれ。ここでみんなで、楽しくいつまでも暮らそう」──。

>>#3-2へつづく ※9/23(月)公開
◎第3回全文「カドブンノベル」2019年10月号に掲載されております。


「カドブンノベル」2019年10月号

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10月10日 配信

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