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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.51

【連載小説】美しい親友が、殺人犯? 中学生男子は見知らぬ男に声を掛けられ……。 櫛木理宇「虜囚の犬」#9-2

櫛木理宇「虜囚の犬」

※本記事は連載小説です。

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    3

 はし家の玄関戸を開けた途端、芳香がふわりとかいの鼻孔をくすぐった。芳香剤だ。シトラスバーベナの香りだった。
「入れよ、海斗」
 ひろはご機嫌だった。鼻歌まじりに、ポストから郵便物を抜く。でスニーカーを脱ぎながら、封書や葉書をり分ける。
 その手がぴたりと止まった。同時に、顔から笑みがかき消える。
「ど──」
 どうした未尋、と言いかけて、海斗は言葉をんだ。
 未尋の手から、郵便物がこぼれ落ちた。家電量販店からのダイレクトメール。エステサロンからの葉書。役所からの封書。乾いた音をたてて三和土に落下する。
 未尋の右手は、一枚の葉書を握っていた。
 ほおが真っ白だ。かすかに震える手が、その葉書を二つに裂いた。重ねてもう一度裂く。ぐしゃぐしゃに手の中で丸める。
 未尋は顔を上げた。
「……見たか?」
 意味はすぐにわかった。いま裂いた葉書の文面を見たか、と未尋は問うていた。
 うそをつこうか一瞬迷った。だが海斗は結局、正直にうなずいた。
 葉書には『クリニック移転のお知らせ』と大きく刷ってあった。おそらくかつての患者たちに、機械的に送ったものだろう。差出人は『メンタルクリニック早瀬』。
くそがっ!」
 未尋はかまちを蹴った。
「……どうしてこう、デリカシーがないんだよ。仮にも精神科医を名乗ってるなら、もっと個人情報に気を遣えよ。郵便配達員のやつ、きっと見たよな。局の、仕分けのやつだって見た──ああ、糞、糞、くそったれ!」
 真っ白だった頰に、一転して血がのぼっていた。顔面が膨れ上がっている。以前にも見た形相だった。そう、【天誅】という固定ハンドルの書きこみを読んだときと同じ憤怒──。
 未尋はその場で足を踏み鳴らし、つばを吐き、わめきちらした。
 海斗は無言で、相棒が鎮まるのを待った。
 やがて未尋はわめくのをやめた。肩が大きく上下している。ふーっ、ふーっ、と荒い息を吐いている。
 やがて未尋は、ちいさく言った。
「……あの頃のおれは、嫌いだ」
 消え入りそうな声だった。
「この医者にかかっていたときのおれは、おれじゃなかった。弱くて、馬鹿で、愚図で、意気地なしで──。大嫌いだ。ちくしょう、死ね。全部死ね。あの頃のおれごと、みんなくたばっちまえ」
 泣かないよう、彼がこらえているのがはたにもわかった。
 海斗はなにもできずにいた。慰めることも、未尋の肩を抱いてやることもできなかった。
 時計の秒針が、やけに大きく聞こえた。

 その夜、海斗はポータルサイトでニュースをて仰天した。
 例のビジネスホテル殺人事件の真犯人を名乗る者から、新聞社宛てに何度か犯行声明文が届いたという記事であった。文章の末尾には、
「これを載せないと新聞社を爆破する」
 と添えてあったらしい。新聞社は威力業務妨害として被害届を出したそうだ。
 扱いはさして大きくなかった。詳細の大半を伏せた、ごく短いニュースであった。大衆に騒がれた事件ゆえ、警察はくぎを刺す意味もこめておおやけにしたらしい。閲覧者のコメントは茶化すようなものが大半で、
「また目立ちたがり屋の馬鹿かよ」
「民度低いっすね」
「こういう馬鹿はじゃんじゃん逮捕して、見せしめに実名さらしちまえ」
 と一様に冷笑的だった。だが海斗は笑えなかった。
 ──未尋もいま頃、家でこのニュースを観ているだろうか。
 だとしたらどんな気持ちだろう。まさか未尋が犯行声明文を送ったとは思えない。彼の行動パターンとは、あまりにかけ離れている。
 未尋にLINEするべきか、海斗はしゆんじゆんした。こういうときは笑いにまぎらわせてしまったほうがいいんだろうか。それとも彼と一緒に憤るべきなのか。
 数秒置いて、海斗はあきらめの吐息をついた。どうすれば未尋の気持ちに寄り添えるのか、まるでわからなかった。スマートフォンをいったん置きかけ、思いなおしてニュースのスクリーンショットを保存する。
 ホテルの殺人事件についてまとめたフォルダに、そのデータを追加した。
 ほとぼりが冷めたら未尋に全部訊こう──そう思った。ほとぼりとやらが、いつ冷めるかはわからない。だからこそ、いまは情報収集しておこうと思った。

#9-3へつづく
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