【連載小説】美しい親友が、殺人犯? 中学生男子は見知らぬ男に声を掛けられ……。 櫛木理宇「虜囚の犬」#9-2
櫛木理宇「虜囚の犬」

※本記事は連載小説です。
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「入れよ、海斗」
その手がぴたりと止まった。同時に、顔から笑みがかき消える。
「ど──」
どうした未尋、と言いかけて、海斗は言葉を
未尋の手から、郵便物がこぼれ落ちた。家電量販店からのダイレクトメール。エステサロンからの葉書。役所からの封書。乾いた音をたてて三和土に落下する。
未尋の右手は、一枚の葉書を握っていた。
未尋は顔を上げた。
「……見たか?」
意味はすぐにわかった。いま裂いた葉書の文面を見たか、と未尋は問うていた。
葉書には『クリニック移転のお知らせ』と大きく刷ってあった。おそらくかつての患者たちに、機械的に送ったものだろう。差出人は『メンタルクリニック早瀬』。
「
未尋は
「……どうしてこう、デリカシーがないんだよ。仮にも精神科医を名乗ってるなら、もっと個人情報に気を遣えよ。郵便配達員のやつ、きっと見たよな。局の、仕分けのやつだって見た──ああ、糞、糞、くそったれ!」
真っ白だった頰に、一転して血がのぼっていた。顔面が膨れ上がっている。以前にも見た形相だった。そう、【天誅】という固定ハンドルの書きこみを読んだときと同じ憤怒──。
未尋はその場で足を踏み鳴らし、つばを吐き、わめきちらした。
海斗は無言で、相棒が鎮まるのを待った。
やがて未尋はわめくのをやめた。肩が大きく上下している。ふーっ、ふーっ、と荒い息を吐いている。
やがて未尋は、ちいさく言った。
「……あの頃のおれは、嫌いだ」
消え入りそうな声だった。
「この医者にかかっていたときのおれは、おれじゃなかった。弱くて、馬鹿で、愚図で、意気地なしで──。大嫌いだ。ちくしょう、死ね。全部死ね。あの頃のおれごと、みんなくたばっちまえ」
泣かないよう、彼がこらえているのが
海斗はなにもできずにいた。慰めることも、未尋の肩を抱いてやることもできなかった。
時計の秒針が、やけに大きく聞こえた。
その夜、海斗はポータルサイトでニュースを
例のビジネスホテル殺人事件の真犯人を名乗る者から、新聞社宛てに何度か犯行声明文が届いたという記事であった。文章の末尾には、
「これを載せないと新聞社を爆破する」
と添えてあったらしい。新聞社は威力業務妨害として被害届を出したそうだ。
扱いはさして大きくなかった。詳細の大半を伏せた、ごく短いニュースであった。大衆に騒がれた事件ゆえ、警察は
「また目立ちたがり屋の馬鹿かよ」
「民度低いっすね」
「こういう馬鹿はじゃんじゃん逮捕して、見せしめに実名
と一様に冷笑的だった。だが海斗は笑えなかった。
──未尋もいま頃、家でこのニュースを観ているだろうか。
だとしたらどんな気持ちだろう。まさか未尋が犯行声明文を送ったとは思えない。彼の行動パターンとは、あまりにかけ離れている。
未尋にLINEするべきか、海斗は
数秒置いて、海斗はあきらめの吐息をついた。どうすれば未尋の気持ちに寄り添えるのか、まるでわからなかった。スマートフォンをいったん置きかけ、思いなおしてニュースのスクリーンショットを保存する。
ホテルの殺人事件についてまとめたフォルダに、そのデータを追加した。
ほとぼりが冷めたら未尋に全部訊こう──そう思った。ほとぼりとやらが、いつ冷めるかはわからない。だからこそ、いまは情報収集しておこうと思った。
▶#9-3へつづく
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