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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.35

心理学のプロは、証言者の「嘘」を見破れるか? 怒濤のどんでん返しが待ち受ける、衝撃のミステリー! 櫛木理宇「虜囚の犬」#7-6

櫛木理宇「虜囚の犬」

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 第五章

    1

 教室は、休み時間特有の穏やかなけんそうに包まれていた。
 自席に着いたまま、かいはスマートフォンに目を落とした。まわりに見られないよう、机の陰にして両ももの間に挟みこむ。
 表示されているのは、ひろから昨夜転送してもらった画像だった。
 画像はほぼ三色で構成されていた。シーツの白。やや黄みがかった肌のいろ。そして髪の毛と陰毛の黒。
 海斗の口もとが緩む。侮蔑の笑みだった。同時にかいさいの笑いでもあった。
 写っている女は〝父の後妻〟だった。
 あの女が未尋に色目を使っているのは知っていた。未尋がわざとまんざらでもない様子を見せ、気を持たせているのもわかっていた。
 ──だけど、こんなに仕事が早いとは。
 くっ、と笑いで喉が揺れた。
 未尋はLINEで「ほいほい送ってきやがった(笑)」と後妻をあざわらっていた。
「あのババア、すげえ簡単に釣れたぜ。『ボク同年代の女の子って苦手なんです。子供っぽいし、言葉遣いとか乱暴だし……大人の女性に憧れちゃうんです』だの、『うちの母は忙しい人で、なかなか甘えられなくって。今度ミキさんに甘えていいですか』だの、古典的に攻めてやったらイチコロだった。言ったろ? 旦那に相手にされてないババアは、あっさり落とせるって」
 ミキ、とは後妻の名だ。海斗自身は一度たりと呼んだことのない名である。
「きったねえ体だよな。腹肉ぶよぶよ。尻なんか、垂れさがった肉が段になってやがる。まるで象だぜ、象。まあババアには『ミキさんの体ってれいすぎて、いやらしい感じがしないです。ルノワールの絵みたい』って送っといたけどよ(笑)」
 メッセージを読んだ海斗は、耐えきれず噴きだした。
「ルノワールって(笑)(笑)。天国のルノワールが生きかえって、ぶん殴りに来るレベル」
 と送りかえす。爆笑顔のスタンプを、さらに二個連続で送った。
 晴れ晴れとした気分だった。このところ仏頂面だった未尋が、この一件で機嫌をよくしてくれたのもうれしかった。
 ──例の、匿名掲示板の固定ハンドルコテハン
 名前欄に【天誅】と入力して「ビジホ殺人事件の真犯人はおれだ。捕まえてみろ」と煽るそいつが一人だけなのか、はたまた何人もいるのか海斗は知らない。なぜあの事件に執着するのかも謎である。
 わかっているのは、そのコテハンがはしゃぐほど未尋が不機嫌になるということだけだ。
「──くにひろくん、なに見てんの?」
 不意に、斜め上方から声がした。海斗はぎくりとし、慌てて画像を切り替えた。
 未尋と撮った、猫の画像が表示される。
「あ、いや、べつに」
「あー猫じゃん。猫、好きなんだ?」
 すこし前に、消しゴムを拾ってやった女子生徒だ。あれ以来なぜか、ぽつぽつと話しかけられるようになっていた。そのたび海斗はあたりさわりなく応じた。
「おれじゃなくて、友達が好きみたいで」
「へえ。うちの学校の子?」
「いや」ちょっと迷って「塾の友達」と答える。
「そっか。國広くん、頭いいもんね。レベル高いとこ行ってそう」と女子は笑ってから、
「あんまり嬉しそうに見てるから、エッチな画像かと思っちゃった」
 からかうように言った。
 思わず海斗はぎくりとした。しかしおくびにも出さず、
「まさか。ここ教室だぜ」
 と愛想笑いで応えてやった。未尋から習った、完璧なバランスの笑顔であった。

 昼休みに、海斗は教室を抜け出した。
 渡り廊下を越え、人気のない北校舎へ向かう。
 この北校舎はなぜか改築されぬまま残されており、ほとんど使用されていない。以前の音楽室は物置きにされ、もと図書室は空き本棚が倒れたまま放置されている。
 施錠の甘い非常扉を抜け、海斗は階段に座りこんだ。
 ほこりかびの入り混じった空気が、喉にいがらっぽい。
 海斗はポケットからスマートフォンを取りだした。
 まずネットでポータルサイトにつなぐ。ニュースをくまなく確認したが、例の殺人事件の続報はなかった。次に匿名掲示板へアクセスする。
 ニュース板では、まだ【天誅】の固定ハンドルが暴れていた。だがIDがバラバラだ。今日は【天誅】を名乗る馬鹿が複数集まっているらしい。
 ──未尋もこれ、見てるかな。
 ぼんやり思った。未尋が学校ではどんなふうなのか、海斗は知らない。訊いたところで、「くだらねえやつしかいねえよ」と未尋は肩をすくめるだろう。
 ──彼もこんなふうに、人気のない場所で一人、スマートフォンをいじっているのではないか。
 そんな気がした。
 ──そしていま頃、きっと怒っている。
 むろん、この【天誅】を名乗る馬鹿どもに対してだ。さぞ苛立ちをつのらせ、舌打ちを繰りかえしているに違いない。なぜってこいつらのしていることは、たぶん未尋の美意識に反する。
 ──未尋がやったのではないか。
 海斗はそう思うようになっていた。あのホテルで、男を殺したのは未尋なのではないか。
 発表されている犯人の風体は「身長百七十センチをすこし切る程度。瘦せ形」で、未尋に当てはまる。服装はごく平凡で、用意するのも捨てるのもたやすいはずだ。
 動機はわからないが、そこはどうでもよかった。
 未尋の行動に理由などいらない。女たちの友情を裂いてやったときや、飢えた女児にドッグフードを与えたときと同じだ。彼はただ、やりたいからやったのだろう。それで充分だった。
 ──身長百七十センチをすこし切る程度。瘦せ形。
 そういえばはし家を見張っていた男もそんな体格だった、とふと思いだす。
 でもあんな野郎じゃいやだな、と思った。あんなえないおっさんじゃつまらない。まるで胸が躍らない。
 未尋のほうが、そう──ずっと。未尋のような美少年こそ、謎めいた殺人者にふさわしい。
 海斗は匿名掲示板を離れ、テキストエディタを立ち上げた。
 保存していたデータをひらく。ホテルの殺人事件について、海斗なりに情報をまとめたテキストデータであった。
 情報源はマスコミを頼るしかないので、テレビやネット、週刊誌などだ。意外なことに週刊誌がなかなか有益だった。被害者は〝殺されて当然の男〟とされ、同情されてはいないものの、その複雑な生い立ちに注目が集まっているらしい。
 予鈴が鳴った。
 海斗は慌てて立ちあがった。
 スマートフォンをポケットにしまい、非常扉をくぐって走る。
 北校舎から教室までは遠い。授業に遅れたくなかった。真面目だからではない。目立ちたくないからだ。
 なんとかチャイム前に、教室にすべりこんだ。ほっと息をつく。
 自分の席に目を向けて、海斗は目をすこし見ひらいた。ペンケースが落ち、中身が広範囲に散らばっていた。
 かがみこんで拾おうとしたとき、斜め上方から足が振り下ろされた。
 足は海斗の手をややそれて、カラーペンを踏みつけた。低い声が降ってくる。
「……おまえ、シミズに相手にされたからって、調子のってんじゃねえぞ」
 海斗は顔を上げなかった。わざわざ見るまでもなく、声の主は〝いじられキャラ〟のさぎたにであった。顔を確認する代わりに、海斗は「シミズ? シミズって誰だっけ」と考えた。答えはゼロコンマ数秒で出た。
 ──ああ、消しゴムの女子か。陸上部の、ルックスが中の上ランクのみず
 海斗は首を動かし、鷺谷を仰いだ。彼の表情を見てはじめて、ああ、と納得する。なるほどね、こいつ、清水のことが好きなのか。
 鷺谷が舌打ちして離れていく。
 海斗は横目で清水なにがしをうかがった。彼女は真後ろの友人としゃべるのに忙しく、海斗たちの様子には気づいていなかった。
 海斗は手早くペンをかき集めた。すべてペンケースにおさめ、ファスナーを閉じると同時に、本鈴が鳴り響いた。

#7-7へつづく
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