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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.31

心理学のプロは「嘘の証言者」を吐かせられるか? 怒濤のどんでん返しが待ち受ける、衝撃のミステリー! 櫛木理宇「虜囚の犬」#7-2

櫛木理宇「虜囚の犬」

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「どうして」
 白石は問うた。
「どうしてそう思ったんです。お孫さんには、動機があったんですか」
「動機というか、あの事故の数日前、孫は旦那さまに殴られていたんだ。庭の松に葉枯病の兆しがあってさ。進行度が気になって、あの子はこっそり裏木戸から入ったらしい。それを旦那さまに見とがめられた。旦那さまは激怒し、孫をぶん殴って追い出した」
「でも、その程度で」
「孫にはアリバイがなかった」
 善吉は早口で言った。
「あの子は当時、朝にジョギングする習慣があって──旦那さまが脚立から落ちただろう時刻に、家にいなかったんだ。それにあの子は、親にもたたかれたことのない箱入りだった。一人息子で、わが家の宝だった。生まれてはじめて顔を拳で殴られて、あの子は部屋にこもって悔し泣きしてたよ。その姿を知っていたから──もしや、と思わずにいられんかった。旦那さまがうちの孫を、『馬鹿ガキがっ』と、例の調子で怒鳴っていたのも知ってたしな」
「だから警察に言わなかったんですね。……お孫さん本人には、確認したんですか」
 白石の問いに、
「孫がやったんじゃないとは、あとでわかったよ」善吉は疲れた声で答えた。
「だが、いまさら警察には言えんかった。黙っていましたが、じつはこうでした、なんて、名乗り出る勇気はなかった。客商売だし、いずれ孫に譲るつもりだった家業だからな。ごたごたを避けたかったのが本音さ」
 善吉には、もはや噓をつく気力はなさそうだった。たった数分で、十も老けたように見えた。
 白石は重ねて尋ねた。
「薩摩邸を訪れていたという、治郎くんの〝仲良しグループ〟について教えてください。トラックの前へ飛びだして、自殺した子がいるそうですね」
「ああ、そんな子もいたね」
 善吉は力なくうなずいた。
「でもくわしくは知らないよ。自殺の理由も知らない。ああ、そういや坊ちゃんをいじめたやつは、自殺した子の親戚じゃなかったかな。因果はめぐる、ってやつかねえ。……うん、因縁だな」
 どうやら善吉は、しゆんが治郎を逆恨みしていたとは知らなかったようだ。伊知郎が死んだ日、伊田瞬矢にアリバイがあったか和井田に調べてもらおう、と白石は考えた。善吉を見据え、さらに問う。
「グループの中に、〝アズサ〟と呼ばれていた子はいませんでしたか」
「は?」
「もしくは、それに似たあだで呼ばれていた子は? 心あたりはありませんか」
「心あたりもなにも」
 善吉は面食らったように言った。
「アズサってのは、旦那さまのだろう。さすがに家に連れこみゃしなかったんで、顔までは知らんがね。一時期、ずいぶんご執心だったようだ」
「ほんとうですか」
 白石は詰め寄った。善吉が口をとがらせる。
「いまさら噓なんかつきゃしねえよ。アズサって女について知りたいなら、さちさんに訊きな。おれなんかより、あの人のほうがきっと詳しい」
 それは知ってます、と白石は胸中で応えた。
 家政婦だった幸恵は、アズサの名を出したとき顕著な反応を示した。和井田にも、近日中にまた会えと言われていた。
「『一時期ご執心だった』の一時期とは、いつです」
「さてね、正確にはわからんよ。おれもとしだし、そう記憶力のいいほうじゃないんだ。しかし坊ちゃんと旦那さまが口論してたから、意外に長くつづいていたのは確かだ」
「口論?」
「ああ」
 善吉はうなずいて、「もういいや、言っちまおう」と吐息をついた。
「孫のことまでしゃべっちまったし、おれ自身がさっき言ったとおり、坊ちゃんはもう死んだんだものな。……かばってやる義理も、もうねえやな」
 白石は拳をきつく握った。かしたい気持ちを抑え、無言で話のつづきを待つ。
 善吉は言った。
「旦那さまと坊ちゃんは、そのアズサって女を取り合いしてたのさ。庭でせんていしてたとき、窓の隙間から声が洩れて聞こえたんだ。旦那さまが『アズサはおまえのものじゃない』とかなんとかわめいて、坊ちゃんが怒鳴りかえしてた。おれは仰天したよ。まさかあの坊ちゃんが、旦那さまに大声で言いかえす日が来るとはね」
「治郎くんは、父親になんと反論したんです?」
「はっきりとは覚えてない。だが『老いぼれ』だの『あんたは用済みだ』とか、坊ちゃんらしくない言葉を連発してたよ。あれにゃあ驚いた」
「それはいつ頃のことです?」
「うーん、坊ちゃんが二十歳になるちょっと前かな。大人になったんだなあ、と変に感心したことを覚えてるから」
 二十歳のすこし前か。白石は思った。ならば伊知郎の事故死からも、〝すこし前〟ということになる。
 善吉は白石の思いを読みとったように、
「だよなあ。おれぁとつに『うちの孫かも』と思っちまったが、冷静に考えたら、坊ちゃんがやったに決まってる。旦那さまはいつも坊ちゃんを馬鹿にして、ののしってた。でも、どっちにしろ警察に言うつもりはなかったよ。旦那さまがあんな死にかたをなすったのは、言っちゃ悪いが自業自得さ」
 と苦い声を押しだした。
「坊ちゃんも馬鹿だよ。旦那さまを殺すだけで満足して、家を出ときゃよかった。そしたら、外に広い世界がひらけていただろうにさ」
 なかば以上、独りごとに聞こえた。
 善吉はつぶやいた。
「いや、どのみちあの父子はああなる運命だったか。坊ちゃんに、一人で生きていく力はなかったろうしな。なにもかも因縁で、因果なのかもしれん。……ふん、親子どんぶりなんて、犬畜生のやることさ」

      6

 白石はその足で、元家政婦のやす幸恵を訪ねた。
「善吉さんの口から、〝アズサ〟は伊知郎さんの情婦だとお聞きしました。そして『おれなんかより、幸恵さんのほうがきっと詳しい』と」
 予想どおり、幸恵はてきめんに態度を硬化させた。
 うんともすんとも言わなくなった幸恵に、白石はいななつの半生を語った。もちろん実名は伏せ、義父がおおひろしであることも伏せて話した。
 そむけた幸恵の頰はこわっていた。だが「やめて」とは言わなかった。
 つづけて白石はきたはたあやの半生を語った。つづけて彼女たちがあの離れでどんな目に遭っていたかを、なるべくせんじよう的にならぬようとつとつと説明した。
 聞き終えた幸恵は、血の気のない顔で言った。
「──わたしに、どうしろと言うんです?」
 語尾が震えていた。その震えに、白石は迷いを嗅ぎとった。
 幸恵には娘が二人いる。とくに下の娘は、北畠彩香と一歳違いだ。娘たちが千夏と同年代だったのも遠い日のことではない。それを承知で、すべてを話した。
 いささかきようだが、情で動く人間には情で訴えかけるほかなかった。
「彼女たちのことを、考えてほしいんです」
 白石は言った。幸恵が応える。
「わたしには、なにもできません」
「なにかしろと言っているんじゃありません。ただ彼女たちについて考え、想像してあげてほしいんです。もし自分だったら、自分の娘の身に起きたことだったら──。そう、考えてくださるだけでいい」
「たいしたことは、知らないんです」幸恵はあえぐように言った。
「わたしが、そんな、お役に立てるとは思えません」
「それはぼくらが判断することじゃない。司法に判断させるために、すべての材料をそろえなくてはいけないんです」
 白石は膝を進めた。
「残念ながら、治郎くんは殺されてしまった。幸恵さん、あなたがさんや治郎くんを守りたいのはわかります。しかし彼のためを思うなら、どうか協力してください。彼を殺した犯人が、おめおめと逃げおおせるなんていけない。──それに治郎くんの動機や背景がわからないままでは、彼は永遠に〝怪物〟になってしまう」
 ぴくり、と幸恵の肩が跳ねた。
 白石は言いつのった。
「もちろん治郎くんのしたことは、社会常識にも法律にも反しています。許されません。だが彼は、怪物ではなかった。ああなるまでに、人間らしい感情のもつれと事情があった。治郎くんは亡くなり、司法によって裁かれることはありません。だからこそ、世間は死後も彼を裁きつづけるでしょう。──お願いです、幸恵さん。彼を〝怪物〟のまま、世間に差し出さないでやってください」
 白石は言い終え、待った。

#7-3へつづく
◎第 7 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


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