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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.3

史上最悪の監禁犯を殺したのは、誰? 怒濤のどんでん返しが待ち受ける、衝撃のミステリー! 櫛木理宇「虜囚の犬」#1-3

櫛木理宇「虜囚の犬」

    3

 和井田瑛一郎巡査部長の話は、以下である。

 四月十二日の午後三時二十八分。
 けい中の警官が「水戸市のホテルで死体発見の通報あり」との無線連絡を受けた。警官はパトカーを方向転換させ、現場のビジネスホテルへと急行した。
 通報された『ホテルたかみね』は、お世辞にもしようしやな建物ではなかった。外壁は灰いろにくすみ、張り出された料金表が、安っぽいライトに囲まれて光っていた。
 殺害現場となった部屋は三階だった。
 狭苦しい禁煙のシングルルームだ。ベッドと、壁に向かった袖机があるきりである。
 被害者はその部屋の床に、あおけに倒れていた。シャツの胸から腹にかけて、真っ赤に染まっている。一目で絶命しているとわかった。
 ベッドに乱れはない。脱いだらしいジャケットが袖机の椅子に掛けてある。
 警官が現場到着の報告をしている間に、機動捜査隊キソウと鑑識が到着した。現場保存を彼らに任せ、警官は通報した第一発見者を確保した。
「二時間休憩のコースで、チェックインしたお客さまだったんです」
 第一発見者は、ホテルの従業員だった。正社員でなくアルバイトだという彼は、唇を紫いろにしていた。
「一時から三時までのご休憩だったのに、十分を過ぎても降りてこないし、内線で電話をかけても出ないし……。外からノックしても、応答がなかったんです。だから規定どおり、三回警告した上で、マスターキイで中へ……」
 死体を見つけたときの光景を思い出したのか、彼はそこで絶句した。
「財布がありました。マル害の所持品でしょう」
 機捜隊員が片手を挙げた。
 椅子に掛けられたジャケットから見つけたらしい。ソウの主任が、手渡された財布をひらく。札入れには三枚の万札。カード入れには、家電量販店などの会員カードに交じって、国民健康保険の保険証が入っていた。
 姓名は、薩摩治郎。
 生年月日によれば満二十四歳。住所は茨城県づかひがしはくさん町二丁目三番十五号。
 世帯主は薩摩となっていた。
「ええ。お一人様でのチェックインでした。入室してから、デリヘル……つまりその、デリバリーヘルスの女性を呼ばれるお客さまだと思って、お一人でもとくに気にしなかったんです。多いですからね、そういうお客さま」
 従業員はそう証言し、
「常連ではありません。はじめてのお客さまだと思います。ぼくはここでバイトして二年になりますが、すくなくともその間に見かけたことはないはずです」
 とも言った。
 被害者の掌や前腕には、多くのせつそうがあった。おそらく防御創だろう。左手の小指にいたっては、切断されかけて皮膚一枚で繫がっていた。
「また、しつっこく刺したもんだなあ」
 臨場した検視官は、ため息まじりに言った。
「犯人はよっぽどマル害に恨みがあったか、嫌いだったか、もしくは怖かったんだろうよ」
 確かにそうこぼしたくなるほど、遺体は滅多刺しにされていた。刺創は胴体に集中しており、死亡したのちも刺したらしいきずが複数あった。
「だが、怖がられるほどマル害は大柄じゃあない。筋肉質でもないし、格闘技をたしなんだ様子もない。やはり怨恨ですかね」
 直腸温度と死後硬直の度合いからして、死後およそ三時間。この時点で時刻は四時を過ぎていたため、入室してさほどの間を置かず殺されたことになる。
「まだ若いのになあ。勤め人には見えないが……学生かね?」
 検視官がつぶやく。
「かもしれません。所持していた保険証が国保ですし」
 機捜の主任もうなずいた。
 会社勤めに見えないのは、被害者のあごひげと髪型ゆえだ。男性だというのに、髪を背中まで伸ばして首の後ろで結んでいる。ただしファッションで伸ばしているのではなさそうだった。髭も同様で、ただの無精髭に見えた。
 午後四時十七分、検視官が殺人事件と断定。
 県警の刑事部捜査一課に連絡が行き、その後は捜査一課強行犯第一係の係官が動いた。いわゆる庶務担当官である。
 殺人事件となれば、捜査本部を開設せねばならない。その段取りをするのが、庶務担当官であった。
 担当官は所轄署の幹部や刑事部長との会議をセッティングするかたわら、実働部隊として強行犯第三係から人員を集めた。その中に、和井田瑛一郎もいた。
 そして家族に遺体を確認してもらうべく、担当官は薩摩治郎の生家へと連絡をさせた。世帯主の志津は、治郎の母親であった。
 しかし志津は電話に出なかった。
「しかたがない。直接向かわせよう」
 県警からの無線要請で、古塚市しもまち交番から二名の巡査が薩摩家に向かった。
 この時点では、誰一人としてこの殺人事件を「特異な事件である」と見なす者はいなかった。単純な怨恨殺人だろうと予想していた。
 だが事態は約二十分後、急展開を迎えることとなる。

 薩摩家は一画の中でもっとも目立つ、広大な敷地の屋敷であった。
 赤土の油土塀がぐるりと敷地を取り囲んでいる。こけらきの屋根をいただいたもんもんは、閉ざされていた。しかし施錠されてはいなかった。また片側の門扉は、車で出入りしやすいよう自動シャッターに改築されていた。
 飛び石をたどって、巡査たちは母屋の玄関に立った。
 インターフォンのチャイムを押す。チャイムのボタンの横には、有名な警備サービス会社のシールが貼られていた。
 巡査たちはたっぷり一分待った。だが応答はなかった。
 二度、三度と押す。やはり反応はない。母屋のまわりを半周したが、中で人が立ち働く気配もなかった。
「見てください。あっちに離れがあります」
 年若い巡査が竹林の向こうを指した。
 なるほど竹林を天然の目隠しにして、敷地内に離れ家が建っている。平屋建てだが、けして粗末な造りではない。ぱっと見にも二、三部屋はあるように映った。
 だが離れ家には、インターフォンがなかった。戸口に警備会社のシールもない。扉に手をかけてみたが、鍵がかかっていた。
「夕飯の買い物にでも行きましたかね」
「かもしれんな……」
 そう年配の巡査がうなずきかけたときである。
 かすかに、きようせいが聞こえた。
 思わず二人の巡査は顔を見合わせた。目顔で「聞いたか?」「聞きました」とうなずき合う。
 二人は黙りこみ、耳を澄ませた。掌に汗が滲むような数十秒間だった。
 ふたたび短い叫声が聞こえた。
 女の声だ。確かに離れ家の中から聞こえた。一瞬で、肌をあわたせるような声であった。悲痛で、切羽詰まった──精神の均衡を失いかけている声だ。
 普段の警邏なら、悲鳴や怒号を聞いたところでおびえることはない。家庭内のけんには慣れている。虐待にもだ。
 しかしその瞬間の巡査たちは、あきらかに常とは違う空気を嗅いでいた。
 殺人事件だと、事前に知らされていたせいだけではない。この広大な敷地に一歩足を踏み入れたときから、彼らはひりつくような違和感を皮膚でとらえていた。言葉では、けして説明しきれない感覚だった。
「突入しよう」
 年配の巡査が言った。
 相棒が目をまるくする。
「でも、上の許可を……」
「駄目だ。あの声を聞いただろう、一刻の猶予もならん。あとの責任はおれが負う。窓を割って突入するぞ」
 結果的に、彼のこの判断は正しかった。それが証明されたのは、わずか十数分後であった。
 巡査たちは東側の窓ガラスを懐中電灯で割り、靴のまま離れ家に侵入した。
 窓のすくない家だった。おまけに雨戸が堅く閉ざされていて、まだは落ちきらないというのに薄暗い。
 巡査は手袋をはめ、壁の電灯スイッチをけた。
 彼らは短い廊下に立っていた。電子レンジと小型冷蔵庫、そして直冷式冷凍庫が右の壁に寄せて置かれていた。同じく右に洗面台があり、奥にトイレの扉があった。
 左側は、柱で二部屋に区切られている。一方の部屋はガラス障子だが、もう一方は重い木製の扉だった。武骨な南京錠がぶら下がっている。
「なんか……臭くないですか?」
 若い巡査がささやく。「しっ」年配が、唇に指をつけた。
 中にいる。気配を感じる。
 年配の巡査は、南京錠に手をかけた。
 むろん鍵のありかはわからない。懐中電灯の柄で、彼は錠を小刻みに叩きはじめた。
 ツルの部分を指でつまみ、引きながら、早くこまかく叩く。叩くごとにツルがずりあがっていく。一分足らずではずれたが、十分以上に感じた。
 木製の扉を、そっと開けた。
 誰もいない。だが悪臭はますますひどくなった。なにか生き物を飼っている臭い──手入れのよくない獣の臭気だ。
 巡査は懐中電灯で室内を照らした。
 家具らしい家具はない。壁に押し付けるようにして、段ボールが積まれている。段ボールに書かれた商品名はどれも、ミネラルウォーターとドッグフードだった。
「犬を、飼ってるんでしょうか」
「わからん」
 表に犬小屋はなかったはずだ。室内犬だろうか。吠え声も、唸り声も聞こえない。
 だが鎖の音がする──。年配の巡査は思った。
 鎖が床に擦れる音がする。しかし、どこから聞こえてくるのかわからない。
 靴の爪さきが、なにかに引っかかった。
 あやうく転びそうになる。懐中電灯で照らす。
 床に、跳ね上げ戸があった。
 靴の爪さきが、跳ね上げ戸の取っ手に引っかかったのだ。身をかがめて顔を寄せる。ここにも南京錠がかかっており、びた鎖が巻いてあった。
 先ほどと同じ要領で、巡査は錠をはずした。鎖を解く。
 跳ね上げ戸を開けた。
 悪臭がむわっと突きあげる。思わず鼻を覆った。下へとつづく木製の階段があった。暗くてよく見えないが、地下室につづいているのは間違いなかった。
 二人はいま一度顔を見合わせた。
 ともに下りると、即座に目で会話した。
 一人が下り、一人が残るべきだと理性ではわかっていた。しかし我慢できなかった。鼓動が、どくどくと耳のそばでうるさい。
 若い巡査が先導した。片手で懐中電灯をかまえ、片手で鼻を覆って、一段一段慎重に下りた。人の気配が濃くなる。が息を殺しているのがわかる。
 地下室の壁はしつくいだった。あちこちに黒ずんだ汚れが散っている。空気はよどんで湿り、悪臭のせいだけでなく息苦しかった。
「誰だ」
 年配の巡査は言った。
「誰かいるな。──誰だ!」
 短い悲鳴が湧いた。
 巡査は悲鳴の方向へあかりを向け、その場に立ちすくんだ。
 女がいた。
 全裸だ。たった一つ身に着けているのは、革製の首輪だった。首輪の鎖は、壁にまった鉄輪に繫がれていた。
 女の肌はあかじみ、髪は脂でべっとり固まっていた。頰のこけた顔の中心で、瞳だけが白くらんらんと光っている。目の焦点があやしい。
 座敷ろう──、という単語が巡査の脳裏を駆け抜けた。
 かつて日本の富裕層では、一族の不名誉になるような者が出ると座敷牢に押しこめ、一生幽閉する習慣があったという。そして薩摩家は確かに裕福だ。だが人権第一なこの二十一世紀に、まさか。
「きみは──」
 誰だ。薩摩家の者か。そう問いかけた声が、
「たす、けて」
 女の声でさえぎられた。
 細い声だった。だが確かに、正気の声音であった。
「きみは……いや、あなたは誰です」
 巡査はつばを飲み、あらためて尋ねた。
「われわれは警察です。姓名は言えますか? ここの家人とは、どんな関係です」
「わた、しは」
 女はうめいた。
「わたしは、きたはたあや、と言います。いまは、何年の何月ですか? わたし、九月にここに閉じこめられて……、七十二日まで数えたけれど、そのあとが、わからなくなって、……あの男は、捕まったんですか。警察が、逮捕してくれたの?」
 れつがまわっていなかった。両の目に、みるみる涙が盛りあがっていく。
 巡査は呆然と女を見た。
 ──九月だって?
 もし去年の九月だとしたら、半年以上監禁されていたことになる。信じられなかった。だが彼女の様子を見れば、うそでないことは明白だった。
 よく見ると女は首輪だけでなく、両足首にも鉄製のかせを嵌められていた。
 床には、犬用の餌皿が二つあった。一つには水が入っており、もう一つにはウエットタイプのドッグフードがぶちこまれている。
 また床の隅にははいせつ用のおまるが置かれていた。この悪臭の源は排泄物と、腐ったドッグフードに違いなかった。
 年配の巡査は、ゆっくりと相棒を振りかえった。
「……県警に連絡しろ。それから、救急車も呼べ。いますぐだ。どうやら薩摩治郎ってやつは、被害者じゃあないらしい」

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「文芸カドカワ」2019年8月号収録「虜囚の犬」第 1 回より


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