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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.39

殴る蹴る、犬の糞を口に入れる……。壮絶ないじめが生んだものとは? 胸を抉るラストが待ち受ける、衝撃のミステリ。櫛木理宇「虜囚の犬」#8-3

櫛木理宇「虜囚の犬」

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 翌日の五時限目は体育だった。
 昼休み直後の体育は、歓迎する生徒とそうでない生徒にはっきり分かれる。海斗は断然、後者だった。
 球技は嫌いだ。団体競技はもっと嫌いだ。運動神経は悪いほうではないが、パスをもらえるよう声をかけ合うだの、相手に合わせるのが決定的に苦手だった。
 教師の都合か、授業は早めに終わった。
 着替えてすぐ、海斗は教室に戻った。ああだるい、暑い、気分がくさくさする──。胸の内でぼやきつつ、引き戸の小窓から教室内をのぞく。
 途端、ぎくりとした。
 小柄な影が、海斗の机にかがみこんでいた。膝にスクールバッグを載せている。海斗のバッグだ。ファスナーがひらいていた。影の手が、せわしなく動いている。
「おい!」
 思わず海斗は大声を出した。引き戸を開けはなつ。
 影の肩が跳ねた。上げられたその顔に、海斗は舌打ちした。
 さぎたにだった。クラスのいじられキャラで、陸上部のみずが好きらしい男子生徒。そういえば四時限目の途中で保健室に行き、体育の授業には出ていなかった。
「なにしてんだよ、おまえ」
 海斗は大股で歩み寄った。鷺谷は海斗のバッグをあさり、スマートフォンをいじっていたのだ。返答次第では殴ってもいいとさえ思った。
「人のスマホ、勝手に触ってんじゃねえよ。てめえ、なんのつもりで──」
 だが、つづきは言えなかった。
 鷺谷が奇声を上げ、海斗目がけて思いきり体をぶつけてきた。予期せぬ反撃に海斗は体勢を崩し、その場でたたらを踏んだ。
 隙を突いて、鷺谷が教室から駆け出ていく。止める間もなかった。
 海斗はぼうぜんと立ちすくんだ。
 廊下の向こうから、笑い声が近づいてくる。着替えを終えたらしいクラスメイトがどやどやと入ってくる。
「あー、あっちぃ。誰かエアコンけろよ」
「女子まだ戻ってきてねぇの?」
「さっき食ったばっかなのに、もう腹減っちゃったよ。やっぱ授業のサッカーなんか、本気でやるもんじゃねえなー……」

 海斗は帰途をたどりながら、鷺谷の一件を考えつづけた。
 ──あいつ、おれのスマホからなにを盗み見たんだろう。
 スマートフォンにはもちろんロックがかかっている。鷺谷ごときに解除できたとは思えない。だが不安は拭えなかった。
 スマートフォンは個人情報の塊だ。クラウドに保存したとしても、海斗はデータそのものを消すことはない。未尋と交わしたメールやLINE、画像、動画データ、すべてがあの端末に入っている。
 ──後妻のエロ画像と、ビジネスホテル殺人事件についてまとめたテキストも、だ。
 ちくしょう、と顔をゆがめる。あんな愚図にビビらされる羽目になるなんて、最悪だ。恥ずかしい。自分の不用心さにも、小心さにも腹が立つ。が出そうだ。
 気づけば、いつの間にか家に着いていた。
 短い石段をのぼり、玄関の扉に鍵を挿しこむ。不愉快な気分を持てあましながら、ドアノブを握って引いた。
 海斗は動きを止めた。
 デジャヴだ、と思った。扉を隔てた向こう側の衝撃──今日、二度目の体験だ。
 しかし教室で見た光景と違い、は不愉快でもショックでもなかった。あやうく海斗は噴きだしそうになった。頰がひとりでに緩む。腹がけいれんする。
 上がり框の向こうで、未尋と後妻がもつれ合っていた。
 未尋は服を脱いでいない。だが後妻は下着姿だった。レースをたっぷりあしらったパンティに、たるんだ腹の脂肪がかぶさっていた。ずらしたブラジャーから、滑稽なほど大きく黒い乳輪が覗いている。
 耐えきれず、海斗は噴きだした。
 その声に未尋が振りかえる。「よう、おかえり」
「た、……ただいま」
 笑いで喉を揺らしながら、海斗は応じた。
 愉快そうな未尋とは対照的に、後妻は真っ青だった。急いで手で胸を隠しながら「違うの」と言い、言葉を探すように口をぱくぱくさせ、
「違う。違うの──これは、そんなんじゃない。誤解なの、聞いて」とあえいだ。
 海斗は笑った。
 未尋も声をそろえて笑った。
 腹を抱えての爆笑だった。そんな二人を、後妻が魂の抜けたような顔で見つめている。
 未尋は笑いながら、後妻の腕をつかんで引きずるように立たせた。
 海斗もくつくつ笑った。笑いながら、玄関の扉を大きくひらいた。
 未尋が、両手で後妻を突き飛ばす。無様に三和土へ落ちた彼女の尻を、海斗は迷いなく蹴飛ばした。
 後妻が外へ転げていくのを視認し、扉を閉める。すかさず施錠した。
 海斗は相棒と顔を見合わせ、げらげら笑った。腹筋が痛み、喉がかすれるまで笑いつづけた。さっきまでの憂鬱は、遠くへ吹き飛んでいた。
 後妻が外から扉をたたいている。
「開けなさい、開けなさい!」とわめいている。
 海斗は未尋に、階上を顎で指した。未尋がにっこりうなずいた。
 二人は二階へあがり、玄関アプローチの真上に在る窓を開けた。下着姿の後妻が見えた。半狂乱で扉を叩いている。加齢で薄くなりかけた頭頂部までまる見えだった。
 海斗は二階の洗面所から、空きペットボトルに水をんできた。そして窓の上から後妻にぶちまけようとした──が、未尋に止められた。
「ぶっかけるなら、こっちだろ」
 未尋はウイスキーの瓶を持っていた。父がキャビネットに飾っている、二十一年もののグレンリヴェットだ。
 海斗は微笑ほほえんだ。

 近隣住民の通報を受け、警察がやって来たのは約二十分後だった。
 駆けつけた巡査に、海斗は精いっぱいしおらしい顔をつくって言った。
「はい。あの人、最近ずっとああなんです。昼間からお酒を飲んでは、あんなふうにおかしくなるんです……」
 後妻は肩から毛布をかけられ、パトカーに保護されていた。その向こうでは、近所に住む主婦が警官相手にがなっている。
「ええ、あそこはままははがひどくってね。お子さんをずっと虐待してたんです、虐待。ここらの住民はみんな知ってますよ。役所にも記録が残ってるはずだから、確認してちょうだいな。あんなの町内の恥ですよ、まったく……」
 下着の上に薄い毛布をかぶせられた後妻は、屈辱に顔を引きらせていた。髪がまだわずかにれている。きっと、全身ぷんぷんと酒くさいだろう。
 海斗は警官に何度も頭を下げ、
「父は九時ごろ帰ってくると思います。帰宅したら、警察に迎えに行ってもらいます。はい、すみません。それまで義母をよろしくお願いします」
 そう告げて、扉を閉めた。

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#8-4へつづく
◎第 8 回全文は「カドブンノベル」2020年3月号でお楽しみいただけます!



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