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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.5

史上最悪の監禁犯を殺したのは、誰? 怒濤のどんでん返しが待ち受ける、衝撃のミステリー! 櫛木理宇「虜囚の犬」#1-5

櫛木理宇「虜囚の犬」

    4

 和井田が話し終えたあとも、しばしの間、白石は口がきけなかった。
 ソファから動けない白石を後目に、和井田は立ちあがってコーヒーサーバから勝手に二杯目を注いだ。
 カップを手にソファへ戻り、低く言う。
「翌々日には係長の見立てどおり、庭から〝先住者〟の死体が見つかった。──しかも、二体な」
 白石の肩が、びくりと跳ねた。
「二体……?」
「ああ、二体だ。骨盤からしてどちらも女だった。ただし一体は新しく、もう一体は完全に白骨化していた。後者は十年以上前に殺され、埋められたと推定される」
 和井田はコーヒーをぐいとあおった。
「ひとまず、新しいほうの人骨に話を絞るぞ。こちらの身元は歯型からすぐに割れた。ぐんはせくら市の実家から、去年の六月に失踪した少女だ。姓名はいななつ、十八歳の高校三年生。捜索願──じゃなかった、行方不明者届か。くそ、いまいちまだこの呼称に慣れねえぜ」
 と舌打ちして、
「行方不明者届が、義父から出されている」と言いなおした。
「ただし家出の前歴が複数回あったため、所轄署は事件性なしと見なして捜索しなかったようだ」
「それが……逆さ吊りにされて死んだ子か」
 白石は問うた。
 和井田がうなずく。
「そうらしい。検視の結果、遺体の死亡時期ならびに、北畠彩香が証言した外見上の特徴とが一致した。つまり北畠彩香が監禁される三箇月前から、稲葉千夏はあの地下牢にいたことになる。……北畠彩香が言ってたよ。『あの子を世話しなきゃいけなかったから、その間はなんとか正気を保っていられた。最初から一人だけだったら、きっと二箇月ともたなかった』ってな」
「その稲葉千夏さんは、いつ頃に埋められたんだ」
「北畠彩香の証言から推測すると、二月のなかばだ。遺体を調べた検視官の意見とも、ほぼ一致している」
 和井田はいったん言葉を切り、
「さて、おまえの意見を聞くにあたって、これから先はどうしても言わなきゃいかん情報だ。だから言うぞ。白石、おまえの精神状態がまだ安定しきっていないのは知っている。だがあえて言わせてもらう。いいな?」
「ああ」
 白石はうなずいた。数秒まぶたを閉じ、ひらく。
「では言う。──稲葉千夏は死後、骨から肉をぎ落とされていた。離れ家の冷凍庫から、肉の三割ほどがジップロックに入って発見された。なおその肉をミンチ状にしたものは、地下室の餌皿の中からも検出された」
「な、──……」
 思わず白石は絶句した。
 そんな彼に、「どう思うよ」和井田が片目を細める。
「要するにマル害は──薩摩治郎は、稲葉千夏を北畠彩香にいやがった。『あの子を世話していた間は正気を保っていられた。最初から一人だけだったら、二箇月ともたなかった』と言わしめた相手にだ。やつは彼女が世話していた当の本人を、よりによって、犬の餌に混ぜて食わせた。この事実をどう思う? これほどの悪意が人間のどこから湧いて出るものか、おまえだったらどう解釈する?」
 白石は答えられなかった。
 和井田がつづける。
「ちなみに古い骨のほうは、頭蓋骨ほうごうちやくから見て二十代から三十代の若い女だそうだ。十年以上前ってことは、当時の薩摩治郎はまだ〝少年〟だった。……おれがおまえの意見を聞きにきた理由が、これでわかっただろう」
「ああ」
 白石は首肯した。
「よく、わかった」
 うなじの汗を、なかば無意識に拭う。
 和井田はソファにもたれて目線を上げた。
「ここからは質問だ。おまえが担当官だったときのマル害は、どんなやつだった? やつの印象から教えてくれ」
「彼は、治郎くんは──」
 白石は眉間をきつくんだ。
「おとなしい、無口な少年だった。当時、高校二年生だったはずだ。ぼくはまだ駆け出しのひよっこで、治郎くんは三件目の担当だった。なにを訊いても、ほとんど『はい』と『いいえ』しか答えてくれなかった」
「十七歳の薩摩は、なにをやらかして家裁調査官の世話になったんだ」
「白骨の件とは、おそらく関係ないはずだ」
 白石は言った。白骨、の単語が喉にひっかかった。
「当時の治郎くんは高校受験に失敗して、意に染まない高校に入学した。父親が厳格で、『甘えに繫がる』と、すべり止めの受験を許さなかったせいだよ。志望校に落ちた彼は、定員割れで二次募集をかけた高校に入るしかなかった。……だが治郎くんの性格には、とうてい合わない校風だった」
「いじめられたのか」
「ありていに言えば、そうだ」
 白石は認めた。
「だが殴られはしなかった。治郎くんの生家は裕福で、利用価値があったからだ。いじめっ子たちは彼から金を巻きあげ、いわゆる〝パシリ〟にした。治郎くんはいじめっ子たちの遊興費を払わされ、歌ったり踊ったりの道化を毎日演じさせられ、万引きや恐喝の見張り役をさせられた」
「万引き、恐喝……か。なるほど」
 和井田が顎をでる。
「つまりいじめっ子ともども、やつはパクられちまったわけだ。窃盗および暴行の従犯だな」
「それだけじゃない。彼らは重い罪を犯した。金を脅しとろうとした相手に反抗され、腹部を刺してしまったんだ。刺された被害者の少年は、内臓に重い損傷を負った。長く後遺症が残るだろう損傷だ。見張り役の治郎くんは従犯として逮捕され、勾留を経て、家庭裁判所に送致されてきた」
「で、おまえが担当したわけだ。主犯はどうなった?」
「主任が担当したよ。記憶では確か、主犯の少年は鑑別所へ送られたはずだ。従犯二人のうち、一人も同じく観護措置だった」
「薩摩は?」
「彼は事件に積極的にかかわっていなかったからね。ただの見張りだったし、彼自身がいじめられてもいた。普通なら、ごく短い試験観察で済んだはずだが……」
「だが、なんだ」
 和井田の問いに、白石は低く答えた。
「さっきも言ったように、彼は『はい』と『いいえ』しか口をきかなかった。無気力で、自尊心が低く、健全な精神状態ではなかった。だから担当裁判官との協議の結果、観察期間を延ばすことにしたんだ」
「その試験観察ってのは、具体的になにをするんだ」
「本人との面接、心理テスト、家族も加えた面談。事件の背景も見なくてはならないから、中学や高校の教師を訪ねたり、担当医に会って話を聞いたり、必要があれば友人たちや近隣住民にも会う。あらゆる角度から少年を理解し、どんな処遇が最適かを検討し、その結果を報告書にまとめて最終的に裁判官へ提出する。試験観察の結果によって、審判の行方が左右されることになるからな」
「堅っくるしい言いかたをするなよ」
 和井田は手を振った。
「要するにその子を裁判にかけるか否か、その材料を集めるってわけだろう。逮捕後の、捜査官の仕事と同じだ」
「裁判じゃない。少年事件では『審判』と言え」
 白石は真顔で訂正して、
「それに、警察の捜査員と家裁調査官の仕事はまったく違う。和井田たちは犯人を起訴するために調書を取るが、ぼくらは少年を心理的、精神的にサポートするため彼らを調べるんだ。捜査員は犯人を理解する必要はない。でもぼくたちは彼らと交流し、その成長と更生を──……」
 そこで、彼は絶句した。
 胃の底から、急激に吐き気がこみあげてくる。白石は胃に手を当て、思わず体を折った。喉もとまで酸っぱい胃液がせり上がる。息が詰まる。
「おい」
 和井田が覗きこんできた。
「どうした、気分が悪いのか」
「……ああ、いや……」
 呻くような声が出た。
 全身に脂汗が滲んでいるのがわかる。自分でも、思いがけない反応だった。
 時間をかけて記憶を薄れさせ、癒やしてきたつもりでいた。なのに「少年の成長と更生」だなんてれいごとを口にした途端、たやすく肉体は理性を裏切る。
 ──まだ、回復しきれていないんだ。
 白石はやんわり和井田の手を払い、大きく深呼吸した。
 吐き気がおさまるまで、ゆっくりと数回、深い呼吸を繰りかえす。過呼吸を起こさないよう留意しながら、ソファに体を倒す。
「すまない」
 白石は言った。
「つづきは──薩摩治郎くんと会ったときのことは、あとで文章にまとめてメールする。悪いが、しゃべるより文章にしたほうが、負担がすくなそうだ」
「そのようだな。おれのパソコンのアドレス宛に頼む」
 和井田はあっさりうなずいた。
 こいつのこういうところが楽だな、と白石はあらためて思った。
 家裁調査官を辞めると言ったとき、周囲はみな、
「せっかく国家公務員になれたのに、もったいない」
「ひとまず休職でいいじゃないか」
 と勧めた。白石の意思を即座に受け入れてくれたのは、果子と和井田だけだった。
「お兄ちゃんに都会のペースは合わないのよ。転勤がよくなかったわね」
「こいつは田舎者だからな。まあ駄目なもんは、まわりがどう騒いだって駄目だ。本人の好きにするのが一番だ」
 と笑い飛ばした上、二人で白石を繁華街まで引きずっていき、ショットバーを三軒もはしごさせた。おかげで翌朝はひどい二日酔いだった。しかし気分は、噓のように楽になった。
 ──あれからもう、三年経つのか。
 和井田はコーヒーの残りを飲みほし、
「じゃあおれは帰るぞ。次は果子ちゃんがいるときに来る」と腰を浮かせた。
「無駄だぞ。果子は夜中にしか帰らない」
「三百六十五日働いてるわけじゃあるまい。休日だってあるだろうが」
「おまえ、この手の顔は嫌いなんじゃなかったのか」
 白石は己の顔を指さした。和井田は鼻を鳴らして、
「馬鹿か、女の子はいいんだ。だが野郎でそのツラは駄目だ、おまえは敵だ。……とはいえ、昨日の敵は今日の友と言うからな。友情のためにまた来る」
 一方的にまくしたて、早足で出ていってしまう。
 白石は見送りに立たなかった。
 吐き気はおさまっていた。ぎこちないながらも最後に軽口が叩けたことに、われながらほっとしていた。
 額の汗を拭う。薩摩治郎の記憶と、たった今聞かされた話が脳内を駆けめぐる。
 鼓膜の奥で、押し殺したような治郎の声がした。
 ──ぼくは、犬だ。

>>#2-1

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「文芸カドカワ」2019年8月号収録「虜囚の犬」第 1 回より


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