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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.52

【連載小説】美しい親友が、殺人犯? 中学生男子は見知らぬ男に声を掛けられ……。 櫛木理宇「虜囚の犬」#9-3

櫛木理宇「虜囚の犬」

※本記事は連載小説です。

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さつ、いえ──さん」

 薩摩ろうがビジネスホテルの一室で刺殺されたのは、二〇一〇年の四月だ。
 あれから、八年と三箇月もの歳月が過ぎてしまった。
〝女の子みたいなケイちゃん〟ことはしづめけいすけは、二〇一〇年八月、実家の様子をうかがいに立ち寄ったところを張り込み中の警官に逮捕された。薩摩治郎殺害容疑での逮捕であった。
 そして〝頭のいいナオくん〟ことつちなおふみは、同年九月に逮捕された。治郎殺害へのほうじよ、ならびに二〇〇六年の薩摩ろう殺害容疑である。
 彼らはともに犯行を認めたものの、
「殺されたのは治郎の自業自得。あいつが悪いんだ」
「前から治郎のおやが気に入らなかった」
 と供述し、その後は沈黙を通した。薩摩の行方も、同様に黙秘した。
 かつて白石家を訪れた和井田はこう言った。
「おあつらえむきに刑事訴訟法が一部改正された。人殺し野郎に、もう時効はない。いくら時間がかかろうがかまわん。草の根をかき分けてでも、野郎を引きずりだしてやる」
 その言葉どおり、刑事訴訟法はまさに二〇一〇年の四月に改正された。殺人や強盗殺人などの、重大事件に対する時効が廃止されたのである。
 二〇一一年十月、薩摩治郎殺害事件の公判が開始。
 翌年一月、薩摩治郎殺害の罪で、橋爪蛍介に懲役九年の判決がくだる。
 同年三月、土屋尚文に、伊知郎殺害と治郎の殺人幇助で懲役十六年の判決が言いわたされる。
 橋爪と土屋はともに控訴しなかった。刑が確定し、捜査本部は解散した。
 しかし未解決事件専従班へと、捜査は引き継がれた。捜査員の多くが「これは橋爪と土屋のたくらみではない」、「犯行のすべてを計画し、教唆した主犯がいる」と確信していた。
 ──そうして、八年と三箇月がった。
 長かった、と白石は思った。長い年月だった。だがいま振りかえってみれば、ほんの数日のようにも思える。
 和井田が窓の外を見やり、
「おい、いるんだろ? 出てこい」と顎をしゃくった。
 夜闇に溶けていた影が、動いた。長らく三橋家を見張っていた影、そして和井田があえて泳がせていた男であった。
 影が──男がおずおずと歩み寄り、掃き出し窓のすぐ外に立つ。
 黒のワークパンツに黒のスニーカー。キャメルカラーのナイロンジャケットは着ていない。しかし間違いなく、國広海斗に「あの家に近づくな」と言った男であった。
 男は志津に向かって、
「ひどい──」と叫んだ。
「あなたを信じてたのに! ひどいじゃないですか。!」
 確かにひどい話だ。白石は思った。
 男の名は、とうりゆういち
 三十三年前の職業は、キャバレーのバーテンダーである。おおみつの妻と駆け落ちした──否、駆け落ち男であった。
 八年前の白石は、ニュースをほぼ目に入れていなかった。しかし薩摩治郎殺害事件はテレビでこそ報道規制されたものの、ネットや週刊誌ではかなり騒がれた。
 女性を何人も監禁していた男が殺されたという概要は、市民の猟奇的かつ下世話な興味をかきたてた。
 神戸連続児童殺傷事件が俗に『さか事件』と呼ばれたように、薩摩治郎殺害に繫がる一連の事件は『茨城飼育事件』と名づけられた。沈黙するテレビをよそに週刊誌が追いかけ、ネットでは犯人当ての考察が湧き、何冊ものルポ本が書かれた。
 そして橋爪たちの逮捕後、きたきゆうしゆう市で週刊誌の記事を目にして仰天した男がいる。それが元バーテンダーの伊藤竜一だ。
 彼は数日悩んだ末、一一〇番に電話をかけた。
「すみません。あの、『茨城飼育事件』のことで電話したんですけど、いいですか」
 この通報を受けた警官は、「話の要領を得ない、のろくさい男だと思いました」とのちに語っている。
「あの……おれ、大須賀光男さんの奥さんと駆け落ちしたことになってるらしいんです。でも、違うんです。違うってこと、説明したくて……。誰か、話を聞いてくれる刑事さんっていませんか?」
 この一本の電話は大きかった。
「すべてを計画し、教唆した主犯がいる」という捜査本部の仮説が、伊藤竜一によってほぼ裏付けられたと言っていい。
 伊藤竜一は〝アズサ〟こと森屋志津が、子飼いにしていた男女のうちの一人だ。そしてもっとも関係が長持ちした男であった。
 伊藤とアズサの出会いは、三十六年前にさかのぼる。
 当時の伊藤はキャバレー『ライラック』のバーテンダーだった。そして森屋志津は、同店でホステスとして勤務していた。アズサとは店での源氏名だ。本人の希望で付いた名であった。
「アズサさんは、不思議な人でした」
 伊藤は語った。
「とくに美人じゃないし、華やかでもないし、客とばんばん寝るわけでもない。なのに気が付いたら、うちのナンバーワンでした。なんでかなあ。あの人を前にしたら、いつの間にかいろんなことをしゃべっちまうんです。天性の聞き上手なんでしょうね。人の話を次つぎに引き出していく天才でした。まるで魔法でしたよ」
 その魔法にかかったうちの一人が、薩摩伊知郎だ。
 白石は想像する。おそらく志津は、一目で伊知郎を見抜いたのだ。絶えず強がっていないと崩れそうな傷つきやすい魂。虚勢の裏の弱さともろさ。胸の奥に巣食って消えない、虐げられた少年時代の記憶。
 ──伊知郎は志津の、格好の獲物だった。
 人間はどんなに出世しようが、金と名声を得ようが、幼少期の記憶を一生引きずる。犬神筋と嘲られながら孤独な少年期を過ごした伊知郎は、自尊心こそ高いものの、自己肯定感は低いという複雑な人格を持っていた。
 その矛盾がつくる心の隙間に、志津はするりとすべりこんだ。
 伊知郎は〝アズサ〟に夢中になった。「子供はいらない」と公言していた伊知郎が言いなりに避妊をやめたことからも、そのたんできぶりがうかがえる。
 やがて妊娠を知った伊知郎は、〝アズサ〟こと志津に店を辞めさせた。そして自分が役員を務める会社に、事務員としてねじ込んだ。
「ホステスの子なんて知られたら、子供が恥ずかしい思いをする」
 とでも志津に言われたのだろう。典型的な経歴の洗濯ロンダリングであった。
 ちなみに当時の姓名は森屋志津ではない。不動産会社の事務員が言ったとおり、伊藤志津である。
 伊藤竜一は志津と同い年だ。しかし彼女より、誕生日が二箇月ほど早かった。
「一日でも年長なら、相手を養子にできるんだそうですね。はい、アズサさんが事務員をする間だけと言われ、二百万もらって養子縁組に同意しました。結婚直前に森屋に戻したそうですから、ほんと、会社にいた間だけですよ。え、どうしてあやしまなかったかって? どうしてって、べつにおれはなにもする必要なかったし、損もしてないし……。いったい、なにをあやしめって言うんです?」
 大須賀光男の妻と〝アズサ〟の接触も、伊藤はその目で見届けていた。
 大須賀の妻は輸入酒類の卸売会社で、経理事務員として働いていた。取引先のバーやキャバクラ、ホストクラブなどに、彼女自身が集金にまわることが間々あった。
「アズサさんは、奥さんを一目で気に入ったようでした」
 伊藤はそう証言した。
「『中学時代の親友に似てる』と言ってましたよ。はい、ぞっこんでしたね」
 そうして二人のかいこうの直後、伊知郎は不動産会社と組んで、大須賀家から遺産をかすめとる算段をはじめる──。

このつづきは「カドブンノベル」2020年4月号もしくは、単行本『虜囚の犬』でお楽しみください!



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