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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.40

殴る蹴る、犬の糞を口に入れる……。壮絶ないじめが生んだものとは? 胸を抉るラストが待ち受ける、衝撃のミステリ。櫛木理宇「虜囚の犬」#8-4

櫛木理宇「虜囚の犬」

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      4

 和井田が白石家に顔を見せたのは、薩摩邸襲撃事件の五日後であった。
 時刻は夜十時半だ。果子はまだ帰っていなかった。
 白石はまず、全身汗くさい和井田を浴室へ追いやった。彼が風呂から上がるのを見はからい、たっぷりの肉と温泉卵を載せた冷やしうどんを食べさせた。人心地つかせ、断れない空気をつくってから質問を切りだす。
「──で、どうなったんだ? 志津さんは見つかったのか」
「残念ながら、否だ」
 和井田は氷水をがぶりと飲んだ。
「大須賀弘はここ数日間、市内の木賃宿に潜伏していた。料金は二千円台で、広さは約二畳。女を連れこめる場所じゃあない。受付のじいさんも『ずっと一人だった』と証言している」
「志津さんが連れ去られた時刻の、大須賀のアリバイは?」
「むろん調べた。やつはあの晩、立ち飲み屋にいやがった。酒癖が悪いせいで、店員がはっきり覚えていたんだ。『ほかのお客に絡むので困った。早く出ていってほしかったが、午前一時過ぎまで粘られた』だとよ」
 和井田は奥歯で氷をみくだいた。眉間に深いしわが寄っている。
「おまけに取り調べにあたった捜査員が、下手を打った。質問の流れで、薩摩志津の行方がわからんらしいと大須賀に悟られちまってな。『誘拐したのはおれじゃない。だがババアもおまえら警察も、ざまあみろ』とさんざん笑われたそうだ。……くそったれが、ナメやがって」
 乱暴にグラスをテーブルに置く。
「割るなよ」
 と言いながら、白石はそのグラスに冷えた水を注ぎなおした。
 和井田によれば、捜査員を笑いのめしたことで大須賀弘は機嫌をよくし、その後はじようぜつであったという。
 志津にしつこく脅迫電話をかけたと、大須賀はあっさり認めた。捜査員から口頭注意を受けたその夜に彼は家を出、ネットカフェや木賃宿、簡易宿泊所などを転々として暮らした。
「しばらくは公衆電話や、置き引きしたケータイから薩摩家にかけた。だがすこし前から、ババアがまったく応答しなくなったんだ。糞が。あのババアに、おれを無視する権利なんかねえのによ」
 と大須賀は取調室でえた。
 志津が彼の電話にこたえなくなったのは、避難のため隠れ家へ移ったからである。大須賀は鬱屈をつのらせ、夜どおし安酒をあおった挙句、薩摩邸を襲撃した。
 大須賀は捜査員に対し、薩摩伊知郎の悪口をわめきちらした。「あいつは疫病神だ。人でなしだ。くたばったと聞いてせいせいした」とあざわらった。
 志津に対しては、「個人的に悪印象はない。でもあんな男と結婚して、くず野郎を産んだ責任は重い」と述べた。
「薩摩家のやつらは、おれから全部奪った。土地も家族も、妹も、おまけに義理の娘までもだ。金くらいせびってなにが悪い。おれの当然の権利だ」
 と、大須賀はつばを飛ばして主張しつづけたという。
「──妹?」
 白石は訊きかえした。和井田が応える。
「薩摩邸の庭に埋まっていた白骨のDNA型を、大須賀弘と比較した。九十九・九九パーセント超の確率で、兄妹だそうだ。あの白骨は大須賀みつの次女、れいだった」
 白石の脳裏に、「末の娘が十八になった直後、光男は失踪した」と語った和井田の声がよみがえった。
 そうか、その「末の娘」か──。
 和井田はつづけた。
「大須賀家の長女は、ふくおか県で見つかったぜ。おまえのご近所さんこと〝そのむら先生〟の元教え子だな。だが『兄たちと付き合いは切れている』、『かかわり合いになりたくない』と、けんもほろろだった」
「長女は、じゃあ無事なのか」
 白石はほっとした。
「完全に無事とは言いきれん。窃盗での逮捕歴が二回、傷害が一回と、荒れた生活を送っていたようだ。本人いわく、父や兄から離れた理由は『父たちに金づるにされるのがいやになって、十九歳で家出した』、『妹も連れていきたかったが、あの子は母似だったから父の束縛が激しく、連れだす隙がなかった』だそうだ」
「母似……。バーテンダーと駆け落ちしたという、あの母親か」
「そうだ。父親の大須賀光男は、逃げた女房に未練たらたらだった。その未練を次女の礼美に向けていたようだな」
 和井田は手帳をめくった。
「えー、伊知郎は下見のつもりか、競売にかける前の大須賀家を何度か訪れていたらしい。これは園村先生の証言とも一致するな。伊知郎が志津を伴ったことが数回あったため、大須賀兄妹と志津は面識があった。『やさしいおばさんだと思った』、『子供好きなようで、とくに礼美がなついていた』だそうだ」
 和井田はいったん言葉を切り、
「それから長女は、こうも言っていた。『妹は駆け落ちした母を憎み、そのぶん薩摩のおばさん──志津のことだ──を慕うようになっていた。夜逃げして故郷を離れてからも、薩摩のおばさんの話ばかりしていた』と。むろん大須賀弘もそれを知っていた。あの家から白骨が掘り出されたと知って、『ぴんと来た』そうだ。遺体は妹の礼美に違いない、とな」
「大須賀礼美は、いつ失踪したんだ」
「十三年前だそうだ。当時、礼美は二十二歳。兄の弘とともにかわさき市のアパートに住んでいたが、ある日『仕事に行く』と言って出たきり帰らなかった。大須賀は警察に届けたが、なにもしてもらえなかったそうだ。まあ成人の失踪だからな。事件性なしと見なされたんだろう」
「礼美さんは、じゃあ、志津さんを頼ろうとして薩摩邸に訪れ──」
「ああ。そして殺され、埋められたと推測される。当時、伊知郎は六十八歳。治郎は十一歳だった」
 和井田は手帳に目を落とし、
「こっからは胸糞悪い話になるぞ。覚悟して聞け。火災のあと、夜逃げした大須賀一家は関東近辺を転々とする。約一年後には親戚の口利きで、いったんさいたま県に腰を落ち着ける。当時の近隣住民からの評判はすこぶる悪く、『上の娘をいかがわしい店で働かせて、健康そうな父と兄はぶらぶらしていた』、『下の娘は小学生なのに、学校に行かせている様子がなかった』、『父親は娘たちの体を平気で触っていて、気持ちが悪かった』などなど
 確かに胸糞悪い、と白石は思った。だが和井田の口ぶりからして、まだ序盤だろうとつづきを待つ。
「この頃の大須賀家の動向がわかるのは、一家が何度か近隣住民に通報されているからだ。所轄署にも児童相談所にも履歴が残っていた。長女は本人の供述どおり、十九歳で家出。その頃次女の礼美は十四歳になっていたが、やはり学校へ通った形跡はない。そして児童相談所への通報履歴によれば、長女の失踪後、半年ほどして『次女のお腹が大きくなってきた』そうだ。そして誰の目にも腹が隠せなくなってきた頃、大須賀家はその土地から引っ越している」
 白石は、思わずつばを吞みこんだ。苦いつばだった。
「大須賀弘は、その件についてなんと──」
 言いかけて気づく。そうだ、くだんの白骨は出産したらしい形跡があった。
 和井田は答えた。
「最初は『覚えていない』の一点張りだった。後述するが、どうやら産んだ子は施設に行ったようだな。目立つほど腹がでかかったんだから、堕胎できる時期はとっくに過ぎていたはずだ。父親が誰かについては、『おれじゃない』とだけ主張している」
 和井田は平静を装っていた。しかし声音に、はっきりと憤りがあった。
「その翌年、大須賀弘と礼美は父方のの養子になり、姓をのうに変えている。この伯母の証言によれば、『いつまでも光男と一緒にさせておいては、弘ちゃんと礼美ちゃんがわいそうだと思った。養子の件は光男も承諾した』。礼美は赤ん坊なぞ連れておらず、腹も平らだったそうだ」
「当時、礼美は十五歳、弘は二十一歳か。養子になったあとも、礼美は学校へ行けなかったんだろうか」と白石。
「ああ。その後も就学の履歴はない。まあ十歳で夜逃げしてから、いっさい通学していないんだ。いまさら行けと言うほうが酷だろう。この頃、大須賀一家は伯母を保証人にしてアパートを借りている。礼美は最初のうちこそ伯母の家にいたが、兄とともに父のもとへ移ったようだ。移ると同時に印刷会社でのアルバイトを辞め、年齢を偽ってファッションマッサージ店で働きだしている」
「光男と弘は、無職のままか」
「弘は交通誘導員や、ビルの夜間警備員などのバイトをしていたようだ。だが光男はずっと無職だな。通報履歴によれば、この頃から光男と弘はけんが絶えなくなる。弘に叩き出された光男が、何時間もドアの前でわめきちらすなどして、何度も一一〇番されているんだ。光男はもう、息子に腕っぷしで勝てるとしじゃあなかった。ぶん殴られて放り出され、しばしば道端に放置されていたそうだ」
 ここにもライウスとエディプスがいた──。白石は思った。しかしこちらのライウスは、完膚なきまでに息子に敗北したらしい。
「そんな日々のはてに、大須賀光男は失踪したんだな? 礼美は十八歳になっていた。彼女自身の意志で、はっきりと父親を拒絶したのかもしれない」
「かもな。だが弘の証言によれば『親父はある日ふらっと出ていって、帰らなくなった』だそうだ。警察に届けは出されていない。その後、大須賀弘と礼美は伯母になにも言わず、アパートを引きはらって引っ越している」
 和井田はメモ帳をめくった。
「弘と礼美は、土地勘のないがわ県川崎市へ移った。兄妹は、ここで約四年暮らしたようだ。川崎署の履歴によれば、弘は二十六歳のとき窃盗で逮捕されて起訴猶予になっている。捜査員は近隣から、『あそこは夫婦の二人暮らしだと思っていた』との証言を得ている。礼美が風俗で働き、弘はヒモ同然の暮らしぶりだった」
「礼美が失踪したというのは、その川崎市のアパートからだな。出て行くきっかけは、なんだったんだろう」
「弘は『あいつに男ができたからだ』と主張している。その男をめぐって兄妹は頻繁に言い争うようになったらしく、騒音の通報履歴が何件か残っている。ある夜、兄妹はとくにひどい口喧嘩をした。弘は礼美が十四、五で産み、施設へやった子のことを持ちだしてなじった。弘いわく『それが失敗だった』だとよ」
 和井田は顔をしかめて、
「やつの供述はこうだ。『我慢できず、言っちゃいけないことを口にしてしまった。気の強いあの妹が、真っ青になって黙りこんだ。そして翌日の出勤時間、あいつはいつものように出ていって、それっきり帰らなかった』」
「言っちゃいけないことを、か──。大須賀弘は、妹になんと言ったんだ?」
「やつの記憶によれば『女のくせに、産みっぱなしでよく平気でいられるな』となじったそうだ。『犬の子じゃあるまいし、平気なのか』と」
 白石の肩が、一瞬跳ねる。
 ──犬の子。
 ここでも、キイワードは犬か。胃のあたりが、引き絞られるように痛んだ。
 和井田は警察支給の携帯電話を取り出した。白石の眼前へ、ぐいと突きだす。二枚の画像データがつづけて表示された。
「見ろ。一枚目が、治郎に監禁されて殺されたいななつ。大須賀弘の義理の娘だ。そして二枚目が大須賀礼美。──どうだ、納得だろう」
「ああ」
 白石は、嫌悪を押しころしてうなずいた。
 稲葉千夏と大須賀礼美は、よく似ていた。目鼻立ちそのものより、表情がかもしだす雰囲気がそっくりだった。
 義理の娘である千夏をごうかんし、執着しつづけたという大須賀弘。その妄執の源が、ようやくわかった気がした。
「もうひとつ、わかったかもしれない」
 白石は言った。
「ぼくはずっと、なぜ伊知郎さんが大須賀家を苦しめたのか謎だった。伊知郎さんは十二分に富裕で、他人の財産をかすめとる必要などなかった。なのになぜ詐欺まがいの案件にまで首を突っこんだのか不可解だった。だが、ようやくなにか摑めた気がする」
 彼は和井田を見た。
「大須賀家の長女は言ったそうだな。『あの子は母似だったから父の束縛が激しく、連れだす隙がなかった』と。つまり大須賀光男の妻と、娘の礼美、そして稲葉千夏の三人は似ていた。──ターゲットは、誰でもいいわけじゃなかったんだ」
 白石の声は、かすかに震えていた。

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#8-5へつづく
◎第 8 回全文は「カドブンノベル」2020年3月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年3月号

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