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連載

櫛木理宇「虜囚の犬」 vol.41

殴る蹴る、犬の糞を口に入れる……。壮絶ないじめが生んだものとは? 胸を抉るラストが待ち受ける、衝撃のミステリ。櫛木理宇「虜囚の犬」#8-5

櫛木理宇「虜囚の犬」

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      5

 昼休み、海斗は北校舎の非常階段に座っていた。
 手にはもちろんスマートフォンがあった。保存した画像を次つぎ表示させていく。こらえきれない笑いで肩が揺れ、唇がり上がる。
 後妻がパトカーで保護された、あの日の画像であった。
 警察から会社へ連絡がいったらしく、九時過ぎに帰宅した父は後妻を連れていた。後妻はTシャツにジャージという格好だった。警察から借りたのか、父が買い与えたのかは知らない。尋ねる暇はなかった。
 海斗は自室ではなく、リヴィングで父を待ち受けていた。ソファのすぐ隣には、未尋が座っていた。父の角度からは見えないだろうが、二人とも土足だった。
 父は肩を怒らせて入ってきた。未尋を見て、すこしひるむ。予期せぬ客だったのだろうが、すぐに頰を引き締めて、
「海斗」
 芝居がかった、重々しい声をつくって言った。
「お友達が来てたんだな。すぐに帰ってもらいなさい。男同士の大事な話がある。──きみ、すまないが今日は……」
 だが未尋はみなまで言わせなかった。父を指さし、海斗に訊く。
「このハゲが、海斗のおや?」
「うん」海斗はうなずいた。「こんなやつなんだ、ごめん」
 父がぽかんと口を開けた。言葉を失っている。
 その背後で、後妻がなにか言いかけるのがわかった。未尋がよけいなことを言う前に、まくしたてて黙らせようとしている。後妻がいつも使う手だった。
 しかしその前に、未尋が動いた。
 彼はソファから素早く立ち上がり、海斗の父を殴った。前置きのない、突然の拳だった。
 未尋はきやしやで、けして力は強くない。だが父は小柄だった。息子の海斗よりも未尋よりも背が低く、なにより暴力に不慣れだった。
 父はよろめいた。信じられないという顔つきで息子の友達を見、次いで数歩後ずさった。無防備なその腹めがけて、未尋の靴先がめり込んだ。
 ぐふ、とうめき声を上げて、父はフローリングの床に膝を突いた。
 無様だ、と海斗は思った。父も、その背後で固まっている後妻もだ。なんてみっともない生きものだろう。未尋と同じ人間とは思えない。
 床に膝を突いたまま、父が顔を上げた。りように濃いおびえが貼りついていた。殴らないでくれ、とその表情が語っていた。誰だか知らないが、もうやめてくれ。痛いことは勘弁してくれ──と。
 未尋はかがみこみ、父の頰を思いきり平手で張った。派手な音が響いた。
 つづけてもう一発張る。もう一発。
「や、──やめ、……や、」
 父は両手を上げ、自分の顔をかばった。
 反撃する様子はなかった。突然の暴力に驚くばかりで、戦意などかけらも湧かないらしい。理不尽な支配に、早くも屈服しかけていた。
 その背後で、後妻は立ちすくんだまま動かない。
「やめ、やめてくれ。──な、なんなんだ。いったい──……」
「海斗」
 未尋は相棒を振りかえった。父親を顎で指す。
「殴れ」
 短い命令だった。
「知ってるよ。おまえ、ずっとこいつを殴りたかったんだろ? いいぜ、殴っちまえ」
 ああそうだ、と海斗は思った。
 未尋の言うとおりだ。おれはこいつが、ずっと許せなかった。ぶちのめしたかった。やっぱり未尋は、おれの最高の理解者だ。
 海斗は一歩前へ進んだ。父の顔が、ぐしゃりとゆがんだ。
 父はわずかに鼻血を出していた。口の端が切れ、血がにじんでいた。床に両膝を突いた姿勢で、すがるように息子を見上げた。
 噓だよな? と彼は目で訴えていた。まさかおまえは、おれを殴ったりしないよな? 実の親子じゃないか。ここまで金をかけて育ててやったじゃないか。おれのことを、恨んでなんかいないよな? よもやおれを──。
 海斗は斜め上から、父の頰に拳を叩きつけた。
 人を殴ったのははじめてだった。殴りかたなど知らなかった。拳が痛んだ。だがそれ以上に爽快だった。
 二発、三発と殴った。途中から手の痛みは気にならなくなった。アドレナリンが脳を浸していた。父が倒れると、髪をわしづかみにして引き起こした。全体重を乗せて、利き手で思いきり殴った。
 父は身をよじり、血の混じった反吐を吐いた。おそらく、折れた歯が混じっているだろう反吐だった。その上に、海斗は父を突き放した。おう物に顔を突っこむように、父は力なくくずおれた。
 海斗は目線を上げた。
 後妻が、壁にへばりついていた。顔じゅうに恐怖をたたえている。目じりがけいれんしていた。血の気を失った頰が、紙のように白い。
 父の頭を、未尋は無造作に踏みつけた。
「謝れ」
 愉快そうな声音だった。
「おまえ、このババアが息子を虐待してるのを、ずっと見て見ぬふりしてたんだろ? なにが『帰ってもらいなさい。男同士の大事な話がある』だ。糞のくせに父親ぶってんじゃねえよ。てめえに説教する資格なんかねえだろ。──謝れよ」
 かかとに力をこめる。嘔吐物まみれの父の顔が、床の上で醜くひしゃげていく。
 海斗は冷えた目で父を見下ろした。父の瞳に浮かんだ哀願と、一片の期待が消えていくまで無言で見守った。
 やがて父は、震える声で言った。
「……す、──なか、った」
「え?」
 未尋が訊きかえす。
「……すまな、かった」
 父は泣いていた。顔じゅうを涙とはなと嘔吐物でぐしゃぐしゃにし、子供のようにすすり泣いていた。その顔面を、未尋はスニーカーの爪さきで容赦なく蹴り上げた。
「ああもう、きったねぇなあ」
 未尋は顔をしかめた。
「このスニーカー、七万もしたバレンシアガの新品だぜ? ケツ売ったって千円の価値もねえおっさんが、なに汚してくれてんの? アッタマきた。こうなったら七万ぶん、きっちり殴らせてもらうからな」
 言いながら、未尋は笑っていた。笑いながら海斗を見た。
 海斗はうなずき、壁にへばりついたままの後妻に言った。
「おい」
 後妻は凍りついていた。目を見ひらき、膝から下をこまかく震わせていた。
 海斗は足を踏み鳴らした。
「おいって言ってんだろ! 返事しろ、ババア!」
 後妻は短い悲鳴を上げた。そして壁にすがったまま、「は、はいっ」とあえいだ。裏返って、かすれた声だった。
「脱げ」
 海斗は命じた。
 その瞬間の後妻の顔を、海斗は一生忘れないだろう。彼女はあきらかに、ほっとあんを浮かべた。なんだ、と言いたげな表情だった。なんだ、結局そこなのね。男なんてちょろいもんよ、これで殴られないで済む──と。
 海斗は歩み寄り、後妻の鼻を殴った。
 鼻骨が曲がり、鼻血が勢いよく噴き出した。殴った海斗が驚くほど、大量の血だった。
 後妻は悲鳴を上げ、わめきながら座りこんだ。そして、ひいひい泣いた。
「おまえみたいなババアに誰がつかよ。うぬれんな、ブス」
 海斗は倒れている父を見下ろした。
「おまえも脱げ。すぐにだ。あそこで二人とも、素っ裸になれ」
 障子の向こうを指さした。いまだはいがないまま放置されている仏壇と、畳に薄くほこりを積もらせた仏間を。
「母さんが病気で苦しんでる頃から、おまえらはつながってたんだろ? 不倫してた──いや、犬みたいにってやがったんだよな。謝れ、母さんに謝れ」
 海斗の声はわなないていた。涙ではなかった。歓喜と興奮で、体じゅうが震えた。
「しまった。ドッグフードを買っときゃよかった」
 背後で未尋が舌打ちする。
「忘れてたよ、失敗した。こんなやつらには犬の餌がお似合いなのにな。まあいいや。──どうせ、がある」
 後妻の顔が絶望に塗りつぶされるのを、海斗はこころよく見守った。

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#8-6へつづく
◎第 8 回全文は「カドブンノベル」2020年3月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年3月号

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