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連載

一木けい「奈落の踊り場」 vol.2

夢か現実かも分からない世界で、私はあの人に出会い、落ちていった。注目の新鋭がおくる問題作、開幕――。一木けい「奈落の踊り場」#1-2

一木けい「奈落の踊り場」

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    2

「うちの嫁が迎えにきますから、先輩たち送らせますよ」
 電話の向こうで夫が言うのが聞こえた。
 五分以内に出られると思う、言い終える前に通話を切られた。
 条件反射で画像フォルダをひらく。二足並んだ靴の写真を眺める。目に焼き付けるようにじっと見る。
 少し気持が軽くなって、ソファから立ち上がった。子ども部屋を覗くと、心地よさそうな寝息が聴こえてきた。足音を立てぬよう歩いて、蹴散らかされたタオルケットをかける。
 いくが目を覚ましてしまったときのためにメモを残し、駐車場に降りた。
 真崎のことは忘れようと思った。思ったのにとらわれた。挑発的なあの目が頭から離れない。
 さりげなく車道側を歩いてくれてうれしかった。
 うつむいて笑った顔がかつよかった。
 誰かにあんなに親身になって話を聴いてもらったのは、ずいぶん久しぶりのような気がする。
 車窓を夜の街が流れていく。彼はいま何をしているのだろう。
 どの店もバス停も彼の名前に見えた。

 夫とは、知人の紹介で知り合った。
 第一印象は、してもらうことに慣れ切った人。
 夫とはじめて食事したとき、中学の調理実習の記憶がよみがえった。作ったものを食べ終え、雑談している時間、ある男子生徒が自分のちやわんを手に立ち上がった。坊主の似合う、目のすっとした野球部の子だった。何気なく目で追っていると、その男子は茶碗を水につけた。ただそれだけのために席を立ったのだ。私以外誰も彼に注目していなかったが、私は深く感心すると同時に、彼と結婚する人は幸せだろうな、と思った。夫はその真逆だった。きっとこの人は自分の食器を下げないだろう。その予想に間違いはなかった。
 夫は歩くのも食事するのも話すのも、すべて自分最優先だった。
 パンやテーブルクロスや便座カバーまで手作りする義母は、長男である夫をはじめ、三人の息子たちに家事を一切手伝わせなかったのだという。そういうことを自分の口で胸を張って語るような女性だった。この人をおさんと呼び、一生つきあっていく。息苦しさは目に見えていた。
 けれど私はもう疲れきっていた。いつ結婚するのと実母から問われ続けることに。子どもを産むタイミングを考えることや産める身体なのかなどと思い悩むことに。

 母は、私を傷つけるのがとても上手な人だ。
 物心ついた頃から父はあまり家にいなかった。中学校の教員をしている母より七歳下の、働かない男。借金ばかりして、噓つきでひょうきん、なのにどこか憎めない男。めずらしく家にいると思ったら、台所で母に金の無心をしている。背中からほうようされて笑う母。声が湿り気を帯び跳ねる。金を手にすると、父はまたふらりとどこかへ行ってしまう。母の機嫌が急降下する。その怒りは私に向かう。私だけに。押し入れに長時間閉じ込める、真冬にパジャマのまま外に出す、罵声を上げながら叩く。はけ口は姉でも弟でもなく、必ず私だった。
 畳に膝をついた母が抱きしめるのは、超優秀な姉と、母が四十歳を過ぎて産んだ弟だけだった。母の胸の中で笑う弟は、いつも勝ち誇ったような表情で私を見ていた。畳のきしむ音を聴くと、いまでも胃が痛くなる。
 私にとって家庭は、子どもらしく無防備に安心できる場所ではなかった。
 弟は、ただそこにいるだけで愛された。鬼の形相で私に苛立ちをぶつけているときも、おかあさーんと姿を現した弟を見るなり母は相好を崩した。抱きしめ、でた。私は褒められなかったし撫でられなかった。自分はこの家にとって要らない子どもなんだという思いが物心ついたころからずっとあった。
 二歳上の姉は、母の愚痴のよい聞き手だった。忍耐強い性格で、母の激情を鎮める才能があった。勉強もスポーツも得意、友だちも多く、私と同じ中学で生徒会長も務めた彼女は母の自慢の娘だった。
 ここではないどこかで暮らしたい。常にそう思っていた。
 誕生日やクリスマスに欲しいものを尋ねられると、マグカップや洗面器やまな板をリクエストした。ユリちゃんは変なものばかり欲しがるねえ。笑う祖父母にお礼を言いながら、心のなかでは、別のどこかに住んだら使うものだよ、と思っていた。十代後半に入ってからは、母に対して腹の立つことがあった日には、男と寝るようになった。母が最も厭がることだとわかっていたから。母と話すといつも悪いことがしたくなった。
 悪いことをしたらしたで、罪の意識にさいなまれた。
 私には、罪悪感のない人へのあこがれに似たものがあった。
 自分にはこうする権利がある。人生はたのしむべき。もう限界と思うほど苦痛なことからはさっさと逃げていい。そんな風にきっぱり思えたら。正々堂々と生きていけたら。
 噓をついたらバチが当たるよ。
 時々、母は私をじっと見据えて言った。
 私がかけてほしかったのはそんな恐怖政治みたいな言葉じゃなかった。ほしいのは安心だった。
 孤独と無力感のなかで生きてきた私は、常に安心を渇望していた。
 この人と結婚すれば、それが手に入るかもしれない。
 努力しようと思った。この男性と、他愛もない話をし、安心のある家庭をつくるのだ。

 結婚生活は滞りなかった。夫は収入にも感情にも波がなかった。父の浪費癖に苦労した母は口を酸っぱくして私に「感謝しなさい」と言った。「夫が稼ぎを家に入れてくれる、それがどれだけありがたいことか。夫の稼ぎで美容院に行けて、学生時代の友人とランチに行けるなんて、私に言わせれば天国よ。感謝しなさいね。ユリは幸せ者よ」
 幸せがどういうものかはわからなかったが、不幸ではないと思った。
 ただ、セックスだけは苦痛で仕方なかった。夫のやり方は、日本語を学ぶ外国人に「自分勝手」の意味をかれたら「これです」と示せるようなセックスだった。私の気持は一切無視、したくなかろうが痛かろうが不快だろうがすべて無視。下半身だけ脱がせ適当に触って挿入する。目的は射精のみ。性器はかつて性交した誰より巨大で、射精に至るまで長い時間がかかった。
 結婚してすぐ妊娠した。おなかの子が男の子だと判明したとき、あらゆる身内から褒められた。よくやった。ありがとう。褒められてこんなに不愉快だったのは、後にも先にもこのときだけだ。ありがとうなんて言われたくなかった。
 逆子がなおらなかったので、出産は帝王切開になった。息子が無事に生まれてきてくれて、私はとにかくほっとしていた。でも母と義母は違った。けいちつぶんべんでないことが不服らしく、産道を通ってきた子とそうでない子とでは心身の発育が違うとか、自然の摂理に反しているとか、あろうことか産院のベッドの周りで話し続けた。あまりにマイナスの側面ばかり聞かされるのに疲弊して、「でも保険がおりたのでラッキーでした」と冗談めかして言うと、ふたりはきょとんとして顔を見合わせた。そして母が言った。「それは異常だからでしょ」
 それ以来、異常という言葉が頭のなかでぐるぐる回るようになった。
 退院の日、きれいなベビー服を着た郁也を抱いて、義母は言った。
「お腹痛めて産んだ子じゃないと、虐待しちゃわないかしら」
 夫の運転する車が病院の入口に到着したときには、涙が止まらなくなっていた。泣いてはいけないと思うほど、涙が次から次へと流れた。驚いて降りてきた夫はどうしたの、と私の顔を覗き込んだ。私は首を振るだけで何も言えない。
「ユリになに言ったの」
「虐待とかなったら厭だなって思ったのよ、楽して産んだ子だから」
「楽して産んだわけないだろ」
「もういいじゃない、悪気はなかったのよ。まさか泣くなんて。マタニティブルーかしら」
 夫は郁也を義母から抱き取り、私に差し出した。やわらかな生まれたての命を受け取った私にほほ笑んで、夫は言った。
「百年前だったら、この子は生まれてこられなかったかもしれない。今の時代でほんとうによかったよ」

 ちいさく生まれた郁也は発育が遅かった。成長曲線の範囲になかなか入れず、毎日が不安で押しつぶされそうだった。その上郁也には重い食物アレルギーがあった。授乳している私も食事を制限しなければならず、卵も乳製品もとりにくも牛肉も口にできなかった。医師から渡された食べてもいい肉リストには、豚肉や馬肉のほかに、うさぎ、カエルと書いてあった。そんな肉がどこに売っているのか、見当もつかない。
 赤ん坊の頃の郁也は「かわいい」より「かわいそう」と言われる回数の方が多かった。かきむしって血だらけになるのを防ぐため、腕とふくらはぎにはいつもチューブ型の包帯を巻いていた。冬でも暑くなるとかいてしまうので、関節を保冷剤で冷やし、靴下は穿かせていなかった。毎日命がけだった。
「頭寒足熱ってご存じ?」
 バスのなかで見知らぬ女性に声をかけられたことがある。
「いまの若い方は何も知らないから。足先はね、温めなきゃいけないのよ」
 悪意などじんもない使命感だったのだろう。でも、少しは想像しないだろうか。真冬にソックスを穿かせていない意味を。
 この世は鈍感な人間であふれている。
 産後、キスが苦痛になった。一日中、あまい匂いのする赤ん坊を抱いているからだろうか。あらゆる負をせおって帰宅した夫がシャワーも浴びず私を求めてくると、おぞましさに鳥肌が立った。夫は私の嫌悪に気づかない。痛みも悲しみも察しない。夫が私の反応をまったく見ないことが不思議でならなかった。
 もしも私が男だったら、行為中、相手の反応があまりに薄かったり、痛そうなそぶりを見せたら、やり方を変えると思う。表情を見ながら、少しずつ動きを大きくするとか、力をゆるめるとか。
 夫にはとにかく余裕がなかった。痛いかどうかすら尋ねない。もしかすると余裕うんぬんではなく、妻という人間に対してそんなことをする義理がないと思っているだけなのかもしれない。
 ある夜、意を決して、要望を伝えてみた。細心の注意を払った。悪いのではなく、もっとよくするためにというニュアンスで。夫はその場ではわかったと言う。しかし次からはまた元のもく。二度同じ話題を持ち出すと、あからさまに不機嫌になった。もう何も言えなくなった。

 郁也が三歳になる直前、夫が転職した。プレッシャーからか酒と煙草の量が増え、夕食後には必ずコンビニ菓子を一袋平らげるようになった。愚痴と体重が比例するように増えていった。
 酔っているときの夫とは、会話が一切成り立たない。質問=詰問と思い込む人に何か言う気力はなかった。この酒量は身体に悪いと本人自ら気づく日が来るのを待った。そんな日は来なかった。夫は日に日に膨らんでいった。しゅっとしていた顎がゆるみ、後ろ姿が別人のように丸くなった。血糖値が上がり虫歯とストレスが相まって口臭がさらにきつくなった。夫は、自らを痛めつけ最も狭く苦しい細道を選んで入り込んでいっているように見えた。
 あの煙草臭い分厚い唇に覆われるのが不快でたまらない。
 あるとき本気で吐きそうになって顔をそむけたら、こめかみを拳で殴られた。
 びっくりした。何が起きたのかわからなかった。現実ではない、霧に包まれた世界にとつぜん放り出されたような感じで、痛みもなかった。あっけにとられる私に夫は唇を押しつけ下着をぎ取り挿入し射精した。人間として扱われていなかった。道具みたいだと思った。
 夫の暴力について深刻に考えないよう心掛けた。仕事がきついのだろうという思いと、これまで守ってもらった恩があった。私は夫の優しい面を知っている。いいときだけ親切にするのはきようだ。私が彼の一番の理解者でいてあげなくてどうする。長い結婚生活、こんな時期もあるだろう。うまくいかないときに、ゆるして思いやり合うのが夫婦というもの。一時の辛抱。
 暴力は日常ではなかった。恐怖もなかった。
 悲しみはあった。生命を軽んじられたような気がした。
 痛みに耐えて終わりを待つ日々。
「おまえ、どっか悪いんじゃない?」
 あるとき夫が言い放った。どっかって。言葉をうしなう私を、夫はあざわらった。
「病気だよ。旦那様の性欲に付き合わない妻なんてゆるされると思う? 離婚の理由になるんじゃなかったっけ」
 ずぼんの上に乗っかったでっぷりとした腹肉を撫でながら、夫は笑った。
「旦那様への愛が足りないんじゃない?」
 愛。セックス。そのためには思いやりや会話が、相手のことを理解しようとする想像力が、大事なのではないか。喉まで出かかった本音は、何とか飲み込んだ。その夜も私は瞼と意識を閉じて夫の性器を受け入れた。悦楽を感じたときに漏らす声と、痛みに耐えるときのえつが似ていてよかったと思った。

 郁也が幼稚園に入ってすぐ、眠れなくなった。あれが何年の何月だったか、その数字を頭に思い浮かべるだけでめまいがする。
 園の行事に来るたび、義母は郁也を他の園児たちと比べた。もう夫は私をかばってくれなかった。私だって無意識のうちに比べていたかもしれない。食欲が落ち、みるみる瘦せていった。
 毎晩のように悪夢を見た。異常異常異常。誰かがきようするように囁く。これは夢だと気づくより先に、ガリガリ、という音で目が覚める。郁也が包帯の隙間から肌をかきむしる音だ。自分の意思とは関係なく涙がこぼれた。夫が吞み会で不在の夜には、声をあげて泣いてしまうこともあった。その涙はもはや悲しみではなくむなしさによるものだった。
 常に頭部が重く、何をしていても苦しくて目が完全に開き切っていないように思えた。夫の弁当を作れない日が増えた。部屋の隅にはほこりがうっすらと積もり、夫が帰宅したときシンクに朝の洗い物がそのまま残っていることもあった。ほこりの上に夫のため息が積もった。
 なんでだいたいの母親がふつうにできることをユリさんはできないのかしら。義母がそう言っているのをたまたま聞いてしまった。うちの親戚にはああいう人いないのにね。ユリさんのお父さんもちょっとおかしいんでしょ。郁也があんなふうになったら困るわね。
 自分が情けなく恥ずかしくてたまらなかった。夫は安心をくれる人ではなくなった。でも私には昔夫がくれた安心の貯金があった。せめてふつうのことはできるようになりたいと思って病院へ行き、睡眠導入剤と不安を和らげる薬を処方してもらった。
 郁也を幼稚園へ迎えに行くと、笑うことができた。郁也はいつも満面の笑みで駆けてきて、ちいさな手で私を抱きしめた。郁也だけが光だった。郁也がとなりにいてしやべったり笑ったり歌ったりしているあいだは、この子のために元気になろう、と思えた。
 郁也を寝かしつけると、虚しさと不安が猛烈な勢いで襲いかかってくる。とにかく今すぐ楽になりたい。起きているのがつらくて耐えられない。でも寝てばかりいるわけにもいかない。この巨大な不安を手っ取り早く消したい。あと数秒で狂人になるという切羽詰まった状態で飲む薬はよく効いた。依存してしまうことが怖くて、用量をしつこいくらい確認して飲んだ。
 朝がきて、目が覚めたら、頰が涙で濡れている。また一日がはじまってしまう。太陽光も工事の音も屋の匂いもすべてが自分を攻撃してくるようだった。私は恐怖のなかで生きていた。こごりのような脳で郁也を幼稚園へ送っていき、帰ってくるなり薬を飲んでソファに横になった。死んでいない、ただそれだけの生き物だった。
 十四時。幼稚園で郁也の顔を見ると、世界の明度が上がった。自分はちゃんと生きてここにいる。そう思えた。
 私と夫との間に起きていることを、誰にも話すつもりはなかった。
 幼稚園の親睦会がひらかれたとき、ひとり勘の鋭いママ友がいて、「旦那さんと何かあった?」と尋ねてきた。「何もない、けど嚙み合わない」笑い交じりに答えると、「そんなもんだよ」とその場にいる全員が大きくうなずいた。前夜我が家のリビングで何があったかを話したら、この場は静まり返ってしまうだろう。同情されるのは厭だった。
 夫が暴力を振るうときが予測できるようになった。
 暴力の前に暴言がある。暴言の前に酒がある。
 はじまりは毎回酒だった。しらふの夫に殴られたことはない。夫はふだんは控えめで知的だが、酒がある一定量を超えると気が大きくなり、ねちっこく厭味ったらしいことを言い始めるのだった。
「なにその顔。俺のこと馬鹿にしてんだろ」
 言いがかりとともに大きな影が覆いかぶさってくる。もう涙も出ない。野卑な言葉を吐いて、夫は達する。その頃には夫は罵りながらでないと射精できなくなっていた。
 それでも吞まないでとは言えなかった。
 おまえなんか要らない、と言われるのが怖かった。
 うしなうくらいなら吞ませたい。うしなうくらいなら殴らせる。
 深く考える気力はなかった。ただ淡々と食事を作り、掃除機をかけ、清潔な衣服を用意した。郁也と泥団子を作り、かくれんぼをし、決闘ごっこに付き合い、夜は絵本の読み聞かせをした。ランドセルを買ってくれた義母に礼状と菓子折りを贈り、給食袋を縫い、鉛筆一本一本に名前を書いた。深く考えない日々を一日ずつ積み上げた。
 そして、真崎と出会った。

「おーい! ここ!」
 私を見つけ、夫が手を挙げる。
 赤ら顔の男たちがたむろする居酒屋の前で車をめた。
 後部座席にやかましく乗り込んできた夫の地元の先輩だという男三人を、私は夫に言われるまま順番に送っていった。
 郁也が目を覚ましていないか、火事や強盗など万一のことが起きていたら。考え出すと心配でたまらなかった。男たちは大声で下品に笑い、耐え難い臭いを発した。
 ねえ奥さん、後ろから声がした。ハンドルを握る手に力がこもる。
「俺たちは酒が好きで遅くまで吞み歩くけど、不貞行為とか、そういうのはありませんから。それだけはわかってもらえるとありがたいです」
 はあ、と笑いながら私はスピードを上げた。そんなことはどうでもよかった。一刻も早くこの男たちを降ろしてしまいたかった。
「俺はね、意外ともてるんだよ。ユリはわかんないだろうけど」
「ちょっと、それ以上はやめといた方がいいんじゃないか」
「いや、いいんですよ。やましいことはないんだから。それでも俺は、その女の子と寝たりしないから」
「えらいよなー。俺ならやっちゃうな。あれはもったいなかったよ」
「そうだよ。なんでおまえ、あのときやんなかったの?」
 口々に言う先輩たちに向かって、夫はいかめしく重々しい声で言った。
「それをやってしまったら、人間じゃなくなりますから」
 最後に送り届けた男は、ドアを閉める直前、夫に向かって、
「お前のかみさん、よく教育できてるな」と言った。
 褒めているつもりらしかった。
 愛想笑いに疲弊する頰は、真崎の部屋にいたときとは筋肉の使い方がまったく違った。

▶#1-3へつづく
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