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連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.29

サブリーダーに指名された当麻は――。 未知を求めて山奥へと進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#10-1

増田俊也「眠るソヴィエト」


前回までのあらすじ

医学部卒業後、大学に再入学した当麻一郎は、謎の生物を探すアルバイトに採用され山奥へ向かった。獣用の罠穴に落ちた当麻は黒彦に救われる。黒彦が暮らす集落で当麻はヤマビトと名乗る鍵谷らと出会う。鍵谷は当麻をグループに受け入れた。当麻たちの集落が獣の皮を纏う六厳会の男たちに襲われるが、鍵谷たちが撃退する。鍵谷の指揮で六厳会の集落を逆襲し、当麻は捕まっていた黒彦を助け出す。リーダーを鍵谷が倒し、六厳会は全滅した。

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      1

 その日の夕食も盛り上がった。
 肉を食らい、どんぐりのパンを食べ、ししざけを飲んだ。
 疲れていても戦争の緊張から解かれた喜びでみな朗らかだった。秋の夜風は氷のように冷たいが、かえってその冷たさが酔いのまわった頰や首筋に心地よい。私もかなりの量の酒を飲んだ。そのうち意識もうろうとなってきた。しばらくするとかぎたにが解散を言った。
 の小屋へふゆとともに帰った私は、着替えることもできず、布団に倒れ込んで毛布をかぶった。
 戦争がいかに身も心も疲弊させるものなのか、その渦中にいるときよりも終わってからわかった。夢もみない深い眠りにすぐに落ちた。二度ほど亜希の声が耳もとで聞こえたような気がした。しかし私にはを開ける力は残っていなかった。
 次の日、目覚めると、亜希が小屋の入口で大きなざるを抱えて座っていた。
 私が起きたことに気づかず何かの実のヘタを取っている。
 彼女の向こうに木漏れ日がきらきらと光り、まるで中世の絵画を見ているようだ。細い顎のラインが女性らしい曲線を描いており、小さくシャープな鼻筋が美しい。それに見とれていると気配を感じたのか亜希がこちらを見た。そして驚いたような顔をしたあと、はにかんで眼のまわりを赤く染めた。
「おなかはすきませんか」
 首をかしげながら聞いた。
「まだ起きたばかりなんで。でも──」
「でも?」
「それはなんですか?」
 亜希の手元を視線でさした。
「野いちごです。食べますか」
「そいつはいいや。いただけますか。二晩続けて酒ばかりだったんで、喉がかわいてしまって」
 亜希がくすくすと笑った。
 そして「昨日もずいぶん飲まれてましたものね」と言った。
「そんなに飲んでました?」
「ええ。それはもう」
 亜希は手にしていた笊を下に置いて立ち上がった。棚の上から大振りの木椀を下ろし、その木椀に笊から野いちごをひとつかみ、ふたつかみと移していく。
 山盛りになったところで私に差しだした。
「こんなに食べれるかな」
「遠慮なさらないで全部食べてください」
「美冬ちゃんにも分けて──」
 言いながら振り返ると、美冬は布団にいなかった。
「広場で遊んでますよ。それに野いちごはまだまだたくさんありますから遠慮なさらないで」
「どこにそんなになってるんですか」
「川湯の向こう側です。すぐ近くですよ。毎年食べきれないくらい実ります」
 たしかに笊にはまだバケツ一杯分は残っている。
 私は頭を下げ「じゃあ遠慮なく」と言って野いちごをつまんで口に入れた。
 亜希が心配そうに私の顔を見ている。私がうなずくと亜希がうれしそうに眼を細めた。その目元のあまりの清楚さに私は見とれた。ほんとうにれいな人だ。
「あの──」
 私が言うと亜希が首を傾げて言葉を待っている。しかしその年齢にそぐわぬさをけがすことを言ってしまいそうで言葉を止めた。
「いえ、なんでもないんです」
 頭を下げながら自分の意気地のなさに嫌気がさした。
 昔からそうなのだ。
 ほんとうに気になる人にはからっきしだめだ。
 こんなことならとぎに来たときに抱けばよかったのだ。そうすれば昨夜だって今だって彼女を自分の腕にかき抱いて髪の匂いに触れられたのに。そう思いながら私は彼女の唇を見ていた。眼を合わせるのが気恥ずかしかったからである。
「今日は猟に行くんですか」
「いえ。明後日まで三日間、僕たち男は特別休暇なんです」
 そう答えると、亜希はまたくすくすと笑った。
「じゃあ、今日は一日寝ていてください。食事はここに運びますから」
「いいんですか」
「ええ。もちろんです。洗濯物はありますか」
「ありますけど……」
「出してください。洗っておきます」
「いいんですか……」
「気になさらないで出してください。いまから私たちの服も洗濯しますから、ついでに洗ってきます」
「すいません。じゃあ──」
 私は立ち上がり、壁の隅に積み上げた洗濯物を両腕で抱えて亜希の前に持っていった。さらにもういちど運ばなければいけないほどまっていた。毛皮男たちが攻めてきてから洗濯する時間などなかったのだから当然である。
 亜希は肯いて、それをかたわらにある別の洗濯物の山と一緒にし、ロープで器用に十字にくくった。それを担いで川の洗濯場のほうへ歩いていく。
 私はその背中をしばらく見ていたが、すぐに睡魔がおそってきてまた布団に潜りこんだ。何時間眠っても足りないほど体の芯が疲れていた。

      2

 結局、それから三日間は寝たり起きたりの繰り返しで過ごした。鍵谷が特別休暇として考えた三日間というのはそれなりに意味があるのか、四日目には体の内から力がみなぎる感覚が少し戻ってきた。
 朝、久しぶりに広場での朝食へ向かった。
 洗濯してもらった下着やジーンズが肌に心地よかった。広場にはすでに鍵谷もあさひもいた。そしてくろひこも少年を連れてきていて久しぶりに全員がそろった食事となった。
「おまえ、もうここで一生暮らすことに決めたんだろ」
 食事が始まると、横の鍵谷がそう言った。
 みんなの視線が私に集中するのがわかった。
「もちろんです」
 声が震えた。
 鍵谷が満面の笑みになった。
「おまえにサブリーダーの称号をやるよ」
「え……」
 さすがに驚いた。
「今日からは旭とおまえ、二人がサブリーダーだ。グループの運営について何か意見があったら、これからは遠慮なく俺に言ってくれ。サブリーダーとして進言できるようになる」
 そう言って私の肩をたたいた。
「今回の戦争、ずいぶん活躍してくれたからな。大貢献者だ」
「いや、そんなことは……」
 私が照れると鍵谷が大仰に笑った。
「もちろん全員の力あってのことだ。旭も黒彦も素晴らしかった。だが、おまえは今回の戦争が初めてだったんだ。しかも人を初めて殺した」
 最後の言葉に心臓が揺れた。しかしそれを顔に出すことはできなかった。
 鍵谷がゆるりと立ち上がり、私の前に右拳を突きだした。
 どう応えればいいのかは何度も見ている。
 私はひざまずいてその拳に額をこすりつけ、頰をこすりつけた。気分がたかまり、呼吸が速く強くなってきた。
 しばらくすると鍵谷の拳が私から離れた。
 私は鍵谷を見上げながら言葉を待った。しかしただ黙って私を見下ろしている。私はまた頭を垂れて地面を見た。鍵谷がどこかへ歩いていくのを確認してから顔を上げた。彼は森の小道のほうへ向かっていた。そのまま森の中へ入っていく。それを見て、ほかのみなは黙って見ている。私も何やら待たねばならないことが起こる気がして、そのままそこにひざまずき、鍵谷を待った。
 鍵谷が戻ってきたのは三十分もってからだった。
 こちらへゆっくり歩いてきて持っているものを私に差しだした。
 木椀である。
 中には赤くてどろりとした液体が入っていた。
 とてつもなく生臭い。
 一リットルほどもあるだろうか。
 鍵谷は私の前に黙って立っていた。
 まわりを見ると、みなが私を見ていた。
 私は口をつけ、ひとくち飲んだ。
 ひどい臭いが口の奥から鼻に抜け、吐きそうになった。間違いなくこれは血である。しかしこの雰囲気は、どう考えても飲みほせということだ。濃いしるのようにどろどろしたその生臭い血を、眼を閉じて私は必死に飲んだ。胃はそれを拒否していたが、吐いたらここに居られなくなると思った。すべてを飲みほすと、鍵谷が木椀を私の手から取った。そして右手を拳にしてまた私の前に差し出した。私はその拳に額と頰をこすりつけた。顔を上げると鍵谷が満足そうに肯いた。

      3

 この日は昼まで武具の片づけを行った。
 日本刀やナイフはいしで研いでからたっぷり油を塗り、一本ずつ布でくるんだ。矢尻も研ぎをかけ、同じように油を塗った。それらを作業場の地下の穴蔵に仕舞った。服などの装備はすでに女たちが洗濯してくれていたので、工場内の棚に場所を作って、そこに積み上げた。
 それが終わると男衆で全員の小屋を一軒ずつまわり、それぞれのまきストーブと煙突の調整をした。
 いくら厚着をしてもストーブがないとそろそろ厳しかった。
 薪ストーブはゴミのデパートで拾ってきたものが鍵谷の小屋にあったが、そのほかの小屋ではドラム缶などを使って作ったものである。山の寒い地域であるからこのストーブは命綱であった。だからかなりしっかりした作りだった。
 充分に乾燥させた薪を完全燃焼させればほぼ煙は出ないが、そのためにはストーブの換気部分など細かい調整が必須なのだという。そのうえでしよう広場のたきの上部にあるような、樹の枝を編んだ物などを使ってすすを吸収する仕組みを、同じように外の煙突上に作った。これでほぼ煙はゼロになるという。薪は普通は一年乾燥で充分だそうだが、ここでは二年から三年は乾かしているという。
 その次の日は男たち四人は猟へ出た。
 ろくげんかいから連れてきた少年も一緒である。
 少年はセシという名前だった。
 はじめのうちこそ捕らえられた野生動物のように私たちを警戒していたセシは、次第に溶け込みはじめていた。
「早くから男として育てよう。早く戦士に育てるんだ」
 鍵谷はそう言って、できるだけ私たち男衆で遊んでやった。
 そのうちセシは私にも旭にも一緒に遊ぼうとせがむようになり、急速に私たちの言葉も覚えていった。ただ、眠るときは必ず黒彦と森へ消えた。黒彦は特定のねぐらを持たず、いつもその日の夕方に木陰など人目につかない場所に樹の枝や枯葉などを敷いてベッドを作り、そこで寝ている。セシの態度はしかし、女たちと遊んでいるときと男衆といるときとでは明らかに違った。それを見るとまだまだ子供なんだなということがわかった。下界でいえば小学五年生くらいだろうか。
 この日の猟場はふたつ山を越えたところにあるヌタ場の近辺だった。
 ヌタ場とは小さな沼のようなところだ。いのししはこのヌタ場でごろごろと転がって体中に泥をこすりつけ、皮膚に寄生虫がつかないようにするのである。
 このヌタ場まわりにはかなりの数の猪がせいそくしており、遠くの山からわざわざやってくる猪もいるようで、五匹、十匹といった群れを見ることもあるのだと旭が教えてくれた。
「大きな猪やんがおるだす──」
 黒彦が言って、ヌタ場の側にかがみ込んだ。
 みなそこに集まった。
 見たことがないような大きな足跡だった。
「こいつは二百キロはあるな」
 鍵谷が興奮して言った。
 たしかにそれくらいはあるだろう。
 その近くに三つの括りわなを仕掛けてから、みなできじ猟をした。私と旭が勢子になって何度か草むらから追いだし、黒彦が二羽、鍵谷が一羽を仕留めた。ほかにうずらを一羽射止めた。ヌタ場に戻るとあたりに新しい巨大猪の足跡がついていたが、警戒したのか括り罠を上手に避けていた。
 括り罠はそのままにし、そこをあとにした。
 集落に戻ったのは夕方である。
 これほどの夕焼けは見たことがないほど美しく空が焼けていた。猟具を下ろし、普段着に着替えてから昭和広場に集まった。
 食事しながら鍵谷がこれからのグループについて話した。
 人員の減少で勢いがない当グループを、今回の戦争ととうの加入を機に、また大きくしていこうと思うと言った。そのためには下界の人間のスカウトと他グループの吸収が必要だ。これから忙しくなるが、俺を助けてほしいとみなに言った。
「手はじめに俺は下界へ降りて何人か探してくる。日大時代のつながりがいくつもある。どこかから引っ張れると思う」
 そして「おまえらはその間に近くのヤマビト情報を整理しておいてくれ。包摂できるところは包摂したい」と言った。

▶#10-2へつづく
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