menu
menu

連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.9

ヤマビトの酒で酔いの回った当麻は――。未知を求めて山奥へ進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#5-2

増田俊也「眠るソヴィエト」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

>>前話を読む

 私がちゆうちよしていると一瞬きょとんとし、すぐに表情を崩した。
「娘も寝てますから」
「あ、そうですか」
 私が頭をかくと、また笑った。
 先ほどいた少女の母親なのだろう。もしそうなら、この亜希は少なくとも悪い人物ではないのではないか。
 亜希は傍らにあるあんどんのようなものを手にし、長い箸で熾火をつかんで火を入れた。あかりがぼんやりと揺れはじめた。それを持ち、私を見て促し、先に歩きはじめた。二秒ほど考え、私は後ろから続いた。もしこの女の家へ行って、おかしなことがあればまた戻ってくればいい。途中、樹の下にあるザックを手に取ると亜希が振り返り、納得したようにまた歩きはじめた。
 通路から森のなかへ入った。上からも左右からも巨樹の枝が包み込んで月明かりが遮られているなかで、行灯の淡い灯りだけが頼りである。行灯の灯りが届かないところは完全な漆黒だった。よく見ると、上に伸びる枝々は、針金などを使い、わざわざ道を覆わせているようだ。このコミュニティは、上から生活の光を見つけられるのを極端におそれていた。それはここの存在を外界に知られるのが嫌だからにちがいなかった。
「こっちです」
 亜希が言いながら左へ曲がった。そこはいま通ってきたところより狭い道になっていた。
 しばらく行くと湿地の甘い土の匂いがした。樹々の間に巨大な葉を持つ植物が交じりはじめている。ふきのようである。おそらく秋田蕗と呼ばれる巨大種だ。丈が二メートル以上あるのも眼をくが、葉の直径も一・五メートルくらいある。茎は太いもので一〇センチくらいあり、サイズだけをいえば草というより樹である。
 その秋田蕗の群落のなかを三〇メートルほど歩いたところで亜希が振り返り、目配せした。蕗の大きな葉に守られるようにして粗末な小屋があった。入口の下に大きな石が敷台として並べてあり、彼女はそこに上がって靴を脱いだ。その後ろから私も上がり、靴を脱いだ。
「どうぞ。狭いですが」
 暗い室内で彼女がささやいた。後ろを振り向いて人がいないのを確認し、警戒しながらなかへ入ると、ふわりとクリーム色の灯りがともった。彼女が片隅の灯りに火を入れていた。隅の布団にくるまっている小さな人物は娘にちがいない。広さは八畳ほどで、この一部屋だけのようだ。キッチンらしきものもトイレなどの他の水回りも、このなかにはない。もういちど後ろを振り返って外から誰か来ないかを確認した。心臓が速打ちしていた。
「こちらへどうぞ。ふゆはめったなことでは眼を覚ましませんから大丈夫です」
 亜希が小声で言いながら奥へ行く。美冬とは寝ている娘のことだろう。小屋には天井板がなく、そのまま屋根の骨組みが見える。ってあるため、網目がその屋根の骨組みに影をつくり、まるで天井全体にの巣が張られているようだ。
 亜希が押し入れから布団一式を抱えて引っ張りだした。
 それを敷きながら「ここで寝てください」と言った。
「いや、このあたりでいいです」
 私は入口のところから動かなかった。何があっても対応できる場所に寝たほうがいい。
 亜希が苦笑して、そこまで布団を抱えてきて敷いてくれた。
 そして一人で外へ出ていった。
 私が布団の上にあぐらをかくと、彼女が戻ってきた。
「どうぞ、毛布をかけて。これから朝方にかけてこのあたりは冷えてきますから」
 亜希が着ているカーディガンを脱ぎながら言った。そして寝間着であろうトレーナーに着替えている。
 彼女が布団に入ってから寝ようと思ったが、私はとんでもない睡魔にもうろうとしはじめていた。「すみません」と言いながら横になった。毛布を両手で引いてかぶろうとしている途中で深い眠りに落ちた。毛布を首までかぶらなければと思う間もなかった。

      2

 目を覚ますと外はうっすらと明けていた。
 古い木材の匂いはきだしの壁だろう。
 亜希も娘もまだ眠っていた。
 かなり肌寒く、襟元から冷気が入ってくる。分厚いわけではないが、かなり重量がある昔ながらの毛布だ。少し湿った感じがするのは、空の下に堂々とは干せず、かげで干しているからかもしれない。
 一度も目覚めることなくしっかり長時間の眠りを得たが、頭はぼうっとし、体全体に筋肉痛のような重さが残っていた。
 しばらくぼんやりと天井を眺めていると、奥でがさがさと音がした。眼をやると、女の子が上半身を起こしてこちらを見ていた。眼を大きく開いているのは驚いているというよりも真剣に見ているからのようだった。
「おはよう」
 私が声をかけると、小さな顎でこくんと肯いた。
「美冬ちゃんだね」
 聞くと、また肯いた。
 私も上半身を起こし、毛布を払った。寒いので壁際まで二歩ってザックを引き寄せ、なかからトレーナーを出して着た。そのあいだ美冬はじっと私を見ていた。
 二人の間には亜希が寝ており、静かに毛布が上下している。
 私が手招きすると、美冬はさらに眼を見開き、躊躇している。小学校五年生くらいの年齢だろうか。三つ編みに垂らしたふたつの髪の先に黄色いリボンが結ばれている。
 私はまた手招きした。
 美冬はちらりと母の寝顔を見てから立ち上がった。そして子鹿のように母を飛び越え、頭を下げて私の前に正座した。座ると小柄な体がさらに小さく見えた。
「いいものをあげる」
 ザックに手を突っ込んだ。興味深そうに見ている美冬の前で底のほうを探った。思ったとおり、こぼれた干どうが三粒見つかった。それを手のひらに載せて美冬に見せた。
 彼女は興味深そうに顔を寄せた。
「食べてごらん」
 私は言った。
 彼女が顔を上げ、すぐに干葡萄に眼を戻して一粒をつまんだ。私も一つつまんで自分の口に入れた。彼女がて口に入れた。私がしやくしてみせると、彼女はぎこちなくみ、甘みに眼を輝かせた。
「これも君にあげるよ」
 手のひらに一つだけ残った干葡萄を差しだすと、躊躇したあと二本指でつまみ、口に放り込んだ。そしてうれしそうに笑った。
「あら、当麻さん、ごめんなさい──」
 美冬の後ろで亜希が体を起こした。そして両手で髪をかきあげながら「当麻さん、ごめんなさい」とまた言った。上は長袖のトレーナーだが下は下着一枚のようで、毛布のはだけたところから柔らかそうなお尻の肉が少しだけ見えた。布団の横に畳んであるジーンズを手にし、毛布の下で器用にはくと立ち上がって小屋を出ていった。しばらくするとおけを持って戻ってきた。
「どうぞ、これを飲んでください」
 差しだされた桶には水らしきものが満たされていた。
「ありがとうございます」
 たしかに喉が渇いていた。口をつけると、はたして冷たい水であった。よく見ると水のなかには小さなゴミがいくつも浮いている。川の水をんできたのだろうか。三口四口飲んで美冬に渡すと、喉を鳴らして飲んだ。
 亜希が腕時計を見て、布団を畳んだ。
「私たち、朝食の準備をしなければいけないので先に行きます。どうぞおくつろぎください。すぐに呼びにきますので」
 美冬のほうを見てからトレーナーを脱ぎカーディガンを着た。美冬も立ち上がって傍らのジップアップパーカーを羽織った。そして二人でこちらに頭を下げ、外へ出ていった。
 私は自分の寝ていた布団を丸め、そこに背をあずけて座った。すぐ横に木製の棚があり、美冬のものだと思われる図鑑の類いや『漫画日本史』といった本もあった。表紙がぼろぼろになった女性ファッション誌は亜希のものだろう。これらの本や雑貨などを、どうやってここまで運んでくるのだろうと疑問に思った。私と黒彦が来たルートからだとすると大変な作業だろう。
 壁にはいくつかの民族衣装のようなものが金具で飾られている。パッチワークのように様々な色の布で作られていた。もしかしたら亜希の服だろうか。
 そうだ──。
 思いついてザックを引っ張った。
 先ほど干葡萄を探すときにザックのなかに一眼レフカメラを見た。何日で下山するかわからないが、そのときまでどこかに隠すしかない。部屋をぐるりと見た。ビニール袋が落ちていた。それを手にし、一眼レフを入れた。充電器と予備のバッテリーも放り込み、袋の口をきつく縛り、さらにもういちど縛った。ザックのなかから折り畳み式の小型スコップを出して立ち上がった。
 小屋の外へ出ると、樹々の枝から漏れる朝のだいだい色の陽光が熱を含みはじめていたが、それでもまだ肌寒い。小屋に戻ってザックからトレーナーを出して着て、もういちど外へ出た。
 細い道をゆっくり行き、左右を見ていく。右側は樹木が少なく、そのぶん丈二メートルの蕗が生い茂っている。左側は樹木が多く蕗は少ないが、樹木があるため全体として光量が少なく薄暗い。
 私は左側の蕗をかきわけて森のなかへ入った。あまり奥へ行くとどこに埋めたかわからなくなるので七~八メートル入ったところにある大樹の根に一眼レフを置き、折り畳みスコップを開いて横を掘っていく。湿った腐葉土なので比較的容易にスコップが刺さるが、顔のまわりにやぶが集まり耳元で羽音を鳴らすのがうつとうしい。音をたてないように静かに作業しているが、スコップが小石に当たって金属音が鳴るたびに心臓の鼓動が速まった。
 深さ五〇センチほど掘ってから一眼レフを注意深く底に置き、上から腐葉土をかけていく。汗の浮いた顔や手に腐葉土が貼り付いてかゆい。完全に埋め、靴でそこをならし、戻ろうとして迷い、腰の革ケースからナイフを抜いた。そして着ているTシャツの裾を切って、幅二センチ、長さ一五センチほどのひもを作った。その紐を樹の枝に縛り付けて目印とした。そして急いで通路に戻った。
 左右を見たが誰もいない。
 ほっとしてスコップを畳み、小屋からの距離を見た。小屋に近い太い樹木から一本、二本と数えた。ここは七本目の樹木のところである。そこから森へ七メートル入ったところの大樹の下にカメラは埋めた。「七本目の七メートル奥」と頭に刻み込み、小屋に戻った。スコップをザックにしまい、先ほど亜希に貰った水の入った桶を手に外へ出て、その水で顔と手を洗った。痒くてしかたがなかった。

#5-3へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2019年12月号


関連書籍

カドブンノベル

最新号 2020年1月号

12月10日 配信

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP