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連載

増田俊也「眠るソヴィエト」 vol.30

サブリーダーに指名された当麻は――。 未知を求めて山奥へと進む異界冒険記! 増田俊也「眠るソヴィエト」#10-2

増田俊也「眠るソヴィエト」

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 鍵谷は翌々日の朝、下界へ発った。
 予定は一カ月程度ということだった。
 彼がいない間の統制はサブリーダーである私と旭に任された。
 それまでしてきたとおりの生活を続け、新しいことはしないようにと旭と話し合った。
 毎日午前七時から作業場で木工をし、ときに猟にまわった。
 予定がきちんと進めば三十分の昼食後に午後二時半で労働を終え、その後は休息の時間とするのも鍵谷がいるときと同じである。これ以上の長時間労働は遠くへ猟に行くときと危急時だけというのがこのグループの労働に対する基本的な考え方だ。
 そして労働で得た肉や木の実などは全員で分け、個人財産は持たないのである。個人が所有しているのは黒彦が腰にいつも差している日本刀など、ごく限られたものである。黒彦以外の他の男は日本刀をいつも差しているわけではないが、大型ナイフを腰のケースに入れていた。女たちはやはり腰に小さなケースを巻いており、そのなかに裁縫用の針や糸、そして小型ナイフなどを入れていた。あとは所有物といっても衣類くらいのものだった。
 ある日、夕食のあと旭と二人で焚火に残って酒を飲んでいるとき、私は疑問に思っていたことを聞いた。
「黒彦さんはもともとここの人間ではないんですよね」
「はい。隠してもしかたないので言いますが、もともとは今回の少年と同じように他部族との戦争時に先代リーダーがさらってきた少年だったそうです」
「やっぱりそうですか……」
「昔はそういった人がどの部族にもたくさんいたそうです。女と子供はさらってくるものだったみたいですね」
 世界的にみてもどの国でもそういう時代を経て文明国になってきた歴史がある。
 なにしろアメリカ合衆国の奴隷制度はほんの百五十年前まで存在したのだ。しかしそういった人間の拘束が現代社会では表面的に消滅したようにみえても、たとえば中学生は内申点にびくびくし、高校生は経済的に無理してでも大学へ進学し、社会人だって人事異動の多くは部局間の人身売買に近いバーターが多い。社会的圧力、集団圧力が、多くの人間を拘束している。見える圧力ならあらがうことができるが、見えない圧力というのは始末に悪い。そういった意味で私には、このヤマビト社会のほうがずっと自由な世界だと思えた。

      5

 鍵谷がいなくなってからは夕食後や休日である土日にはリサコがさかんに私を遊びに誘いに来た。川湯に行くのもいつも一緒だったし、ときに山菜採りにも連れて行かれた。そうすると見る者がいない解放感から、やたらと彼女のボディタッチが増え、あきらかに私に誘いをかけてきた。しかし私は亜希との関係もあるし、なによりリサコはリーダーの鍵谷の女であるという事実がブレーキをかけ、やんわりと避け、応じることはなかった。
 しかしある日、川湯でキスに応じてしまってからはキスを断る理由がなくなってしまい、誰もいないところで頻繁にキスするようになった。そうすれば当然のように二人とも気持ちにも身体からだにもスイッチが入り、互いに今まで以上に相手の存在が大きくなってきた。そこから先に進まないようにするのは大変だったが、それでも私は拒否し続けた。
 鍵谷が女を一人連れて戻ってきたのはそんなときだった。下界へ出発した日から三十四日目だった。すでに紅葉が奥山を覆いつくしていた。
「彼女はあんどうっていう。大学生だ。六本木でスカウトした。なかなかのべつぴんだろ。これだけの玉は下界広しといえどもなかなかいない」
 鍵谷は御機嫌だった。
「よろしくお願いします」
 伊緒里は両手を股のあたりにクロスしてちょこんと頭を下げた。その仕草は男慣れしているように見えたが、一方で何かの鬱屈を抱えているようにも私には見えた。
 これは私についても言えるが、そもそもここに来る時点で普通の感覚ではない。
 十九歳のこの伊緒里に、鍵谷は森の奥の大きめの廃屋を直してあてがった。
 グループが大きかったころの廃屋が森のなかのあちこちにぽつぽつとあった。直しても住めないような崩れかけたものもあったし、少しいじるだけで大丈夫そうな小屋もあった。伊緒里にあてがわれたのは広さはかなりあったが屋根をきなおさなければならないほど傷んでいた。その修復と改装の普請は男衆全員での大がかりなものだった。大ぶりの小屋をあてがったのは鍵谷が自分でも出入りするからだろうことは明らかだった。
「当麻の家もなんとかしてやらないとな」
 鍵谷はそう言って、川湯から三百メートルほど上流へ登ったところにある廃屋を直して住めるようにしてくれた。
 私はそこをとても気にいった。
 広場からはやや遠いが、まわりは広葉樹中心のどっしりした森で風通しもよく、すぐ横に幅一メートルほどの沢の支流が流れており、みなが使っている水道用の水路まで行かなくても飲料水を賄えたし、行水くらいはできるので便利だった。
 ゴミ捨てのデパートへ行ったときに、三十冊ほどの本を拾ってきて、それを夜、ランプの灯りで読むのが楽しみになった。下界にいるときは細々とした身の回りのことが多くほとんど読書の時間がとれずにいた。これほどゆったりとした時間を過ごすのは久しぶりだった。
 夕刻になるとしばらく後にやってくる読書の美味を脳が待つようになり、それは食事や睡眠よりもずっと甘美な時間だった。
 読書に疲れて外へ出ると、秋の空に星々が瞬いている。それを見て「ここに来てほんとうによかった」とあらためて思った。この森こそが私の居場所なのだ。
 下界と比べ涼しく過ごしやすい夏も充分に森の恩恵にあずかったが、一気に深まる秋はそれ以上の恵みをわれわれにもたらしてくれた。山々には大量の団栗が実り、一年分の備蓄のために私たちは毎日それを貯えた。団栗は樹に登らずとも地面に無数に落ちていたし、樹の幹を思いきり蹴って揺すると、夕立ちのような音をたてて大量に落ちてきた。団栗はヤマビトにとっては山芋類と同じく、下界における米の役割があったので、とにかく大量に貯えた。
 栗の収穫はイガがあるぶん団栗より難儀だが、団栗と違い甘みがあるためみな採りたがった。団栗拾いや山菜採りの合間に見つけた栗の樹は必ず丸裸になるまで実を収穫した。団栗と同じくまずは地面に落ちている栗を拾い、その次に幹を蹴って落として拾い、最後は誰かが樹に登って枝を激しく揺すって残らず実を落とした。だから私たちに見つけられた山栗の樹はみな裸になってしまった。
「栗きんとんにしてくれ」
 帰るときにはいつも鍵谷が大声で言った。
 大学時代に下界で食べた栗きんとんがよほどかったらしく、それから二十年近くかけてさんざん試行錯誤し、かなりのレベルのものを作れるようになった。食べてみて、私もこれほどのものは下でも食べたことがないと思うほどのものだった。
 川魚漁もさかんに行われた。
 下界の禁漁期は関係ないので、やなや網を使って鮎や岩魚、山女魚などを大量に捕獲して夕食で食べ、余りの魚でしよう替わりの魚醬を作ったりした。旭は若いころ下界で和食職人をしていた経験があり、みんなに川魚でにぎり寿司を振る舞ってくれたりもした。こうして栗や芋、魚など秋の恵みを収穫しながら楽しい日々が過ぎていった。
 鍵谷が連れてきた伊緒里は、来た段階ですでに鍵谷の女だったようだ。鍵谷が現れると必ず側についていたし、鍵谷の小屋を訪ねるとたいていそこにいた。
 リサコと亜希は、明らかに動揺していた。
 リサコは鍵谷の前で私にべたついて彼を挑発しはじめた。一方の亜希はそのリサコの行為にあからさまに敵意を見せながら、リサコ以上に若い伊緒里に対してどう対応したらいいのかわからないように見えた。なんとなくだが、亜希はこのグループの女のなかでの地位は自分が一番高いと思っていたいようだった。
 それぞれの女の複雑な思惑からくる人間関係のきしみは、トップとして自由に振る舞う鍵谷ではなく、新参者である私に降りかかってきた。私はできるだけ素知らぬ顔をし、ふわりふわりと風のように対応していた。女性たちの思惑よりも、私は鍵谷たち男との関係が心地よかったからである。だから女性たちとの関係は表面だけにし、男たちとうまくやっていければそれでいいと思っていた。女たちの問題は時間がたてば収まると思ったのだ。亜希の小屋を出て独り暮らしになったこともあり、私はそれほど重大事だとは思わなかった。
 ある日、夕食を終えて私の小屋に来たリサコとくつろいでいるとき、彼女がモデル時代の話をしはじめた。下界にいるときにモデルをしていたことは何度か自慢話として聞いていたが、この日は微に入り細をうがって、カメラマンと寝た数であるとか気にいらないモデル仲間であるとか、そういった話をした。
「俺、写真撮るの得意なんだぜ」
 私が言うとリサコの顔が華やいだ。
「撮って撮って。お願い。好きなあなたに撮ってもらいたいの」
 そう言った。
 しかしリサコが好きなのは鍵谷であることは私が一番よく知っていた。それでも私といるのはこの山の生活があまりに冗長なせいなのだ。恋もどきのことでもしていないと、リサコのような女はきっと破綻してしまうのであろう。
「じゃあ下界に戻ったら撮ってやるよ」
 適当な気持ちで、そう言った。
 そうするとリサコが「一緒に下界へ帰ろう」と言いはじめた。
「それはできない──」
 私が言っても下りたい下りたいと言う。
「無理に決まってるだろ」
「お願い」
「無理だ」
「お願い」
 手を合わせてくる。
 そんな流れのなかで私は言ってしまった。
「実は一眼レフカメラを持ってきてるんだ」
「どこに……?」
「それは言えないなあ」
 私が笑うとリサコが私の首を絞めるをした。
「二枚か三枚、私を撮って」
「撮ったってプリントはできないんだぜ」
「でもデジカメでしょ。画面で見ることはできるわ」
「まあ、そうだけど……」
「ねえ、撮ってよ。お願い」
 バッテリーのことを考えた。カメラにそうてんしてあるものも含め、フル充電してある予備バッテリーがふたつある。三本ともほとんどそのまま残っているだろう。
「ねえ、どこにあるの?」
 リサコが立ち上がった。そして私のザックの口を開けて中を漁っている。
「ねえ、どこ、どこにあるの?」
 ザックにないとわかると立ち上がった。棚を上から順にのぞき込んだ。右手を奥へ突っ込んだりして探っている。
「ねえ、ないわ。どこにあるの?」
 私のところに戻ってきて膝の上に座った。私がその肩を抱くと「ねえ、撮ってよ。お願い」と甘えた声で言い、キスをせがんできたが、私はそれを避けた。
「なんで教えてくれないの」
 リサコがふくれた。
「隠してあるんだよ」
「どうして?」
「鍵谷さんに怒られたからさ。ここに来たばかりのとき、『カメラ持ってないだろうな』って言われて『持ってない』って言って隠したんだ」
「リーダーはここの存在を下界に知られるのを嫌がってるからね」
「でも、ヤマビトはみんなそうだろう?」
「もちろんそうだけど」
「だからカメラ持ってきてないことになってるんだよ。そもそも遊びで持ってきたカメラじゃないからさ」
「遊びじゃないって?」
「仕事さ」
「どういうこと?」
「他の人に言わないかい?」
「え、どういうこと」
「絶対に言わないと約束してくれるなら教えるよ」
「言わない。教えて」
「俺、ここに来たのは写真を撮るのが目的だったんだ」
「どういうこと?」
「雑誌社に依頼されてビッグフットの写真を撮りに来た」
「ビッグフットって?」
「アメリカの山奥で毛むくじゃらの謎の生物が昔写真に撮られたんだよ。もしかしたら雪男じゃないかって。それがビッグフットって名付けられたんだけど、日本でも昔このあたりの山で動画が撮影されたことがあるんだよ」
「それ、ほんと?」
「おそらく今回戦争した六厳会みたいなヤマビトの一人だと思うんだ」
「その写真を撮ってどうするの?」
「雑誌社が写真を買い取ってくれる」
「いくらで?」
「五十万円」
「すごいじゃん! それ撮ったの?」
「いや、来てすぐ隠したから。黒彦さんを撮った写真は入ってるけど」
「じゃあ、いいじゃん。黒彦だって普通の人間じゃないよ。ビッグフットみたいなもんだよ。下界行って売ってこようよ」
「だめだ。俺はここに残ることに決めたんだから」
「いいじゃない。ばれやしないわ。そのお金で服を買って」
「リサコだってここに一生いるつもりだろ」
「さあ」
 肩をすくめた。
「なんだ、そう言ってたじゃないか」
「なんだか最近その気分じゃないの」
 おそらく伊緒里が原因だろう。
「そのカメラ、どこに隠してあるの?」
「森の中だ。見つからないところに」
「それはどこ?」
「内緒だ」
「どうして」
「もし鍵谷さんにカメラ持ってることがばれたら大変なことになるよ」
「ばれなきゃいいじゃない。じゃあ、こうして。私の写真を撮って、私は画面で見て楽しんでカメラはまた隠しておく。そして下界に新しいメンバーをスカウトに行くときとかに街でプリントしてもらう。これでどう?」
 私が考え込んでいると「ねえ、いいでしょう」と腕をからませてきた。
 私は肯いた。

▶#10-3へつづく
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